2026年の活動をそろそろ始動します。
3月の名古屋での講座は2コマとも満席だそうですので、オンライン受講のほうをご利用ください(公式カレンダー内にスクールの情報が載っています)。
草薙龍瞬
草薙龍瞬(出家・著述家)の言葉をお届けするブログです。著作・講座・講演等から ‶生き方として役立つ言葉” を抜粋してお届けしています。*毎週日曜の更新です。*講座最新スケジュールは公式サイト kusanagiryushun.blogspot.com へ
2026年の活動をそろそろ始動します。
3月の名古屋での講座は2コマとも満席だそうですので、オンライン受講のほうをご利用ください(公式カレンダー内にスクールの情報が載っています)。
草薙龍瞬
この場所は、気持ちでつながる場所でありたいと思っています。
生きよう、学ぼう、頑張ろう、新しい可能性を探していこう、という思いで暮らしている人であれば、
いつでも扉を開いています。
この場所とのつながりや、この場所からお届けする言葉が、
一人で生きているよりも、ほんの少し、元気の源や学びのきっかけになると感じる人であれば、いつでも受け入れています。
この場所が苦手とするのは、たとえば、承認欲旺盛で「自分をキラキラに見せたい」的なオーラというか気配が露骨に伝わってくる時とかw、
自分のあり方を見つめるよりも、まだ人のあり方のほうに目を向けてしまっている時などです。
この場所が大事にしているのは、
自分の人生・自分のあり方をどうやって改善していくか、できることはないかを、前向きに探していこうというあり方です。
出口の見えない、怒りの餌にしかならない愚痴とか不満とか批判とか、そうしたあやうい蜜に手を伸ばしてしまうのではなく(世の中にはそうしたあり方を快とする風潮も強いけれど)、
そうしたあり方については、自分の心を漏らしてしまっていると気づいて、あるいは指摘されたときには素直に受け入れて、
誰だって、完璧・完全な人間なんていないし、なれないのだから、
つまらないプライドや自負を捨てて、つまりは素直に、謙虚になって、
せめて、今の自分に何ができるかと考えて、
この日々を少しでも自分にとって納得のいく方向へ近づけていこう、
という明るい方角を見ていこうと思える人を応援する場所です。
この先の世界、本当にどうなるかわかりません。
だからこそ、一人一人が自分の足で立って生きていく必要があります。
2026年1月
いよいよ2025年も師走に突入。
来年の展望は、改めてお知らせしますが、大まかな方針を言葉にしてみると、
子供たち向けの寺子屋活動を軸にして教育系の本を書いていくとか、
講座をペースメーカーにして仏教研究(原始仏典のアップデート)を進めるとか、
子供向けに漫画で仏教や生き方を解説するとか、
絵本を描くとか?
いずれにせよ、生産性をもっと上げないと。しかも新しい方向性に向けて。
◇
そもそもこの場所は、自我や欲望の真逆を突き進もうという変わった場所。
ときおり、オンライン・サロンを開きませんか的な提案や、露出を促すWEBメディアからお声をいただくのですが(とてもありがたいことだと思ってはおりますが=人=)、
そうした場所をのぞいてみると、顔、顔、顔、顔、顔・・・みんな晴れやかでにこやかで、ワタシ頑張ってます(キラキラ☆)感全開で・・
ああ、それだけで気疲れしてしまいます(笑)。
今の時代は、SNSも含めて、どこも「見て見て」意識で作られていて、そうした自意識がお金になっていて。
自意識からの自由をめざすこの場所とは、根底にある価値観にズレがあるような気がします。
この場所は日陰が好き。裏道が好き。石の下にうじゃうじゃと身を寄せるダンゴ虫的な世界を好むのです(笑)。
この場所は、時代からも、世間からも遊離した場所。
「入った途端に違う世界を感じる」ような、それくらいの場所をめざしてもよいのかもしれません。
この世にあって、この世を越えた場所、
この世にあって、この世に見つからない場所。
寺子屋の跡地を尋ねて昔を想うように、
「昔はこんな場所もあったのかもしれないね~~」的に遠い目をして想像してもらえるような、
今の時代にあって稀有な、ある意味実在感のない不思議な、人里から遊離したような場所であってくれたらとも思います。
2025年12月
<おしらせ>
11月1日(土)18:00~21:30
座禅会
11月2日(日)18:00~21:30
特別講座 仏教で思い出そう「あの日の幸福」を
*詳しくは公式カレンダーをご覧ください。
*東京での講座は年内最後となる可能性があります。
◇◇◇◇◇◇
東京も急に寒くなりました。
サラ(猫)の家も冬仕様に(ボックス内に毛布を敷く。今年は素直に入ってくれました)。私も冬物を取り出しました。
そろそろ新しいものを買っていいかなと少し探しましたが、安いものは、ぜんぶ売り切れ。後はお金持ち、あるいは服にお金をかけていい人向けの、出家目線からすると見上げてしまうような値段の代物。
とはいえ実際の額を言えば、全然高くなくて笑われてしまうかも。
この貧乏性というかしみったれ根性は、育ちのせい。
考えてみたら、十代も貧乏。二十代も貧乏。三十代も貧乏(というか出家してからは無収入)。
四十代で日本に帰ってきて、貯金通帳見たら2万円しか残っておらず、転がり込んだ部屋に、段ボール箱で机作って、魚屋でもらった発泡スチロール箱に百均で買った氷入れて簡易冷蔵庫にして(冬は窓の外に吊るせば足りた。自然冷蔵庫w)。
当時の私に同情してくれたのか、ある人がチャージ入りのSuica(交通IC)をくださった。改札通るのもドキドキ(いよいよ妄想ワールドに突入した気がした)。
冬に毛糸の帽子をくれた人もいた。おおお!(あたたかくて感動)
冷蔵庫をくれた人もいた。これで夏もひと安心。
電子レンジをくれた人もいた。冷たかったものがチンすれば湯気を立てる。マジック(魔法)!
2度目か3度目かの冬に、灯油ストーブを買った。寒い冬の朝に「ボッ」と火がつくあの感動。
安いトースターを買った(安売りで2000円だったトースターを奮発)。みるみるこんがり焼けていく姿に感動(なぜか縄文時代の暮らしを連想した。それだけ感動したということらしい)。
一番ドキドキしたのは、百均でゼムクリップを買った時。どうせ全部使わない。なのに買う? 百円がものすごく贅沢に感じる・・「許される? 許されない? 許されるよね?」と自問自答してようやく購入。
いくつかのこんな鮮明な感動が記憶に残っています。いや、よく生き延びた――。
※ちなみに、なぜそこまで??と思われるかもしれない半生については、ただいま連載中の『ブッダを探して』で少し触れていく予定です(来年2月連載終了)。
貧乏性のDNAは入れ替わるわけではないので、この先も貧乏性で生きていくことになると思います。
なので、冬服も同じものを。まだまだ使えそう。どうせ春になるし。
「どうせ春になるし」は、冬を凌ぐための出家のキラーワード。2年前に札幌に行った時に、東京と違ってずいぶん寒く、古着屋に行ったら冬物ジャケットが1500円。
500円なら、あるいは1000円までだったら買っていたかもしれない・・でも1500円というビミョーな値段。こういう「ガラスの天井」が多い。ものすごく多い。
どうしようかな・・と思案した時に浮かんだのが、「どうせ春になるしな」という言葉。
で買わずにしのいで、結局、本当に春になったのでした! すごい!
ここから秋、冬と旅が続きます。寒さを噛み締めることにも妙な至福を感じてしまう(>w<*)のが、出家の性分です。
どんな寒さに出会えるか、と想像すると胸がときめきます。
年々短くなるであろう日本の秋と冬を愛おしみましょう、みなさん(誰に呼びかけてんねん)。
2025年10月中旬
いや、娑婆(世俗)の世界は本当に疲れます。いろいろと考えなければいけないことが新たに出てきていることもあり・・。
出家というのは、ほんとは娑婆の世界に降りて(?)きてはいけない種族のような気もします。
でも山奥にひきこもれば解決ということにはならなくて、自分自身に解決すべき問題は残っていないので、やっぱり「新たな可能性を創る」ことくらいしか命の使い道はなく、
そうなると、やはりやれることというのは、今やろうとしていることで、
やろうとすると、こういう苦労も背負わざるを得なくなって、
苦労というのは背負える限りは背負う(ことがあってもいい)もので、
背負う限りは、「大変だけれど、そういう時期」として受け止めるほかないもので、
結局は「そういう時期なんだ」という思い(諦念)をもって受け止めて、
やっぱり歩ける限りは歩く・・という今の姿に落ち着くので、
最後は「これでいいのだ」というバカボン的心境に落ち着くのでありました。
めでたし、めでたし?
2025・9・23(そうか、祝日か・・)
9月13日(土)の自己ベストの生き方&働き方を考える(学習会)の質問・相談内容を引き続き募集します。
サティの力を鍛えると、睡眠を一切とらなくても長期にわたり活動を維持できます(経験上1週間くらい?)。
でも肉体はそうはいかないらしく、心臓の鼓動がヘンになってきます笑(笑っていいのか?)。
来週前半は、愛知・高蔵寺と栄で講座があります。お近くの方はどうぞいらしてください。
◇
今がつらい人へ――
つらい時期というのは、「そういう時期なのだろう」と受け止めて、日々を歩いていくほかありません。
人生には、何度かそういう「しんどい」時期が来るのでしょう。
そして、人間(他人)には期待できない、ということも、改めて思い知ることになります。
「(娑婆の現実を生きるとは)そういうものだ」ということです。
だからこそ過剰に反応せず、人に求めすぎることなく、自分にできること・必要なことを粛々淡々と進めていくのみです。
ままならない現実の中にあって、できる範囲で理解を求めて闘い続けるということです。
できることがある限りは、私も闘いを続けます(独りではありませんよ)。
この世は天国ではありません。人間とはどういう生き物かを学ぶ場所なのです。きっと。
2025・9・11
ここ一週間は、怒涛の忙しさ。生きるというのは、矛盾まみれの支離滅裂。
このブログも、全国行脚の続きとか、子育て論とか、さまざまな話題を用意しているのですが、まとまった時間が取れず。
音沙汰がないと心配する(?)人もいるかもしれないので、生きていますと報告する程度のおたよりをお送りしている次第です。
◇
講座の本格的再開は、来春になるかな、と思っています。「ブッダの生涯」(原始仏教)をやるか、「大人の寺子屋~言葉で生きる(言葉で人生を作る)」講座(通信添削つき)をやるか、それとも両方やるか。
できることはやる。「やりたい(それを望む)」からではなくて、自分にできて、しかも価値がある(役に立つ)可能性があるなら、まずはやってみる。
与えられた時間は、可能性に挑戦する時間。いや、挑戦というより、やってみる程度の気楽さでいい。
できそうだから、やってみよう――その思いでやろうとしているのが、この先の活動です。
自分にとっては、命を使い切ることであり、
人にとっては、なにか役に立てることであり、
それは、苦悩を減らし、幸福を一つでも増やすことであり、
ある程度の年季を経た今となっては、「未来を育てる」という方向性に向かうことでもあります。
生きるというのは、必要なこともそうでないことも、価値あることもそうでないことも、バラバラに同時進行で背負うこと。整理しきれるものではないし、選び取れるものばかりでもない。もともとそういうものなのでしょう。
雑多な出来事を、それでも心のバランスを失わずにやっていけるのは、「この手を使ってできること」という確かな輪郭(限界)があるからです。
この手を使ってできることだけが、できること。
手を使ってもできないことは、現時点ではできないし、やらなくていい。
そういう線引きをはっきりさせていれば、外の物事が雑多かつ混乱しているとしても、心そのものは混乱しない。
この場所は、これからも、やれることを淡々粛々とやっていきます。
以上、近況報告でした。
2025・8・23
この季節になると、多くの人たちと同様に、「人類は滅びるのではないか」という懸念がよぎり始める。それくらいの猛暑だ。
今は、茹でガエル現象の途中。そのうち大気が沸騰して、水が枯渇し、農作物が枯れ、何十億人もの人間が、熱死するか餓死する。
それくらいの温暖化が顕著に進んでいるのに、奇妙なことに、誰も文明のシステムを見直そうとしなくなったように見える。人の価値観も行動様式も、気候変動が始まる前と変わらない。むしろ退化したかもしれない。大量消費と廃棄と炭素排出。まるで何も問題が起きていないかのように、人々は環境の変動に無関心になった。ひと昔まえのほうが「このままでは危うい」という警告のシグナルが強く点灯していた気がする。
マクロで見れば、気候変動に取り組もうという国際的機運は、ほぼ消失した感がある。どこを見ても、戦争か武力衝突。ばかすかミサイルを撃ち込んで、破壊だけでなく、その分大量に酸素を消費し、炭素を大量に排出し続ける。ウクライナ戦争だけでも排出量は爆上がり。大気の高温化に拍車をかけているはずだが、気にかけるという発想さえ枯れつつある気もする。
こんな世界が、あと百年と続くと、誰が楽観できるだろう。
外の環境に関心を持たなくなった時が、ひとつの文明の転換期なのかもしれないとふと考えてしまう。
◇
ひるがえって個人的な話題といえば、毎年夏になると、生活のパターンを微調整する。ここからは、人類がまだしばらく続くことを前提とした話。
滅びゆく世界の中でも、個人の生活自体はほとんど変わらない。私もまた能天気な茹でガエルの一匹であるには違いない。
まずは定期券を買う。これは昨年から始めたこと。で、お目当ての場所に通う。電車の中は空調が効いている。快適な読書空間を満喫する(茹でガエルは実に罪深い。結局、自分のことしか考えないし、動こうともしないのだ)。
地上に出る。車窓の外に、夏の青い空が広がっている。
医学書院が発行する『看護教育』No.66(2025年第4号)巻頭インタビュー記事 で取り上げていただきました。
十年間続いた看護専門学校での講義について。
『看護教育』は、分厚く、隅々まで良質な情報満載の専門誌です(その内容充実ぶりにびっくり)。
看護というのは、私の眼から見ると、尊いけれど、じれったい、もどかしい業界だったりします。
看護なくしては、生きていけない人がいる。看護は世界が回っていくためにか欠かせない大事な仕事。
とはいえ、現場の看護師さんは、もう限界。患者の数も業務の量も増えているのに、看護師の数は増えないし、地位や待遇は上がらない。
無理なものは無理と言っていいし、改善すべき点は改善せよと上に突き上げていい(はず)。
どれほどの理不尽・非合理が、看護の現場に蓄積されているか、見える部分は明らかに見えているのに、
みんな忙しすぎて、優しすぎて、いい意味でも悪い意味でもタフ過ぎて、なかなか気づかない。気づいても声を挙げられない。闘うために動くことができない。
大変であることはみんな実感しているのだけれど、現場の声が集約されない。
「そこまで背負わなくていいですよ」と言いたくなるし、でも、看護師さんがいなければ途端に頓挫してしまう現場の実態もあるし、その点では尊いし。
だからこそ、うーん、うーん(いいのかな、なんとかしてほしいな、なんとかできないものかな、でもみんな頑張っちゃうんだな、偉いな、でも気の毒だな・・)という思いが回り続けて、
でもそんな自分は、ただの坊さんでしかないしな、というところにずっとい続けているという状況です。
坊さんというのは、いろんな分野に通じる ”心の使い方”(智慧)を伝えることはできるけれど、すべての分野について外様(とざま:部外者)であるという疎外感・淋しさを脱することができない仕事。
問題が見える割には、何もできない・・私の場合は、全方位に向けてずっとそんな感じなのだけれど、
中でもひときわ、背負わなくていいものまで背負っている、でも背負わなければ回っていかない、そういう現実を垣間見て、もどかしく思い続けているのが、看護の世界です。
心優しき全国の看護師さんたちみんなと、つながることができたらと願っているのだけれど。
7月は、大阪・看護専門学校での講義に始まり、市民講座や企業向けの講演や奈良入りや名古屋での講座を経て、東京での久しぶりの個人相談会&坐禅会、さらには連載中の原稿&イラスト描きと、かなり忙しい時期が続いて、
昨日、7月ラストの坐禅会が終了して、ようやく一息(といいつつ実感としては半息くらいだけれど)つけるようになりました^^。
昨日夜の坐禅会は、みんな久々に来てくださったのに、それぞれの近況を聞き損ねてしまいました。申しわけなかったな・・と思います。今度一人ずつ感想・近況を聞くようにしましょう。
でも、みなさんのお顔を見ることができて、よかったと思います^^。
個人相談会も、いろんな人と有意義な時間を過ごせました(今回は昼夜開催だったので、合計10名)。十代の若い人も、人生の締めくくりを一緒に始めようという人も、関西から来た人もいました。
相談内容もほんとに個性的。一人一人が、まったく別の課題に向き合っている。そうした人生の大事な場面にご一緒できることは、とてもありがたく、幸せなことです。前に進んでもらえたらと思います。
9月にも、個人相談会と坐禅会、生き方勉強会を開催します。いずれも、毎回かなり有意義な時間になっています。
前に進みたい人は、ぜひいらしていただければと思います。
2025年7月
今日は文京区の〇〇書院を訪問。医学・看護の専門書籍を発行する最大手だけに、威厳ただよう上質な建物。
看護教育という月刊誌の巻頭インタビュー記事のご取材をいただいた。
毎回だけれど、カメラに向かって笑ってくださいというのが難しい。「演技でいいです」というが(そりゃそうでしょ(笑))、演技は妄想しないとできないから、これも難しい。
医療・看護における倫理とは何か。従来の教科書や専門書は、哲学、歴史、最先端医療、現場の課題、事例研究など、ごった煮状態。
現場で何が必要とされているか、役に立つのか、という実際的な問題意識もなく、「なんとなくこういうものでしょ」レベルの内容で続いてきたのが、医療倫理・看護倫理だったように思える。
「答えが出ない問いだ」なんていう能天気な声も聞く。だが人生は有限で、まして医療・看護・救急救命の現場は一刻を争う選択を迫られている、
そういう現場において、人を救うための「ただ一つの答え」を出さねばならない。それが倫理というものだ。
どんな分野にも当てはまることだが、「見落としてはならない(絶対に見えていなければならない)」ものがある。
だが案外、どの分野においても見落としが多い。医療・看護の分野は、その見落としがひときわ多い印象がある。
言われるまでは思いつかないが、言われてみるとたしかにそうだ・・と思わざるを得ない視点・発想・手順がある。
そういう意外ではあるが、絶対に欠かせない、「現場で見えていなければいけないコレだけのこと」を視覚化・言語化したのが、私が伝えている倫理。
仏教の視点や構造的思考を活かすと、いろんな分野に応用が利く。
「心の使い方」という新しい視点で仏教を再構成・体系化して本に著したところ、「言われてみるとたしかにそうだ(これが本来の仏教か)」と、多くの読者さんが受け入れてくださったように、
今伝えている看護の技法(倫理)も、「たしかにそうだ」と、現場の医師・看護師さんに納得してもらえたらと思う。
今は小さな場所で伝えている”看護の技法”が、いつか医療・看護の一つのスタンダードになってもらえたらという思いもなくはない。
社会において、いつ、どこまで共有してもらえるかは、因縁によるものだから、執着しない(そもそも体一つの人生は短すぎて、そこまで意図を広げる余裕もない)。
ただ、今の時代・この社会において、案外見えていない部分、見つかっていない部分、でも掘り起こして見せれば「たしかにそうだ」と思わざるを得ない部分は、実はかなり残っているから、
そういう部分を最初に掘り起こすことが、この命の小さな役割なのだろうと思わなくもない。
仏教、看護、その次は教育だ。実は掘り起こされていない可能性がある。これを最初に発掘することを、この命の役目として引き受けようと思う。
2025年6月3日
某看護専門学校の講義にて:
「患者と同じ感情を持つ(共有する)こと」「看護師が感情を抑制して、患者を喜ばせてあげること」といういわゆる「感情労働」が必要だと書いている人がいました。大きな間違い。
「理解」と「共感」は違います。患者と同じ感情になって喜んだり悲しんだり怒ったりというのは、看護に必要ありません。状況によっては、そういう姿が、患者を喜ばせる・癒やすことはありえますが、そこまで求められては、看護師が疲弊してしまいます。
「感情労働」「感情規則」というテーマは、今後も出てきます。看護の業界で最も誤解されているところ。もともとホックシールドというアメリカの学者が提唱したものですが、「キャビン・アテンダント(スチュワーデス)には感情労働が必要だ」と言いだしたのです(1980年代)。
乗客の理不尽な要求にも、平静に笑顔で対応しましょう、そうやって乗客の満足度を上げて、利益を上げましょう(そしたら給料も上げてあげます)という経営者目線で言い出したことなのです。組織のマネジメントとして採用されて、研修内容になって、あっという間に広まりました。
これが、CAと似ている(と勝手に思われてしまった)看護師・介護士などにも当てはめられた(いい迷惑)。
相手の感情に寄り添うことが大事だ、こっちの感情はコントロールすべきだ、感情労働頑張れ、我慢しろ、いつだって明るくスマイル、看護師は白衣の天使、微笑みと慈愛をふりまく聖職者たれ――という話になっていくのです。「患者の前で泣いてはいけない、泣くならトイレで泣きなさい」・・・おいおい。でも本気みたい。調べてみてください。
ちなみにここから、アンガー・マネジメントというストレス管理の発想につながっていきます。結局、ストレスを強いられる側が努力しろという発想。いや、それはおかしい。コントロールとかマネジメントだけでは片づかないよ、という理由で登場したのが、草薙龍瞬著『怒る技法』マガジンハウスです。19日に学校で講演やりますw。
なんで患者の感情にあわせなきゃいけないの? 理解してあげることは人として大事だけれど、理不尽な相手にも怒っちゃいけないとか、優しくケアして患者の感情を「操作せよ」だなんて・・「やってられない」と思いませんか?
あきれた患者にも感情を出さずに優しくケアしましょう--なんていう勘違いがまかり通ってしまったから、看護師さんはみな苦労を強いられているのです。
看護師に真の尊厳と敬意を。皆さんはプロ中のプロ(高度な専門職)です。しなくていいことは、しなくていい。イヤな患者(暴言・八つ当たり・わがまま・セクハラetc.)には怒って当然。毅然と対処すべし。
感情は要らないのですよ。もっと大事なことがある。理解すること。心と体。苦しみとその原因。原因を取り除く方法――こういうところを正確に理解して、適切なケアを提供する。
それができれば十二分。看護師は天使じゃない。プロです。
見るべきものが見えるプロになれば、それで上がり(満点)です。違いますか?
2023年9月某看護専門学校にて
春の日の法要に足を運んだ。今回の霊園は、無宗派・無宗教の人の墓も扱っているとあって、墓石はバラエティに富んでいる。御影石、大理石、黒曜石と材質は様々で、カタチもユニーク。故人が選んだメッセージを刻んだ墓もペットの墓もある。
海外の仏教国では遺灰を土か川に戻して終了だ。墓石は日本独自の伝統だが、子々孫々のつながりの象徴としての墓は大事にしていいものと思う。
今回の故人は自然葬を選ばれた。青い芝生の上に、直径十五センチほどの丸い穴が二つ。そこに係の人が遺灰を入れていく。さらさらときれいな白い故人が土に還っていく。芝生の蓋で丁重に閉じた。
その前で私は額づいて礼拝する。この日より始まる新たなつながりが久しく続くようにと。
故人を作っていた物質は土に還る。そのうち分解されて土へ植物へと姿を変えてゆく。いつしか命の連鎖に組み込まれて、はるか未来には別の命に宿っているかもしれない。すべての命は法縁(つながり)の中にある。
もし故人の姿が、生者の心に愛おしい姿で宿ってくれるなら、故人の命は形を変えてなお続くことになる。肉体は土に帰っても、生者の心の中に生きていく。
特に遺すべきは、旅立った命が懸命に生きた姿だ。たくさん苦労もしただろう。悲しい出来事もあっただろう。だが新たな命を育てて人生を全うした。命としての尊い勤めを終えたのだ。その奇跡に生者たちは尊敬と感謝を。
そして自分たちもまた幸福をめざして十二分に生きねばならない。その覚悟を墓の前で新たにするのだ。
生きていた間の苦しみは、死んだ後に持っていくことはできない。ブッダが語った八つの苦しみは、現実を生きる中で生まれる。心か体の苦しみだ。
だが体を作るものが自然に還り、それまでの心がほどけた後には、苦しみは続かない。つまり命の終焉は、やすらぎへの回帰だ。人の苦しみは永久には続かない。死をもってやすらぎに還る。あとはつながりの世界へ、目の前に広がる自然へと還っていくのみだ。
広い世界を見渡してみれば、日が登り、月が輝き、星々がきらめいている。青い空に流れる雲にほとばしる清流に海がある 無数の緑が今も呼吸をしてこの星は凄まじい速度で回り、宇宙を旅し続けている。
広い世界を見渡せばわかること。どこにも苦悩は存在しないということ。過去数えきれないほどの命が自然に還っていったが、その苦しみはどこにも見当たらない。それが命の帰結なのだ。澄明とやすらぎが待ってくれている。
※興道の里アーカイブ(過去の活動記録)から
2025年5月28日
九州・博多訪問決定
8月 2日 (土曜日)⋅13:30~16:30
勉強会~仏教でこれからの生き方を考える 日本全国行脚2025九州
今年で13年目の草薙龍瞬・夏の日本全国行脚。九州博多を訪問します。参加者からの質問に答える形で内容を構成します。これからの生き方、働き方、夫婦・親子の悩み、子供の進路や学び方など、幅広いテーマを取り上げます。
参加希望者は、①お名前(実名) ②簡単な自己紹介 を koudounosato@gmail.com まで。折り返し当日の会場の場所を含む案内をお送りします。
参加費2000円(※経済的ご負担の大きい方はお気持ちでかまいません)
※子供が同伴する場合は勉強道具・本などを必ずご持参ください)。乳幼児の同伴は歓迎します(途中退室も自由です)。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今年も夏の日本全国行脚を開催します。
北は北海道、南は沖縄まで――お声かけていただけるところに、草薙龍瞬がうかがいます。
○仏教に触れたい(講座・勉強会・座禅会などを開きたい)
○法事をやってほしい
○個人的に相談したいことがある
など、お気軽にご応募ください。
夏の全国行脚は2013年から。今年で13年目に入ります。
よき夏の思い出作りに、
お一人では解決できない物事を解決するために、
止まっていた人生を前に進めるために、
ぜひご活用下さい。
◆◆◆◆◆◆◆
<訪問地募集>
期間 7月9日から9月15日まで:
7月9日(水)~21日(月祝) 西日本 近畿・中部・ 山陽・山陰
7月26日(土)~8月3日(日) 四国・九州
8月9日(土)~17日(日) 関東・東北・北海道
8月23日・24日(土・日) 北陸・甲信越
8月30日(土)~9月7日(日) 沖縄
◆◆◆◆◆◆◆
<確定済みスケジュール>
※スケジュールは、確定次第、公式ブログ内のカレンダーで公開します:
7月9(水)・10(木)・11日(金)
南大阪・看護専門学校特別講義(3日間)
※医療従事者で見学をご希望の方はご連絡ください。詳細をお知らせします。
9月15日(月祝)
愛知・高蔵寺 特別講座 仏教で思い出そう「あの日の幸福」を
◆◆◆◆◆◆◆
<全国行脚への応募方法>
1)応募のご連絡
下記をメールでご連絡ください:
①お名前
②ご住所
③連絡先(携帯番号)
+
④訪問を希望する場所
※およそでかまいません。「自宅を希望」「〇〇という公共施設の使用を考えています」等)
⑤訪問希望日
※「〇月〇日から〇日までの間」「〇月〇日を希望します」など、およその日程をお知らせください。
⑥応募理由
※「仏教の勉強会を開きたいです」「〇〇について相談したいことがあります」「親族を集めて法事を執り行いたいです」等
※初めて応募する方は、詳しい自己紹介をお願いします(仕事・日頃の生活・課題などなるべく具体的に)。
※勉強会については、会場を手配していただくことになります。告知は興道の里でも行います。
※個人相談をご希望の場合は、相談内容をなるべく具体的にお知らせください。内容をふまえて訪問の可否を検討します(さまざまな用事を調整して最終決定しますので、必ずお応えできるわけではありません。あらかじめご了承ください)。
※①から⑥までの記載が不十分・不明瞭な場合は、返信差し上げておりません。あらかじめご了承ください。
2)興道の里からご連絡
*ご応募内容を興道の里のほうで検討し、お応えできる可能性がある場合は、興道の里事務局から折り返し案内メールを差し上げます。
*全国行脚期間中は、直前のご連絡でも、スケジュール調整が可能であれば対応しています。いつでもご応募ください。
3)訪問日・場所の確定
*ご連絡をいただいてのち、事務局と応募者との間で、訪問場所・日時等の詳細を確定していきます。
*講演・勉強会など公開企画については、公式ブログ内のスケジュールに掲載するとともに、一般向けにも告知いたします。
4)予定日に訪問します
◆◆◆◆◆◆◆
<その他>
*いずれも真摯な動機・意欲が伝わってくることが条件となります。
*勉強会の内容は、仏教・子育て・働き方・心の健康・十代の生き方&勉強法など、ご希望に応じます。開催規模の大小は問いません。
*個人相談については、相談内容の詳細をお知らせください。内容によっては、ご要望にお応えできない場合がございますので、あらかじめご了承ください。
*勉強会・講演の告知用の文面・タイトルなどは、主催者(応募者)からもご提案いただけます。興道の里もお手伝いしますので、お気軽にご相談ください。
*当日の参加費またはご負担のない範囲のお気持ち等で、交通費・宿泊費を調達します。旅の途中に立ち寄るという形式を取りますので、正規の講演・講座のような一定額のご負担を求めるものではありません。お気軽に、ご負担が過ぎない範囲でご協力ください。
ご応募・お問い合わせは、メールで koudounosato@gmail.com までお寄せください。
お応えできる可能性がある場合は、折り返し詳細を記した案内をお送りします。
・・・・・・・・・・
夏の日本全国行脚は、毎年たくさんの出会いと学びを得られる貴重な機会になっています。
お気軽にご応募ください。
充実の夏をめざして
現地でお会いいたしましょう
興道の里・草薙龍瞬
さあ、夏が始まるよ!
(猛暑にだって負けないよ!)
一般公開
2025年5月12日