この国の姿を眺めて想う、出家のひとりごと:
今回の過剰反応から始まった日本社会全体の委縮は、もはや出口を見失ってしまったのかもしれないと思えてくる。
まるで「見えない自滅爆弾」をみずから炸裂させてしまったかのよう――。
この自滅爆弾は、音を発しない。だが急速なスピードで国土を覆って、活力を殺していく。そして長い歳月、威力は続く。
同調圧力、周りの様子を見て、人々の顔色を窺って、従順なお利口さんとしてふるまうことで自分の安全を守るという、
狭小で利己的かもしれないふるまいは、
あの真珠湾攻撃に始まった悪夢の十二年間と、実はかわっていないのかもしれない。
あの戦争で、日本人だけで300万人が死んだ。わずか3か月の沖縄戦と原爆二発で70万人を殺したのは、撤退の基準というものを考えず、責任を負わずに保身と惰性を平気で選んだ為政者たちと、
その惰性に最後まで従おうとした生真面目で、現実を見ようとしなかった市井の人たち。
竹槍ひとつで米軍と闘えると信じ込むことができたのは、周りの人々に合わせることで自分は正しいことをしていると思い込んでしまえる心性ゆえか。
周囲に合わせるだけ。その向こうにある真実に目を向けない。
その心性は、このコロナ騒ぎについても共通しているのかもしれません。
今のレベルでまだ騒ぎを続けることは、今後この国が、出口の見えないこの萎縮を果てしなく続けて、
経済的に精神的に病んでいくことを容認しているということにならないか。
これから人口はますます減って、高齢者があふれる、過疎と閉塞の国へと化してゆくかもしれないのに。
この国が長期にわたってダメージを被りつつある。
苦しまなくていい人たちが、苦しみを背負い続ける――
そのことが、この世に生きる一人として、せつなく思う。
〇
「疑問」を語る声が枯渇しつつあるのか。代わりに世界を支配するのは、「心の魔」だ。
欲望と慢と悪意とウソと。
心の魔の暴走を止められずに、人も、世界も、いっそう病んでゆく。
この先、仮に世界が千年続くとしても、それは、この国で始まった萎縮と停滞の延長にはない。
この国は、もう一度軌道修正するか、このまま滅びゆくか。そういう途上にあるのだろうか。
〇
そんな妄想をめぐらせつつ、「やっぱり心と心のつながりを大事にするほかない」と思えてくる。
これは、生き方だ。世にあって世に染まらず。
この世界が狂ってしまっているかもしれないということ。狂いつつあるかもしれないということ。
だが、そう思っているだけでは、個人的な思い込みになってしまうから、
きちんと、まともな姿・まともな生き方を、個人がちゃんと守ってみせることだ。
「生き方を知っている」ということ。
仏道を学び、生きるとは、まともな生き方を、個人のレベルで貫き通すこと。
一人ひとりが自立すること。まともであること。見えるべきものが見えていること。
この世界が正しいはずもない。心の魔は、人間が文明を持った時代から続いているのだから。
これまでなんとか、この星の環境が、人間という小さな種の身勝手さを支えるだけの容量があったというだけにすぎない。
だが、その容量が今後続く可能性などない。急速に壊れつつあることは確からしい。
そして、人の世界も狂いつつあるのかもしれない。
一人ひとりが覚醒することだ。
2021・12・22