歳の差は考えなくていい?


ここ一週間ほど、東京を離れていました。

4月26日(火)は、名古屋で今年最初の仏教講座。

栄中日文化センターは新しいビルに移って、お祝いの胡蝶蘭が飾ってあって、まるでホテルの新規開店みたいな雰囲気でした。

昨年来の人たちとも再会できたし、中日新聞連載中の『ブッダを探して』を読んで新規で来てくださった方々もいました。

最大80名入る大教室。カルチャーでこれだけの施設を維持運営するとなると、かなりコストがかかりそう。講師も頑張らなければと思いました^^。



17日は、大阪の某看護専門学校での1年生向けの講義。クラスの平均年齢20歳未満。

よく年代・世代の差について語られることがありますが、私の場合は、さほど歳の差を感じません(これぞ老害の第一歩?)。

心は、そもそもその時々にある思いや状態が違うので(歳の差関係なし)、人(他人)については、その時々の心を理解しようと努めるだけだし、

自分については、その時々の思いを相手に伝えようと努めるだけで、言葉が通じるなら、こちらの思いは伝えられると思うので(伝わる状況である場合)、

結局は、人を理解して、またこちらも理解してもらおうと努めるだけ・・・ということになるので、歳の差は意識しなくてもよい気がするのです。


歳の差を感じるというのは、彼我の「違い」を見ようとした時に出てくるもので。

その「違い」とは、結局は、自分の側の思いを先に置いた時に見えるものであって、

心がけるべきは、歳の差も、違いも意識しないで、

「ふーん」「へーえ」と無心に聞いて、

「自分にとってはこうなのです」ということを言葉で伝えるだけで良いのかなと思えてきます。

だから、どんなに年が離れていても、相手が幼い子供であっても、相手に合わせることは可能なのかなというつもりで関わっています。

新入社員とか新入生との新たな出会いは、こちらも楽しみではあります。

楽しみにできるうちは、伝える、教えるという役割も引き受けようと思っています。


2024年4月17日