ミャンマー中部で大地震が起きた(2025年3月28日/マグニチュード7.7)。
個人的にちょうどミャンマー編を新聞連載中で、あの国のことを思い出している最中だったから、いっそう心に沁みた。
かつて出会った人たち、今の人たちは、どんな思いでいるだろうか。
かつてミャンマーに入ったのは2008年。ナルギス台風の襲来で、一説には十万人を超すといわれる数の人々が犠牲になった直後だった。
軍政府の動きは遅く、支援もごくわずか。海外から大量の物資が寄せられたそうだが、現地に配られたのはスナック菓子1箱という地域もあったという。
国外には聞こえなかったかもしれないが、人々の批判・不満は相当なものだった。
私が入った大学の教授たちの反応は、二つに分かれていた。
軍政府の対応への疑問を語る人たちと、もう一つはこれが深く印象に残っているのだが、
「死んだ人たちは前世の行いが悪かった。今頃は別の生き物に生まれ変わっているから、大した問題ではない」という人たちだった。彼らの本音だろう。
ミャンマーは古い仏教観を持っている人が多い(あえて「古い」と表現しておく)。今の人生で悲惨な目に遭ったとしても、「前世の行いが悪かったのだ」「罰が当たったのだ」と発想する。自分以外の人のことも、そうした目で見てしまう。
大地震の報を聞いて想ったのは、ミャンマーの人たちは、今どんな思いの中で過ごしているのだろうということだった。
長い間、権力者の無理解と視野狭窄に振り回され、内戦状態に突入して4年目に入り、多くの人たちが犠牲になってきた途上の今回の大地震だ。
いずれは、ミャンマーが変わるための試練の時として受け止める人たちも出てくるかもしれない。
いつか「あの日々は本当に大変だった、だが今は変わった、本当に良くなった」と言える日がくるなら、せめてもの慰めにはなるかもしれない。
現実は乗り越えていくしかない――だが、その現実を目の前にして、邪魔してくるものが、人々の意識に巣くう妄想なのだ。
もしあの頃に出会った大学教授(いわばミャンマーの知識人層で軍政府とつながっていた者)のように、今回の大地震もまた民衆一人一人の前世の報いだと考えるなら、
あのナルギス台風の時のように、軍政府は表面的なパフォーマンスを見せることがあっても、海外からの支援はすべて軍部に流れて、民衆には回らないだろう。
そもそも人々の痛みに共感できる人間ならば、これまでの非道な仕打ちはできないはずだとも思う。
今回、民主派は、2週間の一時停戦を早々に決めて、救済と復旧に当たるという。彼らの多くは十代、二十代の若者たちだ。
その彼らに対して軍政府は、地震直後に空爆を実施したという報道も聞こえている。
軍政府は海外に支援を要請したというが、真っ先に入ってきたのは、軍政府に近い国々だ。
しかも権力にしがみつく者たちの心の底に、あのとき語っていた教授のように、災害を受けるのは前世の報いであって、今頃は転生しているのだから問題ない、という冷酷きわまりない自己正当化の妄想があるとしたら、
地震後の権力者たちの動きには、何らかの裏があると思うほうが正解かもしれないし、彼らと闘う者たちに予期せぬ不利益や、民衆のいっそうの困窮(いわばほったらかし、支援物資の間接的収奪)が起こらないとも限らない。
ひたすら堅実に生きてきただけの多くの人々にとって、自分たちの平安を最後まで妨害しているのは、上に圧(の)しかかる権力者たちであって、
その権力者の心に巣くう際限なき強欲と、それを正当化してしまう妄想ゆえの視野狭窄だ。
彼らは、その妄想を”仏教”と呼んでいる。
過去踏みにじられてきた人々の中には、目醒め始めた者たちがいる。
だがいまだに時代錯誤の妄想に取り憑かれ、その巨体を人々の上に侍(はべ)らせて、欲望赴くままの贅(ぜい)と惰眠を貪り続ける者たちがいる。
今回の大地震によって、上にのさばる者たちを揺らし落とせればよいが、場合によっては、力なき人々がいっそう踏みにじられて終わる可能性だってある。
なにしろ今の時代は、力を持った者たちが私欲を押し通すことになんの臆面も持たなくなった時代なのだ。
力を持った者たちだけが好き放題に動きまわり、力なき者たちは奪われ続けるという時代。
そうした大きな動態(ダイナミズム)の中で、今回の大地震が起きた。
どんな苦しみも、妄想によって正当化することはできない。してはならない。
避けられない現実は、向き合って乗り越えるしかないし、
避けうる現実は、闘って変えてゆくしかない。
ミャンマーに戻りたいが――なんとももどかしい。
中日新聞・東京新聞連載中 最新イラスト
2025年3月末日