出家の流儀~本の執筆をめぐって


草薙龍瞬は、命を賭けて言葉を紡ぐ物書きです。

僧侶というよりは、「出家」です。

 

仏教を伝えようということではなく、現実にある苦しみを見据えて、どうすれば苦しみを越えていけるかと考えて、それこそ一冊のテーマについて数年くらい悩んで、

 なんとかこれなら人さまに伝えても大丈夫ではないかという智慧が見えたところで、執筆に取りかかります。

 

現時点で、年に1冊くらいのペースです。寡作かといえば、そうでもありません。生涯年数でいえば50年、そして日本に戻ってきてから十余年、人と関わりながら、苦しみを越える方法を探して、言葉を紡いできたので、

 

だからこそ1年に1冊くらいのペースでは、作品を出すことができているということです。

 

生きてきた、から、言葉も出てくる。

 

本の作り方は、さまざまだろうと思います。届く読者がいるのなら、たとえ「著者」が実際には書いていない本であっても、相応の価値を持つのかもしれません。そういうスタイルが今や主流ということも、聞いています。

 

しかしそういう本ばかりと化しては――特に仏教がそういう売らんかな路線の草刈り場的な場所になってしまっては、本への信頼も、ひいては仏教そのものの命運も、読者の信頼を失うとともに、枯れていってしまいます。

 

それは本に見せかけた贋物(張りぼて)だというのが、出家という生き物の立ち位置です。

 

本というのは、草薙龍瞬にとっては、この身が消えた後への「遺書」であり、この時代に苦しみを抱え、しかし希望を失わずに明日へと生きようと頑張っているすべての人に向けての「手紙」です。

 

紡ぐ者の生き方がかかっている。人さまの人生もかかっている。仏教という思想の命運もかかっている。

 

この身が伝えようとしているのは、仏教という名の知識や理屈ではないのです。遥かに越える思いです。

 

上記謹んでお伝え申し上げます。今後の作品のために。受け取ってくださる方々のためにーー。

 

草薙龍瞬

 


 

 

2023年1月19日