壁にぶつかったときは


子供の頃に、ラジコン・カーで遊んだことがある人は、わかるだろうと思いますが、

車が壁にぶつかったときに、同じ方向にレバーを入れていたら、いつまでも壁にぶつかったまま。

少し下がっても、ギアを入れたら、また壁にごっつんこ。

いつまでも壁にぶつかりっぱなし・・という事態になってしまいます。


この事態を抜け出すのは簡単で、いったんバックして、距離をおいて、ハンドルを切って、向かう方角を変えるだけでいい。

壁があるのは一方向だけで、他は空いているから、自由に走れる。自由に遊べる。


日常が行き詰まるときも同じ。同じ方向にしか向かっていない。つまりは過去の生き方(方角もスピードも)に執着したままでいる。

執着している自分に気づいて、「このままじゃどこにも進めない」とわかったら、いったん退がって、方向を変えればいい。

なぜその切り替えができないかといえば、同じ方向にしか向いていない、つまりは執着して手放せていないものがあるから。しかも自覚していないから。

まだ、壁のほうに「何か」があると思っている。世俗における成功とか、親と仲良くなりたいとか、もしかしたら相手が変わってくれるかもしれないとか。


壁にごんごんごんとぶつかり続けて、「なんでうまくいかないんだ」とだんだん腹が立ってきたり、

「自分にはこれしかないんだ、これまでもこうして頑張ってきたんだ」と、わざわざ自分に言い聞かせたり、

「どうせ自分は何をやってもダメなんだ」と結論づけてしまったり(何をやってもって、それしかやってないのに)、

「まあいいや、ネットやゲームで遊べるし」と、結局はラクに流れるための理由として利用してしまったり。

その他いろんなパターンがあるけれども、共通しているのは、壁ごっつんこを続けている姿。


「はい、いったん退がってください、ハンドル切りましょうか」と状況整理して伝えて、素直にそのとおりにできるなら、簡単にその窮地は抜け出せる。

「へえ、こんなにスイスイ、広々とした場所を走れるんですね」と、びっくりする声も聞ける。


この場所と縁があるのは、「壁ごっつんこ」にふと気づいて、「痛い」と感じ始めた人たち。

素直に切り替えられる人、切り替える努力を始められる人であれば、この場所は役に立てる。


自由に走れる人たちが世の中に増えてくれれば、それでいい。

他の人をはねたり、巻き込んだりしないで、自分の人生を爽快に走れる人が増えてくれたら、

というのが、この場所の願いであり、そのきっかけ(方向転換の)であることが、この場所の役割です。

『怒る技法』台湾語版、まもなく




2025年7月初旬