ポッドキャスト第3弾は4月26日配信スタート

Amazonポッドキャスト第3弾

反応しない練習エクストラ【希望篇】
大人になったぼくらは今どう生きるか

 

2024年4月26日(金)に配信スタートしました。

配信元 https://www.audible.co.jp

 

EPISODE1<喪失>
居場所を失ったとき何をめざせばいい?――2歳で放浪し始めた出家の場合

EPISODE2<決別>
生きづらい社会の犯人は誰だ?――学歴信仰という見えない監獄

EPISODE3<克服>
人間関係に悩むあなたへ――傲慢な強敵にブッダはどう立ち向かったか

EPISODE4<決断>
ほんとは人生難しくない?――矛盾だらけの世界で見つけた答え

EPISODE5<希望>
それでもぼくらに必要なもの――時が過ぎても変わらない「生き方」がある

 

 

 

幸せな日が1日でも増えるように

この世界が1日でも長く続くように

未来に向けて贈ります

 

 

歳の差は考えなくていい?


ここ一週間ほど、東京を離れていました。

4月26日(火)は、名古屋で今年最初の仏教講座。

栄中日文化センターは新しいビルに移って、お祝いの胡蝶蘭が飾ってあって、まるでホテルの新規開店みたいな雰囲気でした。

昨年来の人たちとも再会できたし、中日新聞連載中の『ブッダを探して』を読んで新規で来てくださった方々もいました。

最大80名入る大教室。カルチャーでこれだけの施設を維持運営するとなると、かなりコストがかかりそう。講師も頑張らなければと思いました^^。



17日は、大阪の某看護専門学校での1年生向けの講義。クラスの平均年齢20歳未満。

よく年代・世代の差について語られることがありますが、私の場合は、さほど歳の差を感じません(これぞ老害の第一歩?)。

心は、そもそもその時々にある思いや状態が違うので(歳の差関係なし)、人(他人)については、その時々の心を理解しようと努めるだけだし、

自分については、その時々の思いを相手に伝えようと努めるだけで、言葉が通じるなら、こちらの思いは伝えられると思うので(伝わる状況である場合)、

結局は、人を理解して、またこちらも理解してもらおうと努めるだけ・・・ということになるので、歳の差は意識しなくてもよい気がするのです。


歳の差を感じるというのは、彼我の「違い」を見ようとした時に出てくるもので。

その「違い」とは、結局は、自分の側の思いを先に置いた時に見えるものであって、

心がけるべきは、歳の差も、違いも意識しないで、

「ふーん」「へーえ」と無心に聞いて、

「自分にとってはこうなのです」ということを言葉で伝えるだけで良いのかなと思えてきます。

だから、どんなに年が離れていても、相手が幼い子供であっても、相手に合わせることは可能なのかなというつもりで関わっています。

新入社員とか新入生との新たな出会いは、こちらも楽しみではあります。

楽しみにできるうちは、伝える、教えるという役割も引き受けようと思っています。


2024年4月17日

 

 

伝えきれない思い~『反応しない練習エクストラ』ポッドキャスト第3弾

2024年1月某日、
Amazonポッドキャスト『反応しない練習エクストラ』第3弾<希望編>の収録がありました。

*2024年4月26日(金)に配信スタートしました:

配信元 https://www.audible.co.jp


このシリーズは3部作。もう9年近く寄り添ってくださっているKADOKAWAメディア担当者のご尽力の賜物です。


サブタイトルは当初、「告白編 本当は話したくないことを無理やり話す第3弾」的なものになる予定でした。あくまでエンタメ。ふだんほとんど語る機会がない過去の体験について”告白”しようというもの。第1・2弾は、実際にそうした内容でした。


しかし今年に入って能登半島を中心に地震そして津波が起こりました。


現地の人々の姿を見ると、やはり胸が痛みます。

こうした現実を脇に置いて語ることが、果たして正解か――自分の中で葛藤が生まれました。


仮に今回の痛ましい出来事が一回限りのもので、今後は次第に平穏無事に戻ってゆけるというなら、聞いて楽しんでもらえる話題だけ話しておこうということになるかもしれません。

でも、現実は現在進行形にして未来形。これから復旧・復興まで長い歳月が必要になるでしょう。

もしかしたら今後、さらに大きな災難が広い地域に起こるかもしれない、この国に長く困難な時代が来るかもしれない・・・。

もしそうなった時に、個人的エピソードをメインに語るという切り口でよいのかどうか。


むしろ現実を見据えて、自分たちはこれからどう生きればいいのか を正面から語るほうがよいのではないか。そう思えてきました。


でもそうすると、第1・2弾ほどの笑い(楽しさ)はなくなるかもしれない・・。

とはいえ、現実をかわして話を組み立てると、痛みを抱えて生きる人にとって、さらにもし近い将来、もっと多くの痛みが生まれた時に、必要性を失ってしまうのではないか。そう思えてきました。

生き方。そして希望。

現実が困難になればなるほど、必要とされるもの。

それを語ることこそが、この命の本分(本来の役目)であろうと強く思えてきたのです。


もともとこの命は、自分のことではなく、相手のこと、人さまのこと、社会のことを考えて、本当に伝える価値があることを伝えることを、役割としています。出家とはそういう立場。

主眼(本題)はあくまで、苦難の中にいる誰かに必要なこと・有益なことを語ること。自分のことは「ちなみに」であり「おまけ」です(私の本を読んだ人は、わかってくれるものと思います)。

そこで急遽、構成を変更。

エンターテイメント性を大事にすること、商品価値を維持することは、制作チームの人たちにとってマスト(必須条件)。だから私が申し出た直前の変更に、若干のためらいを覚えた様子はありました。

でも現実を見据えて、今伝えなければいけない(と感じる)ことを、まず言葉にする。そのうえで頑張って、聴く人に楽しんでもらえる要素を増やすことに全力を尽くそう。そうお願いしました。


実際に、そうと決めたとおりに話を収録したのですが、この国にはこれまでも何度も大きな地震が起きていて、そうした地震についても本当は取り上げるほうがよくて、でもそうすると本当にヘビーな内容になってしまって、今回のポッドキャストの趣旨を大幅に逸脱してしまう・・・というさらなる葛藤も出てきたことを、告白しておきます。


この世界は、いつも、どこにおいても、悲しいこと、苦しいことが無数に起きているから、

全体を見れば見るほど、考えれば考えるほど、語り切れないこと、取りこぼさざるをえないことが出てきてしまって、

最後は、生きていることさえ罪を犯しているかのような思いにがんじがらめに縛られてきて・・・

という出家する前の心境を、収録しながら思い出してしまいました。戻ってしまった・・。


生きるだけで、つらくなる。

 

出家する前は、そこまで追い詰められていました。

出家したからなんとか、生きることの矛盾や、生きること自体の罪深さや、自分というあまりに小さな存在の非力無力を乗り越えて、

”よき働きを果たす” という今にたどり着くことができたのですが――。


個人的にはいろんなことを考えながら、痛みを感じながら、それでも聴いた人に笑ってもらえるように、”希望”を見出してもらえるようにと、頑張って、本当に今回頑張って、収録しました。いや、しんどかった。というか、率直につらかった・・。


少しは伝わってくれるかな。

伝わってくれると、嬉しいな。


インドに旅立つ前に

2024年1月某日

 

ポッドキャスト3部作 これにて完結

 

 

君がいない空

 

今日で1年が過ぎようとしています。


この1年、ずっと君のことを、そして君が生きていてくれた時の未来のことを、考えつづけてきました。


旅立ってしまったことは、もう取り戻せないし、
 

いっそう君を悲しませることになるかもしれないから、多くは語らないようにするけれど、


今振り返ると、君がひとりでいろんな思いを抱えつづけて、


なんとか自由になろうとがんばって、
 

さいごは本当にひとりぽっちになってしまって、
 

この世界から離れる選択をするしかなくなったのだろうということは、
 

うっすらとだけれど、今も伝わってくるような気がします。


ひとりで抱えてつらかっただろうと思います。

 

つらかったね――。

 

ひとりにしてしまって、本当にすまなかった――とも思います。



君はまだ二十代半ばでした。
 

二十代は、とてもつらい年代だろうと思います。
 

十代までに背負った心の傷も、いまだ癒えずに残っているし、
 

抱え込んだ悩みをどう流せばいいのかわからないこともたくさんあるし、


飛び込んだばかりの社会は、まだまだ未知で巨大な場所で、
 

たくさんの仕事を負わせてくる過酷な場所でもあります。
 

君がいた場所は、特にそうだったかもしれません。

 

でも、よくがんばっていたよね――
 

がんばるという言葉が人を追い詰めてしまうこともよく知っているけれど、
 

君は弱音をはかず、真面目に、誠実に仕事に取り組んで、乗り越えていったよね。
 

どうすれば前に進めるのか、僕にもいろいろと訊ねてくれたね。
 

もし時が残されていたならば、きっと君が抱え込んだ多くの悩みに答えることができた気もします。


でも・・・その時がくる前に、僕らは離れてしまうことになりました。



君がいなくなった街に、あの後出かけてみました。

陽光はもう夏のようにまぶしくて――。

緑と光に溢れた素敵な街でした。

 

広い緑の公園には、若い男女や小さな子供を連れた夫婦や、犬をつれて散歩する人たちなど、たくさんの人がくつろいでいました。
 

青い空の向こうに、スカイツリータワーが見えました。

歩いても行けそうに近いんだね。行ってみたのかな。



雲のない、広い青空ーー


もし君が生きていたら――この空は五〇年後にも同じように明るく輝いていて、
 

その広くて青い空を、五〇年生きた君は見上げていたかもしれないな・・・と思いました。



君は・・あと50年は、生きられた。生きていけたんだよ。


50年ーー想像できるかな。途方もない時間だよね。


君が生きてきた歳月の二倍もの時間が、君には残されていた。


それだけの歳月を生きてみたら、

 

つらかった過去も抜け出せたかもしれないし、

仕事だって変わっていたかもしれないし、

背負ったものを上手に下せるようになっていたかもしれないし、


いろんな幸せを体験できたかもしれない


そう思うと、君がいなくなったことが、本当に、大きく空いた穴のように思えてくる。


そうだね、君を想う両親やご家族や友だちは、きっと、もっと大きな喪失を抱えて、今も生きている。


君がいなくなったことを、

君を知っている、君を大事に思っていたすべての人たちが、


これからもずっと感じつづけながら、生きていくことになる。

つらいものだよ。


旅立つことを選んだ君は、もっとつらかったんだね。


春の空は青くきれいで、人々はみんな幸せそうに見える。


こんなに明るく広い世界に、君という人がいない


その事実を想うと、心は止まってしまう。


君がいないという事実に現実味がない。不思議な感覚だ。


あと君が50年生きてくれていたら・・・と思う。


そうしたら、遠い未来には、今日と同じくらいにきれいな青空が広がっていたかもしれないし、
 

街の景色も、今日よりもっと美しく変わっていたかもしれない。

歳を重ねた君は、もしかしたら結婚して親になっていたかもしれないし、


それとはまったく別の、想像もできない人生を、それでも君らしい人生を生きていたかもしれない。


もし50年、君が生きてくれていたら、


もっと、もっと、もっと、


いろんな幸せを感じることができたかもしれないんだ。



50年後の空を、僕は見ることができない。


未来の君が見上げていたかもしれない空を、僕が見ることはない。


50年先の未来には、僕はこの世界にはもういないだろうから。


君を想い続けてくれたご両親も、その頃にはもういない。

 

それでも、もし君が生きていたら、


この世界のどこかで生きてくれていたら、


50年後のこんなに美しい青い空を、


君は見ることができたかもしれないんだ。 


君より先に旅立っていくはずだった人たちはみんな、


君に未来の明るい空を見てほしい と本当は願っていたんだよ。


当然そうなるだろうと思っていた。



君が幸せな人生を生きてゆけるように、


たくさんの幸せな時間を体験してくれるように、


そう願って、

ご両親は一生懸命育ててきたし、

家族や友人たちは君と過ごしていたのだろうと思う。

僕も、そう思っていた。



君が生きてゆくであろう未来、
 

五〇年後に見上げていただろう空、
 

すべては、君を待っていた。

 


本当に――いろんな可能性が広がっていたんだよ。



こんなに明るい世界の中で、

君という人が、ひとり苦しみを抱え込んでいたことが、あまりに悲しい。


旅立つことは、やすらぎに還ることだと僕は知ってはいるけれど、


本当は、その前に、いろんな幸せを体験してほしかった・・と心から思います。

 

生きてほしかった。



そうなんだよ。みんな、可能性を持っている。


生まれた時には無限の可能性が、


生きるかぎりは未来という名の可能性が。


君にも、果てしないくらいに広く大きな可能性があった。


そのことを伝えたいと思うけれども、もう君は、この世界にはいないんだね。


どこを探しても、君には会えない。


その事実が、どうしようもなくさみしく思う。



できれば、もう一度だけ、君に会って話をしたかった。


この思いも、本当は君だけに伝えたいのだけれど、もうできなくなってしまいました。


一年前のあの時も、連絡が取れなくなったから、君やご両親に申しわけない気持ちもあったけれど、


もしかしたらどこかで見つけてくれるかもしれないと、わらにもすがる思いでここに書きました。

 

一年がすぎたこの日も、もう一度、ここに君への言葉を置くことを許してください。


もっと、もっと、いろんな話をしたかった。


せっかく見つけて、ここまで来てくれたのに、


結局は、さいごに、君をひとりにしてしまった。

 

すべてはこれからという時に君はいなくなってしまって、


本当は、もっともっと君のことをわかりたかったし、


君が抱えた思いを軽くする手伝いもできただろうと思うけれど、

それができなくなった未来は、
 

君のことを、ずっと想いながら、生きていくことにします。

 

君が抱え込んでいた思いも、覚えておくようにするからね。


つらかった君を、君を知るすべての人たちは忘れないだろうと思うから。


僕もその一人として、生きていきます。



君は、世界でひとりぽっちだと思ったかもしれないけれど、


本当はそうじゃなかったんだよ。

 

みんな、君のことを大切に想っていた。



伝わってくれるといいな。



しかしあまりにおおきな喪失だよ。


たくさんの問いも思いも、残ったままだ。


どんなに青い空が広がっていても、


どんなに新緑が輝いていても、


君はもういないのだから。


君に見せることも、君から教えてもらうこともできないんだよ。



君がいない空は あまりにさみしい。



ずっとずっと覚えています。


何もできなくて、本当に、すまなかった。




せめて青い空が見えた日は、


君がこの世界に生きていたことを、


想うようにするからね。



君は、ひとりじゃないよ。


今も。



2024年4月7日