寺子屋・国語キャンプ始めます

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日本全国行脚2023
福岡・久留米
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7月末
朝JR八代駅まで行ったが、豪雨のため電車が動いていない、新八代から新幹線に乗ってくれという。新幹線代はJR持ち(なんとありがたい。JRもたいへんだ)。

新八代から熊本へ。駅近くの食堂で昼食。さらに久留米へ。

明治期の洋画家・坂本繁二郎の生家を訪問。短冊に願いを書いたら入館無料というので(200円くらい貧乏性の私でもむしろ進んで納めたくなるが)、久留米の地がこれからも栄えますようにというようなことを書いたら、ボランティアで管理人をしているという高齢のご婦人が「ありがたいことを言ってくださって」と喜んでくれた。

婦人もまた「日本はなんでこうなってしまったのでしょう」という。いつ頃が一番いい時代でしたかと聞くと、「やっぱり幼少期かしら」という。戦後間もない頃? 日本人が自分の国をここまで信じられなくなった時代というのは、明治期以降はじめてかもしれない。

茅葺屋根の武家屋敷。樋を90度まがる雨戸とかスライド窓など、昔の人の工夫が見える。

久留米の人たちは、近代化にあわせて武家屋敷を軒並み壊してしまったそうだ。繁二郎の生家くらいしか残っていない。残っていたら今ごろ地域振興の役に立っていたかもしれないのにと婦人は言う。


繁二郎の生家は貸し出し可。ここで<寺子屋・国語キャンプ>を開くのもよいかもしれない。

ひと夏の寺子屋体験♪
夏休み(7月下旬から8月末)期間に、寺子屋・国語キャンプを開催。
読んで楽しい、しかも国語力が身に着く良質の文章をつかって、国語の授業。
読み方、書き方、考え方、そして生き方が身に着く立体的な授業。

先生は、僧侶兼作家の草薙龍瞬。過去に学んだすべての学び方・生き方を惜しみなく伝えます。

対象は、小学生5年から高校生あたりまで。国語力を身につけたい/言葉に触れる楽しさを体験したい/夏休みにちょっと変わった体験をしたい十代のみんなとご両親(ただし、中学生以上は親の同伴ナシ。自立への準備として(笑))。

授業の後は、中高生の相談に応じます。


場所と世話役になってくれる地元の人が一人見つかれば、すぐ実現できる。
未来を育てなければ。


<告知>

さっそく2024年の夏の全国行脚から実施します。寺子屋(国語キャンプ)を開いてほしいというお父さん・お母さん、または中学生・高校生の人がいたら、興道の里までご連絡ください^^。場所さえ見つかれば、全国どこでもOKです。


洋画家・坂本繁二郎の生家


2023年7月28日

自己愛というガラクタを捨てなくちゃ

どんな人にも、苦しみを越える方法はあるものです。

ただし・・・一つだけ最初に降りてもらう必要があるものがあります。

それが自己愛――。

自分が可愛い、自分は特別、自分はこんなものではない、もっと違う自分を、という自意識。自分への愛着。正確には自分に都合のいい妄想です。


自分を愛する(肯定する)ことと、自分に愛着を持つことは、まったく異なります。

自分への愛着は、えてして自分が特別、自分がすごい、自分がキレイと思ってもらいたいという執着に結びつきます。


本人にとっては、それは意味を持つように見えます。自分一人の人生なら、誰も止められないし、本人がイイと思うなら、問題ありません。しかし決定的な危うさに転じることもあります。


それが、子供がいる場合です。


自分は特別、自分は輝いている、趣味に、仕事に、社交に頑張っているワタシ!という自己愛を間近で見せつけられる子供は、

それだけで、自分が二の次、いわば自己愛に満ちた親にとってのお飾りでしかないことに、やがて気づきます。

親が第一で、自分は第二、第三・・・という位置づけを見せつけられて、最初は不安と戸惑いを感じ、いずれ寂しさや疎外感を覚え、自分を信じることができず、やがて愛されないがゆえの憤りや怒りへと変わっていく――。


親が自分を第一に愛する姿は、子供にとっては、深い傷になります。

それでも親はなお、自分、自分、自分を生きようとします。あろうことか「子供ため」という大義名分をふりかざすことさえあります。

そうして自己愛に満ちた親が頑張れば頑張るほど、子供はますます置き去りにされてきます。

たとえば宗教にハマる親。そればかりではありません。お稽古、お仕事、お勉強、趣味や社交に張り切って「イキイキと輝く」親。子供の受験に過剰に入れ込む親も、根っこは共通しています。


自己愛と子供への愛情は、両立しません。


親になるということは、子供の可能性のために譲歩するということでもあります。

自分に都合のいい妄想を降ろすこと。

自分のことはさておいて、子供の成長と自立を願うこと。


それでも自己愛は強烈だから、なかなか捨てられません。

自己愛が強いと、自分をきれいに見せる小道具をやたらかき集めようとします。知識、物、肩書き、交友の広さやSNS上の記号――。

そうした小道具を抱え込めば抱え込むほど、自分の姿が見えなくなります。子供のためといいつつ子供を阻害し、深く傷つけていることにも、気づかなくなるのです。


そんなに自分が可愛いですか――?


最初にそんな問いが浮かびます。


もし親自身が苦しんでいるなら、あるいは子供が苦しんでいる・子供の様子がおかしい、だからなんとかしたいと思えるくらいに「殊勝な」親であるならば、

まず最初に、自分が特別でいたい、キレイに見せたいという自己愛(取るに足りない自意識)を捨ててもらう必要があります。


もう一度尋ねます――自分って、そんなに可愛いものですか?

捨ててみれば、ラクになれるのに。

子供も救われるのに。


すべての苦しみの根源には「業」(親の影響)が隠れています
掘り起こすことが第一歩