ラベル ◆日本での活動記録 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ◆日本での活動記録 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

夏の日の独り言 8月15日


8月15日は、あの戦争が終わった日。


だがあの戦争を覚えている人は、徐々に確実に少なくなっている。

心なしか、戦争を振り返る声(報道や行事)も減りつつある印象もある。

あの戦争を振り返る時はたいてい、戦争の悲惨さを思い起こし、二度と戦争が起こらないようにという願いを確認するものではあるけれど、


もっと正確に言えば、戦争を繰り返さないためには、「思考する」ことを育てなければいけないのだろうと思えてくる。


現実に何が起きているのか。

それがどんな結果をもたらしうるのか。何が原因か。

どんな方法がありうるか。


こうしたことを考え抜いて言語化しなければ、問題が起きても気づかず、気づいても方法を思いつかず、

よくて現状維持、悪ければ現状悪化、さらには心が持つ弱さ・醜さ・狡猾さに負けて、個人の人生に、そして世界に、いっそう苦しみを増やしてしまう事態につながりかねない。


共通するのは「無思考」だ。問題を見ず、原因を考えず、方法を考えず、望ましい未来を思い描かず、苦しみに満ちた未来を想像しない。


あの戦争においては、本当に戦争を始める必要があったのか、いつ終わらせるのかを、冷静に考えた人間は少なかった。当時の人々の多くは(すべてとは言わないが)、正しい戦争をしていたと信じていたし、終わらせようとも考えていなかった。

(※日清・日露戦争当時から、日本人は戦争することを願っていたのだ。メディアも市井の人々も。日本人は戦争を好んだ。そのことは否定できない事実であったように見える)。

 

無思考こそが、あの戦争の原因だった。


今の時代はどうかといえば、やはり同じだ。おそらく本質は変わっていない。

気候変動どころか、沸騰化しつつある大気の原因を考えない。打開する方法を真剣に模索しない。なんとなくこのままでも経済活動は続けられると信じている。無思考。


政治システムが変わらない。腐敗と停滞は長すぎるほど続いているのに、変わらなければという声が実を結ばない。変わるためにはどんな制度(アイデアと法律案)がありうるかを議論せねばならないが、真剣に考える人間は、政治家にも(与党にも野党にも)、かつては立案の多くを担っていた行政官僚にも、学問・思想の世界にも、いない。無思考。

(※ここで想定しているのは、法案の前段階になりうる草案レベルのアイデアだ。すぐにでも国会で議論できるくらいに洗練された制度案。それを考え、実際に書ける職業人。)


教育が変わらない。学校の現場は限界を超えているし、知的創造力を育てる教育プログラムはいくらでも議論し変えていいのに、いまだに国が管理し、教育のすべてを統制しようとし続けている。無思考。


個人が生き方を考えようとしない。心の魔(悪意)に流されて、他人を傷つける言葉を平然と語り、自己顕示と自己主張にエネルギーを費やす一方で、どうやら幸せは増えていない。無思考。

命と健康を守るはずの医療が、営利か別の思惑があるのか、人々に過剰な負担と未知の危険を強いる、そんな事態に無神経になった。無思考。


マスメディアは公平さと分析力を失った。報道本来の意味を考えず、表面的な話題と恣意的に選択(忖度)した情報だけを流すようになった。主観的印象に過ぎないが、そうだとすれば、これも無思考だ。


最大の憂慮すべき問題は、そもそも思考するとはどういうことかが、わからなくなったことかもしれない。学者・知識人・評論家・専門家・文化人と称される<知>を担う者たちが、個人的な意見や感想しか語らなくなった。


現実に何が起きているか? 事実か否か? 客観的なデータは? どう分析すればいいか? どんな解釈がありうるか? そもそもの目的は? どんな方法がありうるか? どんな結果・効果が考えられるか? どんな基準で選択すべきか? 人は何を大切にすればいいか? いかに生きることが正解なのか?


すべては言語化できるもので、言語化することが<知>の役割であるはずだが、<知>を明瞭な言葉で示してくれる人間の数が減った。

政治・経済の機能不全、メディアの偏向、SNSを通じた自己顕示と自己主張の増殖、価値観の閉塞、<知>の衰退・・・

同時進行中であろう原因は複雑多岐にわたるが、共通するのは「無思考」である。そんな気がする。


無思考が続く限り、人間は過ちを繰り返す。

なぜなら心は、過ちの原因である貪欲と傲慢と妄想と怒りに満ちているものだから。


あの戦争を思い起こす日とは、無思考の罠に気づくべき日であるような気がする。

そもそも思考とはどういうものか。思考とは何だったか。それを思い起こす日にせねばと思える。


せめてこの場所は、思考とはどういうものかを思い出し、思考するとはどういうことかを改めて学ぶ場所であろうと考える。


8月15日は、思考の日。


それがこの場所における受け止め方。独り言。


※著作・講座・講演・看護専門学校での講義ほか、すべての場所において「思考」し続けます。その中身は、それぞれの場所においてのみ(思考を求める人との間でのみ)伝えていきます。慈悲にもとづく思考--それがこの場所の役割です。


2024年8月15日




この命の使い方(日本全国行脚道中記)

講座(坐禅会・仏教講座)の最新スケジュールは<公式サイト>  ※2024年7月24日改訂

8月11日(日)
18:00~21:30
これからの生き方・働き方を考える・仏教講座特別編(夏休みスペシャル)
東京・新宿区


<内容> さまざまな悩み・話題を持ち寄り、仏教的に解決していく仏教講座特別編。仕事・子育て・今後のことなど、多くの話題もとりあげます。お盆休みにふさわしくリラックスモードで開催。★悩み・質問・話題を募集しますので、ご予約時にお寄せください。※世間の話題もOKです。 
 
 

今回の講義には、東京、千葉、愛知の医師や医学生等が見学。地元の看護師さん(卒業生)も。

みなさん、その道のプロであり、プロになろうという人たちで、素人は私だけなのだが(笑)、プロといえども、見るべき点がすべて見えていることはほとんどないので、

この講義のように、医師、看護師、患者などすべての当事者に共通する「見えていなければいけない点」を技法に沿ってあぶりだすというアプローチは、確実に役に立つ。

医療・看護倫理は、まだまだ発達途上であって、いつ確立できるかわからない段階だ。かなうことなら、専門家の先生に活かしてもらって、「これだけは外せない、苦しみを増やさない最善の選択を導くための手順」を確立させ、普及させてほしいと思う。

3日目はグループワークを中心に進めて成功した。講師としては納得の一日。見学してくださった方々も、得たものは多かった様子。


そのあと奈良に入って、建築士さんと現地で打ち合わせ。ほんとに無事家屋が完成するのか素人にはわからないのだが、できます、と自信をもって言ってくださる。

完成すれば、今回の傷も癒されるだろう。最大の傷は、未来を育てるという教育活動が遅れを取ったことだ。

とにかく一日も早く形を作り、次の世代に生き方・学び方を伝える努力を始めたい。

 
夜に新幹線で東京へ。翌朝は早くに茨城に向かう。こちらは地元JA向けの講演会。

この一週間、徹夜続きで、看護学校での講義の合間に徹夜して新聞連載のイラストを仕上げるなど、かなりシュールな日常だった。器用な坊さんではある(笑)。いろんな分野でオリジナリティを発揮できている。

一度自分を捨てたことが、今につながっている。やりたいかやりたくないかという軛(くびき)を外して、求めに応じて、できることを謹んで確実にやる、という立場に立ってから、すべてが始まった。

茨城の講演会は、終活セミナー。歳を取るほど幸せになれる生き方について。農業を支える地元の女性たちがメインの対象。

日本の農業は実はピンチ。日本の社会そのものが、かなりの危機に直面している。それでも日本全国を旅すると、どの土地にもそれなりに人がいて、経済はまだ回っている。

巷間叫ばれている人口激減や継承者不足、食糧自給の危機などは、本当は夢なのではないか、まだこの社会は無事に回っていくのではないかと思いたくなるのだが、

だが、肉体の老いが刻々と目立たない速度で確実に進むように、社会の劣化・危殆化も、じわりじわりと進んでいるのだろう、と現実に目を覚ます。
 

まだ見えない危機を先取りしてシステムを変えていくことが、本来の社会的イノベーション・リノベーションであって、それが常態と化すことが理想なのだろうが、現実は程遠い。日本社会の時間は止まったままだ。いや、世界全体が、人類そのものが、か。

人間の心は、第一に己の妄想を見て、第二に執着することを選ぶ。見えない危機も未来も、他にありうる可能性も想像できないくらいに、小さな知力しか持ち合わせていないのだ。


日本社会の分断・萎縮・劣化・衰退は、自業自得と言えなくはない。だが、せめてその中で、新たな可能性を育む側に立たねばならぬという思いは、つねにある。


怒涛の一週間がやっと終わった。こんな日々をずっと続けたら、さすがに過労死するであろうと実感できるレベルの一週間だった。

実際に過労死する人たちも、この世の中には存在する。ひとり自死する人も、身投げする人も。忘れたことはない。

目の前で人が滅びつつあるのに、人間は現実を見ずして、まだおのれの欲と妄想にしがみつき、快楽と執着の中に留まっている。


世界は残酷だ。現実の苦しみを見ようとしない、その無知こそが、残酷な世界を作る最大の理由なのだ。

現実をよく見て、その中で己(おのれ)の命の使い方を見きわめる。

現実を見て感じる痛みを、熱量に変えて、この時代・この社会において、自分にできることをなす。

その道をどこまでも突き進むことが答えなのだと、今は知っている。ゆけ。



2024年7月20日
・・・・・・・・・・・・・


医療倫理としてのブディズム2

講座(坐禅会・仏教講座)の最新スケジュールは<公式サイト>  ※2024年7月24日改訂

 

看護学校3年生とは、2年ぶりの再会だ。

2年前に比べると、やはり大人になった印象はある。これは毎年感じること。

本当の知識は、覚えられる、思い出せる、使える ものでなければならない(学習3原則)。最初から心がけて知識を学ぶことだ。

でないと、すぐ忘れる、出てこない、試験・現場で使えないことになる。下手な勉強とは、そういうものだ。

2年前にやった事例や話題を振ってみたが、やはり忘れていた学生も少なくなかった(^^;)。覚えている人も、2年前のレポートを持参してきた人も。こうした人たちは、2年前の学びと今がつながっている。ありがたい話(笑)。


これも毎年のことだが、「業」の話をすると、とたんに元気を失う学生もいる。高い確率で、親との関係が「心の荷物」(負荷)になっている人たちだ。

親から「自立」することは容易ではない。

①経済・生活において自立すること(つまり働けるようになること)、

②精神的に自立すること――
「あなた(親)の思い通りにはなりません、まずは自分の人生をしっかり生きます」といえること、

業の深い親に向けては、①親がどんな業の持ち主かを正しく理解し、②距離を置き(反応せずにすむだけの距離を確保し)、③自分自身の業(心のクセ)を自覚して、④少しずつ別の生き方・考え方に置き換えていく必要がある。

人はみな、自分のために生きることが基本だ。親に振り回されたり、荷物を背負わされ続けたりする必要はない。

自分の人生は自分で選ぶこと。

「今の自分に納得できている」ことが、正しく生きているかを測る基準になる。


3年生は、3日目もしっかりワークをしてくれた。

講義で取り上げる知識・情報は、リソースによって変わってくる。教科書、専門サイト、医師・専門家・看護師によって、さまざまに変わる。

だから決して鵜呑みにせず、しかし「技法」だけは守って、技法に沿って、必要な時はもう一度自分で調べて、自分で考えて、「覚えられる、思い出せる、使える」ように工夫して、学び、またレポートを作成してほしい。

3年生はよく頑張ってくれた。さすがに心の体力がついている。講師としても納得で終わった。感謝とリスペクト。


その一方で、これも数年に一度のことだが、「喝」を入れざるを得ないこともある。

多くは、やはり1年生のクラス。まだ高校生気分が抜けていない様子が見えることが、たまにある。

いろんな理由・事情があるのだろうという同情もあるが、自分の判断で、勝手に手を抜いたり、講義中に寝てみせたりする。

努力しても寝てしまう・・というなら同情するだけで終われるのだが、「これくらいやっても大丈夫」と判断している様子が伝わってくることがある。

疲れている、お昼を食べて消化に血液が取られている(頭に回らないw)、知識の解説が続いて苦痛、先生の説明の仕方が及んでいない・・いろんな可能性はある。

こうした時、おそらく多くの先生方は「大目に見る」ことを選んでいる。見ないフリをしてやり過ごす。雰囲気を壊したくないという思いもあるかもしれない。

だがこれは、人間と人間のサシの(直接の)関係性だ。自分のあり方と、相手のあり方の両方が問われる。

一方が真剣に話している場面で、あからさまに無視したり寝て見せたりしたときに、相手が何を感じるか。そのあたりの想像力は、持っていないと始まらない。

今回印象的だったのは、知識の解説で寝たのではなく(それならば心情は理解できるし、講師の側で工夫せねばと思うことも可能なのだが)、

体の感覚を意識しましょうという、マインドフルネス、瞑想と呼ばれる体験の時間を始めた時に、机に突っ伏して寝始めた学生が何人か出たことだ。

特に難しいことではない。だが体験することを、自分一人の判断で拒絶した(全員とはいわないが、そうした可能性を感じた生徒も何人かいた)。

さすがに、言わざるを得ないと判断した(何年振り?)。


そもそもこの場所に来たのは、誰の意志か。誰かに引きずられてやってきたわけではあるまい。

自分で看護師になろうと志し、自分の意志で学校まで歩いてきた。すべて自分の選択だ。

中高生と違って、「やらされている」ことはゼロである。自分の物事、自分の人生、自分の未来。

ところが、そうした自覚もまだ持てない、自覚を示せない人がいる。

そうした人を周りも許容してしまう。慣れてしまって「問題に気づかない、問題が見えなくなっている自分」そのものが問題だということに気づかない。


ちなみに、講義中にスマホやタブレットで芸能人やら漫画やらを覗き見ている学生も、たまにいる(※今年の3年生にもわずかだがいた。大目に見たけれどw)。

あえて何も言わないが、見えてはいる。

「ふとよそ見をしてしまう」(雑念が湧く)ことは、心の性質だが、その心に流されてしまう自分の弱さ、だらしなさを受け入れるかどうかは、自分のあり方の問題だ。

ほんの少し努力すれば強くなれるのに、簡単にラクに流される

その結果、弱くなる。弱くなるだけ、しんどいと感じる物事が増える。

自分を甘やかすことは、単純に、自分にとってマイナスなのだ。


幼い子供なら、成長の途上だからと大目に見ることはありうるが、この場所は、プロの看護師になろうという人たちが集まっている場所だ。当然、求められる最低限の態度というものがある。

この講義で毎年最初にお伝えするのは、「患者目線で見る」ということ。患者として、この人はちゃんと向き合っているか、最低限の礼儀や常識はあるかを見る。

苦しみを抱え、ときに命がかかっている。そんな人が病院で出会うのが、看護師だ。

その看護師が、別のことを妄想していたり、スマホを呆けて眺めていたり、目の前で寝たりして見せたら、当然、怒るか、絶望するか、その看護師を拒絶するか、

絶対に看てほしくない と思うだろう。


今回は、自分のため・自分の物事であるはずの場所において、至近距離にいる一人の人間が何を見て何を感じるかを想像もせずに、「寝ていい」という安易な選択をしたように見えた。

だから「喝」を入れた。

いろんな理由・事情・思いもあるだろうし、先生はみな工夫を重ね続ける義務を持っている。この看護学校に手を抜く先生は、おそらくいない。先生方はみんな真剣だ。私だって毎回連日ほぼ徹夜だ(今回も、3年生2日目の講義を踏まえて3日目の追加資料を作るために徹夜した笑)。

つねに何が起きているのかを見つめて、理由を突き止め、改善すべき点を改善する。それが、先生側の義務であり、約束ではある。


だがさすがに、内容次第で寝たり起きたり、あるいは先生の様子を見て態度を使い分けたりというのは、

自分の物事・自分の仕事として引き受けようというプロの予備軍が許容すべきことではない。アウト。

今回はさすがに見過ごすべきではないと判断して、ド厳しい(かもしれない)喝を入れさせてもらった。


来年以降も、𠮟るべき時と判断した時は叱らせてもらう。

人間として伝わってきたもの、感じたことについては、正直に、素直に、伝えさせてもらう。

求めるのは、自分(講師)が相手(学生)を理解することであり、自分(講師)が相手(学生)に理解してもらうことだ。

理解しあえることは、人間関係の目標だ。学生たちが将来看護師として患者と向き合うときのゴールにもなる。患者を理解し、理解してもらうことが、信頼関係を作る。

もっとも、理解しあえる関係は、遠い夢のようなものでもあり、どんな場面でも、手探り状態で、永久に手応えが持てない理想でもある。

だが、だからこそ努力すべきは、自分が言葉を尽くして精一杯伝えることだ。


先生も然り。目に余った時は、怒って見せていい。ただし、生徒たちが言ってくる(言ってきてくれる)ことを、全身で受け止める覚悟が必要だ。ときに反省を迫られる指摘・批判であっても、誠実に受け止めて、「教師として自分にできること」につなげていく覚悟だ。

それだけの覚悟があるなら、失礼な態度や、本人にとってマイナスだと見えた時には、「人間として」本気で怒って見せていい。教師たるもの、真剣たれということだ。


特に職業専門学校というのは、すべての学校の中で、教員も学生も、最も真剣でなければならない場所だ(無論、楽しいところは楽しめばいいのだが)。

看護専門学校は、自分の意志で集う場所。目標は、学べるだけ学んで、知識と手技と体験を重ねて、国家試験に合格して、プロの看護師になること。

すべては自分のためであり、自分の物事。

ならば、今の自分のあり方が正しいか、自分で自分に納得できるかも、自分で判断できなければならない。

人のためではなく、人のせいにするのもアウト。すべて「自分が自分に納得できるか」だ。


この先も、看護師になろうという意欲をもって来たはずの人たちには、一人の人間として見て、是は是、否は否として向き合っていく。

それが、将来がかかっている学生たちへの、最大限の礼儀だと思っている。


坊さんの喝は(寺の修行とはそういうものだが)、逃げられない厳しさがある。

「汝、わかるか?」(あなたは理解できる人ですか?)

ということを突きつける(問う)ことだから。


わかってもらえればよし(その時は感謝と尊敬を)。

わからねば、わかるまで伝える努力をする。

わかろうという意欲がないとわかったときは、静かに身を引く(関わりを終える)。

人間関係とはシンプルなものだ。


2年後にどう変わっているか。楽しみに待つことも、毎年の恒例だ。


人々の苦しみを癒せる看護師として、この先の世界を支えてほしい。

そんな夢を見ながら、全力で向き合おうと思っている。




2024年7月19日
・・・・・・・・・・・・・・

医療倫理としてのブディズム


7月17日から3日連続で看護専門学校で講義。大阪のとある学校。

初日は、1年生向けの月イチ講義の最終日と3年生向けの初日。

1年生は平均年齢20歳未満という若いクラス。人は年を重ねるにつれて、年齢差・世代差が開いていく。そのことを気にする人たちもいる。

だが、伝えねばならないことに、年齢も世代も関係がない。

伝える価値があることは、①時代を越えて普遍的な内容と、②日々新しくなる知識や情報・技術をいかに見るかという「視点」である。

その部分を伝えることが、先生・講師の役割だ。その役割に、年齢は関係がない。伝えるべきものを選別する眼と、伝えようとする情熱と、どうすれば伝わるのかという工夫だ。

工夫はつねに新しくなる。その工夫を重ねることに情熱を持てるならば、先生役としては合格だ。他方、情熱が失せれば、その時点が引退すべき時だ。

前日夜は、大阪の宿に着いてレポートを採点する(またほぼ徹夜だ)。この講座の目的は、「技法に沿って目の前の患者に向き合ってもらう」こと。正しく理解し、方法を網羅し、明確な基準・根拠をもって選択してもらう。

すべてが漏れなく見えている(理解できている)ことが、看護、いやプロフェッショナルな仕事のすべてにおいて必要。

だから、技法を無視して、自分の考えだけを述べている答案は、失格とする。「私はこう思う」で終わるなら、勉強は要らないし、成長もしない。素人どまりだ。

つい「私はこう思う」で片づけがちな脳を、「技法に沿って」、つまりは、その仕事において絶対に欠かせない、「私」を超えて、「私」の前に置くべきいくつかのチェックリストに沿って考えを組み立てる。

それができて初めて「倫理的な」看護であり医療たりうるのだ。


仏教を専門とする私にこうした講義ができるのは、「技法」「倫理」「思考の道筋」は、普遍的なロジックであって、医学・看護の専門知識以前の常識であり、誰もが共有すべき知性そのものだからだ。

医師であれ、看護師であれ、患者であれ、立場の違いは関係ない。

立場を超えて共有せねばならない思考の道筋がある。それが「倫理」と呼ばれてきたものだが、その内容が過去あまりに漠然としていたため、

この講座では、徹底的にその中身を分析し、「これが倫理の本質だ」ということを言語化して伝えている。


医療倫理は、答えが出せない問いだという声もあるが、とんでもない勘違いであり、怠慢だ。目の前の人間の全人生がかかっているのに、答えを出せないなんてあってはいけない。

出せるように頭を鍛える。実際に出すための技法(論理)は、存在する。

その技法を伝えてきたのが、この講義だ。

すでに9年目か。医師、看護師、医学生など見学に来る人たちも毎年いる。ぜひ見学に来てほしい。

この講義では、徹底して「患者」の側に立って、最低限見えてほしい、考えてほしい問題点を問う。あえて突きつける。

プロとして明快に答えられないなら、そこに盲点がある。倫理の欠落だ。それが顕在化した時に、医療過誤や患者の悲しみや取り返しのつかない後悔が起きてしまうのだ。

日本の医療政策、ワクチンと言いつつ実はワクチンではない(遺伝子組み換え・改変剤)別物、その安全性と有効性、さらにはマイナス(副反応・副作用・後遺症・死に至るリスク)、一人一人において当然選択は違ってくるという医療の本質。

どれだけ事実を調べたか、データを把握しているか、現実に生じている苦しみを見て、何が原因か、防ぐためにどう理解すればいいか。

試しにいくつか問うてみるが、まともに答えられる医師や看護師は、実はほとんどいない。「そういわれているから、たぶんそうなのだろう」程度の浅い理解で簡単に選択してしまっている。

プロフェッショナルとは、素人に見えない部分まで、漏れなく見える者のことだ。

そして自分の思い込みや、思惑や、利権や打算計算や面子やプライドではなく、苦しむ人の苦しみをやわらげ、病んだ人を健康な日常へと戻し、できれば健康なまま長生きしてもらって、そのぶん、多くの幸せな体験をしてもらう。

そうした願いをもって、最も苦しみを増やさないですむ合理的な選択を促す。励ます。寄り添う。

それができる者をプロフェッショナルというのだ。


いわば当たり前の職業倫理だが、その倫理が急激に「別の何か」にすり替えられている印象も、なくはない。

プロであるべき医師や専門家たちが、合理的な選択のための思考の手順・基準を示すのではなく、

簡単に結論そのものを勝手に出してしまう。思考することなく、最初から選択肢を一つに決めつける。患者としては一番腹立たしい態度だ。

その結果、現実に苦しみが生じているのに、その苦しみを見ようとしないのだ。結論一択を押し通す。

こうした現実があるから、一般の人・犠牲になった人たちが苦しみの声を挙げているのだ。


今の時代ほど、医療への不信が高まった時はない。

その責任は、特に苦しみを背負った人たちを納得させられない者たち。いわば倫理が欠如したプロフェッショナルにある。


看護師は、医療の最前線に立つ人たちだが、看護師もまた見えていない人が多すぎる印象はある。みんな優秀で真面目。だが業務に追われて、「苦しみを増やさない選択」を導き出す時間がない。そもそも選択するための論理的な思考の手順を持っていない。

このままでは、患者の苦しみを救えない。それどころか、疲弊し辞めてしまったり、医療政策・病院・医師の側の思惑に振り回され、ときにいいように利用される「都合のいい医療従事者」になってしまう。

患者も、看護師も、もちろん医師も、現実を正しく見るための技法が必要だ。かつては「倫理」と呼ばれてきたもの。この学校では「技法」と呼んでいる。



(つづく)

2024年7月17日
 

宗教学としてのブディズム


7月16日は、名古屋・栄中日文化センターでの講座。

定員80名の大教室だが、ほぼ満席に近い数の人たちが集まってきてくださっている。

動機・背景はさまざま――信仰をお持ちの方もいる。

だが、確かめようのないことを信じると、現実が見えなくなる危険性が増す。

現実とは、なぜ今の自分に至ったか、今の自分は正しい選択ができているか、周りの人たち(家族・子供)の思いが見えているか、

さらには、その信じる宗教が、真ん中にいる者たちの欲望や独善(慢)に囚われていないか、といった問いのことだ。

典型的な例としては、つらい現実から逃避するための宗教というものがある。

本人にとっては、現実を見ずにすむという快はある。だが、その一時的な逃避と引き換えに、時間・お金・未来・人間関係というさまざまな価値を手放してしまうことも起こりうる。

信じるから手放す。だがその手放したものをエサにして、権力欲、顕示欲、支配欲、物欲その他の欲望を満たす人間がいる。

信じることが持つ危うさだ。

宗教が危険なのは、信じる者が救われず、信じさせる者だけが利益を得る構図・関係性を作ってしまいかねないことだ。

誰が、何を、どれだけ得ているか。そこに過剰な欲はないか。

確かめようがないことを、「それっぽく」語る妄想が忍び込んでいないか。

その妄想は、教義や儀式や施設や、「これを頑張ったら昇進できる、報われる」といった巧妙なエサとなって現れる。

本当に必要なものは、宗教ではなく、一人一人の心の苦しみを解消する方法でしかない。

その方法は、自力でたどり着けるなら、宗教は要らないし、

その方法を知るには、特別な信仰やら巨額の献金やらも不要である。

ただ、その方法にたどり着くには、必ず引かねば(取り除かねば)ならないものがある。

それが、欲と妄想だ。

だが妄想の力はあまりに強く、人は「これが真実かもしれない」「この宗教がきっと正しいのかもしれない」という期待を捨てられない。

だから、宗教を求めてしまう。

そうした欲や妄想を隠し持った信仰は、本当は役に立ちませんよ、ということをお話してきた。

ある意味、夢を失わせる中味でもある。胸が痛まなくもないが、だが超えるべきは、自分を見つめることなく、妄想にすがろうとする自分の心そのものなのだ。

その一線は、せめてこの場所くらいは、保たねばならないとも思う。

でないと、都合のいい妄想ばかりになってしまうからだ、この世界が。

宗教学、いや生き方としてのブディズムを、この場所では続けていく。


講座終了後は、無料の個人面談。苦しみに満ちた過去を背負い、今も独りで苦しみを抱え続けている人には、とことん向き合う。ひとりで悩んでいる人は、ぜひ足を運んでもらえたらと思う。


全員終わった後は、もう夜。特急で大阪に向かう。車内で、看護学生のレポートをチェックする。明日からは看護専門学校での3日連続講義。



2024年7月16日
・・・・・・・・・・・・

歴史学としてのブディズム


7月15日は東京での仏教講座。今、明治から昭和初期(戦前)までの日本と仏教との関係について講義している。

日本における仏教が、いかに役に立っていなかったか、特に日本社会の凶暴化(明治維新、日清、日露、日中そして太平洋戦争)に加担までしていたことが、史実をたどると見えてくる。

言葉だけの慈悲であり、理屈でしかない「お釈迦様・ご開祖様の教え」だ。

現実を見据えて、人の苦を増やさない方法を考え抜く。その時代・社会における危うい風潮や妄想を見抜いて、新たな可能性を智慧(知力)をもって切り拓く。

本来のブディズムは、人間の心に救う迷妄(≒衝動に駆り立てられ、妄想に取り憑かれた心の状態)を突き破るもの。いわば「知」の最先端であり最強の方法だ。

だが、その方法としての真髄とは、はるかに遠い仏教の現実がある。

自分たちが世と同じレベルの欲と妄想に取り憑かれたままでは、決して妄想を越えられず、智慧を得ることはない。

「過ちを二度と繰り返しません」とか、「世界に平和を」と言ったところで、永久にかなわない。それどころか、世のため、人のためと言いつつ、平然と人に苦しみを強いることを犯してしまう。

戦争が終わるまでの日本仏教はまさにそうだったし、実は今も続いている。

そうした理解を得るために、文献を漁って教材にまとめる作業をひと月ほどやってきたが、最後にまとめるにも時間がかかって、結局徹夜になってしまった。


歴史から何を学ぶか。歴史は繰り返すというが、これも厳密にいえば少し浅い理解だ。

歴史を作るのは、人間の営みであり、社会を動かすいくつかの因子だが(因子の一つが、権力者の選択であり、メディアが醸成する社会の風潮であり、人間一人一人の選択であり、その他さまざまあるのだが)、

その因子は「変数」であって「定数」ではない。どんどん変わってゆくものだ。

変わりうる因子のことを計算に入れずに、「過去こんなことがあったから、未来にはこんなことが起こります」と予測することはできない。

表面的に「歴史は繰り返す」ように見えるとしても、それは繰り返しているように「見たいから見えている」のであって、「そのように見ようと思えば見える」レベルの繰り返しを見ているだけである可能性が高い。

変わりうる因子は、どんどん新しくなっているし、その量も増えているのかもしれない。

だから未来は基本的に予測不能。

ただし、因子を作るのは、人間の心であり、心の動きは、実は有史以来それほど変わっていない。

その心の動きにまで深く掘り下げて、「なぜこうなったか?」を歴史上の事実を通じて振り返れば、どのような歴史上の惨禍にも「確かな理由があった」ことが見えてくる。

その本当の理由を掘り下げるには、「人間の心そのものを見る(歴史上の表面的な事実だけではなく)」という視点が欠かせない。


そうした視点に沿って、日本仏教の歴史を講義してきた。そろそろ終着地点に近づいてきた。

人間というもの、人間が作る社会、そしてその軌跡としての歴史は、決して美しいものではない。

価値あるものも無数に紡ぎ出されてきたが、やはり人間は人間だ。取り返しのつかない(未来が決定的に変わってしまう)過ちも多数犯してきている。

悲劇的なのは、その過ちの原因となった「心」そのものを、人間がまだ理解できていないことだ。

心を理解できれば、なぜ歴史上の過ちが起きたのか、今後、どのようなことが起こりうるのかという可能性が見えてくる。

ブディズムを活かして、歴史を理解し、未来を予測することも少しは可能になる。

ちなみに予測しうる未来というのは、いくつかの変数の組み合わせによるから、必然的に「複数」出てくる。

その複数ありうる未来のどれを選ぶか。最も望ましい(苦しみを増やさない)選択をするには、自分自身が、個人としてどのように理解して、どんな選択をするか、

自分自身のあり方を明瞭にすることに、最後は帰結する。


生き方として学ぶ日本仏教(この場所での講座)は、ごくわずかな人たちに向けての、限りなく自制された内容だ。広く知ってもらおうとは思わない。

ほぼ確実に、日本、いや世界でココだけ。本に著した内容もオリジナルだが、この場所で伝える仏教及び歴史も、さらに輪をかけてオリジナル。

偏った内容ではなく、「史実をいかに見るか」という点では、歴史学の定説・主流以上に「深く、鋭い」内容になっている。

この複雑な世界を正しく理解するための、仏教はその技法たりうる。歴史学としてのブディズムだ。



2024年7月15日
 

一人じゃないよ


中日新聞の連載記事を見て、名古屋まで足を運んでくださる人が増えました。

本の前書き(大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ)で伝えたとおり、
 


ほんとうに、よくここまで生きてきたね


という言葉をそのままお伝えしたくなるような日常を生きている方々がたくさんおられます。



そうした人たちとの出会いを、今回の連載はあらためて授けてくれることになりました。

いつも感じることは、この場所・この命にできることは、あまりに限られていて、無力・非力を痛感せざるをえない(痛感することくらいしかできない)こと。

一人一人は、自分の人生を生きるしかなくて、

その事実は、これからもずっと変わらないのだけれど、

それでも、だからこそ、そうした現実の中に、わずかでも新しい希望というか、可能性というか、

少なくとも なにか方法があるかもしれない

という予感だけはあるほうがよくて、また実際に予感して会いに来てくださる人たちが、こうして新しく出てきたことは、

あまりに無力な現実を思い知って、つつしむことくらいしかできないのですが、

それでも、よき変化であり兆候だと思えてきます。


この命は、できることはあまりに限られているけれども、

少なくとも気持ちにおいては、誰も置き去りにはしないように、そう願い続けています。

だから調子に乗ることもないし、欲を張ることもありません。


この命は、自分だけのものではないぞ


というのは、出家した時に約束したことでもあるから。


ちゃんと声を届けていきます。



この世に生きる多くの人たちのことを想いながら、

この命の使い方についても慎重に考えていきたいと思っています。



これまでも。
これからも。





2024年6月


出家の日々(記録)

6月17日(月) 
『怒る技法』オーディオブック収録完了。

朗読の時は、ポッドキャスト(おしゃべり)のほうが簡単だと思い、ポッドキャストの時は、朗読のほうがやりやすいと感じる。

結局は何をやっても、難しいということか。だが難しいと思えるくらいのほうが、頭も使うし、努力もするし、めざすべきレベルが上にあるということだから、創造にとっては好ましいということなのだろう。

自分にとっては、達成感や満足が毎回残らないので、苦行としての色合いは消えないのだが。これが自分の業というものか。

お経も収録したいと申し出たが、あっさり却下されてしまった(^△^;)。


6月18日(火)
月に一度、名古屋へ。新しくオープンしたビルは、ホテル並みに豪勢で、お客さんも一杯。だが講師控室(コーヒーを飲めたし着替えもできた)がなくなってしまった。

こんなに立派な施設の大教室(上限80名)を使って、一人3000円弱の講座を開くのだから、スクールも経営が大変だ。なんとか貢献し続けねばと思う。

中日新聞の連載を読んで受講したという人たちも。自分で文章も絵も手がけることができるというのは、奇跡みたいなものだ。かつて中日新聞論説委員の人が書き下ろした『無 本当の強さとは何か』という本に蒙を啓かれたことがあったが、その中日新聞にささやかながら恩返しさせていただいている気分にもなる。


6月19日(水)
看護学校の講義。4月から始めて3か月目。医療倫理の事例にグループで取り組んでもらう。今回は腰痛、アデノイド肥大、気管挿管事例。かなり専門的な内容だが、人間としてどう向き合うかを、まだ知識がない一年生の段階で考えてもらう。たぶん日本でここだけのオリジナル。

グループの結論が出たら手が挙がるので見に行く。このスタイルは、頭を使うこと、互いの距離が近くなるだろうこと、講師と学生たちの距離を縮めることができる点で利点が多い。

1年生(平均20歳未満)は愛おしいが、一人一人を知る前に講義が終わってしまう。そこが毎年残念なところ。


6月21日(金)
1日空いたので、入江泰吉写真美術館へ。かつて父だった人が、奈良の古い景色を写した写真集を集めていた記憶がある。昭和初期のセピアの写真。奈良の街並みと人々の姿を覚えている。自分にとっても原風景みたいなものになっている。

景色も人もうつろいゆく。未来になれば世界の色がいっそうあざやかになるとは限らない。古色をそのまま残したほうが幸せを減らさずにすむ部分がある。奈良はまだたくさんの古色を残している土地だ。その古色の中に生きて、古色の中の鮮やかな色をよみがえらせて後世に遺す。

そうした営みをした先人たち――写真家、画家、作家たちのことを、ひとまず勉強しようと思う。そのうえで自分なりの古色の遺し方を探りたい。

この美術館には、古今東西にわたる膨大な写真集がある。どの本も圧倒的だ。圧倒的な写実と、圧倒的な量の時間が詰まっている。

写真とは本当に不思議なもので、動かない平面でしかないのだが、いろんな色や表情や動きや時間が閉じ込められている。見つめて、ほんの少し想像力を働かせると、表情が動き出し、乗り物が走り出し、世界が色づいて、たちまち三次元が立ち現れる。

実際にかつては、本当に動き、色づいていた世界がある。その世界に写真を通してどこまで入り込めるか、いわば時空を超えて旅できるかは、見る者の想像力や感性にかかっている。

臨時展示場で写真家のNさんと立ち話。今はレタッチで色を出せるとか。たしかにそうだろう。しかも合成すれば、どんな景色も作り出せる。写真を決定づけるものは何か。ひとつは素材。そして構図。色は、効果を持つ限りで意味を持つ。精緻もアバウトも、伝わるかどうかという一点においては、どちらが正解とは言いきれない。

結局は、何を伝えたいかという写す側の感性で決まる気はする。うまいか下手かではなく、何を伝えたいか、どのように伝えるか。結局は伝わるか。絵も文も同じだ。最後に決めるのは、創る者がその心に見ているもの。心そのものだ。


6月22日(土)
大阪で保健師さん向けの講演会。みんな看護師資格も持っておられるという。前半は業の話。後半は反応しない練習。動じないためには「足の裏が大事」(笑)。

業(ごう)は、今後必ず注目されるであろう最前線のテーマ。みなさん熱心に聞いてくださった印象。

話は難しくしても、あまり意味はない。むしろ応援の思いを最大限伝えることをめざしたほうがいい。今回言いそびれたが、保健師さんたちは、コロナ騒動中相当な負担を強いられたはずなのだ。だが、人を救いたくて日々奔走されている。相手は子供から高齢者まで。社会派のお坊さんに近いといっても遠くはあるまい。


100分はあっという間で、参加者の皆さんも同じ感想だったようだが、今後あらためて再会できればと伝える。「以上、足の裏とともにお届けいたしました!」(笑)。

どの場所においても同じだが、とにかく最後は明るくエールを送って締めようと思う。今回もそれができたので、自分としては満足・納得。また会えたらと願う。


新しくなった名古屋・栄中日文化センター

来年は夜間にお勤め帰りの人向けの生き方講座を開こうと計画中

 

 

 




『怒る技法』オーディオブック始動

東京は快晴。今年の夏も暑くなりそうです。


今、『怒る技法』(マガジンハウス2023)のオーディオブックの収録中です。

今回も著者本人が朗読しています。

声優さんの朗読と違う点は、伝え方の強弱や工夫をつけられるところでしょうか。声優さんは、他人(著者)の文章だから正確に読み上げることしかできないのだけれど、著者本人が読む場合は、内容がわかっているから、内容に即した朗読の仕方を選べます。

テンポよく進めるところもあれば、じっくり真面目に語るところもあり。文中のセリフは感情をこめて朗読することができます。

ディレクターさんいわく、他のオーディオブックとは違う新しいジャンル。

著者が直接読み上げる作品は、かなりレアものだとか。


著者朗読版は、『反応しない練習』の最初のオーディオブック作成時に、特典として著者メッセージを収録したことがきっかけ。それまで前例がなく、関係スタッフも配信元も慎重だったのだけど、やってみると、意外といいかも?という話になって、『反応しない練習』の著者朗読版が実現。

その後『これも修行のうち。』『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』と進み、

ポッドキャストも第3弾まで実現することができました(いずれもAmazonオーディブル)。

奇跡みたいなもの。本当にありがたく感じています。




朗読は、やってみると、すごく奥が深い世界です。


文章の区切りとつなぎ、抑揚、強弱、間の取り方・・。音(声)の出し方も、文章を書くのと同じように、さまざまなバリエーションがあります。末尾の「た」「す」をどう発音するか・・「うまく声を出せた」と思うところもあり、「ちょっと弱かったか」と思うところもあり(そういうときはリテイク)。

聴く人はおそらくまったく気づかないかもしれないレベルでの音(声)選びが続きます。全神経を使うので、かなり疲れます。

今回は、競馬中継や、文末に小声で「シャキーン!」と語っていたりと、まだ本を読んでいない人にとっては、なんのことやらまるでわからない部分も入っているのですが、このあたりも何度かリテイクして確定。


読み返して感じるのは、この作品は、今の時代に必要な本だということ。今の世の中を生き抜くうえで必要な技術が詰まっています。一年ぶりに読み返して、一層そう感じます。

『反応しない練習』は、自分の内側を変えるもの。でも、外の現実は、つねに他者との関わりだから、「関わる技」が絶対に必要になります。その部分を掘り起こしたのが、『怒る技法』。

怒ってはいけないなんて、とんでもない。ときには怒って見せなければ、本気で怒らなければいけないこともあります。

ただそれは、感情だけで怒るのではなく、技を使って怒るということ。正しく怒ってみせることが大事。

この技を知っているかどうか、使えるか使えないかで、人生はまったく変わってきます。正しい怒り方を知らないと、怒りの出し方に失敗し、ストレスを溜め込み、疲弊して動けなくなってしまいかねません。

他方、正しい怒り方を知る人は、現実に直面した時に、どう動けばいいかをすぐ言語化できるし、その方針に沿って動けるので、ストレスが増えません。

それでも生じるストレスは、『反応しない練習』でリセットできます。結果的に快適な自分を維持できる。

怒る技法で現実に立ち向かい、反応しない練習でストレスを即解消--まさに最強の心が手に入ります。

著者の脱線トークつき。公開までもうしばらくお待ちください。






ある土地の話


不思議といえば不思議と言えなくもないご縁によって、

ある土地にたたずむ小さな家にたどり着くことになりました。

家というのは、持ち主のものであるように見えて、それだけではないところも実はあって、

持ち主(家主)はせいぜい数十年しか生きられないけれども、家はその後もその土地にあり続ける。家のほうが家主よりも長生きする。

とすれば、土地にとっては、家の持ち主よりは、家のほうが大事ということになります。

家主はあくまで一時的な預かり人であって、間借りさせてもらう程度の存在でしかなくて、

家主はその家を通して、その土地に貢献するというか、未来に遺しうるものを捧げる役回りを担うというのが、

家主の短い人生を越えて、もっと長い時間、長い土地の歴史を思えば、それが真実であることが見えてきます。


だからその土地に住まう人間とすれば、

その土地が迎え入れてくれるような調和と風合いがある家を、

家主がこの世界からいなくなっても、その土地の風光明媚に小さな貢献ができる外観を、

整えていくことが務めのようなものであり、

土地の風景がひとつのパズル絵のようなものだとすれば、その絵の美しさ・彩(いろどり)に小さく貢献するパズルの一片が、一軒の家ということになります。

だから家の持ち主の期待とは関係なく、むしろそれを越えて、その土地に喜んでもらえる、未来にその土地に生きる人たちにとっても親しみを感じられる、

そうした姿を造っていくことに、家主はつつしんで貢献するという心構えのほうが本来のあり方だろうと感じます。


その土地は、自分が幼い頃に訪れた美しい場所であり、十代の頃にもひとり自転車で尋ねたところです。

その土地には、1500年以上にわたり田畑を耕し、野山をいたわり、美しい風景を維持してきた先代の人たちと、

今も誠実に暮らしている人たちがいます。

そうした人たちが、これからも美しい風景の中で暮らし続けていけるように、未来を見すえて、小さなご縁をさずかった身の上として、できるかぎりのことをしてゆきたいと思っています。


この命なりに、その土地を愛すること。人を慈しむこと。

一人の人生は短く、儚い。

だけれど家は、土地は、一人の人生が土に還っても、続いていく。

やがてすべては消えゆく定めにあるのだとしても、

せめてその土地の未来を想いながら、その土地に住む人たちの幸せを願いながら生きていく。

そんな自分でありたいと思っています。


縁(めぐりあわせ)とは不思議なもので、ふさわしくない縁は自ずと潰え、ふさわしい縁だけがつながって、未来へとつながってゆく。

これもその土地が、土地にたたずむ家が、人を選んでいるのかもしれないとさえ感じることがあります。不思議なものです。
 
 
土地の皆さんには、ご迷惑をおかけしています。
もう少しだけ時間をください。
 
次のステージまで、あと少し――。
 
 
 
 
 

ポッドキャスト第3弾は4月26日配信スタート

Amazonポッドキャスト第3弾

反応しない練習エクストラ【希望篇】
大人になったぼくらは今どう生きるか

 

2024年4月26日(金)に配信スタートしました。

配信元 https://www.audible.co.jp

 

EPISODE1<喪失>
居場所を失ったとき何をめざせばいい?――2歳で放浪し始めた出家の場合

EPISODE2<決別>
生きづらい社会の犯人は誰だ?――学歴信仰という見えない監獄

EPISODE3<克服>
人間関係に悩むあなたへ――傲慢な強敵にブッダはどう立ち向かったか

EPISODE4<決断>
ほんとは人生難しくない?――矛盾だらけの世界で見つけた答え

EPISODE5<希望>
それでもぼくらに必要なもの――時が過ぎても変わらない「生き方」がある

 

 

 

幸せな日が1日でも増えるように

この世界が1日でも長く続くように

未来に向けて贈ります

 

 

歳の差は考えなくていい?


ここ一週間ほど、東京を離れていました。

4月26日(火)は、名古屋で今年最初の仏教講座。

栄中日文化センターは新しいビルに移って、お祝いの胡蝶蘭が飾ってあって、まるでホテルの新規開店みたいな雰囲気でした。

昨年来の人たちとも再会できたし、中日新聞連載中の『ブッダを探して』を読んで新規で来てくださった方々もいました。

最大80名入る大教室。カルチャーでこれだけの施設を維持運営するとなると、かなりコストがかかりそう。講師も頑張らなければと思いました^^。



17日は、大阪の某看護専門学校での1年生向けの講義。クラスの平均年齢20歳未満。

よく年代・世代の差について語られることがありますが、私の場合は、さほど歳の差を感じません(これぞ老害の第一歩?)。

心は、そもそもその時々にある思いや状態が違うので(歳の差関係なし)、人(他人)については、その時々の心を理解しようと努めるだけだし、

自分については、その時々の思いを相手に伝えようと努めるだけで、言葉が通じるなら、こちらの思いは伝えられると思うので(伝わる状況である場合)、

結局は、人を理解して、またこちらも理解してもらおうと努めるだけ・・・ということになるので、歳の差は意識しなくてもよい気がするのです。


歳の差を感じるというのは、彼我の「違い」を見ようとした時に出てくるもので。

その「違い」とは、結局は、自分の側の思いを先に置いた時に見えるものであって、

心がけるべきは、歳の差も、違いも意識しないで、

「ふーん」「へーえ」と無心に聞いて、

「自分にとってはこうなのです」ということを言葉で伝えるだけで良いのかなと思えてきます。

だから、どんなに年が離れていても、相手が幼い子供であっても、相手に合わせることは可能なのかなというつもりで関わっています。

新入社員とか新入生との新たな出会いは、こちらも楽しみではあります。

楽しみにできるうちは、伝える、教えるという役割も引き受けようと思っています。


2024年4月17日

 

 

伝えきれない思い~『反応しない練習エクストラ』ポッドキャスト第3弾

2024年1月某日、
Amazonポッドキャスト『反応しない練習エクストラ』第3弾<希望編>の収録がありました。

*2024年4月26日(金)に配信スタートしました:

配信元 https://www.audible.co.jp


このシリーズは3部作。もう9年近く寄り添ってくださっているKADOKAWAメディア担当者のご尽力の賜物です。


サブタイトルは当初、「告白編 本当は話したくないことを無理やり話す第3弾」的なものになる予定でした。あくまでエンタメ。ふだんほとんど語る機会がない過去の体験について”告白”しようというもの。第1・2弾は、実際にそうした内容でした。


しかし今年に入って能登半島を中心に地震そして津波が起こりました。


現地の人々の姿を見ると、やはり胸が痛みます。

こうした現実を脇に置いて語ることが、果たして正解か――自分の中で葛藤が生まれました。


仮に今回の痛ましい出来事が一回限りのもので、今後は次第に平穏無事に戻ってゆけるというなら、聞いて楽しんでもらえる話題だけ話しておこうということになるかもしれません。

でも、現実は現在進行形にして未来形。これから復旧・復興まで長い歳月が必要になるでしょう。

もしかしたら今後、さらに大きな災難が広い地域に起こるかもしれない、この国に長く困難な時代が来るかもしれない・・・。

もしそうなった時に、個人的エピソードをメインに語るという切り口でよいのかどうか。


むしろ現実を見据えて、自分たちはこれからどう生きればいいのか を正面から語るほうがよいのではないか。そう思えてきました。


でもそうすると、第1・2弾ほどの笑い(楽しさ)はなくなるかもしれない・・。

とはいえ、現実をかわして話を組み立てると、痛みを抱えて生きる人にとって、さらにもし近い将来、もっと多くの痛みが生まれた時に、必要性を失ってしまうのではないか。そう思えてきました。

生き方。そして希望。

現実が困難になればなるほど、必要とされるもの。

それを語ることこそが、この命の本分(本来の役目)であろうと強く思えてきたのです。


もともとこの命は、自分のことではなく、相手のこと、人さまのこと、社会のことを考えて、本当に伝える価値があることを伝えることを、役割としています。出家とはそういう立場。

主眼(本題)はあくまで、苦難の中にいる誰かに必要なこと・有益なことを語ること。自分のことは「ちなみに」であり「おまけ」です(私の本を読んだ人は、わかってくれるものと思います)。

そこで急遽、構成を変更。

エンターテイメント性を大事にすること、商品価値を維持することは、制作チームの人たちにとってマスト(必須条件)。だから私が申し出た直前の変更に、若干のためらいを覚えた様子はありました。

でも現実を見据えて、今伝えなければいけない(と感じる)ことを、まず言葉にする。そのうえで頑張って、聴く人に楽しんでもらえる要素を増やすことに全力を尽くそう。そうお願いしました。


実際に、そうと決めたとおりに話を収録したのですが、この国にはこれまでも何度も大きな地震が起きていて、そうした地震についても本当は取り上げるほうがよくて、でもそうすると本当にヘビーな内容になってしまって、今回のポッドキャストの趣旨を大幅に逸脱してしまう・・・というさらなる葛藤も出てきたことを、告白しておきます。


この世界は、いつも、どこにおいても、悲しいこと、苦しいことが無数に起きているから、

全体を見れば見るほど、考えれば考えるほど、語り切れないこと、取りこぼさざるをえないことが出てきてしまって、

最後は、生きていることさえ罪を犯しているかのような思いにがんじがらめに縛られてきて・・・

という出家する前の心境を、収録しながら思い出してしまいました。戻ってしまった・・。


生きるだけで、つらくなる。

 

出家する前は、そこまで追い詰められていました。

出家したからなんとか、生きることの矛盾や、生きること自体の罪深さや、自分というあまりに小さな存在の非力無力を乗り越えて、

”よき働きを果たす” という今にたどり着くことができたのですが――。


個人的にはいろんなことを考えながら、痛みを感じながら、それでも聴いた人に笑ってもらえるように、”希望”を見出してもらえるようにと、頑張って、本当に今回頑張って、収録しました。いや、しんどかった。というか、率直につらかった・・。


少しは伝わってくれるかな。

伝わってくれると、嬉しいな。


インドに旅立つ前に

2024年1月某日

 

ポッドキャスト3部作 これにて完結

 

 

君がいない空

 

今日で1年が過ぎようとしています。


この1年、ずっと君のことを、そして君が生きていてくれた時の未来のことを、考えつづけてきました。


旅立ってしまったことは、もう取り戻せないし、
 

いっそう君を悲しませることになるかもしれないから、多くは語らないようにするけれど、


今振り返ると、君がひとりでいろんな思いを抱えつづけて、


なんとか自由になろうとがんばって、
 

さいごは本当にひとりぽっちになってしまって、
 

この世界から離れる選択をするしかなくなったのだろうということは、
 

うっすらとだけれど、今も伝わってくるような気がします。


ひとりで抱えてつらかっただろうと思います。

 

つらかったね――。

 

ひとりにしてしまって、本当にすまなかった――とも思います。



君はまだ二十代半ばでした。
 

二十代は、とてもつらい年代だろうと思います。
 

十代までに背負った心の傷も、いまだ癒えずに残っているし、
 

抱え込んだ悩みをどう流せばいいのかわからないこともたくさんあるし、


飛び込んだばかりの社会は、まだまだ未知で巨大な場所で、
 

たくさんの仕事を負わせてくる過酷な場所でもあります。
 

君がいた場所は、特にそうだったかもしれません。

 

でも、よくがんばっていたよね――
 

がんばるという言葉が人を追い詰めてしまうこともよく知っているけれど、
 

君は弱音をはかず、真面目に、誠実に仕事に取り組んで、乗り越えていったよね。
 

どうすれば前に進めるのか、僕にもいろいろと訊ねてくれたね。
 

もし時が残されていたならば、きっと君が抱え込んだ多くの悩みに答えることができた気もします。


でも・・・その時がくる前に、僕らは離れてしまうことになりました。



君がいなくなった街に、あの後出かけてみました。

陽光はもう夏のようにまぶしくて――。

緑と光に溢れた素敵な街でした。

 

広い緑の公園には、若い男女や小さな子供を連れた夫婦や、犬をつれて散歩する人たちなど、たくさんの人がくつろいでいました。
 

青い空の向こうに、スカイツリータワーが見えました。

歩いても行けそうに近いんだね。行ってみたのかな。



雲のない、広い青空ーー


もし君が生きていたら――この空は五〇年後にも同じように明るく輝いていて、
 

その広くて青い空を、五〇年生きた君は見上げていたかもしれないな・・・と思いました。



君は・・あと50年は、生きられた。生きていけたんだよ。


50年ーー想像できるかな。途方もない時間だよね。


君が生きてきた歳月の二倍もの時間が、君には残されていた。


それだけの歳月を生きてみたら、

 

つらかった過去も抜け出せたかもしれないし、

仕事だって変わっていたかもしれないし、

背負ったものを上手に下せるようになっていたかもしれないし、


いろんな幸せを体験できたかもしれない


そう思うと、君がいなくなったことが、本当に、大きく空いた穴のように思えてくる。


そうだね、君を想う両親やご家族や友だちは、きっと、もっと大きな喪失を抱えて、今も生きている。


君がいなくなったことを、

君を知っている、君を大事に思っていたすべての人たちが、


これからもずっと感じつづけながら、生きていくことになる。

つらいものだよ。


旅立つことを選んだ君は、もっとつらかったんだね。


春の空は青くきれいで、人々はみんな幸せそうに見える。


こんなに明るく広い世界に、君という人がいない


その事実を想うと、心は止まってしまう。


君がいないという事実に現実味がない。不思議な感覚だ。


あと君が50年生きてくれていたら・・・と思う。


そうしたら、遠い未来には、今日と同じくらいにきれいな青空が広がっていたかもしれないし、
 

街の景色も、今日よりもっと美しく変わっていたかもしれない。

歳を重ねた君は、もしかしたら結婚して親になっていたかもしれないし、


それとはまったく別の、想像もできない人生を、それでも君らしい人生を生きていたかもしれない。


もし50年、君が生きてくれていたら、


もっと、もっと、もっと、


いろんな幸せを感じることができたかもしれないんだ。



50年後の空を、僕は見ることができない。


未来の君が見上げていたかもしれない空を、僕が見ることはない。


50年先の未来には、僕はこの世界にはもういないだろうから。


君を想い続けてくれたご両親も、その頃にはもういない。

 

それでも、もし君が生きていたら、


この世界のどこかで生きてくれていたら、


50年後のこんなに美しい青い空を、


君は見ることができたかもしれないんだ。 


君より先に旅立っていくはずだった人たちはみんな、


君に未来の明るい空を見てほしい と本当は願っていたんだよ。


当然そうなるだろうと思っていた。



君が幸せな人生を生きてゆけるように、


たくさんの幸せな時間を体験してくれるように、


そう願って、

ご両親は一生懸命育ててきたし、

家族や友人たちは君と過ごしていたのだろうと思う。

僕も、そう思っていた。



君が生きてゆくであろう未来、
 

五〇年後に見上げていただろう空、
 

すべては、君を待っていた。

 


本当に――いろんな可能性が広がっていたんだよ。



こんなに明るい世界の中で、

君という人が、ひとり苦しみを抱え込んでいたことが、あまりに悲しい。


旅立つことは、やすらぎに還ることだと僕は知ってはいるけれど、


本当は、その前に、いろんな幸せを体験してほしかった・・と心から思います。

 

生きてほしかった。



そうなんだよ。みんな、可能性を持っている。


生まれた時には無限の可能性が、


生きるかぎりは未来という名の可能性が。


君にも、果てしないくらいに広く大きな可能性があった。


そのことを伝えたいと思うけれども、もう君は、この世界にはいないんだね。


どこを探しても、君には会えない。


その事実が、どうしようもなくさみしく思う。



できれば、もう一度だけ、君に会って話をしたかった。


この思いも、本当は君だけに伝えたいのだけれど、もうできなくなってしまいました。


一年前のあの時も、連絡が取れなくなったから、君やご両親に申しわけない気持ちもあったけれど、


もしかしたらどこかで見つけてくれるかもしれないと、わらにもすがる思いでここに書きました。

 

一年がすぎたこの日も、もう一度、ここに君への言葉を置くことを許してください。


もっと、もっと、いろんな話をしたかった。


せっかく見つけて、ここまで来てくれたのに、


結局は、さいごに、君をひとりにしてしまった。

 

すべてはこれからという時に君はいなくなってしまって、


本当は、もっともっと君のことをわかりたかったし、


君が抱えた思いを軽くする手伝いもできただろうと思うけれど、

それができなくなった未来は、
 

君のことを、ずっと想いながら、生きていくことにします。

 

君が抱え込んでいた思いも、覚えておくようにするからね。


つらかった君を、君を知るすべての人たちは忘れないだろうと思うから。


僕もその一人として、生きていきます。



君は、世界でひとりぽっちだと思ったかもしれないけれど、


本当はそうじゃなかったんだよ。

 

みんな、君のことを大切に想っていた。



伝わってくれるといいな。



しかしあまりにおおきな喪失だよ。


たくさんの問いも思いも、残ったままだ。


どんなに青い空が広がっていても、


どんなに新緑が輝いていても、


君はもういないのだから。


君に見せることも、君から教えてもらうこともできないんだよ。



君がいない空は あまりにさみしい。



ずっとずっと覚えています。


何もできなくて、本当に、すまなかった。




せめて青い空が見えた日は、


君がこの世界に生きていたことを、


想うようにするからね。



君は、ひとりじゃないよ。


今も。



2024年4月7日


「そんなことはないよ」


インドから帰ってきて受け取ったのは、あたたかい励ましのメッセージ。

いつも以上に身に沁みた気がします。

というのも、インドから帰るときは、自分をリセット・・・再びゼロに帰るようにしているので。

かつて日本に帰ってきたときは、誰も知る人がいない完全に無の状態でした。今もその心境で毎回戻ってくるのですが、

今回は、日本でもつながっている人たちがいてくれて、励ましてくれたりなんかもしてくれるので、「なるほど、そういうプラスもあるのかぁ」と(少しは)思い直すことができました。

さらに掘り下げると、出家というのは、最初に人の苦しみを見るので、その苦しみを減らせなかった(助けられなかった・・・という言い方をすると、おこがましく聞こえなくもないですが)事実を最初に見てしまいます。

結果的に、仏教(つまりはこの命)は無力、非力・・・という感想も出てきてしまいます。

「自分のことだけ」でいいのであれば、いくらでもポジティブ・楽観を選ぶことはできますが、出家というのは、そういう生き方はしない生き物なので。

正直、あまり(ぜんぜん)ラクではありません。別の苦労を背負ってしまう生き方のような気がします。

それでも「そんなことはないよ」と言ってくれる優しい人たちが今はいることも事実なので、その事実はありがたく覚えておくように努力いたします(^ ^)。

 

2024年3月8日

 

ブッダを探して~中日・東京新聞で連載開始

2024年2月18日(日)中日新聞・東京新聞で連載開始 
文・挿絵・タイトルバック(上のカット↑) 草薙龍瞬

 

プロローグ
旅の始まり


人生が八方塞がりになることは、たまに起こる。誰の人生にも起こりうる。

僕の場合は、三十代半ばで起きた。仕事をめぐる迷い。末期ガンの宣告(のちに誤診と判明して命拾い)。独身で、貯金もなく、東京で先の見えない暮らしを続けていた。

人生にゆきづまったとき、人は過去を振り返る。僕が出てきたのは、奈良の田舎。関西の進学校に入ったが、成績を比べ合って一喜一憂する学校に違和感を覚え、中三の二学期で自主退学した。卒業証書さえもらっていない。中学中退だ。

父との関係は最悪で、家に居場所なし。十六歳の夏に思いきって家出した。自分を知る人は誰もいない大都会・東京。文字通りの闇をさまよい、「このまま終わってたまるか」という意地と、「学問をやって世の中を変えたい」という理想にしがみついて、一年勉強して東大へ。だが直面したのは、深い失望だった。

いろんな仕事をした。「ほかに生き方はないのか?」と探し続けた。だが、どこまで行っても答えは見えず、何をやってもうまく行かない。悲壮な思いを抱えて東北寒村の禅寺を訊ねたのが、三十五歳。だがそこでさえ、最後に見たのは、居場所のない自分だった。


もう後がない。さながら漆黒の闇へと崖から飛び降りるつもりで、出家した。


場所はインド。開けたのは、星々が燦々ときらめくかのような、はてしなく広い仏教の世界。死んだつもりが生き返った。ようやく人生の謎が解けた。

人生、完全に詰んだと思う時もある。だがまだ終わっていないのだ。きっと道はある。その希望さえ捨てなければ。遅くないぞ。

ブッダに出会うまでの道のりを、人生に役立つ仏教の智慧をちりばめながら、お伝えしていきます。



文・絵 草薙龍瞬

僧侶・作家 一九六九年生。奈良県出身。大検(高認)を経て東大法学部卒業。三十代半ばで出家し、ミャンマー国立仏教大学等で学ぶ。仏教を現実に役立つ生き方として紹介。ベストセラー『反応しない練習』『怒る技法』など著書多数。栄中日文化センターで仏教講座を担当。



中日新聞・東京新聞
2024年2月18日(日)から連載開始(毎週日曜掲載)

 


 


風邪を引き続ける国


日本では、いまだにコロナ&インフルが大流行(?)しているという話を聞きます。

それが事実なら、多数回のワクチン接種による免疫機能の低下・阻害が影響している可能性は否定できません。

どの見解が正しいか以前に、少なくともその可能性をも検証することが、倫理(正しい態度)というものです。

接種7回、それでも第10波(止まらない)・・・というのは、医療政策が完全に失敗していることを意味します。もはや指摘するまでもないでしょうが。


「(今回のmRNAワクチンは)打てば打つほど免疫機能を阻害する」というのは、今や多くの人が聞いていること。この場所でも最初からお伝えしてきたことです。

もう一つ考えなければいけないのは、「感染大流行」と言いつつ、これは定点観測の対象となっている指定病院での「検査」によるものであって、「陽性反応者数」でしかないことです。「発症者ベース」ではありません。

「陽性反応者数」が1点あたり20名 ✕ 定点数5000 = 10万人 しかも一週間にわたっての総数。これが本当に大騒ぎ(警戒)しなければいけないことか? 本当に? 

今のように検査による炙り出しをしなかった4年前までは、インフルエンザは発症者数だけで年間1千万人以上。一週間あたり「発症者数で(ゆうに)20万人越え」のレベルでした。それでも社会は受け容れていました。

2024年2月現在、流行っているという報道は聞こえてくるものの、重症者数・死亡者数は未公表。ならば実態はまるで見えません。


※ちなみに定点観測対象の1病院あたり10人以上で注意報、30人で警報レベルというのは、指定病院の病床数を目安とした設定であり、病院側の「病床逼迫」を基準とした設定値です。

これは5類指定に落とすまで、全病床数の(わずか)2%をコロナ病床に当てて「医療逼迫」としていた頃と、基準設定の方法(根拠づけ)は変わりません。指定病院の側から見た(主観的)レベル設定であって、社会全体の利益を考えた(客観的)レベル設定とは、別物です。

「でも周りでも風邪が流行っています」「学級閉鎖にもなっています」という声は聞きますが、だからといって「社会全体が警戒すべきレベル」としていいかといえば、そうとは言い切れません。これは社会が「選択」すべき問題です。

病気は「発症の度合い」で測るべきものです。かつての医療はそうでした。今のように「検査」による炙り出しをもって一律病気とみなすことは、医療政策として正しいのかどうか。

自力で治せる人間まで、検査 ⇒ 陽性反応出た ⇒ 大流行している ⇒ いっそうの予防に努めるべき ⇒ マスクせよ、ワクチン打てと促すことが、正しいか。否、明らかに間違いです。

ひとつは、陽性反応を病気とみなす前提(定義づけ)が間違っているし、予防策としてマスク&ワクチンが有効だというのも、間違いである可能性があります。「止まらない」今の状況は、その間接証拠です。

きわめて軽微、無症状、症状はあっても治る人たちの数までカウントして「大流行」に仕立て上げるのは、「恣意的な選択」であって、倫理ではありません。倫理とは、偏りのない眼で事実をとらえて、「苦しみを増やさない方法」を選択しようとする態度です。

倫理的ではない発言があまりに多かったから、医師・専門家の信用はこの4年でガタ落ちしたのではないでしょうか。



治せる人は自力で治す。

治しきれないリスクがある人は(そうした人たちこそ)医療によって確実にケアしてもらう。

その本筋に戻せばいいだけなのに、まだ新型コロナに始まった過去の過剰な認識と過剰な医療政策を続けようという人々がいます。驚くべきことに、指定病院にはまだ補助金が出ているのだとか。医師会・感染症学会等は引き続き公費負担せよとも言っています・・。

終わらせる(終息させる)という当初の目標はどこに消えたのか。

いつのまにか「終わらせない」ことが目的と化しているかのようです。



ここインドでも、たしかに風邪は流行っています。「冬だから」と人々は言います(拍子抜けするほど当たり前笑)。ケホケホやっている人は、飛行機の中にもいたし、村にもいます。私も至近距離で咳されることもしばしばです(笑)。 が、誰も気にしていません。

「風邪はかかるものだし、治す(自然に治る)もの」という当たり前の常識に戻っています。

日本社会の実情を伝えると(ワクチン7回、第10波、まだ止まらない・・)、みんな目を丸くして驚きます。そして笑います。

どちらがまともかといえば、インドの村人たち(ひいては日本以外の国の人たち)なのだろうと思います。



「感染すれば命が危ない」というのは、よほど老衰が進んでいるか、別の疾患を抱えた人等です。そうした状態にあることを「自覚」した人は用心すべきでしょうが、そうした用心を「治せる人たち」にまで働きかけて巻き込むことは、正しくありません。

社会への負の影響を考慮することが当然だからです。医療「政策」とは、本来そういうものなのです。


誰にとっても最も負担の少ない選択というものがあります。

日本社会だけが、その選択を今なお取ろうとしません。

この国だけが、いまだに「風邪」にかかり続けているということです。


ちなみにインド人の平均年齢は26歳、日本人の平均年齢は49歳です。

毎年、死亡者数の半分未満の数しか生まれてこない(出生者数)自治体も増えてきました。

戦慄するほどの急勾配で人が消えつつあります。いったいこの国は、人々は、どこをめざしているのでしょうか。

日本は国づくりに失敗し続けてきたのだとつくづく思います。


連日のように続く誕生日会 
村の大人たちも集まってお祝い 
みんな笑っている


2024年2月13日


SNSが病気を増やす

(※かつてご依頼いただいたインターネット・メディアの担当者様に、草薙龍瞬から返信差し上げた文面の一部引用です)

 

やはり、SNS(ツイッター ※現X)と同じ価値観でプラットフォームを構築されておられるのですね。

目が傷みます×▽×)

記事あるいは個人と読者とのやり取りに、フォロワー数の表示は必要なのでしょうか・・・。


今の世の中・時代が、人の心に過剰に負荷をかけている一因は、純粋な言論・表現に、逐一数値による評価を押しつける節操なき仕組みにあります。ツイッター(✕)がその最たるもの。「完全に病気」だと個人的に感じています。

人には承認欲があるので、フォロワー数とか視聴回数とかチャンネル登録者数とか、いちいち数値化されると、どうしても反応して、それに応えようとします。結果的に本来の目的(発信・交流・共有)から離れて、過剰に他人の評価を気にせざるをえなくなります。

自分では制御できない範囲にまで、自前の承認欲から妄想を広げて、疲弊し、鬱に落ちていく人は、大勢います。

他人の評価という妄想に快を感じて追いかけている状態がハイで、疲弊した状態がローです。躁鬱とは、妄想が作り出す心の病です。

これは、思考によっては抜け出せません。妄想を解除しないと。その原点にある承認欲を書き換えないと。


もともと人の心には、負荷(ストレス)が過剰に達するまでの許容範囲(限界値)があります。その範囲は人さまざまです。

人さまざまだからこそ、画一的な価値観をもって数値化し評価するしかけを採用することで、適応しきれない人たちが病んでゆくのです。

過剰な数値化によって人の心を扇動することで、一時的には利用者のモチベーションが上がったり、その数値を見て注目する人が増えたりするかもしれません。ビジネスモデルとしては一見成功して見えることでしょう。

しかし、「数値」というノイズが入る限り、情報の真価・本質が見えなくなります。簡単に見抜けること(自分にとっての価値の高低)さえ見えなくなります。

本質を見極めようと思えば、不必要な情報(たとえば経歴・ポスト・評価といった形式的記号)を捨象したほうが、速くたどり着けるものです。今の時代は、本来必要のない刺激と情報(いわゆる煽り)が過剰なために、本質を見極めることが、逆に難しくなっている印象があります。

おそらく貴誌〇〇〇〇様の読者たちは、価値ある情報を掘り起こすために相当なエネルギーを消費しているのだろうと察します。と同時に感情も、自尊心までも。何をコメントするか、自分をどう見せるかを、目まぐるしく計算しながら・・。


現在のSNSの設計は、発信する側にも負荷がかかり、見る側にも負荷がかかります。

その根本的理由は、自己顕示欲をベースに設計しているから。心の病が極北まで進んだ海の向こうの国の価値観(病気)に基づいているからです。同じことをしなくてもいいのに・・・。

数値が価値を持つというのは、一つの価値観。

しかし、数値は無駄(なくていい)というのも、正しい価値観です。

価値観というのは、平等。どちらかだけが正しく、優れているということはありません(価値観そのものは妄想だからです(笑))。


二つの価値観が併存してこそ、価値観が豊かだということになります。さまざまな価値観が併存するプラットフォームを作る場所こそが、多様な価値観を実現する、それこそ「一歩先をゆく」場所ということになります。そうした(まともな)メディアをめざせないものでしょうか。


現時点で、本当に先進的なプラットフォームは、存在するのでしょうか。ないかもしれません。


現代の宿痾(止み難き病)の一つは、自己顕示欲・承認欲を煽り、煽られる仕掛け「だけ」が、唯一価値を持つかのように、社会全体が勘違いしていることにあります。

単純に価値観が貧しいということです。その閉塞ぶりが、人々に過剰な負荷を強いている。

この国の人たちが、みな、単一の価値観の中に閉じ込められているように、私には映ります。

他にいくらでも、生き方・価値観・制度設計はありうるのに、みんな「乗っかる」ことに必死で、別の可能性を探そうとしない。

この国が迷走し続けているのは、別のあり方を想像し、かつ創造する知性が枯渇しているからです。

豊かなようで、きわめて貧しく、先進的に見えて、実はかなり遅れている。なぜなら、この世界のあり方を疑い、別の可能性を提起する知性が、ほとんど見当たらないのだから。みんな、乗っかってしまっている。根底から考えるということをしていない。


と、かように懐疑的なので、今の世界(〇〇〇〇様のプラットフォームも含め)とは一線を引いて活動しています^^。

(略)

私はSNSも一切やっていません。 今の私は、この殺伐とした異常な世界にあって、見えるようで見えない場所にいるのだろうと思います。

それでも本を見つけて、やすらぎを見出してくださる人たちが、たくさんいます。

そうした人たちとつながっていけるなら、それでいいのかなというのが、今の心境です。わざわざ自分から出ていくことも、過剰な数値化を強いてくる歪んだ世界に乗っかることも、まだまだ先の話でいいのかなと思っています(永久にないかもしれません)。

ご案内くださった(貴誌)プラットフォームが、もう少し優しい(というか合理的な)設計であるなら――たとえば、フォロワー数をデフォルトで開示する というツイッターもどきの仕組みを採らないことも選択できるなら^^;)、

この世界で頑張って生きている人たちとつながるつもりで、言葉を発する(執筆を引き受ける)こともあっていいかなとは思います。

現時点では、まだ躊躇する思いのほうが大きい次第です(踏み切るだけの名分がまだ見えない)。時機を待ちたいと思います。


多くの人が自分を語り、自分を見せつけたがる、「見た目、痛い」世の中です。

そんな中で、優しさやまっとうな生き方を貫いて頑張る人たち(ご連絡くださった〇〇様もそのお一人なのでしょう)のことを想って、地道に作品を送り出していきたいと思っています。


2023年2月某日


同じ時代を生きる人に向けて


1月中旬にポッドキャストの収録がありました。


2024年2月公開予定
Amazonポッドキャスト
反応しない練習エクストラ【希望編】
大人になった僕らは今どう生きるか


チーム内で議論もありましたが、素通りすることは、自分の思いから乖離するということで、能登半島地震のことについて冒頭触れさせてもらいました。

今回は残りの内容も、時勢を意識したものになりました。鮮度が落ちやすくなる恐れはありますが、それでも今回は真面目に、社会の現状を踏まえて「希望」を語ることにしました。

今回はポッドキャスト3部作の完結編。告白編、脱走編に続く希望編。かなり真面目に語ってしまいました。なぜ出家したのか、なぜ結局日本に帰ってきたか。よく聞かれますが過去のポッドキャストで答えていなかった部分を、ひと通り話してみました。

最終的に伝えたかったことは、シンプルですが、きわめて大事なこと――

 


人生には希望が大事。

世界が殺伐とした荒野になってしまっても、人間は希望の種をまき続けるしかない。

自分も続ける。新しい場所で希望を育てる活動を近いうちに始めたい。

世界も、人生も、まだまだ続く。

希望をもって、生きてゆきましょう――。


 

心からの願いです。

毎回、アレを話せばよかった、コレはこう話すべきだったと反省が出てくるのですが、時すでに遅し。せめて思いの熱量だけは伝わってくれるようにと祈るしかありません。



本当にこの世界には痛みが満ちています。

これだけ苦しみが溢れているのに、世界は「執着」にとらわれたまま。



限られた時間の中で何ができるのか、歳月を重ねるほど、考えるようになった気がします。




2024年1月25日




世の苦しみが増えるほど


世界に苦しみが増えるほど、自分の命の使い方にいっそう慎重にならねばなりません。

苦しみを増やしている場合ではなく、

自分の内なる苦しみは早めに手放し、

自由になった心を幸せのために使う。

そして、自分以外の誰かの幸せのためにも使えれば、なお理想。


そうやって、苦しみが増えゆく世界に対して、自分にできる範囲で、幸せを一つでも増やす。


そうした心がけがあれば、世の中のバランスが少しは取れるような気がします。
 
 
つつしんでおのれの務めを果たすのみ。
 
生きてゆくのみ。