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せめてこの世界の美しさを


翌日5日は京都・丸太町。ランチで入った食堂では、「群馬・伊勢崎41.8℃「14か所で40℃超え」のTVニュース。画面には、真っ赤に染まった日本列島。

MCの男が「いつまで続くんでしょう?」。気象予報士は「さあ」と笑ってごまかす。昼間は日陰に入れとか、冷たいものを握れとか、うわっつらの暑さ対策で尺を稼いでいる。

テレビ番組は、いつもこの調子だ。軽薄なノリでごまかし、原因も対策も未来のことも考えない。無思考の典型。コロナ騒動中もそうだったし、あの戦争中もこの調子だったのだろう。


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原因も対策も突き詰めて考えない こういう大人にはなってほしくない


年々、気温は上昇して、制御しきれなくなりつつある。いや、すでに制御しうる臨界点を超えている。

こうして人類は滅びるんだよ。
 
原因は明らかであるにもかかわらず、 誰も本気で取り組もうとしない(自分も含む)。
 
周囲におもねって、善良なふりをして、波風立つことは見ざる聞かざる言わざるを決め込んで。 
 
700万年にわたる連綿たる種の努力が、もうすぐ水泡に帰する。
 
こうして世界は滅んでゆくんだよ。

 
近頃ずっと、この世界を末期の眼で見てしまっている。滅びるのは、自分が先か、世界が先か。
 
さすがに自分が先だとしても、世界の終わりもそう遠い未来ではないような。
 
予感のような、妄想のような、晴れない憂いを抱えて続けている自分がいる。



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せめてこの世界の美しさがわかる自分のままでいよう



2025年8月5日





鳥取境港・水木しげる記念館2


水木しげる記念館は、想像を超えた迫力とスケールだった。本人の人生が深く広すぎて、この場所はどちらかといえば大人向けであって、子供にとってはむしろ難物(理解が難しい)場所かもしれないと感じた。

水木しげる(先生)は、大正11年(1922年)生まれ。よく寝てよく食べて、伸び伸びと育った。近所の「のんのんばあ」に、迷信・伝承・死後の世界や妖怪の話など、いろんな話を聞いたとか。のんのんばあと遠出もして、いろんな場所に出かけたそうだ。

この頃の体験が決定的な影響を与えたらしい。子供特有の好奇心と観察力に加えて、伝承の物語をたっぷり聞かされて育った独特の自然観。尋常小学校時代に父に油彩絵具をもらったことがきっかけで、絵に描く技術を育てていった。

水木しげるの感性は、柳田國男や南方熊楠に似ているところがある(※)。共通するのは、自分を取り巻く外の世界への尋常でない好奇心だ。柳田は若干社会への興味が強かったために官僚を経て民俗学へ、南方は自然への興味にまかせての博覧強記(しいていうなら生物学)、水木の場合は絵による表現につながっていった。水木持ち前の観察力は、戦後の子供向け漫画よりむしろ戦争漫画や緻密な風景描写に生かされている。

※柳田と南方は生前交流があったらしい。

明治・大正の頃は、彼らのような知的野生児が大勢いた印象がある。まだ学校も親も大らかだった時代だ。今のように塾に通う必要もない。誰もが進学せねばという社会的圧力もなかった。端的に自由だったのだ。その自由さが、彼らの感性と知力を育んだ。

今の時代のように、優等生であるとか学歴を手に入れるとか近所に褒められるとか有利な職業に就くとか、そういう欲目本位の打算計算が世に蔓延する前の話だ。彼らのような知力と生命力と表現力の傑物は、今の時代には育ちにくいだろうと思う。



水木は絵の才能は早くから認められていたそうだが、勉強とコミュニケーションは、能力の欠落といってもいいすぎではないほどに、苦手だったようだ。

園芸高校も1人だけ不合格。大阪の印刷会社に入ったが、ヘマばかりですぐクビに。会社勤めも新聞配達もダメ。野生育ちの青年の脳は、他の人とは違う育ち方をしていたのだろう(今なら発達障害とレッテルを貼られたかもしれない※)。


※少し脱線するが、発達障害というレッテルを貼ったときに問題となるのは、ではどう生きていくのかという方針がどれほど見えるかという点だ。
 
水木の場合は、外の世界に適応しきれず、異物としての自分をつねに感じていながら、自分に唯一できることとして絵を選んで(しがみついて)、道を拓いた。「できないことは多々あれど、唯一できることをもってわが人生となす」という潔さがある。

もし水木やその家族が「勉強して進学して就職することが望ましく、それができなければ世間に顔向けできない」というような偏った価値観にこだわっていたら、水木は社会不適格者として引きこもるしかなかったろう。そして社会との接点を一度も見出せずに消えていったはずだ。

人というのは、何か一つできることを見つけて、どこか一か所に居場所を見つけて生きていれば十分だ。そうした生き方さえ低俗な見栄で潰しているのが、今の社会の風潮であり、一部の親の認識であるとしたら、凄まじくもったいなく、残酷で、発想が貧しいことをしていることになる。


水木が19歳の時に太平洋戦争が勃発(つくづく愚かしいことをこの国は始めてしまったものだ。戦争をしない世界線だってあっただろうに)。20歳になった水木青年も徴兵されて、南洋ラバウルへ。

爆撃を受けて左腕を切断。マラリアにかかって高熱で寝たきりに。熱帯ジャングルの中を移動する途中に、いつ死んでもおかしくない極限の状況を経験。もともと胃袋が丈夫だったことが功を奏した。よく寝てよく食べて育った幼少期が、水木の生命力を育ててくれた。

こういう部分が因縁というものだ。本人が選び取るだけでなく、時代が、環境が、人々が与えてくれるもの。のんのんばあとの出会いも、その一つ。水木の命は、見えない因縁が支えてくれていたように見えなくもない。

水木は漫画家とは別に、戦争作家としての側面も持っている。記念館の内部は、戦争に関する絵と言葉の展示が半分を占めていた。水木が遭遇した軍の上司たちがどれほど卑小な人間だったかを、水木は絵で伝えてくれている。

日本人の心性というのは、自分の中に軸がないのだ。言われたことに従う、周りがやっていることに合わせる。そうやって目立たないこと、上の立場におもねることをもって、身の安全(保身)を図る。

だからこそ、褒められれば満足してしまえるし、嫉妬して足を引っ張ろうとするし、人のミスを執拗に責め続けるし、立場を手に入れれば、我を張って、威張り散らして、立場が弱い人を追い詰めようとする。

他方、都合が悪くなると真っ先に逃げ出す、人のせいにする、忘れたふりをする。反省しない。だから成長もない。形勢が不利だと見れば、反省しているフリはする。だが見せかけだけだ。実は「空っぽ」なのだ。

あの戦争末期の人間魚雷も、特攻隊も、片道だけの燃料を積ませての出航も、そうした中身のない人間が思いついた所業だ。空洞の人格。その心に動いているのは、小さな我欲と保身のための姑息な計算。そういうふうにできているのが、日本人の心性か。

だからこそ、世間やお上に弱い。唯々諾々、付和雷同、阿諛追従を、なんの臆面もなくしてしまえる。あの戦争を、国が滅びる寸前まで続け、負けを知って本気で涙して、終戦後は駐留米軍のために女性をあてがう慰安施設を急ごしらえして“外から来たお上”に取り入るという、下品にして計算高い人間なのだ。

今の時代の同調と忖度も、同じ文化的遺伝子から来ている。日本人は考えない(すべての日本人がとは言わないが)。考える軸がない。自分さえ安全ならそれでいいという姑息さを隠し持って、表面的にはいい子・いい人を演じている。

社会が良い方向に向かおうと悪い方向に走ろうと、社会のあり方を問うことはない(空っぽだから)。代わりにどんな社会にも適応してしまう。それが日本人というものかもしれない。


ああ みんな こんな気持ちで 死んでいったんだなあ
誰に みられることもなく 誰に語ることもできず
……ただ忘れ去られるだけ……

(展示中の漫画内のセリフ)


水木が作品の中で語っていた「わけのわからない怒り」は、そうした中身のない姑息な日本人の心性に対するものではなかったか。見ているようで何も見ず、考えているようで何も考えていない。そのくせ立場や権威をかさに着て、理不尽以上の理不尽を平気で強いて、都合が悪くなると真っ先に逃げ出す。力弱き者は、そうした生き物に取り囲まれて抜け出せない。

なぜこんな目に遭っているのかまったくわからないままに、最悪の死に方を強いられ、蛆虫に食べられて、見知らぬ熱帯林の土と化した日本人が累々といた。
 
こうした不条理、いや狂気とさえいえる現実への憤り、つまりは中身のない日本人という生き物への怒りを、水木は描き出そうとした。

戦後の水木は、心に溜まった不条理の汚物を吐き出すかのように、執拗に戦争物の漫画を描いている。どの作品も絶望的に暗く、狂気かと思わせるほどの執着をもって緻密に描いている。もともと人並みはずれた観察力の持ち主だ。その眼に焼きついた戦争という名の極限は、生涯焼きついて離れなかっただろう。

救ってくれたのは、これまたのんのんばあが教えてくれた“見えない世界”だったのかもしれない。妖怪、心霊、死後の世界。その心に見ている世界が豊穣だったからこそ、狂った現実の世界でも正気を保てたのではあるまいか。


記念館の中には、小さな子供も大勢来ていた。何も記憶に残らないかもしれない。だが、映像の光や漫画の線など、何かひとつが記憶の片隅に残ってくれれば、それが将来、感性や思考へと育っていく可能性がなくはない。

無理につきあわせるのは幼い子供には酷なこともあろうが、この年頃の子供は、自分で選ぶこと以上に「体験する」ことのほうが、意味を持つ。むしろ大人が行きたい場所・見たい物に付き合ってもらう、それくらいの働きかけのほうがよい気がする。



水木の人生はさらに続く。日本に帰ってきて、残った右腕で絵を描いて、紙芝居作家から漫画家へ。最初は赤本(貸本)、読み切り、さらに月刊誌・週刊誌の連載へ――テレビと並んで紙の本が娯楽として求められていた時代だ(※)。

※今なら動画か。媒体が変わるだけで、その時代の需要に応じて自らの才を発揮するという生き方の原型みたいなものは、時代を超えて変わっていないのかもしれない。漫画が価値を持つなら、動画も価値を持つということか。動画の場合は、際限がなく、反応を連鎖させて結果的に中毒状態に陥らせるという仕掛けこそが、独特の難点なのだろうが。


39歳で見合い結婚。妻は29歳。漫画家という得体のしれない男と結婚生活を始めるとは、妻となった女性にもそれなりの因縁があったのかもしれない。夫婦円満の秘訣を聞かれて、「相手に何も要求しない 何も期待しない」と水木は語っていたそうだ。たしかに(笑)。

「テレビくん」で講談社児童まんが賞を受賞して、売れっ子漫画家に。水木プロを結成。妖怪を描き始めたのは、49歳。まもなく鬼太郎が登場する。思うに、50代に入ると現実の自分が安定してきて、過去に体験したことが“引き出し”として活かせるようになる(それだけ余裕が出てくる)のかもしれない。



もしアイデアで文化を創ることができるなら、私なら「幸せを増やす妖怪」(を考える)という文化を創るだろう。廃棄物を消化する妖怪とか、遺伝子を組み換えて病気を治す妖怪とか、養分をかきあつめて食べ物を作り出せる妖怪とか。神様となると、人は求めすぎてよくない。妖怪のような、一つのことしかできない、不器用で小回りが利く生き物のほうがよい。

どんな働きをする妖怪かを想像して、具体的な造形をもって表現する。そういう発想が身に着けば、「幸せを創る」ことを考えるようになるだろう。

学校の子供たちに取り組んでもらう。そういう妖怪が一堂に会する「妖怪フェス」をやる。どこかで実験的にやってみることはできないものか。
 

夕方に妖怪列車に飛び乗って、米子から新見を通って一気に山陽に出た。岡山、姫路を通って、京都で一泊。

この夏は、金子みすゞと水木しげるの人生に触れた旅だった。こうした出会いが一つずつ心に積み重なれば、生きることも悪くないと思える。


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空想というのは偉大な力を持っている これも生命なのだ



2025年8月4日



鳥取米子・水木しげる記念館

朝9時過ぎ、米子駅発の妖怪列車に乗り込む。駅の階段はねずみ男で、列車はねこ娘。ホームにも鬼太郎と一つ目小僧をはじめとするオブジェが並ぶ。しょっぱなから水木ワールド全開だ。夏休みということもあって、車内は子供連れがいっぱい。


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終点・境港駅まで、どの駅にも妖怪名がついている。すねこすり駅とか、こなきじじい駅とか。精緻なイラストと解説つき。「次の妖怪は何かなあ?」と同乗の家族連れ。でも中には、すでに疲れたらしく、ぐずりだす子供も。

駅ごとの妖怪をまめに写真に撮るのは、もっぱらお母さん(平日のためか、お父さんはいない家族が多かった)。なんなら子供以上に興味がありそう(親子あるある?)。

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ある程度思考力が育った子供なら、駅の妖怪に興味を持てるようだ。だがある駅に来て、妖怪を隠すように車窓にシェードがかかったままであることに気づいた。そのままでは妖怪が見えない。

窓際に座っているのは、二十代前半と思われる若い女性2人。米子からずっと手鏡を見つめて化粧し続けていた。窓の外の妖怪には目もくれない。

妖怪見たいなあ、開けてくれないかなあ・・という面持ちの家族連れに気づくことなく、最終駅まで一度も窓の外を見ることなく、2人は自分の顔だけを見つめていた。

境港駅も水木ワールド全開だった。駅を取り巻く妖怪のオブジェ群。駅近ビルにはお化け屋敷も。

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駅前のオブジェ 漫画ってほんとに訴求力がすごい



水木しげるロードには、精巧な作りの妖怪オブジェが並んでいる。どの妖怪も造形がリアル。すさまじい想像力。

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妖怪伝説は、どこから始まったのだろう。思いつくのは、古代のヤマタノオロチ伝説や、古事記の因幡の白兎、八百万の神々か。日本列島に棲息していた動物と、死の恐怖が作り出した幽霊と、超自然現象と、日本霊異記(平安時代)に代表される説話文学と。

説話は古代インドのジャータカ物語にさかのぼることができるから、仏教も影響を与えているのだ(※)。いろんな要素がない混ぜになって、日本独特の妖怪イメージが造られていったように思える。

※奇しくも「妖怪」という呼び名を定着させたのは、井上円了だとか。寺の息子で、のちに仏教改良運動を展開して、哲学館(今の東洋大学)を創立した思想家だ。

ちなみに西洋の場合は、一神教に由来する異物・異端の排除と、中世の未開の森を通して形成されたであろう、闇を恐怖するという自然観、この二つが影響して、あの殺伐とした幽霊(ゴースト)のイメージが形成されていったのではないか。 『グリム童話』はけっこう残酷だし、 風俗としてのハロウィーンは禍々しいし。 行き着いたのが、現代のゾンビ。

その源流にあるのは、フォビア(嫌悪)とフィア(恐怖)なのだろう。だから愛嬌がない。アニメキャラでさえ、素直な顔をしていない(アナ雪とか?)。

他方、日本の場合は、豊かな自然とアニミズムを背景としているから、動物も神々も身近な存在だ。だからみんな人間的で親しみが持てる。これが今日のゆるキャラにつながっていく。

空想上の生き物さえ、心に見えるもの(深層心理)が影響しているということか。西洋人は、日本人が作り出す妖怪や愛嬌満点のゆるキャラを真似しようにも、できないだろう。想像の原点がまるで違うからだ。

驚いたのは、あの列車の中でシェードを締め切って一心不乱に化粧をしていた女子2人組が、水木しげる記念館に入っていったことだ。

えええええ(げげげのげ)? 子供たちと同じ目的で来ていたの?? 妖怪見に来ていたのかい?? 


てっきり妖怪に飽きた地元の人かと思っていた。なぜあそこまで化粧に入れ込む必要があったのか? 妖怪級の謎といえなくもない――。


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いよいよ到着 水木しげる記念館



2025年8月4日


山口仙崎・金子みすゞ記念館

<おしらせ>

10月26日(日)18:00~22:00 
個人相談会 東京・新宿

11月1日(土)18:00~21:30 
座禅会 東京・神楽坂

11月2日(日)18:00~21:30 
生き方として学ぶ仏教講座特別編 
仏教で思い出そう「あの日の幸福」を 特製オリジナル資料つき


◇◇◇◇◇

日本全国行脚2025 
山口仙崎・金子みすゞ記念館


翌8月3日は、朝の列車で仙崎に向かった。宿でゆっくりしたくもあったが、便が少ないので朝イチの列車に合わせるほかない。浦部からは代行バス。見知らぬ山道や海岸沿いを走る至福の時。長門市駅まで運んでもらって、そこから仙崎まで一駅。


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ふと降りて浜辺を歩いてみたくなる
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ここにもあった夏の青


金子みすゞ美術館へ。みすゞ(本名テル)は幼い頃から想像力が傑出していた。ひときわ弱者への共感があった。光の裏にある陰を見る。嬌声の背後に隠れた寂しさを想う――この感受性は、どんなきっかけで育っていったのだろう。3歳の時に実父が亡くなったことも影響したのだろうか。

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両親はここ仙崎で書店(金子文英堂)を経営。本が、みすゞの感性と思索を育てたか。当時は多くなかった女学校への進学組。片道40分かかる登下校の道を、一人で物語を空想しながら歩いたそうだ。

卒業後は、下関で暮らす母のもとへ(母親はみすゞが16歳の時に再婚して下関に出ていた )。みすゞは、義父が経営する書店(上山文英堂)を手伝う。

当時の下関は、海の幸を全国に送り出す港町で、不夜城とも称される賑わいを誇っていたという。 “都会”の華やぎに創作意欲を刺激されたところもあったのか、二十歳を過ぎて“みすゞ”名で童謡詞を投稿し始める。幼い頃に養子に出された実弟と、弟とは知らずに“友情”(おそらく一部恋心)を育み始めたのも、この頃からだった。

書店に奉公として入ってきた男と見合い結婚。だがこの男が慢と怠惰の生き物で、みすゞの人生は暗転する。家父長制のもと、どんなに自堕落で乱暴な男であっても、家の権力を握ることができた時代だ。当時の女性にとって、家を出て自立することは、どれほど困難だったことか。しかもみすゞのような感受性が強く聡明な女性にとって、田舎のダメ男と夫婦生活を続けることなど、極限の拷問にも等しかっただろう。

結婚した年(23歳)に、かねてからみすゞの作品を高く評価していた詩人(西條八十)に勧められて、童謡詩人会へ。のちに広く知られる「大漁」「お魚」が詩壇で発表されたのは、この頃。同年秋に長女ふさえが誕生。

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書いたのは地元・仙崎小学校の子供たち 
ふつうこんな優しさを持っていたら、生きてはいけない


その後、夫との関係にますます追い詰められて、重度のノイローゼに。娘が4歳の時、みすゞは26歳にして自死を選んだ(※山頭火の母親もそうだった・・あの頃の女性の自殺率は、今以上に高かった可能性はないか)。

生前のみすゞは、童謡詩人として注目する人も多かったというが、自死によって投稿は途絶え、次第に忘れ去られていった――。


みすゞの作品が“発掘”されたのは、みすゞが亡くなった五十年も後のこと。みすずの童謡詩を十代の頃に見つけて以来のファンだったという男性(矢崎節夫氏)が、みすゞの痕跡を探し求めて、実弟(上山雅輔氏)にたどり着き、みすゞ手書きの童謡集3冊、全512編を受け取ったことが始まりだという。

みすゞの童謡は、日陰に追いやられるか弱き命に思いやりの光を当てることで、くっきりとした明暗と陰影を浮かび上がらせる。そのコントラストの鮮やかさが、人の心をせつなく打つのだ。広がっていくことは、自然な流れだ。まもなく学校の教科書にも掲載され、知らない人はいないといっていいほど著名な童謡詩人になった。

みすゞの生涯は、幼い頃の孤独からスタートしたように思えなくもない。寂しさゆえの弱者への想像力と、その思いを表現する言葉の力と。童謡詩は、幼い頃の自身の思いの最も自然な発露だっただろう。

自分が最も自分らしくいられた時期に書き表した童謡詩集を、親友でもあった実弟に託して、結婚によって予期せぬ苦悩を背負わされて、憔悴しきって自死を選んで――。

もしみすゞのファンだったという男性が探さなかったら、そして実弟が詩集を失くしていたら、みすゞの哀切に満ちた詩が脚光を浴びることは、永久になかった。小さな漁村で哀しく自死した名もなき女性として、永遠に埋もれていたことだろう。

なんというか、みすゞの生涯そのものが、土に埋められた金魚や、大漁の夜に海の中でひっそりと仲間のとむらいをした鰯に通じる気がする。みすゞ自身が陰の中で哀しい輝きを放つ命の一つだった。
 

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みすゞは幸運にも見出されたけれども、この世界には、人知れず消えていった、哀しく、せつなく、美しい命が無数に存在するのだろう。そうか、そうした見えない輝きが存在することを知り、その輝きを見つけたいと願ってやまない心の持ち主こそが、詩や文学に傾倒したり、旅し続けたりするのだろうか。

みすゞのような言葉の力がなくても、輝きを放っている命は、この世界に溢れているに違いない。そうした輝きは、言葉を紡ぐ必要さえない。その時、その場所で、笑ったり、涙したり、美しい景色を眺めたりして、心が動いたその瞬間に、美しい輝きが刹那の光を放つ。

この世界はきっと、そうしたキラキラした輝きに満ちていて、ただその輝きは、もしかしたら本人も気づかず、まして他の誰かが見つけることもなく、光を放って瞬時に消えるということを、無限無数に繰り返しているのかもしれない。

そんな奇跡のすべてを目の当たりにすることは当然できないけれど、それでもときおり、誰かが放っている輝きを見つけることがある。そんなときは単純に見惚(と)れてしまうし、こんな美しいものがこの世界には溢れているのだという思いを新たにして、輝きを見つける旅に出ようと改めて思える。

仙崎への道中で見た景色も、みすゞの切ない生涯も、この世界に溢れる無数の輝きを思い出させてくれる絶好のきっかけになった。よい旅をしたものだとつくづく思う。



記念館の中で、小4の女の子とおばあちゃんと再会。仙崎への電車の中で一緒だった二人。女の子は東京から来たという。おばあちゃんは元気だが、女の子は退屈そう。みすゞの言葉は少し早かったかもしれないね。いつかこの日を思い出して、再び仙崎を訪れることもあるのだろうか。

金子みすゞ美術館のイラストは、長門市在住の尾崎眞吾(おざき しんご)氏が手がけているという。

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透明感と色彩の豊かさが共存する画風 純粋にきれい 原画はもっときれい




16時過ぎの列車に乗って、山陰本線で鳥取・米子に向かう。影を増す海岸線に並ぶ家々。いろんな場所に、いろんな暮らしがある。途中下車して歩いた、人影まばらな町並みも好(よ)き。

列車を乗り継いで、米子に着いたのは23時過ぎ。7時間のローカル列車の旅。車窓の景色も、車内の人々の姿も眺めることができるので、退屈しない。腰痛になることもない。気力、体力ともにまだ大丈夫。


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仙崎の碧い海 きっとみすゞには真昼の青さより夜の漆黒に潜む命のほうが身近だったのかもしれない




2025年8月3日
 
 

日本全国行脚2025 博多から下関へ


船旅2日目は、船上でゆっくり過ごす。

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テレビでは刑事ドラマの再放送・・岡江久美子さんが主演。

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どこで見ても美しい夕日


門司港に朝5時半に到着。ゆっくりと船着場に入っていく船の看板に上がると、ほの明るむ東雲の空が見えた。

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船旅は悪くない。時間の余白が多い。気が赴くままに仕事したり、デッキに上がって海原を眺めたり。恋愛中のカップルにもお勧めだし、失恋した後の傷心旅行にも最適・・というまったく縁のない妄想を勝手にしちゃったりした。

今回のフェリーの弱点は、送迎バスがないこと。相乗りタクシーで門司駅まで。予約券一人440円。でも同乗客は私も含めて3人しかおらず、メーターは駅についた頃には3000円近くに(けっこう距離があった)。

運転手さん、朝5時すぎにユニフォーム着て、タクシーで来て(もう一台には一人だけ乗っていった)、正規運賃を下回る額。なんだか申しわけない。このせつなさも、旅につきもの。


JR門司駅から博多まで。地下鉄で天神まで行って、じょいふるで朝食(船の中で一風呂浴びればよかった)。2階クーラーが故障中とかで一階だけ。徹夜明けらしき若い男女が上機嫌で歌を歌い始めて、店員の老婦人に叱られている。いや、元気だ、頼もしい(笑)。

昼過ぎまでお世話になって、歩いて会場施設へ。

はて何人来てくれるか、でも一人でも来る人がいるなら続けなければという思いで、東京ではやってきた。東京から博多まで足を運んで参加者数名というのはいささか残念と思っていたが、予想以上に多くの人が来てくれた。普通の規模の勉強会になった。


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毎回話題が変わるのも面白いところ


終了後は、希望者一人ずつ面談。オーディブルを聞き始めたばかりという女性も、今日は方に向かう途中でイベント検索したらたまたま出て来て、予定変更してやってきたという女性も。今年もやってよかった、と思う。

終わって、再び一人に戻る。とたんに街の景色が“凡庸”になる不思議。物欲がないので、豪華なビルも賑やかしい店の装いにも、ぜんぜん関心が湧かないのだ。ひとまず博多駅に戻って、JRで西の方に行けるところまで行く。

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西へと急ぐ


夜9時半過ぎに下関に到着。下松(くだまつ)行きの接続列車があった。昔バイトで教えていた美術学校の学生が下松出身だったと、この駅に来るたびに思い出す。結局地元の下松に戻ったのだが、もう三十年近く経っている。どんな大人になっているのだろう。探しに行きたくなる。

前回の旅でもいただいた定食屋がギリギリ開いていたので、鯨汁定食をいただく。最後の客だが、ちゃんと調理して熱々にしてくれた。

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すきっ腹には熱い鯨汁が沁みます


この一帯も、かつては不夜城と言われた港町だったそうだが、人も減って、すっかり寂しくなってしまったそうだ。店の周りには、色を失って久しい商業施設が、夜の帳の中に音もなく沈んでいる。鮮やかな色が褪せて行って、陰の色が増えていく。日本中どこに行っても同じ。今のうちに目に焼きつけておきたい。

駅近くの宿に泊まる。野宿する予定だったが、5千円分の贅沢と堕落を選んでしまった。潮の匂いを嗅ぎながら夜を過ごせたであろうのに。出家たる私も弱くなってしまったものだ。


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夜の下関 前回来た時はバス停で腹痛に苦しむ20代の女性と遭遇して、救急車を呼んだのだった あの人もどこかで暮らしているのだろうか


2025年8月上旬

未来の世界 日本全国行脚2025

<おしらせ> 十代の子を持つ親の育て方&生き方学習会 千葉県野田市

子育て&子供との関わり方について考えます。 

8月16日(土)13時から 参加希望の方は<申し込みフォーム>まで。


今回の目的地は博多。東京からは新幹線が早いが、交通費がかさむ。飛行機は性に合わない。改悪された18切符だと、3日または5日の間に博多に着かねばならない。しかも移動中の車内では何もできない。バッテリーが切れたらPCもスマホも使えないし、本を読むのは目が疲れるし、運ぶのは重い。途中の宿泊に費用もかかる。

こうした事情を考慮して最後に選んだのは、フェリーの旅。東京有明から北九州・門司港へ。2泊3日の旅。船内なら電源の心配は不要。原稿を書くか、本を読むか。値段も陸路より安く浮く。

東京港フェリーターミナル行きのバスに乗る。八重洲、銀座、晴海を通って、有明ゾーンへ。途中、タワーマンションの群れ(広大な敷地はまだ造成中)やレインボーブリッジや東京ビックサイトや、その他何が入っているのかナゾの近未来的な建造物の数々を通り抜ける。都市工学の粋をきわめて設計したであろう道路とモノレールと地下鉄と高層ビルが華麗に交錯する街並み。

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これでも開発の初期段階にすぎないらしい


メタル色に輝くビルの一階がガラス張りのジムになっていて、マシンを使ってジョギングしているお金持ち(じゃないかな、たぶん)の姿が見える。うねるような湾曲形状の巨大なビルも。もうSFの世界だ。スターウォーズに出てくる惑星コルサントの実写版。
バスの窓から未来の世界を眺めながら考えるのは、「あの生垣の間なら野宿できそうだな」というようなこと(笑)。通勤する人たちを見上げるホームレスの目だ。

いやこんな世界もあるんだ~(すごい)という新鮮な感動。おのぼりさんと出家というダブルの目線で見上げる世界。フェリーに乗る前に元を取った気がして大満足(笑)。


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レインボーブリッジが見える 未来都市



いざ、乗船。一人で乗り込む人も、小さな子供連れの家族もいる。ペットと過ごせる個室もあるそうだ。

私が借りたのは、カプセルホテル的な共同スペース。小さなブース(寝床)があって、電源もあって。ラウンジには机も自販機もあるから、時間を過ごすのに不自由はない。浴場やシャワールームもあるし、トイレはウォシュレット付きの最新設備。かなり贅沢な造り。時代は進んだものだ。でも、ほんとの豪華客船は、この船の比ではないらしい。これまた別の世界。

舟はレインボーブリッジの下を潜って、海原を進む。有明、晴海、築地の明かりを一望できる。宝石を並べたかのような輝きぶり。


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さあ出航!

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東京の夜景を楽しめる絶好の出航時刻(午後7時)

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東京ゲートブリッジを潜る

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宝石をちりばめたような東京湾岸の夜景


羽田空港に発着する飛行機が、夜の空にライトを明滅させながら行き来するのが、頭上に見える。海を走る風と、潮のにおいと、陸のきらめきと、夜空を飛ぶ未知の飛行船と。今が西暦3000年と言われても信じてしまうであろう未来の景色。あれは土星観光に向かう船で、あれは恒星間旅行に向かう宇宙船――そんな時代も、いずれやってくるのだろう。
 
平和と繁栄が続く未来。千年前の人類は戦争ばかりしていた。そんな歴史もあった。そう思えるような時代が、いつか来るのだろうか。

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宇宙飛行船といわれても信じてしまうであろう完璧な未来の光景
 


2025年7月末

 

 

 

博多に行きます~8月2日(日本全国行脚2025)


草薙龍瞬の夏の全国行脚2025博多入り、まもなくです。

毎年恒例の内容充実の特別講座(勉強会)です。この日この場所でしか得られない数多くのヒントが見つかります。

予約無しでも参加できますので、当日のご都合があう方はぜひいらしてください。

当日および翌日は九州に滞在します。個人的な相談がある方はお声がけください。

<日時>
2025年8月2日(土)
13時30分~16時30分

<会場>
福岡市内の公共施設(ご連絡くださった方にお知らせします)

<内容>
今年で13年目の草薙龍瞬・夏の日本全国行脚。九州・博多を訪問します。参加者の質問・関心に答える形で内容を構成します。これからの生き方、働き方、夫婦・親子の悩み、子供の進路や学び方など、幅広いテーマを取り上げます。仏教の考え方をフル活用しますので、内容は幅広く、かつかなりディープです。

<参加費>
1組 2500円

※1組=家族3人まで
※経済的ご負担の大きい方はお気持ちでかまいません
 
<その他>
*乳幼児をお連れの方を歓迎します(途中退室も自由です)。
*小学生・中学生が同伴する場合は勉強道具・本などを必ずご持参ください(ゲーム・タブレット等の電子機器は禁止です)。

*終了後に希望者に向けて個人相談の時間を設けています(希望者数によりますが、お一人20分ほどを目安とします。希望者はお声がけください。

<個人相談>
*当日および翌日以降は九州&西日本を回ります。個人的に相談したいことがある方は別途ご連絡ください。


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さあ行くよ!


2025年7月27日
・・・・・・・・・・・



言葉にならない時間

この季節になると、多くの人たちと同様に、「人類は滅びるのではないか」という懸念がよぎり始める。それくらいの猛暑だ。

今は、茹でガエル現象の途中。そのうち大気が沸騰して、水が枯渇し、農作物が枯れ、何十億人もの人間が、熱死するか餓死する。

それくらいの温暖化が顕著に進んでいるのに、奇妙なことに、誰も文明のシステムを見直そうとしなくなったように見える。人の価値観も行動様式も、気候変動が始まる前と変わらない。むしろ退化したかもしれない。大量消費と廃棄と炭素排出。まるで何も問題が起きていないかのように、人々は環境の変動に無関心になった。ひと昔まえのほうが「このままでは危うい」という警告のシグナルが強く点灯していた気がする。

ミクロの人々が見ているのは、どこにいてもスマホ。小さな画面以外は「どうでもいい」こと。度を増す高温に嘆息を吐きながらも、気にしているのは自分にとっての不快指数だけ。


マクロで見れば、気候変動に取り組もうという国際的機運は、ほぼ消失した感がある。どこを見ても、戦争か武力衝突。ばかすかミサイルを撃ち込んで、破壊だけでなく、その分大量に酸素を消費し、炭素を大量に排出し続ける。ウクライナ戦争だけでも排出量は爆上がり。大気の高温化に拍車をかけているはずだが、気にかけるという発想さえ枯れつつある気もする。

こんな世界が、あと百年と続くと、誰が楽観できるだろう。

殺し合うことを人類がやめようとしなくても、そうした愚行を可能にする地球環境そのものが破綻するかもしれない。このまま高熱化が進めば、近い将来、どうしたって生存不可能になる時期が来る。地球の大気が茹で上がる。どこにも逃げ場はない。


外の環境に関心を持たなくなった時が、ひとつの文明の転換期なのかもしれないとふと考えてしまう。



ひるがえって個人的な話題といえば、毎年夏になると、生活のパターンを微調整する。ここからは、人類がまだしばらく続くことを前提とした話。

滅びゆく世界の中でも、個人の生活自体はほとんど変わらない。私もまた能天気な茹でガエルの一匹であるには違いない。

まずは定期券を買う。これは昨年から始めたこと。で、お目当ての場所に通う。電車の中は空調が効いている。快適な読書空間を満喫する(茹でガエルは実に罪深い。結局、自分のことしか考えないし、動こうともしないのだ)。

地上に出る。車窓の外に、夏の青い空が広がっている。





夏の光と大気の暑さと。狂暑とさえいえる暑さではあるが、これもまた今年一度きりの夏の姿ではある。なお道を歩く時は、多少の暑さには目をつむり、夏の風情に心の感度をチューニングする。これぞ夏だ、ということをしっかり感じ取る。

電車の外に、巨大な東京スカイツリータワーがそびえ立っている。あのタワーは、私がいなくなった後も、百年後でさえも、同じ姿で屹立しているのだろう。今見ているのは、未来でもあるわけだ。



80年前の大空襲で亡くなった人たちも、焼け野原に立ち尽くしていた人たちも、その後一度も戦火を交えなかった東京が、ここまで復興して、こんなにもバカでかいタワーが出現するとは、夢想だにしなかっただろう。

戦争さえしなければ、街を破壊しなければ、これだけの繁栄が現れる。変わらない世の中への不平不満は続くにしても、退屈ではあっても、やはり平和のほうがいいに決まっている。激動なんてなくていい。平凡で少し退屈なくらいの日常が、百年、千年と続いていくほうが、はるかによいはずである。

人は人としての生涯をまっとうできるだけで十分なのだろうと思う。生きて、働いて、遊んで、ときには退屈をもてあまして、いっとき家庭を持って、新しい命を育てて、時期が来たら静かに身を退く。それだけで十二分。激動の十年よりも、退屈凡庸な百年のほうが、きっと価値はある。

この世界は、私という茹でガエルが一匹いなくなっても、きっと続いていくのだろう。遠い未来には、人類もこの地球も宇宙にも、やがて必ず終わりが来て、その後は果てしない虚無が永劫続く定めだとしても、人類という種は、もうしばらくは続く可能性が残っている。

今見ているこの夏の景色は、あの戦争を生き延びた人にとっての未来に当たる。80年分の過去を振り返って平和の証を見届けていることにもなる。今を生きる自分なき後の未来を見ている部分もある。

未来でもあり、過去でもあり、今でもある。今見えるのは、純粋に美しい青と光と、夏らしき暑さ。いろんなものを見ている今が、ここにある。言葉できれいにまとめることのできない「何か」。

きっと本当に美しく、せつなく、愛おしいものは、言葉にならない。「生きている」としかいえないもの。生きているとは、そういう時間。今がその時。


夕暮れの隅田川 いつもの景色のはずだが、未来を見ている気にもなる



2025年7月末




色とりどりの皿回し


今年の全国行脚、ぼちぼちスタート。皮切りは、大阪の看護専門学校での3日連続講義。

完全徹夜で大阪入りして、翌朝8時に車で運んでもらって、午前は3年生。午後は1年生。


「患者目線で向き合う」が、最初の約束。

だから、だらしない姿を見せた時は、遠慮なく喝を入れさせてもらう。今回は2回ほど。 

今年の講義は、中身もガチ・モードだった。救急救命時の気管挿管の判断という、これは1年でやったことの復習。某薬剤の検証も。

いくつかの資料を見せて、「せめてこれくらいの事実を把握してから判断しなさい」という話。現場の医師も看護師も、学校の先生たちも、ろくに事実を調べず、検証もしていない。

たとえばクラス40人のうち1人でも、歩けなくなったり、最悪死んでしまったりしたときに、親も、医師も、学校も、責任を取れやしない。

取れっこないのだから、最初から無責任なことをするな、言うな、というのである。

「当たれば100%のロシアン・ルーレット」ということを、骨身に沁みて自覚せねばならない。一度失ったら、永久絶対に帰ってこないのだから。未来の可能性も、命も。

他には、くも膜下出血で運び込まれた患者への対応如何と、5歳の女児にアデノイド摘出手術をするかの検討。

きちんと手順に沿って知識・情報を整理して、本人が納得できる結果にたどり着くことが、プロに求められている仕事。そのための技法を伝えるのが、この授業の狙い。

錯綜する情報をどのように整理すればいいか、その視点(いかに理解するか)と、どんな手順で結論を導き出すかという論理的道筋を、伝えることが目的だ。

1年生にも3年生にも、同じ熱量と充実の中味を伝えたつもり・・だが、どれだけその心に残っているかは未知数。

でも今年も、納得のいく講義ができた。自己満足。だが自己満足こそは、教育の基本だ。

3年生は、これでお別れ。せっかく3年間、いい体験をしてきたのだから、一人たりとも落ちないように、と最後にエールを送った。



私はただの坊主に過ぎない。医療・看護の素人にすぎないが、人の命を想う熱と真剣さは尋常を越えたレベルで持っている。

その部分こそがずっと燃やし続けてきたものであり、看護学生に伝えられる最も価値ある部分、つまりは「倫理」であろうと思う。

私が伝えている程度の知識や情報など、プロになった時の彼らには、常識として知っておいてもらわねばならない。私以上に人の痛みを感じ、救うための方法を選び取り、患者の心身の痛みを取り除いて、その日常に戻ってもらう。その手助けをしてもらわねば。

日進月歩の医学・看護の知識も、私以上に通暁して、素人の坊主である私にもはや教えられることはなく、次回は病院にて、弱くなった体をケアしてもらう、おとなしい患者の一人として再会してもらわねばならない。

彼らが進もうとしている道は、仏教とは離れた世界なのだが、人に貢献しようという情熱は共通しているはずだ。

そもそも医学も看護も、患者の苦しみを癒すための技術なのだから、患者目線で納得できるものでなければならないことは当然だ。

ならば、伝えられることもある。

今回は、いずれのクラスにも、よい変化が生まれたような気が(勝手に)している。

しっかり学び続けて、無事合格してもらいたいものだと思う。



授業終了後は即移動して、神戸で企業向けの講演会。終了後はどしゃぶりの中を新神戸駅まで走って、新幹線でいったん帰京。週末2日で次の講義の教材を作って、月曜には奈良、火曜は名古屋、水曜は大阪だ。

いや、忙しい。だが幸せな忙しさだ。いろんな役目を授かっている(そういえば、この3日の間に新聞連載用の絵も描いた笑)。

色とりどりの何枚もの皿を頭の中でめまぐるしく回している思いがするが、これくらい同時進行で廻っているほうが快適なのだ。

遠い昔は、一つの仕事・一つの世界に収まりきれない自分がおかしいのかと思っていた。変わった人間だと実際に言われていた時期もあった。周りに合わせて一つの器に自分を押し込めようとして、頭も心も回らなくなってしまった時代があった。

あの頃の自分と、今の自分は、まったく別人だ。今の自分は生きている。縦横無尽に動いて、持っているものを、存分に活かすことができる。

まさかこんな “仕事” がありうるとは。人生は不思議で面白い。



2025年7月


夏の国語キャンプ2025開催のおしらせ

興道の里から

夏の国語キャンプ2025の開催が決まりました:

*千葉県野田市 2か所で開催
 
千葉での国語キャンプの概要は以下の通りです。

予約受け付けを開始しますので、下記の予約フォームでお申し込みください。
 
SNSなどによる告知・紹介は自由です。小中学生をお持ちのご家庭にお知らせください。 

お問い合わせは興道の里事務局まで koudounosato@gmail.com


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夏の国語キャンプ2025 千葉野田市

2学期が始まる前に国語を得意にしちゃいませんか? 小5から中3を対象に“国語キャンプ”を開催します。面白くて良質な文章を選んで、国語の読み方・解き方をわかりやすく授業します。

勉強だけど、勉強っぽくない“ゆる系”の国語です。でもちゃんとチカラがつきます。筆記具だけ持参してください。お友だちや親と一緒もOKです!
 
主催  子供の明日を育てる会(千葉県野田市)
事務局 興道の里事務局 


8月16日(土)午後1時から
千葉県野田市フリースペース コキアの丘
 
下記QRコード または リンク先から ご予約ください


 
 
 
 
8月31日(日)午後1時から4時まで
欅のホール 千葉県野田市中野台168-1   

予約フォーム
下記QRコード または リンク先から ご予約ください




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今回がいわば、旅する寺子屋の ”こけら落とし” です。

このプロジェクトは、春・夏・秋・冬と、一年を通して開催していきます。

集会所・公共施設・子ども食堂など場所を見つけて、ご連絡ください。


興道の里・草薙龍瞬は、未来を育てる活動を始めます――
 
 



興道の里・明日を育てるプロジェクト
2025年7月





心は歳を取らない


私の場合は、毎年夏までに1つ歳を取ります。

今年の日本全国行脚を告知した時の心が、ほぼ20代の頃と同じであることを、ふと発見しました(笑)。

旅に出るぞ~、

夏が始まるぞ~、

という思いしかなくて、

でも客観的に考えると、社会年齢はけっこう「行ってる」ことに気づいたのでした(笑)。

社会年齢は、戸籍上記載されている年齢、または、周囲の人たちからの扱いによって決まる年齢。

肉体年齢は、体そのものの年齢(正確には肉体の状態。これも人さまざま)。

精神年齢は、心の年齢--

ところが年齢というのは概念・観念でしかなく、妄想に過ぎないから、自分で〇歳だと判断しない限り、年齢は存在しない。

つまりは、歳を取らない。


妄想しない技術を身に着けると、年齢という妄想さえ飛ばすことができるから、

夏に向かう子供のような心の状態に持って行くことも、可能になる。


「あら、この心、ほんとに年齢が存在しない・・」ということを自覚した次第。


「心は歳を取らない」ということを、あらためて確認したのでした。

 この心が歳を取るのは、いつの日か?





2025年5月中旬


夏の日本全国行脚2025 訪問地募集!

九州・博多訪問決定

8月 2日 (土曜日)⋅13:30~16:30
勉強会~仏教でこれからの生き方を考える 日本全国行脚2025九州

今年で13年目の草薙龍瞬・夏の日本全国行脚。九州博多を訪問します。参加者からの質問に答える形で内容を構成します。これからの生き方、働き方、夫婦・親子の悩み、子供の進路や学び方など、幅広いテーマを取り上げます。

参加希望者は、①お名前(実名) ②簡単な自己紹介 を koudounosato@gmail.com まで。折り返し当日の会場の場所を含む案内をお送りします。

参加費2000円(※経済的ご負担の大きい方はお気持ちでかまいません) 

※子供が同伴する場合は勉強道具・本などを必ずご持参ください)。乳幼児の同伴は歓迎します(途中退室も自由です)。

 

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今年も夏の日本全国行脚を開催します。

北は北海道、南は沖縄まで――お声かけていただけるところに、草薙龍瞬がうかがいます。

○仏教に触れたい(講座・勉強会・座禅会などを開きたい)
○法事をやってほしい
○個人的に相談したいことがある

など、お気軽にご応募ください。


夏の全国行脚は2013年から。今年で13年目に入ります。

よき夏の思い出作りに、
お一人では解決できない物事を解決するために、
止まっていた人生を前に進めるために、

ぜひご活用下さい。


◆◆◆◆◆◆◆
<訪問地募集>

期間 7月9日から9月15日まで:

7月9日(水)~21日(月祝) 西日本 近畿・中部・ 山陽・山陰
7月26日(土)~8月3日(日) 四国・九州
8月9日(土)~17日(日) 関東・東北・北海道
8月23日・24日(土・日) 北陸・甲信越
8月30日(土)~9月7日(日) 沖縄


◆◆◆◆◆◆◆
<確定済みスケジュール>

※スケジュールは、確定次第、公式ブログ内のカレンダーで公開します:

7月9(水)・10(木)・11日(金)
南大阪・看護専門学校特別講義(3日間) 
※医療従事者で見学をご希望の方はご連絡ください。詳細をお知らせします。


7月11日(金)午後 
神戸・講演会(非公開)

7月15日(火)午後 
愛知・栄中日文化センター

7月16日(水)
大阪・岸和田 公開市民講座

8月19日(火)午後 
愛知・栄中日文化センター


9月15日(月祝)
愛知・高蔵寺 特別講座 仏教で思い出そう「あの日の幸福」を 


◆◆◆◆◆◆◆
<全国行脚への応募方法>

1)応募のご連絡

下記をメールでご連絡ください:

①お名前 
②ご住所 
③連絡先(携帯番号)
  +
④訪問を希望する場所
※およそでかまいません。「自宅を希望」「〇〇という公共施設の使用を考えています」等)

⑤訪問希望日
※「〇月〇日から〇日までの間」「〇月〇日を希望します」など、およその日程をお知らせください。

⑥応募理由
※「仏教の勉強会を開きたいです」「〇〇について相談したいことがあります」「親族を集めて法事を執り行いたいです」等

※初めて応募する方は、詳しい自己紹介をお願いします(仕事・日頃の生活・課題などなるべく具体的に)。 
※勉強会については、会場を手配していただくことになります。告知は興道の里でも行います。
※個人相談をご希望の場合は、相談内容をなるべく具体的にお知らせください。内容をふまえて訪問の可否を検討します(さまざまな用事を調整して最終決定しますので、必ずお応えできるわけではありません。あらかじめご了承ください)。

※①から⑥までの記載が不十分・不明瞭な場合は、返信差し上げておりません。あらかじめご了承ください。


2)興道の里からご連絡

*ご応募内容を興道の里のほうで検討し、お応えできる可能性がある場合は、興道の里事務局から折り返し案内メールを差し上げます。

*全国行脚期間中は、直前のご連絡でも、スケジュール調整が可能であれば対応しています。いつでもご応募ください。


3)訪問日・場所の確定

*ご連絡をいただいてのち、事務局と応募者との間で、訪問場所・日時等の詳細を確定していきます。

*講演・勉強会など公開企画については、公式ブログ内のスケジュールに掲載するとともに、一般向けにも告知いたします。


4)予定日に訪問します


◆◆◆◆◆◆◆
<その他>
*いずれも真摯な動機・意欲が伝わってくることが条件となります。

*勉強会の内容は、仏教・子育て・働き方・心の健康・十代の生き方&勉強法など、ご希望に応じます。開催規模の大小は問いません。

*個人相談については、相談内容の詳細をお知らせください。内容によっては、ご要望にお応えできない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

*勉強会・講演の告知用の文面・タイトルなどは、主催者(応募者)からもご提案いただけます。興道の里もお手伝いしますので、お気軽にご相談ください。

*当日の参加費またはご負担のない範囲のお気持ち等で、交通費・宿泊費を調達します。旅の途中に立ち寄るという形式を取りますので、正規の講演・講座のような一定額のご負担を求めるものではありません。お気軽に、ご負担が過ぎない範囲でご協力ください。


ご応募・お問い合わせは、メールで  koudounosato@gmail.com までお寄せください。

お応えできる可能性がある場合は、折り返し詳細を記した案内をお送りします。


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夏の日本全国行脚は、毎年たくさんの出会いと学びを得られる貴重な機会になっています。
お気軽にご応募ください。


充実の夏をめざして
現地でお会いいたしましょう

興道の里・草薙龍瞬

さあ、夏が始まるよ!
(猛暑にだって負けないよ!)



一般公開
2025年5月12日



ブッダを探して~東京新聞継続決定


『反応しない練習』は、ルーマニア、ハンガリーで翻訳出版が決定。なんともニッチな・・ドイツ、スペインに続いてヨーロッパ・ブーム(?)が続いています。

『ブッダを探して』は、東京新聞では2025年2月で連載終了(紙面大幅改訂に伴い/以後は中日新聞のみ)という予定でしたが、

社内会議で、好評につき継続が決まったそうです。

これは異例のこと。よほどのプレゼンス(存在感)を読者の方々が認めてくださったということなのでしょう。ありがたいです。

イラストも引き続きお楽しみください。


ミャンマー編13(来年2月掲載予定)のイラスト 

本文は紙面でどうぞ




2024・12・27

澄んだ時間~甲府から富士へ

日本全国行脚2024年12月3日


山梨・甲府に出立。新宿から信州に向かう特急は意外と混んでいた。

雲一つない冬の青空。車窓の彼方に銀嶺が見える。 この国のいたるところに、こうした見るだけで溶けてしまうような風光明媚があるのだろう。

こんな景色を毎日見られる場所で暮らしたいなと思う。あいにく体は一つだから、一つの場所を選ぶほかなく、他の場所で暮らしたいという願いはかなわない。数多くの美しい景色を求めて旅するように生きるのも一興だが、根を生やす生き方も捨てがたい。こうした二律背反、相矛盾する憧憬は、一生枯れることはないのだろう。いたたまれないが、いたしかたない。夢見ることを快としよう。

あの丘の名前は? 一度立って風の景色を眺めたい


甲府駅で降りて、講演会場まで歩くことにした。旅するほどの余裕はないが、せめて地元の空気を味わいたいからだ。地図で見るよりも実感遠かった。

(※余談だが今はどこの駅も商業ビル化され、駅前も都市化されている。最近訪ねた北千住や水戸もすごいことになっていた。甲府駅前も然り)。

山梨の農業は、シャイン・マスカットの認知度が上がって利益を上げているそうだ。就農人口も少なくない。ただ、冬は皮膚が痛いほどの冷気で、果実の収穫はやはり大変だという。

今日の講演会は、参加者はほとんど女性。50代以上がほとんどで、50歳未満は1割以下。これは全国の就農人口の世代比とほぼ同じ。

司会の方に紹介してもらった後、「私の本を読んでくださった方、どれくらいいますか?」と訊くと、手が挙がった気配がないので、「ほとんどの人が読んでくださっているのですね、ありがとうございます(笑)」。

なぜ歳を取ると時間が経つのが早く感じるのかという話に始まって、業の話へ。初めて聞く人には、衝撃でもあり、身につまされる話でもあるらしい。会場によっては笑いが起こるが、今回はみなさん真面目に受け止めた印象。こういうときは、たいてい終わった後に、思い当たった人が感想を言いにきたり質問しにきたりするのだが、今回もそうだった。

農家の高齢化は全国的に進んでいる。あと十年経ったら、放棄地も激増するだろう。ここ数年、旅をしながら、この美しい景色がいつまで続くのだろうと、自分が見届けられない未来のことを心配している。

帰りは身延線に乗った。ローカル列車で終着の富士駅まで4時間以上かかるが、地元の人たちと同じ景色を眺めたい。途中、市川大門駅を通る。学生時代に夏の花火大会を見に行った場所。20代にも仕事仲間と車で来たことがあった。

路線後半はガラガラ。だがこの身延線、ちょうど斜面をくだって平野に出る時に、富士宮の街並みを一望できるスポットがある。その景色を久々に見たかったのだが、無事成就した。

旅ともいえない旅だったが、景色と人の姿を見ることはできた。もうひとつは、独りきりの純粋な時間。何者でもない空白の時間。これらがそろうことが、私にとっての旅だ。一年の終わりに澄んだ旅ができた。

富士宮の夜景 この景色をもう一度見たかった




2024・12・3

日本全国行脚2024 福岡・志賀島


日田を朝に出て、久留米経由で博多に向かう。天神近くの公共施設で勉強会。

どの場所も同じだが、地元で場所を用意してくれる人がいないと、全国行脚は成り立たない。今回も、動いてくださった人がいてようやく開催できた(ありがとう)。


ブログ以外に告知しなかったが、予想以上の数の参加者。最年少は小学3年生。大人たちが日常の苦悩やおどろおどろしい業の話をさっそく始める中で、はて小学生に聞かせてよいのか戸惑う部分もあったが、辛抱できたようだ。父親の圧力に負けてやむなくという雰囲気だったが笑。

ほんとは、子供向けの学びキャンプを別立てで開催すればよいのだ。親のほうで場所を見つけて声をかけてくれればいい。教材はこちらで用意しよう。


どの場所でも、参加者の関心・質問に応じて答えを組み立てるので、毎回内容が違う。板書する図も変わる。即興で答えることで、自分も思いつかなかった新しい理解(智慧)が生まれる。

内容を準備したことは一度もない。その場で思考を組み立てる。だからこそ生きた智慧が生まれる。

各地の講座・勉強会を書き起こしてテキスト化すれば、かなり面白い資料になるだろうが、作業する時間がない。今は前に進む(新しい体験を積み重ねる)ことに専念しよう。

終わった後も、近くの喫茶店で希望者向けの無料相談会。なるべく多くのものを持って帰ってもらえたらという思いで続けている。

終電で東京に帰る予定だったが、相談者が多くて間に合わなくなった。急きょ宿を調べて、近くのカプセルホテルに泊まることにした。




翌朝は、バスで博多港まで。玄界島や壱岐島へのフェリーが運航中。私が向かったのは志賀島。かの金印「漢委奴国王」が発掘された島。小学生の頃に聞いた知識と地理が、やっとつながった(笑)。

この地に来ると、大陸がとても近く感じる。釜山にも船で行ける。近畿や関東のほうが距離感としては遠い気もする。とはいえ出征するほどの距離でもない。秀吉も無謀な挑戦をしたものだと思ってしまう。


海から博多の街を眺めるのは初めてだ。世界が青い。



西戸崎駅前から市営バスで勝馬海水浴場まで。気ままな一人旅。どこで過ごすのも自由という今日がありがたい。


浴場から少し離れた旅館の裏側で、だれもいない浜辺を眺めてひと休み。



海岸沿いの旅館兼食堂に寄ってみた。アイドルらしき女子の写真やバナーが壁一面に貼ってあるので、誰かとたずねたら、○○坂46の○○○○さん(ファンの呼び名は「○○ちゃん」)だという。

この村出身で、すぐそばの小学校に通っていたとか。私が偶然立ち寄ったのは、彼女が高校時代にバイトしていた旅館・○○荘だった。

そうかあ、○○ちゃんはここで育ったんだ、オーディション受けに東京まで行って、以来、乃木坂で頑張っているんだ~♪と思うと、人の背後にある物語が見える気がして感慨深い。急に土地のありがたみが増した気がする(アホですか笑)。


バスに乗って西戸崎駅へ。そこから陸路で博多に戻って新幹線で一路東京へ。

夏の全国行脚、これにて(ほぼ)終了。いや、夏風情を満喫した旅だった。



志賀島の海





2024年8月下旬