闘えるうちは闘うということ

 
個人相談会と並んで、「隠れ相談会」というのもやっています。

ご連絡内容を聞いて、心身だけではなく経済的にもラクではない状況(誰しもそういう時はあります^^)だと知った時に、こちらから声をかけて、お代無料で相談の時間を作るというものです。

この場所が最大の価値とすることは、その人が課題を克服して、前に進んでくれること。

前に進むとは、自由になること、心が軽くなること、喜びが増えること。

その可能性がある限りは、応援したいという思いでいます。

この場所は、こちらの都合で動くことはありません。あくまでその人の姿を見て、必要なこと、できることはないかと探して、見えたものを差し出して、背中を押す場所です。

課題・苦悩というのは、人によって違います。同じものは存在しない。

自分と比べて、誰かの悩みは軽いとか、誰かの苦しみは重いとか、そういうものではありません。

みんな一生懸命生きているし、闘っている。どんな悩みも苦しみも、その人の目の前にあるということは、その人にとって、それが最も切実な悩みだということです。

命に軽重がないように、悩みや苦しみにも、軽い重いはないのです。


すべての悩みには、解決策が必要です。というか、解決できるように、体を、心を調整していかねばなりません。

苦しみを増やさないこと、できる範囲で苦しみを減らすこと。

なにかしら可能性がある限り、つまり、できることがあるかぎりは、それをやる、というのが ”闘い” という言葉の意味です。

闘えるかぎりは、闘ってほしいというのが、この場所の素直な思いです。可能性がある限り。

今回相談に来た人たちは、闘うべき相手・闘うべきテーマがあって、闘う方法もある人たちでした。

中身は違うけれども、どの人の悩みも壮絶。でも方法はある。

ならば、闘うべし。

しんどいとか疲れたと感じる人は、無理しなくてもよく、手放すことが正解になります。

ただ、それでもまだ使える体と心と時間が残されているならば、やはり闘って、つまりは試してほしいとは思います。

闘える間は、闘いを選ぶ、つまりは自分にできることをやる。

それができると思える人には、この命は”応援”したいと思っています。


◇◇◇◇◇◇

明日26日は愛知で講演会。12月には宮城、岡山を訪問します。

相談してみたいことがある人は、お声がけください。



2025年11月25日
・・・・・・・・・・・・・・




大分中津 福沢諭吉記念館

門司から中津に向かう。車内で、通学途中の高校生たちと一緒になる。9割方はスマホ、1割は参考書。スマホは常習化した感がある。

スマホのない空白の時間を体験している世代としては、ほんとにこれでいいのかなという疑問もなくはないのだが、

片や参考書を眺めている殊勝な高校生たちの姿を見ると、中身のなさそうな勉強に時間を注いでも、あまり実のあることはアタマに残らないだろうし、未来の足しになるとも思えない。

要するに、スマホも参考書も、正直意味がないのではと思えてしまう。

とはいえ、スマホをダラダラ使っても、知能は育たないであろうから、こうした時間を延々と過ごして脳が溶けていった(思考力が劣化していった)先に、どんな人生が、そしてどんな社会が待っているのかは、今の時点ではわからない。せめて実のある時間の過ごし方について提案するくらいのところまでは、やってみたいものだと思う。



yukichi1.JPG
中津駅を降りると、福沢諭吉先生の言葉が
使えない学問には意味がないということを仰っておられます

 
yukichi2.JPG
福沢諭吉旧居 移築したそうです


下級藩士に当たる諭吉の父は、米を管理する役人として大阪に出向していたが、諭吉が2歳の時に亡くなった。その後、母と兄と3人の姉一緒に中津に戻ったが、身分が邪魔したこともあって、藩校にも行けなかった。

後家さんとなった母のお順も、何かと噂を立てられたかもしれない。だが道を歩く浮浪者のような女性を呼び寄せて、頭の虱を取ってあげたうえに、取らせてもらったお礼にと握り飯をふるまったそうだ。

無理解な田舎の人々に囲まれながらも、善良な人間でありつづけた。これこそ諭吉の独立自尊の原点かも?

諭吉は、周囲の大人たちの偏見や狭小さに、さぞ悔しい思いをしたのろう。だからこそ理にかなった学問に憧れたし、のちにすべての人が平等にして自由だという近代の思想を、自分の言葉として語ることができたのかもしれない。

諭吉は家父長制にも批判的で、女性の地位向上にも理解を示した。弱者の視点を持つ、時代の先を行く人、本当の頭の良さを持った人だったと見た。



諭吉が腐ることなく知力を伸ばせたのは、地元で照山先生(白石照山)に出会えたことが大きかったらしい。照山先生は二十代後半に江戸に出て、昌平黌(昌平坂学問所)で学び、29歳で中津に戻って私塾を開いた。30代からは藩校・郷校で教えて、明治の学制移行後は、57歳にして再び私塾を開いている。

照山先生も下級藩士で反骨の人。藩上層部にモノ申して追放されたとか。諭吉に通じる部分かもしれない)。

出会った時は、諭吉は14歳、照山先生34歳(若い)。多感な年頃に諭吉が触れた「学問」は衝撃だったろう。

察するに当時の教育というのは、教える側の情熱と知識と、いかに時代を切り開いていくかという思考が備わっていた気がする。知識を得て、考えて、行動に移す。

私塾を開くのも、政治の世界に打って出るのも、当時は一本の線の上にあった。思想という線である。


思想に目覚めた諭吉は、19歳で長崎に出向いて蘭学と出会い、さらに大阪・適塾に赴いて、緒方洪庵のもとで蘭学を掘り下げて、25歳でアメリカへ。広大なユーラシア大陸も旅している。どんな景色を各地で見ただろうか。

記念館に諭吉のノートが展示されていたが、文字も図もきわめて緻密。諭吉は 『蘭学事始』 以外にも多くの書物を筆写して学んだそうだが、「書き写す」ことは集中と銘記(記憶)に直結する。書いて覚えるという基本の積み重ねが、諭吉の知力を育てたのだろう(緻密に書く時間を教室でも設定することだ。緻密に、ていねいに、心を尽くして書き写す。まずは5分)。

31歳で出した『西洋事情』が15万部のベストセラー。当時の人口は4000万人弱だから、今の感覚でいえば50万部くらいの大ベストセラーか。33歳で復活させた私塾が、のちに慶応時義塾大学になる。37歳で著した『学問ノススメ』は、300万部の超ベストセラー。社会現象といえるスケール。

福沢諭吉を主役にすえれば、壮大な大河ドラマが作れそうなのに、まだ実現していないという。諭吉の人間性・感情面を掘り起こしきれていないことも、一因かもしれない。


歴史上の人物には、その魅力が埋もれたままの人がまだ相当数残っているのではないか。人間として、想像を尽くして、その人物の内面に迫らないと、本当の姿は見えてこない。

その人の感情、人格、感性、陰影、反骨といった個性こそが思想を作る。本人には突き動かされるエネルギーがあったはずだが、時を経て歴史上の人物として眺めるだけの後代の人たちは、本人が成し遂げた形だけを見て評価を下す。

あれやこれやをやった偉い人という位置づけで、高いところに祀り上げて満足してしまう。そうして本人の熱量も思想も抜け落ちて、一見立派な形だけが残ってしまう。

未来の人々は、その形のみを見て、本人を知った気になってしまう。その人の心の奥を想像しようとしない。未来を見据えて突き進んでいたであろう本人のことを、過去形で眺めてしまうのだ。急速にその人が”化石”と化していく。

思想を遺すは難しいということなのだろう。諭吉の思想は現代にどれほど残っているか。

思想を掘り起こすのは、後代の人々の想像力だ。想像力が枯れた時に、歴史は形骸と化し、思想は力を失う。想像することは一つの技法であるから、きちんと教えないと次の世代に続かない。教育とは「教える」ことではないのだ。一つは「想像を促す」ことなのだろうと思う。


yukichi3.JPG
勉強なんて意味がないとか、学校が嫌いとか、本当にもったいない
自分の限られた体験や価値観をもって、学ぶ・生きることの意味を矮小化してしまっていないか
意味のある、楽しいと思える学びを始めればいいじゃないか 自分の力で



2025年11月12日


東京から九州へ 海の上

 
11月10日から日本全国行脚の秋バージョン。法事に呼ばれて九州・熊本へ。

今年二度目の船の旅。陸路より安いし、宿泊費も節約できる。しかも一度乗れば、目的地に着くまで、何もする必要がない。WIFIも届かないから連絡もつかないし、食事は自販機で盛りだくさんのメニューから選べるし、大きな浴場もある。周りは見知らぬ人ばかりで、気兼ねする必要もない。いうなれば "おこもり"の時間。出家の性分に合っている。

前回と同じく東京の夜景を背にして、ベイ・ブリッジを潜って洋上へ。景色を見せたくなる誰がいることは幸い也と思う。

tokyo1.JPG
あいかわらず美しい黄昏の色


夕食後は、原稿執筆。『ブッダを探して』が、いよいよ最終章へ。ひと昔前の自分と比べれば、ずいぶん過去を語れるようになった。思うに以前は、自分が何者でもなく、過去がそのまま今の自分でもあったから、過去が近すぎて語るのが難しく、また下手に他人に興味を持たれたら、自分にとって大事な部分をいじくられてしまうのではないかという抵抗というか警戒のような思いがあった気がする。

だが、過去は妄想でしかないことは知り尽くしているし、他人の思いもまた妄想でしかない。そのうえ今の自分は、五十年以上生きて、それなりに大人になったし(ようやく?)、社会における立ち位置も確立できてきた気がするので、外のノイズを気にしなくてもよくなりつつある。平たく言えば、自信がついてきたといおうか(今頃?)。

自信なんて妄想の一種でしかないと重々承知しているが、多くの他者と関わらざるを得ない娑婆の世界では、大事なものを守るための防御壁みたいなものとして必要かもしれないと最近思う。

もしかしたら、この先もっと俗世と交わることになるかもしれない。その時には、今以上に、いい意味での自信というか、もう少し面の皮を厚くしておく必要があるのかもしれない。もっと鈍感でもいいように思う。

今回は、外の景色をほとんど見なかった。過去を振り返って、自分の思いの奥を探って、的確な言葉を探すことに専念した。おかげで、ずいぶん話が先に進んだ。

過去を振り返って、言葉にして、いっそうの心の自由を得る。まもなく新しい人生が始まるかもしれないこの時期に、ちょうど連載を通して過去を総ざらえするというのは、実によくできた計らいというものだ。

すべての過去を、いわば自分の外へと出してしまう。総ざらえのデトックスみたいな作業。すべての過去が、思い入れの対象ではなくなって、完全にただの記憶であり、話題の一つ程度にしかならなくなっている。

それだけ自由自在ということ。空っぽになった心を、来年からは、新たな試みをもって埋めることになる。


tokyo2.JPG
東京の夜景を背に海へ



2025・11・10


PHP2025年12月号「捨てる」


PHP 2025年12月号
特集「捨てる」と人生が好転する

に寄稿させていただきました。


PHP2025122.jpg


月刊PHPは、まだ自分の本が広く届く前に原稿の依頼をいただいて(2013年?)、

その記事がきっかけになって、『反応しない練習』につながっていったという恩人的な雑誌です。

この号も、他の記事が充実しています。これで300円(なんて良心的w)。

月に一度、こうした読み物が届く暮らしは、なかなかのものだと感じます。


目に触れる文章や写真・絵は、ノートに抜き書きしたり切り貼りしたりして、自分のモノにする作業が大事なのだろうと思います。

雑誌の場合、元の本をもう一度すべてたどることは、ほぼないでしょう。

「この時はこれに反応した(目が留まった)んだな」という履歴を刻む作業こそが、価値として残るのだろうと思います。


PHP2025121.jpg


2025・11・9





「椅子取りゲーム」いつまでやるの?

(子供を受験塾に通わせているお母さんのおたよりをふまえて)

 

某大学をめざせ系のカルチャーを支えているのは、

たかだか大学でしかないものに過剰な価値を見出し、まるでその価値を手に入れれば人生が挽回するとか、成功という社会的記号が手に入るとか、そういう単純な、もっとはっきりいえば貧しい価値観です。

どこぞの大学に進んだからといっても、それ自体に社会的な価値があるわけじゃない。

社会的な価値というのは、経済学的には付加価値を創り出すこと。

仏教的には、人の苦しみを減らし、社会における快適さを増やすこと。

そのための手段として、さまざまな仕事・役割があるわけで、どこぞの大学に行った・出た程度のことは、こうした価値に直接の関係がない。

社会的な価値に至らない、つまり価値未満の記号でしかない。

にもかかわらず、そうした分別、成熟、すなわち「社会にとっての価値とはどのようなものか?」という視野がまったく欠落している大人たちが、

どこぞの大学に行けば人生が変わるとか、社会的に有利だとかという思い込み(視野狭窄)に捕らわれていて、

その捕らわれている自分自身のダサさ・痛さをまったく自覚していない(いい歳をして)というところが、「絶句」なのです(間違っているというしかない)。


こうした価値観にとらわれた、視野の狭い、無思考な(疑ったうえで本当の価値を考えるということをしない)大人たちが、

特定の大学礼賛とか、偏差値とか、成績とか、ランクづけとか、そういう姑息な下位記号を次々に作り出して、売り物にして、

その記号を物差しにして、勝手に学校や子供たちの価値を判断して(これも一つのハラスメントですよ?)、

その判断を刷り込んで、自分自身の価値を判断させるように、また周りの人や仕事や学歴や社会のありようというものも判断させるように感化してしまう。

煽りであり、刷り込みであり、中身のない物差し(成績・学歴・大学名)で自分の承認欲を満たしたり、人をバカにしたりという「イヤな性格」を育ててしまう。

「イヤな性格」とはっきり言っていいのは、人というのは判断されたくないし、見下されたくもないから。

いちいち値踏みしてほしくない。なのに値踏みしてきやがる(笑)。それは、イヤな性格であり、イヤな人生観であり、イヤな価値観。

そういう価値観が蔓延してしまえば、見下されたくない子供たちは、その価値観という椅子取りゲームに興じざるを得なくなってしまう。

だって、親が必死だから、期待してくるから、塾がそうだから、入った学校が、友人がそうだから、予備校がそうだから、大人たちの視線がそうだから、耳に入ってくる話題がそうだから――。

学習して、いつの間にか、自分自身が同じ価値観に染まっている。承認という椅子取りゲームに血眼になってぐるぐると回っている自分がいる。周りの友だちも、大人たちも、社会も回っている。ぐるぐるぐるぐるぐる・・。


こういう無意味な椅子取りゲームを、疑いもしない、考えるアタマを持たない大人たちが世の中には蔓延していて、

そうした大人たちがしたり顔して、どこぞの大学をめざせとか、こういう勉強法があるぞとか、そういう自分にとってはもう終わったこと(こういう大人たちって何歳?)を得々と語って、カッコがついているように思い込んでいる。

そういう姿がカッコ悪い。

この椅子取りゲームのぐるぐる、いつ終わるのか。

終わらない可能性もある。それくらい、考えない大人が増えているかもしれないから。



不登校については、学校という箱を相対化する(学校だけが学びの場所ではない)という意味はあるかもしれない。学校に執着しない大人も子供も増えている。

学校の価値が相対化されつつあるのは、社会の、つまりは大人たちの認識が少しは変わってきている証拠。少しは子供たちも自由になりつつあるのかもしれない。

同じように、どこぞの大学名が価値を持つという価値観もまた、そうした価値観を相対化できる、「そんなことに価値があるのではない」と思える大人たちが増えてくれば、

某大学をめざせ的なカルチャーは、ダサい、痛い、「いまだにそんなことを言っているの?」と白々と思うほかないオワコンになっていくかもしれない。

オワコンにすべきだと思う。終わらせないと、社会全体の可能性が尻すぼみになる。

自分らしく、つまり心に苦しみなく生きること。

世の中の殺伐・ストレスが増えないように、人の痛みや苦しみを思いやり、社会の問題に関心を持ち、

どうすれば、人・自分・社会の苦しみを減らせるか、快適を増やせるかという大きな価値をめざして、生きて、働く。

そうした生き方、社会のあり方のほうが、確実に、圧倒的に、価値がある。違うといえるかな?



椅子取りゲームのぐるぐるを繰り返しても、せいぜい特定の椅子(大学・学歴)にしがみつくだけ。そんな自分に価値があると思う?

座れない人だって出てくる。座れる人と座れない人と――その区別そのものに、意味があると思うかい?
 

たかが小さな椅子でしかない。何も生み出さない貧相な椅子。


本当に価値あることは、その周りに、向こうに広がっているのだから。



自分のプライドを守ることだけで精一杯、そんな余裕のない子供と、そのまま大人になった人たちと、そんな価値観しかない社会が、延々と繰り返される――

そうしたあり方に、心の底から「くだらない」と思える人間が、どれだけ出てくるか。

一人一人の生き方と、社会のあり方と--広がるか、ますます狭まるか。

狭まるなら、人の”心の首”はますます締めつけられて、窒息していくことになる。人生も、社会も。「生きづらさ」が増すばかり。

本当にくだらない。そう思えないとね。




2025年11月