プロローグ しあわせの国づくり

 
この国の苦しみの深さに圧倒される思いです。

2006年、インドにて得度出家しました。
ミャンマーで瞑想修行をし、仏教大学で仏教学。
インドに戻って、村落開発NGOを立ち上げました。
タイに渡って仏教大学に滞在(文献研究)。最後に瞑想修行。
 
2010年夏、日本に帰国。
 
この国を覆う閉塞感、神経症的な圧迫感。

変わらねばならないことは一向に変わらず、
強制と義務ばかりが水かさを増しつつある気がします。

人々は礼儀正しく、勤勉。
町の美しさは日本人の心の善さを反映しているかの様子。

娯楽はふんだんにあり、物は溢れ、物価はそれなりに安い。
そこそこに満足している人々も多い印象です。

しかし・・・
もっと巨(おお)きな不満・苦痛・失望が、人々の心の底に積み重なりつつある気がします。

本当は、もっと善き国にできるはずなのに。

この国には選択肢がない。解決策が見つからない。

言葉にならない疑問を抱えながら、そこそこの日常を過ごして、人生の終幕を待っている。
そんな生活感がひとびとの顔にかいま見える気がします。

この国は、このままでよいのか。このまま行ってしまうのか。

あと50年、100年・・・失われた過去20年と同じように、
無為に過ごせば、あっという間に時間(とき)はすぎていくはずです。

この国を作り変えるものは何か。

戦争か。維新か。天災か。もちろん否(いな)。

国を新たにするのは、法制度であり、メディアの情報の質であり、
人々が共有する価値観・方向性によってです。

その基本は、心をつくること。

僧侶としての私は、海外の現実を見て、伝統を固守するだけの仏教には
希望はあまりないと知りました。

しかしこの身の半生にわたる苦悩・懐疑が、
ブッダの教えによって解(ほど)かれたのも事実です。

おそらく、この国で沈鬱のままに伏す人々のなかには、ブッダの知恵が、
その幸せに役立つこともあるでしょう。

ブッダの教え・生き方は、個人の幸福に役に立つ。

それを身をもって知るこの命は、一出家として、
この国を”しあわせの国”へと変える役回りの一つを担うべきなのだと感じています。
 
自身の先行きは見えません。定住の場所すら見つかっていません。

しかし、ひとつの”はたらき”を、この国にて開始せねばなりません。


みんな、もっと幸福になれる。
この国は、もっと幸(さち)ゆたかな国になれる。


この命なりの
しあわせの国づくりを始めます。
 

2010年9月9日
草薙龍瞬(くさなぎりゅうしゅん)