見えるプロをめざしてください


看護専門学校にて(課題講評)


すべての医療は、人間の苦しみを増やさない(減らす)ためにあります。「増やす」選択は、その時点で正しくありません。

気管挿管事例で取り上げたように、患者が死ねば、その選択は(AであれBであれ)間違っているのです。

何が正解だったか、どうすれば救えたかを、①事実の理解⇒②方法⇒③選択 の順序で検証する。

その検証するという態度こそが、「倫理的に正しかった」と言える唯一の根拠になるのです。

支持するとか反対するとか、そういう話ではありません。すべてを理解したうえでの選択だったのか。選択は患者・人間によって当然違うから、違うことを前提として、手順を追って、人それぞれの選択を促さなければならないのです。

だから、自分自身の見解を語るのはいいけれども、その根拠は何か、その根拠をどこから引いてきたのかを、きちんと明示してください。

「受け売り」(誰かが言っていた)レベルの理由は、理由になりません。権威(「○○先生が言っていた」的な)はただの妄想です。人を救えないなら、なんの実態もありません(違いますか?)。

(略)


単純に、事実(fact&evidence)がないということ。「理屈ではこうなる」と言う企業や専門家はいても、裏づける事実はないのです(あるという人がいたら、聞いてみてください)。

このことを理解しないと、前に進めません。せめて「まだ(事実は)わかっていないんだ」ということは、わかってもらう必要があります。誰が何をどのように語っていようと、です。

ひとつだけ、「倫理的に正しい」といえるかを測る目安があります。わかりますか?

それは、「苦しみを見ているか?」の一点です。

理屈・理論だけで「○○すべき」とか「〇〇したほうがいい」というのも、一部のデータだけを取り上げて安全だ、有効だというのも、間違いです。

その理屈・理論で選んだ時に、苦しみを背負う人は出てこないのか、どれくらいの割合で出てくるのか。

そのデータが正しいものと仮定して(間違っている可能性もありますが)、そのデータにもとづけば、苦しみ(副反応・後遺症・死亡・社会的影響)は、どの程度・どれくらいの割合で生じているのか?


きちんと「裏(背後)」も見ないと、正しい選択にはなりません。「全体を理解する」ということ。

裏を見ていなかったということ。今も見えていないかもしれないということ。


じつは誰も、事実と苦しみを直視していない――かもしれない。

医療・看護の現場においても。当然、学生である君たちも。


「見えない人間」が、人を救うことはできないと私自身は思います。

「見える看護師」になってほしいというのが、私個人の願いです。





2025・9・10