闘えるうちは闘うということ

 
個人相談会と並んで、「隠れ相談会」というのもやっています。

ご連絡内容を聞いて、心身だけではなく経済的にもラクではない状況(誰しもそういう時はあります^^)だと知った時に、こちらから声をかけて、お代無料で相談の時間を作るというものです。

この場所が最大の価値とすることは、その人が課題を克服して、前に進んでくれること。

前に進むとは、自由になること、心が軽くなること、喜びが増えること。

その可能性がある限りは、応援したいという思いでいます。

この場所は、こちらの都合で動くことはありません。あくまでその人の姿を見て、必要なこと、できることはないかと探して、見えたものを差し出して、背中を押す場所です。

課題・苦悩というのは、人によって違います。同じものは存在しない。

自分と比べて、誰かの悩みは軽いとか、誰かの苦しみは重いとか、そういうものではありません。

みんな一生懸命生きているし、闘っている。どんな悩みも苦しみも、その人の目の前にあるということは、その人にとって、それが最も切実な悩みだということです。

命に軽重がないように、悩みや苦しみにも、軽い重いはないのです。


すべての悩みには、解決策が必要です。というか、解決できるように、体を、心を調整していかねばなりません。

苦しみを増やさないこと、できる範囲で苦しみを減らすこと。

なにかしら可能性がある限り、つまり、できることがあるかぎりは、それをやる、というのが ”闘い” という言葉の意味です。

闘えるかぎりは、闘ってほしいというのが、この場所の素直な思いです。可能性がある限り。

今回相談に来た人たちは、闘うべき相手・闘うべきテーマがあって、闘う方法もある人たちでした。

中身は違うけれども、どの人の悩みも壮絶。でも方法はある。

ならば、闘うべし。

しんどいとか疲れたと感じる人は、無理しなくてもよく、手放すことが正解になります。

ただ、それでもまだ使える体と心と時間が残されているならば、やはり闘って、つまりは試してほしいとは思います。

闘える間は、闘いを選ぶ、つまりは自分にできることをやる。

それができると思える人には、この命は”応援”したいと思っています。


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明日26日は愛知で講演会。12月には宮城、岡山を訪問します。

相談してみたいことがある人は、お声がけください。



2025年11月25日
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