君がいない空

 

今日で1年が過ぎようとしています。


この1年、ずっと君のことを、そして君が生きていてくれた時の未来のことを、考えつづけてきました。


旅立ってしまったことは、もう取り戻せないし、
 

いっそう君を悲しませることになるかもしれないから、多くは語らないようにするけれど、


今振り返ると、君がひとりでいろんな思いを抱えつづけて、


なんとか自由になろうとがんばって、
 

さいごは本当にひとりぽっちになってしまって、
 

この世界から離れる選択をするしかなくなったのだろうということは、
 

うっすらとだけれど、今も伝わってくるような気がします。


ひとりで抱えてつらかっただろうと思います。

 

つらかったね――。

 

ひとりにしてしまって、本当にすまなかった――とも思います。



君はまだ二十代半ばでした。
 

二十代は、とてもつらい年代だろうと思います。
 

十代までに背負った心の傷も、いまだ癒えずに残っているし、
 

抱え込んだ悩みをどう流せばいいのかわからないこともたくさんあるし、


飛び込んだばかりの社会は、まだまだ未知で巨大な場所で、
 

たくさんの仕事を負わせてくる過酷な場所でもあります。
 

君がいた場所は、特にそうだったかもしれません。

 

でも、よくがんばっていたよね――
 

がんばるという言葉が人を追い詰めてしまうこともよく知っているけれど、
 

君は弱音をはかず、真面目に、誠実に仕事に取り組んで、乗り越えていったよね。
 

どうすれば前に進めるのか、僕にもいろいろと訊ねてくれたね。
 

もし時が残されていたならば、きっと君が抱え込んだ多くの悩みに答えることができた気もします。


でも・・・その時がくる前に、僕らは離れてしまうことになりました。



君がいなくなった街に、あの後出かけてみました。

陽光はもう夏のようにまぶしくて――。

緑と光に溢れた素敵な街でした。

 

広い緑の公園には、若い男女や小さな子供を連れた夫婦や、犬をつれて散歩する人たちなど、たくさんの人がくつろいでいました。
 

青い空の向こうに、スカイツリータワーが見えました。

歩いても行けそうに近いんだね。行ってみたのかな。



雲のない、広い青空ーー


もし君が生きていたら――この空は五〇年後にも同じように明るく輝いていて、
 

その広くて青い空を、五〇年生きた君は見上げていたかもしれないな・・・と思いました。



君は・・あと50年は、生きられた。生きていけたんだよ。


50年ーー想像できるかな。途方もない時間だよね。


君が生きてきた歳月の二倍もの時間が、君には残されていた。


それだけの歳月を生きてみたら、

 

つらかった過去も抜け出せたかもしれないし、

仕事だって変わっていたかもしれないし、

背負ったものを上手に下せるようになっていたかもしれないし、


いろんな幸せを体験できたかもしれない


そう思うと、君がいなくなったことが、本当に、大きく空いた穴のように思えてくる。


そうだね、君を想う両親やご家族や友だちは、きっと、もっと大きな喪失を抱えて、今も生きている。


君がいなくなったことを、

君を知っている、君を大事に思っていたすべての人たちが、


これからもずっと感じつづけながら、生きていくことになる。

つらいものだよ。


旅立つことを選んだ君は、もっとつらかったんだね。


春の空は青くきれいで、人々はみんな幸せそうに見える。


こんなに明るく広い世界に、君という人がいない


その事実を想うと、心は止まってしまう。


君がいないという事実に現実味がない。不思議な感覚だ。


あと君が50年生きてくれていたら・・・と思う。


そうしたら、遠い未来には、今日と同じくらいにきれいな青空が広がっていたかもしれないし、
 

街の景色も、今日よりもっと美しく変わっていたかもしれない。

歳を重ねた君は、もしかしたら結婚して親になっていたかもしれないし、


それとはまったく別の、想像もできない人生を、それでも君らしい人生を生きていたかもしれない。


もし50年、君が生きてくれていたら、


もっと、もっと、もっと、


いろんな幸せを感じることができたかもしれないんだ。



50年後の空を、僕は見ることができない。


未来の君が見上げていたかもしれない空を、僕が見ることはない。


50年先の未来には、僕はこの世界にはもういないだろうから。


君を想い続けてくれたご両親も、その頃にはもういない。

 

それでも、もし君が生きていたら、


この世界のどこかで生きてくれていたら、


50年後のこんなに美しい青い空を、


君は見ることができたかもしれないんだ。 


君より先に旅立っていくはずだった人たちはみんな、


君に未来の明るい空を見てほしい と本当は願っていたんだよ。


当然そうなるだろうと思っていた。



君が幸せな人生を生きてゆけるように、


たくさんの幸せな時間を体験してくれるように、


そう願って、

ご両親は一生懸命育ててきたし、

家族や友人たちは君と過ごしていたのだろうと思う。

僕も、そう思っていた。



君が生きてゆくであろう未来、
 

五〇年後に見上げていただろう空、
 

すべては、君を待っていた。

 


本当に――いろんな可能性が広がっていたんだよ。



こんなに明るい世界の中で、

君という人が、ひとり苦しみを抱え込んでいたことが、あまりに悲しい。


旅立つことは、やすらぎに還ることだと僕は知ってはいるけれど、


本当は、その前に、いろんな幸せを体験してほしかった・・と心から思います。

 

生きてほしかった。



そうなんだよ。みんな、可能性を持っている。


生まれた時には無限の可能性が、


生きるかぎりは未来という名の可能性が。


君にも、果てしないくらいに広く大きな可能性があった。


そのことを伝えたいと思うけれども、もう君は、この世界にはいないんだね。


どこを探しても、君には会えない。


その事実が、どうしようもなくさみしく思う。



できれば、もう一度だけ、君に会って話をしたかった。


この思いも、本当は君だけに伝えたいのだけれど、もうできなくなってしまいました。


一年前のあの時も、連絡が取れなくなったから、君やご両親に申しわけない気持ちもあったけれど、


もしかしたらどこかで見つけてくれるかもしれないと、わらにもすがる思いでここに書きました。

 

一年がすぎたこの日も、もう一度、ここに君への言葉を置くことを許してください。


もっと、もっと、いろんな話をしたかった。


せっかく見つけて、ここまで来てくれたのに、


結局は、さいごに、君をひとりにしてしまった。

 

すべてはこれからという時に君はいなくなってしまって、


本当は、もっともっと君のことをわかりたかったし、


君が抱えた思いを軽くする手伝いもできただろうと思うけれど、

それができなくなった未来は、
 

君のことを、ずっと想いながら、生きていくことにします。

 

君が抱え込んでいた思いも、覚えておくようにするからね。


つらかった君を、君を知るすべての人たちは忘れないだろうと思うから。


僕もその一人として、生きていきます。



君は、世界でひとりぽっちだと思ったかもしれないけれど、


本当はそうじゃなかったんだよ。

 

みんな、君のことを大切に想っていた。



伝わってくれるといいな。



しかしあまりにおおきな喪失だよ。


たくさんの問いも思いも、残ったままだ。


どんなに青い空が広がっていても、


どんなに新緑が輝いていても、


君はもういないのだから。


君に見せることも、君から教えてもらうこともできないんだよ。



君がいない空は あまりにさみしい。



ずっとずっと覚えています。


何もできなくて、本当に、すまなかった。




せめて青い空が見えた日は、


君がこの世界に生きていたことを、


想うようにするからね。



君は、ひとりじゃないよ。


今も。



2024年4月7日