日本に帰ってきて、12年が経った。
物も過去も関わりも、すべてを捨てた身から始めた。
最初は、生きていけるかも見通せなかった。
ダメなら野垂れ死にでいいと肚を決めていた。
今、振り返ると、宝のような人と風景との出会いを授かった。
本という形で、自分自身が生涯かけて守り抜いてきた思いを伝えることもできた。
これだけの作品を世に、未来に送り出せたことは、予想を超えた収穫だ。
どの本も、心を尽くした手紙のような作品だ。
私の一生は、出家として、仏教にもとづく生き方を伝え、真摯に道を求める人と出会い、インドで育んだ稀有の友情を守ることで終わるものと思っていた。
それだけで十二分。それ以上のものはたぶん来ないだろうと思っていた。
ところが、この十二年、そしてここ数年で、日本という国がいっそう危うくなりつつあることが見えてきた。
社会が壊れつつある。
人の心から、希望が失われつつある。
このままでは未来が消えてゆく。
そうはしてはならないと思う。
世界を守ること。
未来を育てること。
はて何をすべきか、何ができるかと考えてきたが、ひとつ見えてきたものがある。
それを、次の人生において始めようと思っている。
私の人生は、いくつかの生と死を繰り返してきた。何度も死んでいる。何度も終わらせている。
出家として仏教にもとづく生き方を伝えることが、最後の生であろうと思っていたが、そうではなかったのである。
ブッダの教えは、普遍的な生き方であり、その中身は、まだ掘り起こされていないから、今後も私自身の活動の一環として、過不足のない良質な言葉で表現してゆこうと思っている。
だが、仏教そのものを、出家の体(てい:すがた)で伝えるだけでは、本当は足りない。
なぜならそれでは、仏教に価値を見出せる人にしか届かないからだ。
仏教を求める人に仏教を伝えることは、たやすい。それは私の役目だが、しかしもっと価値あることは、仏教にたどり着けなくても幸せに近づける、生き方そのものを人が知ることである。
己の生き方を知る。
世界を支える方法を知る。
その「知る」という営みに、仏教は要らないし、役に立たない。
この命は、それくらいに仏教からも“抜けて“いる。
いっさいの迷いや執着を解き放った自由な心で、
未来のために何をすべきか
を考えたら、ひとつアイデアが思い浮かんだ。
これなら、仏教と関係なく、また出家としての立ち位置からも自由に、この世界に希望を、幸せの可能性をひとつ、自分なりに増やすことができるかもしれない。
その新たな可能性は、別に特別なものじゃない。今の世の中で、心ある人たちは、みんな、それぞれの場所でやっていることだ。
私も、新しい場所で、その可能性を形にしてみようと思う。
生きることは、本来は楽しいものだ。そして素晴らしいもの。
学ぶこともそうだ。本当はもっと夢があって、楽しいもの。
いつのまにか汚されて、矮小化されてしまった、生きること、学ぶことを、二つ合わせて伝えてみようと思う。
人生は、美しい夢から始めるものだ。
明るい夢から始めよう。
2023年10月30日