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やれることをやる


ここ一週間は、怒涛の忙しさ。生きるというのは、矛盾まみれの支離滅裂。

このブログも、全国行脚の続きとか、子育て論とか、さまざまな話題を用意しているのですが、まとまった時間が取れず。

音沙汰がないと心配する(?)人もいるかもしれないので、生きていますと報告する程度のおたよりをお送りしている次第です。



講座の本格的再開は、来春になるかな、と思っています。「ブッダの生涯」(原始仏教)をやるか、「大人の寺子屋~言葉で生きる(言葉で人生を作る)」講座(通信添削つき)をやるか、それとも両方やるか。

できることはやる。「やりたい(それを望む)」からではなくて、自分にできて、しかも価値がある(役に立つ)可能性があるなら、まずはやってみる。

与えられた時間は、可能性に挑戦する時間。いや、挑戦というより、やってみる程度の気楽さでいい。

できそうだから、やってみよう――その思いでやろうとしているのが、この先の活動です。


自分にとっては、命を使い切ることであり、

人にとっては、なにか役に立てることであり、

それは、苦悩を減らし、幸福を一つでも増やすことであり、

ある程度の年季を経た今となっては、「未来を育てる」という方向性に向かうことでもあります。


生きるというのは、必要なこともそうでないことも、価値あることもそうでないことも、バラバラに同時進行で背負うこと。整理しきれるものではないし、選び取れるものばかりでもない。もともとそういうものなのでしょう。

雑多な出来事を、それでも心のバランスを失わずにやっていけるのは、「この手を使ってできること」という確かな輪郭(限界)があるからです。


この手を使ってできることだけが、できること。

手を使ってもできないことは、現時点ではできないし、やらなくていい。


そういう線引きをはっきりさせていれば、外の物事が雑多かつ混乱しているとしても、心そのものは混乱しない。

この場所は、これからも、やれることを淡々粛々とやっていきます。


以上、近況報告でした。



2025・8・23

『怒る技法』オーディオブック配信開始!

 

いよいよ『怒る技法』オーディオブックの配信が始まりました(2025年8月1日)。
 

『反応しない練習』『これも修行のうち。』『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』に続く、

著者・草薙龍瞬による朗読シリーズ、第4弾です。
 

いつものように、ついついサービス精神(←慈悲の心の世俗バージョン)で、笑える(←本人は後悔する)演出や、ボーナストークの特典もついています。楽しくて役に立つ、充実のトラック。

本とは違う臨場感が味わえるはず。活字だけでは読み取れない深いニュアンス(意味合い)も、声を通してなら伝わります(聴く側からすれば、「そうか、そういうところを伝えたかったのか」という)。


足かけ1年半以上・・ずいぶん時間がかかりました。手がけてくださった皆さま、ありがとう!

ここからアクセスできます(←クリックしてください: 試し聴きもできる様子です^^)

いざ発進(配信)!


怒っていい。でも正しく

今の時代に伝えなければいけないことを、
著者一杯の思い(応援)をこめて



2025・8・1
 


博多に行きます~8月2日(日本全国行脚2025)


草薙龍瞬の夏の全国行脚2025博多入り、まもなくです。

毎年恒例の内容充実の特別講座(勉強会)です。この日この場所でしか得られない数多くのヒントが見つかります。

予約無しでも参加できますので、当日のご都合があう方はぜひいらしてください。

当日および翌日は九州に滞在します。個人的な相談がある方はお声がけください。

<日時>
2025年8月2日(土)
13時30分~16時30分

<会場>
福岡市内の公共施設(ご連絡くださった方にお知らせします)

<内容>
今年で13年目の草薙龍瞬・夏の日本全国行脚。九州・博多を訪問します。参加者の質問・関心に答える形で内容を構成します。これからの生き方、働き方、夫婦・親子の悩み、子供の進路や学び方など、幅広いテーマを取り上げます。仏教の考え方をフル活用しますので、内容は幅広く、かつかなりディープです。

<参加費>
1組 2500円

※1組=家族3人まで
※経済的ご負担の大きい方はお気持ちでかまいません
 
<その他>
*乳幼児をお連れの方を歓迎します(途中退室も自由です)。
*小学生・中学生が同伴する場合は勉強道具・本などを必ずご持参ください(ゲーム・タブレット等の電子機器は禁止です)。

*終了後に希望者に向けて個人相談の時間を設けています(希望者数によりますが、お一人20分ほどを目安とします。希望者はお声がけください。

<個人相談>
*当日および翌日以降は九州&西日本を回ります。個人的に相談したいことがある方は別途ご連絡ください。


全国行脚縮小版.png
さあ行くよ!


2025年7月27日
・・・・・・・・・・・



言葉にならない時間

この季節になると、多くの人たちと同様に、「人類は滅びるのではないか」という懸念がよぎり始める。それくらいの猛暑だ。

今は、茹でガエル現象の途中。そのうち大気が沸騰して、水が枯渇し、農作物が枯れ、何十億人もの人間が、熱死するか餓死する。

それくらいの温暖化が顕著に進んでいるのに、奇妙なことに、誰も文明のシステムを見直そうとしなくなったように見える。人の価値観も行動様式も、気候変動が始まる前と変わらない。むしろ退化したかもしれない。大量消費と廃棄と炭素排出。まるで何も問題が起きていないかのように、人々は環境の変動に無関心になった。ひと昔まえのほうが「このままでは危うい」という警告のシグナルが強く点灯していた気がする。

ミクロの人々が見ているのは、どこにいてもスマホ。小さな画面以外は「どうでもいい」こと。度を増す高温に嘆息を吐きながらも、気にしているのは自分にとっての不快指数だけ。


マクロで見れば、気候変動に取り組もうという国際的機運は、ほぼ消失した感がある。どこを見ても、戦争か武力衝突。ばかすかミサイルを撃ち込んで、破壊だけでなく、その分大量に酸素を消費し、炭素を大量に排出し続ける。ウクライナ戦争だけでも排出量は爆上がり。大気の高温化に拍車をかけているはずだが、気にかけるという発想さえ枯れつつある気もする。

こんな世界が、あと百年と続くと、誰が楽観できるだろう。

殺し合うことを人類がやめようとしなくても、そうした愚行を可能にする地球環境そのものが破綻するかもしれない。このまま高熱化が進めば、近い将来、どうしたって生存不可能になる時期が来る。地球の大気が茹で上がる。どこにも逃げ場はない。


外の環境に関心を持たなくなった時が、ひとつの文明の転換期なのかもしれないとふと考えてしまう。



ひるがえって個人的な話題といえば、毎年夏になると、生活のパターンを微調整する。ここからは、人類がまだしばらく続くことを前提とした話。

滅びゆく世界の中でも、個人の生活自体はほとんど変わらない。私もまた能天気な茹でガエルの一匹であるには違いない。

まずは定期券を買う。これは昨年から始めたこと。で、お目当ての場所に通う。電車の中は空調が効いている。快適な読書空間を満喫する(茹でガエルは実に罪深い。結局、自分のことしか考えないし、動こうともしないのだ)。

地上に出る。車窓の外に、夏の青い空が広がっている。





夏の光と大気の暑さと。狂暑とさえいえる暑さではあるが、これもまた今年一度きりの夏の姿ではある。なお道を歩く時は、多少の暑さには目をつむり、夏の風情に心の感度をチューニングする。これぞ夏だ、ということをしっかり感じ取る。

電車の外に、巨大な東京スカイツリータワーがそびえ立っている。あのタワーは、私がいなくなった後も、百年後でさえも、同じ姿で屹立しているのだろう。今見ているのは、未来でもあるわけだ。



80年前の大空襲で亡くなった人たちも、焼け野原に立ち尽くしていた人たちも、その後一度も戦火を交えなかった東京が、ここまで復興して、こんなにもバカでかいタワーが出現するとは、夢想だにしなかっただろう。

戦争さえしなければ、街を破壊しなければ、これだけの繁栄が現れる。変わらない世の中への不平不満は続くにしても、退屈ではあっても、やはり平和のほうがいいに決まっている。激動なんてなくていい。平凡で少し退屈なくらいの日常が、百年、千年と続いていくほうが、はるかによいはずである。

人は人としての生涯をまっとうできるだけで十分なのだろうと思う。生きて、働いて、遊んで、ときには退屈をもてあまして、いっとき家庭を持って、新しい命を育てて、時期が来たら静かに身を退く。それだけで十二分。激動の十年よりも、退屈凡庸な百年のほうが、きっと価値はある。

この世界は、私という茹でガエルが一匹いなくなっても、きっと続いていくのだろう。遠い未来には、人類もこの地球も宇宙にも、やがて必ず終わりが来て、その後は果てしない虚無が永劫続く定めだとしても、人類という種は、もうしばらくは続く可能性が残っている。

今見ているこの夏の景色は、あの戦争を生き延びた人にとっての未来に当たる。80年分の過去を振り返って平和の証を見届けていることにもなる。今を生きる自分なき後の未来を見ている部分もある。

未来でもあり、過去でもあり、今でもある。今見えるのは、純粋に美しい青と光と、夏らしき暑さ。いろんなものを見ている今が、ここにある。言葉できれいにまとめることのできない「何か」。

きっと本当に美しく、せつなく、愛おしいものは、言葉にならない。「生きている」としかいえないもの。生きているとは、そういう時間。今がその時。


夕暮れの隅田川 いつもの景色のはずだが、未来を見ている気にもなる



2025年7月末




『看護教育』

医学書院が発行する『看護教育』No.66(2025年第4号)巻頭インタビュー記事 で取り上げていただきました。

十年間なんとか続いた看護専門学校での講義について。

『看護教育』は、分厚く、隅々まで良質な情報満載の専門誌です(その内容充実ぶりにびっくり)。


看護というのは、私の眼から見ると、尊いけれど、じれったい、もどかしい業界だったりします。

看護なくしては、生きていけない人がいる。看護は世界が回っていくためにか欠かせない大事な仕事。

とはいえ、現場の看護師さんは、もう限界。患者の数も業務の量も増えているのに、看護師の数は増えないし、地位や待遇は上がらない。

無理なものは無理と言っていいし、改善すべき点は改善せよと上に突き上げていい(はず)。

どれほどの理不尽・非合理が、看護の現場に蓄積されているか、見える部分は明らかに見えているのに、

みんな忙しすぎて、優しすぎて、いい意味でも悪い意味でもタフ過ぎて、なかなか気づかない。気づいても声を挙げられない。闘うために動くことができない。

大変であることはみんな実感しているのだけれど、現場の声が集約されない。

「そこまで背負わなくていいですよ」と言いたくなるし、でも、看護師さんがいなければ途端に頓挫してしまう現場の実態もあるし、その点では尊いし。

だからこそ、うーん、うーん(いいのかな、なんとかしてほしいな、なんとかできないものかな、でもみんな頑張っちゃうんだな、偉いな、でも気の毒だな・・)という思いが回り続けて、

でもそんな自分は、ただの坊さんでしかないしな、というところにずっとい続けているという状況です。

坊さんというのは、いろんな分野に通じる ”心の使い方”(智慧)を伝えることはできるけれど、すべての分野について外様(とざま:部外者)であるという疎外感・淋しさを脱することができない仕事。

問題が見える割には、何もできない・・私の場合は、全方位に向けてずっとそんな感じなのだけれど、

中でもひときわ、背負わなくていいものまで背負っている、でも背負わなければ回っていかない、そういう現実を垣間見て、もどかしく思い続けているのが、看護の世界です。
 

心優しき全国の看護師さんたちみんなと、つながることができたらと願っているのだけれど。

 


2025年7月25日


8月・9月の講座スケジュール

興道の里の最新スケジュールです。

詳しくは公式カレンダーをご確認ください。

*愛知(栄および高蔵寺)の講座は主催者が異なりますので、スクールで直接お手続きください。

・・・・・・・・・・・・


8月16日(土)
子を持つ親の生き方&育て方学習会
13:00~17:00 
千葉県野田市

子育て中の親のための学習会を開催します。親と子供の両側から見た「十代のうちにやっておきたいコレだけは」を整理します。子育てに後悔したくないお父さん・お母さんの参加を歓迎します。

参加申し込みフォーム>にご記入ください

 

8月31日(日)
小中学生向け夏の国語キャンプ 
13:00~17:00
千葉県野田市 

<内容> 小5から中3の子供と親を対象に ”国語キャンプ” を開催します。教材を草薙龍瞬が用意して、国語の読み方・解き方・学び方をわかりやすく紹介。なんでも話せるゆるめの座談会つき。勉強の仕方もわかるし、学校・勉強・友だち・世の中のことも話しあえる一石二鳥のお得なイベントです。親子での参加を歓迎します。

参加申し込みフォーム>にご記入ください

 

8月29日(金) ※8月30日は満席のため臨時増設しました
18:00~22:00
個人相談会
東京・神楽坂

<内容> お一人45分のミニ個人相談会を開きます。自分では答えを出せない悩み・課題を抱えている方で、代表・草薙龍瞬への相談をご希望の方は、①お名前 ②自己紹介(お仕事・生活など) ③相談内容(可能な範囲で具体的に) ④ご希望の時間枠 ⑤連絡先(臨時連絡用) を koudounosato@gmail.com まで。折り返し詳しいご案内をお送りします。

※初めての方は、公式サイト内の<活用ガイド>をご覧ください。

※すでに満席の場合および相談内容にてらしてお役に立てる可能性が低い場合は、返信しておりません。その場合はお寄せいただいた情報を消去する形で対応しています。あらかじめご了承ください。 

<時間枠> ➀18:00~18:45 ②18:50~19:35 ③19:40~20:25 ④20:30~21:15 ⑤21:20~22:05


9月6日(土)
18:00~21:30
座禅会
東京 要予約


※登録制です。初めての方は、公式サイト内の<活用ガイド>をご覧ください。



9月13日(土)
18:00~21:30
自己ベストの生き方&働き方を考える~大人のための学習会
東京 要予約


<内容> 仕事や日々の暮らしに悩み・課題を抱えている大人のための勉強会。当日までに寄せられた悩み・疑問を、仏教の智慧を使って解決します。「自分で考えて答えを出せる」ように考え方の道筋さらに個別の解決策まで取り上げます。当日用の特製資料を用意します。オンライン受講可(要登録)。

★事前の質問・相談を募集します。積極的にお寄せください。

参加ご予約は、①お名前 ②自己紹介(お仕事・生活など) ③当日のテーマ(質問・相談などを可能な範囲で具体的に:内容を一般化したうえで当日お答えします) ④連絡先(臨時連絡用)を koudounosato@gmail.com まで。折り返し詳しいご案内をお送りします。


9月15日(祝月)
13:30~15:30
愛知高蔵寺・公開講座「仏教で思い出そう『あの日の幸福』を」
無料相談会つき


「あの時は幸せだった」と思える時間をいくつ覚えていますか? 幸せを忘れて、ストレスや心配事ばかりに追われているのは、なぜでしょう? どうすればこの先、楽しい時間を増やしていけるのでしょうか? この講座では、人がつい幸せを忘れてしまう原因をつきとめ、楽しい時間を取り戻す「暮らしのヒント」を紹介します。少しの工夫で「万年・幸せ上手」になれるかも。まずはこの講座から。

会場 高蔵寺中日文化センター  

予約・問い合わせ 0568-92-2131
https://www.chunichi-culture.com/programs/program_195300.html





久しぶりの坐禅会

7月は、大阪・看護専門学校での講義に始まり、市民講座や企業向けの講演や奈良入りや名古屋での講座を経て、東京での久しぶりの個人相談会&坐禅会、さらには連載中の原稿&イラスト描きと、かなり忙しい時期が続いて、

昨日、7月ラストの坐禅会が終了して、ようやく一息(といいつつ実感としては半息くらいだけれど)つけるようになりました^^。

昨日夜の坐禅会は、みんな久々に来てくださったのに、それぞれの近況を聞き損ねてしまいました。申しわけなかったな・・と思います。今度一人ずつ感想・近況を聞くようにしましょう。

でも、みなさんのお顔を見ることができて、よかったと思います^^。

個人相談会も、いろんな人と有意義な時間を過ごせました(今回は昼夜開催だったので、合計10名)。十代の若い人も、人生の締めくくりを一緒に始めようという人も、関西から来た人もいました。

相談内容もほんとに個性的。一人一人が、まったく別の課題に向き合っている。そうした人生の大事な場面にご一緒できることは、とてもありがたく、幸せなことです。前に進んでもらえたらと思います。

9月にも、個人相談会と坐禅会、生き方勉強会を開催します。いずれも、毎回かなり有意義な時間になっています。

前に進みたい人は、ぜひいらしていただければと思います。



2025年7月




色とりどりの皿回し


今年の全国行脚、ぼちぼちスタート。皮切りは、大阪の看護専門学校での3日連続講義。

完全徹夜で大阪入りして、翌朝8時に車で運んでもらって、午前は3年生。午後は1年生。


「患者目線で向き合う」が、最初の約束。

だから、だらしない姿を見せた時は、遠慮なく喝を入れさせてもらう。今回は2回ほど。 

今年の講義は、中身もガチ・モードだった。救急救命時の気管挿管の判断という、これは1年でやったことの復習。某薬剤の検証も。

いくつかの資料を見せて、「せめてこれくらいの事実を把握してから判断しなさい」という話。現場の医師も看護師も、学校の先生たちも、ろくに事実を調べず、検証もしていない。

たとえばクラス40人のうち1人でも、歩けなくなったり、最悪死んでしまったりしたときに、親も、医師も、学校も、責任を取れやしない。

取れっこないのだから、最初から無責任なことをするな、言うな、というのである。

「当たれば100%のロシアン・ルーレット」ということを、骨身に沁みて自覚せねばならない。一度失ったら、永久絶対に帰ってこないのだから。未来の可能性も、命も。

他には、くも膜下出血で運び込まれた患者への対応如何と、5歳の女児にアデノイド摘出手術をするかの検討。

きちんと手順に沿って知識・情報を整理して、本人が納得できる結果にたどり着くことが、プロに求められている仕事。そのための技法を伝えるのが、この授業の狙い。

錯綜する情報をどのように整理すればいいか、その視点(いかに理解するか)と、どんな手順で結論を導き出すかという論理的道筋を、伝えることが目的だ。

1年生にも3年生にも、同じ熱量と充実の中味を伝えたつもり・・だが、どれだけその心に残っているかは未知数。

でも今年も、納得のいく講義ができた。自己満足。だが自己満足こそは、教育の基本だ。

3年生は、これでお別れ。せっかく3年間、いい体験をしてきたのだから、一人たりとも落ちないように、と最後にエールを送った。



私はただの坊主に過ぎない。医療・看護の素人にすぎないが、人の命を想う熱と真剣さは尋常を越えたレベルで持っている。

その部分こそがずっと燃やし続けてきたものであり、看護学生に伝えられる最も価値ある部分、つまりは「倫理」であろうと思う。

私が伝えている程度の知識や情報など、プロになった時の彼らには、常識として知っておいてもらわねばならない。私以上に人の痛みを感じ、救うための方法を選び取り、患者の心身の痛みを取り除いて、その日常に戻ってもらう。その手助けをしてもらわねば。

日進月歩の医学・看護の知識も、私以上に通暁して、素人の坊主である私にもはや教えられることはなく、次回は病院にて、弱くなった体をケアしてもらう、おとなしい患者の一人として再会してもらわねばならない。

彼らが進もうとしている道は、仏教とは離れた世界なのだが、人に貢献しようという情熱は共通しているはずだ。

そもそも医学も看護も、患者の苦しみを癒すための技術なのだから、患者目線で納得できるものでなければならないことは当然だ。

ならば、伝えられることもある。

今回は、いずれのクラスにも、よい変化が生まれたような気が(勝手に)している。

しっかり学び続けて、無事合格してもらいたいものだと思う。



授業終了後は即移動して、神戸で企業向けの講演会。終了後はどしゃぶりの中を新神戸駅まで走って、新幹線でいったん帰京。週末2日で次の講義の教材を作って、月曜には奈良、火曜は名古屋、水曜は大阪だ。

いや、忙しい。だが幸せな忙しさだ。いろんな役目を授かっている(そういえば、この3日の間に新聞連載用の絵も描いた笑)。

色とりどりの何枚もの皿を頭の中でめまぐるしく回している思いがするが、これくらい同時進行で廻っているほうが快適なのだ。

遠い昔は、一つの仕事・一つの世界に収まりきれない自分がおかしいのかと思っていた。変わった人間だと実際に言われていた時期もあった。周りに合わせて一つの器に自分を押し込めようとして、頭も心も回らなくなってしまった時代があった。

あの頃の自分と、今の自分は、まったく別人だ。今の自分は生きている。縦横無尽に動いて、持っているものを、存分に活かすことができる。

まさかこんな “仕事” がありうるとは。人生は不思議で面白い。



2025年7月


夏の国語キャンプ2025開催のおしらせ

興道の里から

夏の国語キャンプ2025の開催が決まりました:

*千葉県野田市 2か所で開催
 
千葉での国語キャンプの概要は以下の通りです。

予約受け付けを開始しますので、下記の予約フォームでお申し込みください。
 
SNSなどによる告知・紹介は自由です。小中学生をお持ちのご家庭にお知らせください。 

お問い合わせは興道の里事務局まで koudounosato@gmail.com


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夏の国語キャンプ2025 千葉野田市

2学期が始まる前に国語を得意にしちゃいませんか? 小5から中3を対象に“国語キャンプ”を開催します。面白くて良質な文章を選んで、国語の読み方・解き方をわかりやすく授業します。

勉強だけど、勉強っぽくない“ゆる系”の国語です。でもちゃんとチカラがつきます。筆記具だけ持参してください。お友だちや親と一緒もOKです!
 
主催  子供の明日を育てる会(千葉県野田市)
事務局 興道の里事務局 


8月16日(土)午後1時から
千葉県野田市フリースペース コキアの丘
 
下記QRコード または リンク先から ご予約ください


 
 
 
 
8月31日(日)午後1時から4時まで
欅のホール 千葉県野田市中野台168-1   

予約フォーム
下記QRコード または リンク先から ご予約ください




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


今回がいわば、旅する寺子屋の ”こけら落とし” です。

このプロジェクトは、春・夏・秋・冬と、一年を通して開催していきます。

集会所・公共施設・子ども食堂など場所を見つけて、ご連絡ください。


興道の里・草薙龍瞬は、未来を育てる活動を始めます――
 
 



興道の里・明日を育てるプロジェクト
2025年7月





夏の講座スケジュール

興道の里から
 
※最新のブログはこのページの裏に掲載していきます。左側スペースの見出し(スレッド)または、このページ末尾の「前へ」からさかのぼってご覧ください。
 
 
東京での講座を再開します。
あわせて日本全国行脚の日程もお知らせいたします。

*看護専門学校での公開講座は、医療・看護関係者はご見学いただけます。

*講座内容・参加費等の詳細は、公式カレンダーをご確認ください。

*初めての方は、必要事項の登録が必要です。興道の里活用ガイドを最初にお読みください。
 

・・・・・・・・・・・・・・
<講座スケジュール>

7月9日~11日
【公開講座】看護専門学校<3年生看護倫理>
★医療・看護関係者の見学可

7月 9日(水)13:00~16:30 第1・2回
7月10日(木)09:00~12:00 第3・4回
7月11日(金)09:00~12:00 第5・6回


7月15日(火)
13:00~15:00
名古屋 生き方として学ぶ仏教・原始仏教編「ブッダの生涯」
お問い合わせ・受講申し込み: 栄中日文化センター0120 - 53 - 8164
https://www.chunichi-culture.com/programs/program_190316.html

7月16日(水)
14:30~16:00
大阪・公開講座 生き方として学ぶ仏教・全4回 最終回

大阪・岸和田健老大学(NPO法人)


7月18日(金)
18:30~21:30
自己ベストの生き方&働き方を考える~大人のための学習会

東京・新宿区 ※場所は案内メールでお知らせします

<内容> 仕事や日々の暮らしに悩み・課題を抱えている大人のための勉強会。当日までに寄せられた悩み・疑問を、仏教の智慧を使って解決します。「自分で考えて答えを出せる」ように考え方の道筋さらに個別の解決策まで取り上げます。当日用の特製資料を用意します。★事前の質問・相談を募集します。積極的にお寄せください。 
<対象> 今の仕事・生活に悩みがある人全般 ●オンライン受講可(要登録)。
 

7月19日(土)
13:00~17:00
個人相談会

東京・新宿 場所は予約者にお知らせします

<内容> お一人45分のミニ個人相談会を開きます。自分では答えを出せない悩み・課題を抱えている方で、代表・草薙龍瞬への相談をご希望の方は、①お名前(実名) ②相談内容(可能な範囲でなるべく具体的に) ③臨時連絡先(携帯番号) ④希望の時間枠 をkoudounosato@gmail.com までご連絡ください。折り返し詳しいご案内をお送りします。

<時間枠> 
⑤16:20~17:05 
⑥17:45~18:30 
⑦18:35~19:20 
⑧19:25~20:10 
⑨20:15~21:00 
⑩21:05~21:50


7月21日(月祝)
13:00~16:30
夏の座禅会・午後の部
東京・新宿区 ※場所は案内メールにて告知します

7月21日(月祝)
18:00~21:30
夏の座禅会・夜間の部

東京・新宿区 ※場所は案内メールにて告知します

快適な毎日を過ごすには、心の汚れを落とすこと。お寺では学べない坐禅(瞑想)の秘密(アタマの中で何をするか?)を学べる坐禅会。①坐禅・瞑想の実践、②さまざまな話題に関するミニ仏教講座、③なんでも聞ける座談会の3本立て。初参加者には解説ガイドブックつき。希望者には終了後に無料の個人面談(相談)の時間を設けています。


8月2日(土)
13:30~16:30
博多勉強会~仏教でこれからの生き方を考える 日本全国行脚2025九州
福岡市の公共施設 ※場所はメールでお知らせします

<内容>今年で13年目の草薙龍瞬・夏の日本全国行脚。九州博多を訪問します。参加者からの質問に答える形で内容を構成します。これからの生き方、働き方、夫婦・親子の悩み、子供の進路や学び方など、幅広いテーマを取り上げます。

8月9日(土)
18:00~21:30
お盆休み座禅会

東京・新宿区 ※場所は案内メールにて告知します


8月16日(土)千葉
13:00~17:00
小中学生向け国語キャンプ 
 
<内容> 小5から中3の子供と親を対象に ”国語キャンプ” を開催します。教材を草薙龍瞬が用意して、国語の読み方・解き方・学び方をわかりやすく紹介。なんでも話せるゆるめの座談会つき。勉強の仕方もわかるし、学校・勉強・友だち・世の中のことも話しあえる一石二鳥のお得なイベントです。親子での参加を歓迎します。
※場所はメールでお知らせします。


・・・・・・・・・・・・・・・・
<初めての方へ>
*詳細は、公式サイトカレンダーでご確認いただけます。
*参加には事前登録が必要です。初めての方は必ず 興道の里活用ガイド をお読みください。
 
<お願い>
たいへん小さな道場ですので、必ずご参加いただけるわけではありません。興道の里から返信差し上げるのは、ご参加いただける方のみとなります。あらかじめご了承のうえご連絡ください。


よき学びの機会となりますように
 
上記ご案内申し上げます
興道の里



2025・6・23




興道の里とは


古い資料の中に、最初期の原稿が見つかりました。

興道の里を紹介するリーフレットを想定して作ったものです。

2012年6月24日付 つまり約13年前、『反応しない練習』(2015年7月)が出る前の ”原始時代” の言葉です。

眺めてみると、まったくブレていないことが印象的。心は変わりゆくから、十年以上昔の自分なんて完全に他人=今は別の人 になっていても不思議ではないのに。

むしろ自己預言していたかのように、当時考えていたことが正確に形になりつつある――という今だとわかって、

おぬし、なかなかタフよのう・・と当時の自分に声をかけました(笑)。

※文中「くさなぎ龍瞬」とあるのは、当時は弱気(?)で「草薙」は難しいのでは?という遠慮からでしたw。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇

興(こう)道(どう)の里(さと)とは――

 将来に創りたい場所です。“お寺のような、学校のような、村のような”――人々が気軽に集まり、生活し、“幸福への方法”(正しい生き方)を学べる場所。

 その支柱となるものは、やはり“ブッダの教え”(正確にはブッダが見つけた幸福への方法)ということになるでしょう(僧侶くさなぎ龍瞬が一番お役に立てる分野ですので)。

 ただ、“宗教”的な場所にはしません。宗教というのは、特定の妄想を信じることで救われた気分になる思想だと言えます。しかし、それでは“信じる者しか救われない”という限界があります。

 私がめざしたいのは、信じる・信じないのレベルではなく、もっと広く、人それぞれが自分自身の幸せな・満足のいく・納得のいく人生をまっとうするための合理的な方法です。

 それぞれが自分の暮らしの中で自由に試し、実践できるオープンな知恵。そしてそれぞれのやり方で、この世の中の改善・前進のために役立つ何か(新しい価値)を創り出せるような生き方です。そういう生き方を学べる場所を最終的に作れたら、というのが、私の目標です。
 
 僧侶くさなぎ龍瞬の活動は、こうした目標を最終ゴールとして組み立てられています。“興道の里”とは、いわば私自身の人生の方向性なのです。

 



 現時点での課題は、「仏教をこの社会にどのような形で伝えれば、最も多くの人に役立つのか?」というもの。いわば “ベストの活用方法” を探している段階です。いくつかの場所で行っている仏教講座や、本の執筆なども、方法探しの一環として行っています。

 “このやり方なら仏教を宗教とせずに、より多くの人に役立ててもらえる” という手応えと、経済的基盤が手に入り次第、どこかに拠点を定めて、活動の新しいステージに入る予定です。それが整ったら、さらに次の段階へ――。徐々に整えていきたいと考えています。

 ひとの道(生き方)というのは、最終的には、自分以外の誰かの幸せの役に立ち、そのことが自分にとっての幸せになるというあり方に落ち着くのではないか、と個人的には思っています。

 僧侶くさなぎ龍瞬が創り出したいのは、人々の幸せにコレだけは欠かせないという生き方・考え方・価値観というものを、取り戻し・発見し・発展させていくための “きっかけ” です。どういう “きっかけ” がこれから生みだされていくか――見守っていただければと願っています。

 何より大切なことは、あなた自身にとっての“現実”の改善に、この場所を役立てていただくこと。この場所が提供するのは、心のわずらいを取り除き、浄化する方法。日々直面する問題を解決・改善する方法です。

 この場所でお伝えしている内容はすべて、宗教としての仏教ではなく、誰もが実践できる合理的な知恵・方法として組み立てられています。あなた自身の自由なやりかたで学び、活用していただければと思います。
 よろしくお願いいたします――。



2012年6月24日付

最初の発掘


今日は文京区の〇〇書院を訪問。医学・看護の専門書籍を発行する最大手だけに、威厳ただよう上質な建物。

看護教育という月刊誌の巻頭インタビュー記事のご取材をいただいた。


毎回だけれど、カメラに向かって笑ってくださいというのが難しい。「演技でいいです」というが(そりゃそうでしょ(笑))、演技は妄想しないとできないから、これも難しい。


医療・看護における倫理とは何か。従来の教科書や専門書は、哲学、歴史、最先端医療、現場の課題、事例研究など、ごった煮状態。

現場で何が必要とされているか、役に立つのか、という実際的な問題意識もなく、「なんとなくこういうものでしょ」レベルの内容で続いてきたのが、医療倫理・看護倫理だったように思える。

「答えが出ない問いだ」なんていう能天気な声も聞く。だが人生は有限で、まして医療・看護・救急救命の現場は一刻を争う選択を迫られている、

そういう現場において、人を救うための「ただ一つの答え」を出さねばならない。それが倫理というものだ。


どんな分野にも当てはまることだが、「見落としてはならない(絶対に見えていなければならない)」ものがある。

だが案外、どの分野においても見落としが多い。医療・看護の分野は、その見落としがひときわ多い印象がある。

言われるまでは思いつかないが、言われてみるとたしかにそうだ・・と思わざるを得ない視点・発想・手順がある。

そういう意外ではあるが、絶対に欠かせない、「現場で見えていなければいけないコレだけのこと」を視覚化・言語化したのが、私が伝えている倫理。


仏教の視点や構造的思考を活かすと、いろんな分野に応用が利く。

「心の使い方」という新しい視点で仏教を再構成・体系化して本に著したところ、「言われてみるとたしかにそうだ(これが本来の仏教か)」と、多くの読者さんが受け入れてくださったように、

今伝えている看護の技法(倫理)も、「たしかにそうだ」と、現場の医師・看護師さんに納得してもらえたらと思う。

今は小さな場所で伝えている”看護の技法”が、いつか医療・看護の一つのスタンダードになってもらえたらという思いもなくはない。


社会において、いつ、どこまで共有してもらえるかは、因縁によるものだから、執着しない(そもそも体一つの人生は短すぎて、そこまで意図を広げる余裕もない)。

ただ、今の時代・この社会において、案外見えていない部分、見つかっていない部分、でも掘り起こして見せれば「たしかにそうだ」と思わざるを得ない部分は、実はかなり残っているから、

そういう部分を最初に掘り起こすことが、この命の小さな役割なのだろうと思わなくもない。


仏教、看護、その次は教育だ。実は掘り起こされていない可能性がある。これを最初に発掘することを、この命の役目として引き受けようと思う。


<おしらせ>
7月9・10・11日と大阪南部の看護専門学校で看護倫理の集中講義を開催します。医療従事者は見学可能です。日時は公式ブログ内のカレンダーをご覧ください。見学申し込みは、お名前・所属・連絡先を興道の里まで。




2025年6月3日



看護に感情は要りません

某看護専門学校の講義にて:

 

 「患者と同じ感情を持つ(共有する)こと」「看護師が感情を抑制して、患者を喜ばせてあげること」といういわゆる「感情労働」が必要だと書いている人がいました。大きな間違い。

「理解」と「共感」は違います。患者と同じ感情になって喜んだり悲しんだり怒ったりというのは、看護に必要ありません。状況によっては、そういう姿が、患者を喜ばせる・癒やすことはありえますが、そこまで求められては、看護師が疲弊してしまいます。

「感情労働」「感情規則」というテーマは、今後も出てきます。看護の業界で最も誤解されているところ。もともとホックシールドというアメリカの学者が提唱したものですが、「キャビン・アテンダント(スチュワーデス)には感情労働が必要だ」と言いだしたのです(1980年代)。

乗客の理不尽な要求にも、平静に笑顔で対応しましょう、そうやって乗客の満足度を上げて、利益を上げましょう(そしたら給料も上げてあげます)という経営者目線で言い出したことなのです。組織のマネジメントとして採用されて、研修内容になって、あっという間に広まりました。

これが、CAと似ている(と勝手に思われてしまった)看護師・介護士などにも当てはめられた(いい迷惑)。


相手の感情に寄り添うことが大事だ、こっちの感情はコントロールすべきだ、感情労働頑張れ、我慢しろ、いつだって明るくスマイル、看護師は白衣の天使、微笑みと慈愛をふりまく聖職者たれ――という話になっていくのです。「患者の前で泣いてはいけない、泣くならトイレで泣きなさい」・・・おいおい。でも本気みたい。調べてみてください。


ちなみにここから、アンガー・マネジメントというストレス管理の発想につながっていきます。結局、ストレスを強いられる側が努力しろという発想。いや、それはおかしい。コントロールとかマネジメントだけでは片づかないよ、という理由で登場したのが、草薙龍瞬著『怒る技法』マガジンハウスです。19日に学校で講演やりますw。


なんで患者の感情にあわせなきゃいけないの? 理解してあげることは人として大事だけれど、理不尽な相手にも怒っちゃいけないとか、優しくケアして患者の感情を「操作せよ」だなんて・・「やってられない」と思いませんか? 

あきれた患者にも感情を出さずに優しくケアしましょう--なんていう勘違いがまかり通ってしまったから、看護師さんはみな苦労を強いられているのです。


看護師に真の尊厳と敬意を。皆さんはプロ中のプロ(高度な専門職)です。しなくていいことは、しなくていい。イヤな患者(暴言・八つ当たり・わがまま・セクハラetc.)には怒って当然。毅然と対処すべし。

感情は要らないのですよ。もっと大事なことがある。理解すること。心と体。苦しみとその原因。原因を取り除く方法――こういうところを正確に理解して、適切なケアを提供する。

それができれば十二分。看護師は天使じゃない。プロです。

見るべきものが見えるプロになれば、それで上がり(満点)です。違いますか?

 

 2023年9月某看護専門学校にて

 

命が還る場所


春の日の法要に足を運んだ。今回の霊園は、無宗派・無宗教の人の墓も扱っているとあって、墓石はバラエティに富んでいる。御影石、大理石、黒曜石と材質は様々で、カタチもユニーク。故人が選んだメッセージを刻んだ墓もペットの墓もある。

海外の仏教国では遺灰を土か川に戻して終了だ。墓石は日本独自の伝統だが、子々孫々のつながりの象徴としての墓は大事にしていいものと思う。

今回の故人は自然葬を選ばれた。青い芝生の上に、直径十五センチほどの丸い穴が二つ。そこに係の人が遺灰を入れていく。さらさらときれいな白い故人が土に還っていく。芝生の蓋で丁重に閉じた。

その前で私は額づいて礼拝する。この日より始まる新たなつながりが久しく続くようにと。

故人を作っていた物質は土に還る。そのうち分解されて土へ植物へと姿を変えてゆく。いつしか命の連鎖に組み込まれて、はるか未来には別の命に宿っているかもしれない。すべての命は法縁(つながり)の中にある。

もし故人の姿が、生者の心に愛おしい姿で宿ってくれるなら、故人の命は形を変えてなお続くことになる。肉体は土に帰っても、生者の心の中に生きていく。

特に遺すべきは、旅立った命が懸命に生きた姿だ。たくさん苦労もしただろう。悲しい出来事もあっただろう。だが新たな命を育てて人生を全うした。命としての尊い勤めを終えたのだ。その奇跡に生者たちは尊敬と感謝を。

そして自分たちもまた幸福をめざして十二分に生きねばならない。その覚悟を墓の前で新たにするのだ。


生きていた間の苦しみは、死んだ後に持っていくことはできない。ブッダが語った八つの苦しみは、現実を生きる中で生まれる。心か体の苦しみだ。

だが体を作るものが自然に還り、それまでの心がほどけた後には、苦しみは続かない。つまり命の終焉は、やすらぎへの回帰だ。人の苦しみは永久には続かない。死をもってやすらぎに還る。あとはつながりの世界へ、目の前に広がる自然へと還っていくのみだ。


広い世界を見渡してみれば、日が登り、月が輝き、星々がきらめいている。青い空に流れる雲にほとばしる清流に海がある 無数の緑が今も呼吸をしてこの星は凄まじい速度で回り、宇宙を旅し続けている。

広い世界を見渡せばわかること。どこにも苦悩は存在しないということ。過去数えきれないほどの命が自然に還っていったが、その苦しみはどこにも見当たらない。それが命の帰結なのだ。澄明とやすらぎが待ってくれている。



※興道の里アーカイブ(過去の活動記録)から


2025年5月28日

 




夏の日本全国行脚2025 訪問地募集!

九州・博多訪問決定

8月 2日 (土曜日)⋅13:30~16:30
勉強会~仏教でこれからの生き方を考える 日本全国行脚2025九州

今年で13年目の草薙龍瞬・夏の日本全国行脚。九州博多を訪問します。参加者からの質問に答える形で内容を構成します。これからの生き方、働き方、夫婦・親子の悩み、子供の進路や学び方など、幅広いテーマを取り上げます。

参加希望者は、①お名前(実名) ②簡単な自己紹介 を koudounosato@gmail.com まで。折り返し当日の会場の場所を含む案内をお送りします。

参加費2000円(※経済的ご負担の大きい方はお気持ちでかまいません) 

※子供が同伴する場合は勉強道具・本などを必ずご持参ください)。乳幼児の同伴は歓迎します(途中退室も自由です)。

 

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今年も夏の日本全国行脚を開催します。

北は北海道、南は沖縄まで――お声かけていただけるところに、草薙龍瞬がうかがいます。

○仏教に触れたい(講座・勉強会・座禅会などを開きたい)
○法事をやってほしい
○個人的に相談したいことがある

など、お気軽にご応募ください。


夏の全国行脚は2013年から。今年で13年目に入ります。

よき夏の思い出作りに、
お一人では解決できない物事を解決するために、
止まっていた人生を前に進めるために、

ぜひご活用下さい。


◆◆◆◆◆◆◆
<訪問地募集>

期間 7月9日から9月15日まで:

7月9日(水)~21日(月祝) 西日本 近畿・中部・ 山陽・山陰
7月26日(土)~8月3日(日) 四国・九州
8月9日(土)~17日(日) 関東・東北・北海道
8月23日・24日(土・日) 北陸・甲信越
8月30日(土)~9月7日(日) 沖縄


◆◆◆◆◆◆◆
<確定済みスケジュール>

※スケジュールは、確定次第、公式ブログ内のカレンダーで公開します:

7月9(水)・10(木)・11日(金)
南大阪・看護専門学校特別講義(3日間) 
※医療従事者で見学をご希望の方はご連絡ください。詳細をお知らせします。


7月11日(金)午後 
神戸・講演会(非公開)

7月15日(火)午後 
愛知・栄中日文化センター

7月16日(水)
大阪・岸和田 公開市民講座

8月19日(火)午後 
愛知・栄中日文化センター


9月15日(月祝)
愛知・高蔵寺 特別講座 仏教で思い出そう「あの日の幸福」を 


◆◆◆◆◆◆◆
<全国行脚への応募方法>

1)応募のご連絡

下記をメールでご連絡ください:

①お名前 
②ご住所 
③連絡先(携帯番号)
  +
④訪問を希望する場所
※およそでかまいません。「自宅を希望」「〇〇という公共施設の使用を考えています」等)

⑤訪問希望日
※「〇月〇日から〇日までの間」「〇月〇日を希望します」など、およその日程をお知らせください。

⑥応募理由
※「仏教の勉強会を開きたいです」「〇〇について相談したいことがあります」「親族を集めて法事を執り行いたいです」等

※初めて応募する方は、詳しい自己紹介をお願いします(仕事・日頃の生活・課題などなるべく具体的に)。 
※勉強会については、会場を手配していただくことになります。告知は興道の里でも行います。
※個人相談をご希望の場合は、相談内容をなるべく具体的にお知らせください。内容をふまえて訪問の可否を検討します(さまざまな用事を調整して最終決定しますので、必ずお応えできるわけではありません。あらかじめご了承ください)。

※①から⑥までの記載が不十分・不明瞭な場合は、返信差し上げておりません。あらかじめご了承ください。


2)興道の里からご連絡

*ご応募内容を興道の里のほうで検討し、お応えできる可能性がある場合は、興道の里事務局から折り返し案内メールを差し上げます。

*全国行脚期間中は、直前のご連絡でも、スケジュール調整が可能であれば対応しています。いつでもご応募ください。


3)訪問日・場所の確定

*ご連絡をいただいてのち、事務局と応募者との間で、訪問場所・日時等の詳細を確定していきます。

*講演・勉強会など公開企画については、公式ブログ内のスケジュールに掲載するとともに、一般向けにも告知いたします。


4)予定日に訪問します


◆◆◆◆◆◆◆
<その他>
*いずれも真摯な動機・意欲が伝わってくることが条件となります。

*勉強会の内容は、仏教・子育て・働き方・心の健康・十代の生き方&勉強法など、ご希望に応じます。開催規模の大小は問いません。

*個人相談については、相談内容の詳細をお知らせください。内容によっては、ご要望にお応えできない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

*勉強会・講演の告知用の文面・タイトルなどは、主催者(応募者)からもご提案いただけます。興道の里もお手伝いしますので、お気軽にご相談ください。

*当日の参加費またはご負担のない範囲のお気持ち等で、交通費・宿泊費を調達します。旅の途中に立ち寄るという形式を取りますので、正規の講演・講座のような一定額のご負担を求めるものではありません。お気軽に、ご負担が過ぎない範囲でご協力ください。


ご応募・お問い合わせは、メールで  koudounosato@gmail.com までお寄せください。

お応えできる可能性がある場合は、折り返し詳細を記した案内をお送りします。


・・・・・・・・・・

夏の日本全国行脚は、毎年たくさんの出会いと学びを得られる貴重な機会になっています。
お気軽にご応募ください。


充実の夏をめざして
現地でお会いいたしましょう

興道の里・草薙龍瞬

さあ、夏が始まるよ!
(猛暑にだって負けないよ!)



一般公開
2025年5月12日



ひっそりと、つつましく


このプロジェクトがどのような規模になるかは、未知数です。

つつましく、でも確実に、というこれまでの方向性に沿って進める予定です。


できあがってしまった社会と人を変えることは難しい。

育てるならば ”芽” の段階からと、これまでの活動を通じて痛感したことが、きっかけです。


仏教だけでは、新たな価値を創造できない。

仏教ほど、人によってどうとでも受け取れる思想は、他にないかもしれない。

ゆえに都合よく利用され、奪われ、変容していく傾向は避けられない。


仏教と、金儲けや自己顕示とは、相容れない水と油、別宇宙のようなもの。

本来の仏教は、ただ、

苦しむ人のために、

自分の命を、この世界の片隅で、人の幸せのために活かそうと頑張る人のために、ある。



この世界はあまりに利己と狡猾と虚栄に満ち、

仏教という智慧さえも、私欲のために使おうとする場所だから、


仏教というものを、汚されず、利用されることなく、

本当に必要としている人に向けて届けようと願うなら、


必然的に、世にあって世に染まらず、

欲と怒りと妄想に満ちたこの世界とは、一線を引いて、

自己をさらすことなく、目を引くことなく、

ただひたすらに陰のなかを、地道に、つつましく進んでいくことになる。


この場所は、世俗的価値を追求しない。

そうしたものへの執着は、とっくの昔に手放しているから。


時流・世相に感化されることなく、

50年後も色褪せない普遍的な価値を遺せるように、

残りの時間を使って参ります。



わかる人たちに向けて

草薙龍瞬



いろんな場所で

春は本当に良い季節です。

新入生、新入社員・・若くてキラキラしている人たちが社会に入ってきます。

未来を見て、人を信じて、だからこそ優しくいられるというのが、本来の若さなのかなと思います。

(歳を重ねると、未来ではなく終わりを見て、人を疑って、やっかんで、だからこそ寛容になれない・・という大人もいたりします^w^;。野暮な対比ですけれど)

「彼らがこの世界の未来を創っていってくれるんだなあ」と感じてほのぼのできる、そんなJI&BAでありたいと思います(笑)。

※JI=じじ BA=ばば これも余計な注釈ですがw)


個人的には、この春は、人生の局面が大きく変わった季節です。人生そのもののパラダイム・シフトというか。

これまでは独りで生きて、自分の力でなんとかする(せねば)という人生でしたが、

この先は、人さまとのご縁によってさずかっているものを、どう未来に、もっと美しい可能性のために活かすか、ということを真面目に考える人生に入っていく気がします。

「育てる」ということ。この手のひらに受け取ったものを。未来を。

これは、完全に新しい挑戦です。

生きるというのは、面白い。

それを教えてくれたのは、この場所(本)を見つけて、これまで関わってきてくださった皆さんということになります。


見えているご縁も、見えていないご縁もあるようです。

いろんなところで、誰かが見つけて、その心に新しい何かを宿してくれている。

そんなことを教えてくれるおたよりもいただきます。たとえば・・


東京新聞2025年4月29日朝刊

春は別れの季節

 

某出版社の担当編集者Tさんが早期退職するという。突然の話。

西日暮里でお別れ会(?)をすることになった。

担当者が変わったら、本はよそ者になってしまうので、進行中の企画(十代の生き方・学び方)はいったんお蔵入りに。というより、版元を変えて出すことになった。

本づくりは、今の時代には割に合わない仕事だ。一生懸命書いて、編集して、校正かけて、デザイナーさんに凝ってもらって、印刷所の人たちの労力も介して、

あの厚くて重たい紙の本が出来上がる。それでも一冊1500円行くか行かないか。

90年代は、初版1万部が標準だった(それでも売れた)のに、今は4000部くらいで出して様子を見ることがほとんど。

本の原稿はライターさんが書くことも多いが(私の本は違うけれど)、今や本の数も印税率も下がっているから、著者だけでなくライターも食っていけなくなりつつあるのだとか。

出版業界が元気だったのは、80年代から90年代か。雑誌もムック本もよく売れた。だがパソコン(特にWindows)が登場して、スマホが登場して、プラットフォームが情報空間を寡占して、SNSや動画が普及するようになって、人々は本に手を出さなくなった。決定的な理由は「本を読むよりラクだから」だろうとは思う。

90年代は、カバーや帯も色校といって、何色か見本を出して、どっちがいいかなんて編集部内で話し合って、そのやりとりが楽しかったのに、今はそういう費用もかけないのだそうだ。表紙の次に来る色紙(厚めの画用紙みたいなページ)も、今はつけなくなっているとか。

雑誌やムックなんて、仕上げの段階では連日の徹夜だった。若い女性編集者も長髪で明かりを遮って、椅子を並べて簡易ベットにして寝ていたりした(寝起きは貞子状態)。

そんな時代もあったけれど、今は本も売ることが難しくなって、雑誌・ムックも廃刊が続いている。

Tさんの出版社では、社員の3分の1が早期退職に応じたのだそうだ。会社のカラーも影響しているようだけれど、「割に合わない」ことを実感している人がそれだけ多いということかもしれない。

二十代の頃、書き手ではなく、作り手として、出版業界の内部に”居候”していた時代がある。いろんな人たちがいた。作家もライターも編集者も出入りする人たちも、語弊があるかもしれないが、クセのある人たちが多かった。

本や雑誌を作るというのは、そういうクセのある人たち、闇を抱えた人たちにとっての溜まり場的な意味もあったように感じるけれど、この業界が小さくなっていったら、当時出会ったあの人たちは、どこで生きていくのだろうとふと思う。

世の中、世渡り上手な人ばかりではないだろう。その時代の風潮とかお金儲けの仕組みとか、そういうものに乗り切れない人だって、たくさんいる。

不器用でも、闇を抱えていても、クセがあっても、それなりにみんなが生きていける、そんな世の中であってほしいし、本に人生の時間を注いできた人たちが全員生き延びていける社会であってほしいと思う。難しいけれど。

「もののけ姫のテーマソングが聞こえてくる」という話になって、一緒に笑った。

次の仕事はまだ考えていないという。ゆっくり休んで、また新しい未来に歩んでゆかれることを願って手を振った。

春は別れの季節でもあった。



2025年4月25日



まだ彼岸にて

台湾メディアの人たちと東京・九段下で例の打ち合わせ。

オンライン配信は、コンテンツをどう切り抜かれるかわからない怖さがある。正直、手の届く範囲で価値を創り出せれば、個人的には満足なので、彼らが期待するほど、メディア露出(特に海外に)しようという思いになっていない。

だが、たしかに時代は、本ではなく、動画・映像に向かいつつある印象。本は、目を使い、頭を使って、活字(視覚)情報を、脳内の思考情報(知識やノウハウ)に移し替える必要がある。

それは、本来の脳の使い方(そこまでやらないと、知識は定着しないし、行動にも移せない)ではある。だがたしかに、ある程度の労力(意識というエネルギー、いわば心のカロリーの消費)が必要だ。

動画がなぜ人気かというと、思考情報に変換する手間が省けるのだ。音声で聞ける。活字ではなくビジュアルで把握できる。「見ているだけで、ある程度情報が手に入る(気がする)」のだ。

もっとも本来は、そうしてインプットした情報を、言葉または身体の動きに変換できないと、得た・学んだことにはならない。そのままでは見っぱなし、聞きっぱなし、で何も残らないことになりがちだ。

「いざ語るとしたら、行動するとしたら、その情報をどう活かす?」というところまで考えて、実際にやってみる(アウトプットする)必要がある。動画情報も同じこと。

その点では、動画であっても労力は必要なのだ。でもそこまでの労力が求められる(試される)機会はないから、たいていは見っぱなし、聞きっぱなしですんでしまう。結果的に、ずっとラクしていられる。だから「本よりも動画」になってしまうのだ。



情報を言葉や行動レベルに落とし込めるだけの「読み込み力」(学習力)を持っている人は、多くないかもしれない。だから、本であれ、動画であれ、”人それぞれの現実を変え、現実を創りゆく力”(効果)は、さほど変わらないのかもしれない。

力(効果)が同じなら、アクセス数(届く人々の数)を増やせば、全体の効果は上がることにはなる。ならば、動画も本以上の価値はあるのかもしれない。

ただそこまで論が及んだ時に、動画・ネットメディアの無秩序さ・低俗さ、それゆえの怖さ、そこに露出することのリスクを考える必要が出てきてしまうのだけれど。

そういう世界に身の半分を置いてよいのかどうか。置く価値があるのかどうか。

置けば、確実にプラスの価値も創造できる。それは確かだろうとは思うのだけれど。



台湾では、『反応しない練習』がロングセラーで、『これも修行のうち。』が続く。今は『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』『怒る技法』が翻訳進行中。

『怒る技法』は、韓国版、アメリカ版が進行中。

『反応しない練習』は、韓国、台湾、中国、シンガポール、インドネシア、オランダ、ドイツ、ルーマニア、ポーランド、ハンガリー、スペイン、イギリス・・・(正直把握しきれていません笑)。


”合理的な心の使い方”というアプローチ(それが妄想を抜けたブッダ本来の伝えたかったことだろうと理解しているが)は、斬新ではあるだろうし、

宗教という踏み絵を敬遠する人々が求めることは、わかる気がする(それでも正直、どこをどのように受け入れてくださっているのか、著者としてはいまだによくわかっていないところがあるのだけれど^^;)。

理想は、自分自身は出て行かなくても、本が頑張って未来に遺ってくれること。リアルタイムの人生は、小さな創造の満足だけで終わらせることができれば、それが一番無難で安全。誰にも見つからず、人さまの不満や干渉を受けずに、静かに生きて終わること。

まだまだ自分の中でやらねばならないこと、できることはあるから。


まだ”彼岸”を選んでいる自分がいる。



『怒る技法』韓国語版
真ん中の4文字はメンタル・アーツ(心の技術)なのだそうです



2025年4月25日


「そんな人生もあったらいいな」の5年後

 

そもそも興道の里の「興」の字は、実は 同 ではなくて、幸 を両手で支え持つという象形文字です(勝手に造った漢字(笑))。

日本に帰ってきた2011年夏に、この国の幸せを増やせるような活動をしようと考えて、最終的に選んだのが、この呼び名でした。

「お寺のような、学校のような、里のような場所を作りたい」というのは、活動当初からお伝えしていたこと。

でも、その頃は、講座にもほとんど誰も来なかったし、本も出していなかったし、出しても(最初の本が2012年)まったく届かなかったし、

生きていけるかどうかもわからない。「いつかインドに帰れたら」という思いで、教室に竹筒を置いていたような状況でした(2013年12月にインド帰郷が実現)。

「里」と呼べる場所も、できたらいいねというくらいの話で、ほとんど現実味はなく、「せめてめざすとしたら」という、まさに方向性(妄想)として使っていたくらいの話だったのです。


幸いに、これまた奇跡というしかないくらいの幸運だったのだと思いますが、2015年夏にあの作品が世に出て、多くの人があたたかく迎え入れてくださって、

最初の方向性に、少しずついろんなご縁がつながっていって、

あのコロナ騒動に突入して、この世界の行く末と、個人的な身の置き所をいっそう真剣に考えるようになって、

いろんな偶然が重なって、今の場所にたどり着くことになりました。


この先どんな物語が始まるのか、紡くことができるのかは、これは想像がつかない(未来もまた因縁次第なので)ものですが、

それでも、方向性(意志)と因縁と、自分自身にできること――の組み合わせによって、不思議といえば不思議なことが、形になろうとしています。

本当に不思議--。


今思うのは、「めざしてよかったな」ということです。

そしてあきらめることなく(あきらめるというのは、負の妄想を選ぶということでもあるから)、

でも過剰に夢見ることもなく、

謙虚に、素直に、地道に、自分にできることを日々やり続けて、歩き続けただけですが、

その先に、最初に夢見たことが、ほんとに形になった――そんな未来にたどり着こうとしています。


下記に紹介するのは、2020年10月にお伝えしていたこと。場所を見つけるどころか、そんなことができる未来が来るとも想像しなかった頃に書いていたことです。不思議--


◇◇◇◇◇◇◇◇◇

たとえば、どこかの古民家とか、旧診療所とか、集会所など、広めの家屋を、「使ってください」と提供してくれる人が、ひょんなきっかけに現われたら、

そこで、大人と子供たちを呼んで、〇〇〇〇〇を始める――というのは、現時点でも可能。


ちゃんと生き方を伝えますよ。人は幸せになるために生きている、その方法はちゃんとある。

学校や、世の中のおかしさも、ちゃんと伝えます。

こういう生き方のインプットは、小学生までが、ひとつの勝負どころ。


大部屋使って、「学校」みたいなことを始めます。

国語と英語と社会は、かなりレベルの高い、洗練された、本物の学びを提供できます。

数学だって、使う教材を選び抜いて、センスが身に着く、本物の学びをしてもらいます。

学者や作家や、その他あらゆる世界のプロが書いた言葉や映像に触れられる オリジナル教材を作って、

中味の面白い入試問題を選んで、それを使って、論理的な読み方・書き方・考え方を、体験してもらう。

大人がやっても面白い、知的能力が確実に育つ、本当の学びを提供する。


そこでは、和尚であり、父ちゃんであり、先生です。そこで、生き方をちゃんと吸収してもらう。

道場みたいな、学校みたいな、私塾みたいな場所――それなら、今でも可能です。


で、週末とか、夏・冬の休みには、全国から親子で来てもらって、

大人の悩みにも、子供たちの学びにも、朝から晩まで、つきそって、背中を押して、送り出してあげるという――。

ちっちゃな田舎の駅まで車で送って、バイバイ!みたいな。


そんな妄想をしてみました(>▽<*)。


きれいな夕焼け空が見える場所がよいです。

そんな人生も、あったらいいな。



その5年後に本当に見上げている空

空の色だけお見せします(笑)