いや、娑婆(世俗)の世界は本当に疲れます。いろいろと考えなければいけないことが新たに出てきていることもあり・・。
出家というのは、ほんとは娑婆の世界に降りて(?)きてはいけない種族のような気もします。
でも山奥にひきこもれば解決ということにはならなくて、自分自身に解決すべき問題は残っていないので、やっぱり「新たな可能性を創る」ことくらいしか命の使い道はなく、
そうなると、やはりやれることというのは、今やろうとしていることで、
やろうとすると、こういう苦労も背負わざるを得なくなって、
苦労というのは背負える限りは背負う(ことがあってもいい)もので、
背負う限りは、「大変だけれど、そういう時期」として受け止めるほかないもので、
結局は「そういう時期なんだ」という思い(諦念)をもって受け止めて、
やっぱり歩ける限りは歩く・・という今の姿に落ち着くので、
最後は「これでいいのだ」というバカボン的心境に落ち着くのでありました。
めでたし、めでたし?
2025・9・23(そうか、祝日か・・)