つまずきを観る

<おしらせ>

6月22日(月)から東京です。相談をご希望の方は興道の里までご連絡ください。



そもそも快適・快調な一日というのは、

ストレスや雑念がなく、つまりは脳裏に引きずるものがなくて、ただ目の前のことを淡々と、とどこおりなくやり続けて終わる、そんな一日です。

「今日は何も引きずらなかった」
「立ち止まらなかった」

と思えれば、快適、快調、順調に一日が終わった、ということになります。

それができれば、生き方上手――自分ってすごい、と自賛していいはずです。


はて今週末は、どうだったか。快適、快調、順調に過ごせたか。

たいていは、どこかで「つまずいて」いるものです。

いつの間にか妄想の海の中で浮き沈みしていたり、

中途半端な怒りをくすぶらせていたり(中途半端というのは価値ある行動に移すところまで行かないから)、

後になって意味がなかったと思うようなことをダラダラとやってしまっていたり。

そういうつまずきの結果、見事に「転んで」しまった場合は、

「ああ、しまった、この週末もダラダラと無意味に過ごしてしまった」と感じ、

その自己嫌悪や焦りを明日以降に持ち越して、「ああ、また平日か」と憂鬱になってしまいます。

この憂鬱というのは、平日そのものが作り出す憂鬱というより、週末を快適に過ごせなかった後悔というか自己嫌悪というか焦燥みたいなもの、つまりひっくるめて怒りを持ち越してしまうがゆえに感じるものです。

今に怒りがあるから、未来にも怒りを感じる。さながら不運続きでストレスが溜まっていると、関係ない物事や他人にも苛立ってしまうことと似ています。いわば未来への八つ当たりみたいなもの。

できれば、今週末までに持ち越した怒りは、日曜が終わると同時にいったんリセットして、もう一度まっさらな気持ちで一週間を迎えるほうがよいのです。



この週末、さらに広げていえば過去に招いてしまった怒りというのは、外から来る(外が原因)であることもありますが、けっこうな割合で自分のクセや生活習慣から来ていることがあります。

同じパターンを長年繰り返している人は、案外多いものです。

今が不完全燃焼 → その焦燥(怒り)を未来に持ち込む → でその未来もまた「今の不完全燃焼」に使ってしまって、その怒りをさらなる未来に持ち込む・・という。

こうなると負の連鎖が止まらなくなります。



この負の連鎖を止めるにはどうすればいいかといえば、やっぱり”反省する”ことです。

具体的には、「いつから、何がきっかけで、その不完全燃焼状態に入ったか」を、過去を振り返って突き止めるのです。

まずは今日を振り返る。あるいは過去一週間を振り返る。

いずれかの時点で、「つまずいた」はずなのです。つまずくというのは、漏れた(反応した)ということ。

心の漏れ(妄想や怒り)か、言葉の漏れ(言わなくていいことを言ってしまった・・誰かに。あるいは自分自身に)。

人によっては、ついスマホに手を伸ばしたとか、延々とショート動画を見続けてしまったとか(これ、かなり多い様子です。現代病?)。

そうして不完全燃焼にハマってしまった・・・その「しまった」きっかけを突き止めるのです。「それまでは快適だったのに、アレに漏らしてしまって、つまずいた」という出来事(自分の行動、言葉、そしてアタマの中)を振り返る。

何度も振り返ります。すると「同じことを繰り返している」ことが自覚できるようになります。

自覚できたら、「その原因を取り除く」作業に取りかかります(これができない人が、軽度の依存症です。やがて重度の依存症、中毒になっていきます)。

取り除くというのは、漏れてつまずいたきっかけとなった行動や言葉を控えるということです。

今度は言わないようにする。やらないようにする。



言うのもやってしまうのも、きっかけは思い(妄想)からです。

妄想が一番収まっているのが、朝起きた時です。

だから朝起きたその時から、過去に反省した「言ってしまった、やってしまった」ことをやらないように心がけること。

一番いいのは、やはり体を動かすことのような気がします。別のことに心を使って、漏れの原因となる妄想をよみがえらせないようにすること。

もし何度もつまずいて、繰り返し漏らし続けている人がいたら、

明日の朝は、言わない、やらない状態で、新しい何かを実際にやってみることを勧めます。

部屋の掃除でも朝の散歩でもカフェで過ごすことでも、なんでもよいので、動いてみるのです。

実践については『これも修行のうち。』がお勧めです



心を見る習慣を



あらためて(言うまでもないかなと思ったのですが案外大多数の人たちが忘れているかもしれないことを念のため^^;)

心を見る習慣をつけてくださいね。1日15分。

自分の心の状態を、”クリアかつニュートラル”(妄想と感情がない状態)を基準にすえて、

どれくらい妄想の量が多いか、不快感情が残っているかを確認することです。

「見る(確認する・観察する)」という意識(心がけ)を持った瞬間に、クリアかつニュートラルにリセットできる人は、

サティの力(心の使い方)が身についてきている証拠です。

そもそも反応に根拠(必要性)はなかったりするので・・気づいた瞬間に消えてしまう、ということは、ごく自然に起こります。心とはそういうもの。

「自分のことが自分でよくわかっている」とは、そういうことです。心の状態が見えているということ。


ちなみに、『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』208ページに書かれている

「サティを突き詰めていくと、ある瞬間、想像さえしなかった”至福感”に包まれることがあります」

というくだりがありますが、これは「涅槃」とはまったく関係ありません。

瞑想の途中で体験するものです。詳しく解説はできますが、別の機会に。

ほとんどの人が実践している瞑想というのは、あくまで心を自覚し、心の状態を変える力を育てる訓練であって、ガチ瞑想とは違うものです。

ガチ瞑想というのは、一日十時間以上を最低でも2週間くらい継続するものです(それで出発点に立てる)。結果を狙って(特別な体験を期待して)やると、まったく前に進めなくなるという、心の不条理性をイヤというほど体験するものです。

こればかりは、体験しないとわからない話です。自分が前に進んでいるのか、何か特別な体験ができるのかといった思惑や判断を持ち込めるような世界ではありません。

単純に、心を見る(観察する)という一点だけを心がけて、時間を作って実践する。

ただそれだけです。やるだけ。考えない。期待しない。

ごく単純な話です。

やるだけで「間違いのない生き方をしている」と理解してください^^。




仏道ご一緒あれ.jpg






親を引き算できるか


子供の心というのは、まずは親との関係から影響を受けます。それがすべての前提になります。

親の姿や価値観や心の癖を模倣すること。親への反発や不満に心を取られてしまうこと。

親の期待や要求に応えようとすると、自分の意志で選択するという基本が崩れるので、モチベーションが続かなくなるし、

逆に親に反発すると、そのストレスに心が囚われてしまうので、自分の将来を考えられなくなる、「自分のために勉強する」という素直な前提を保てなくなる、気を紛らわせるために娯楽に走ってしまうという事態に陥ってしまいます。

総じて「自分の人生を生きられなくなる」のです。

親の影響は、プラスに働くならいいけれど、マイナスなら有害です。「親の影響さえなければ、自分はもっと努力できるのに、勉強もするのに、将来のことを考えられるのに」という状況の子供は、たくさんいるはずです。

つまりは、親のマイナスの影響がなければ――という視点が必要になります。端的に言えば「親がいなければ」という引き算ができるかどうかが大事ということです。

「親がいなければ」という引き算ができるか。

「親への反発・反抗」は、引き算の第一歩。でも延々と反発ばかりしていては、自分の人生が始まらない。

反発するなら、「これは自分の問題なのだ。自分の人生がかかっているのだ」と思えるところまで反発する必要があります。中途半端な反発は、結局は現実逃避の理由になってしまいかねない。一番まずい展開は、親に反発しつつ、その不満を理由に部屋に閉じこもってスマホやネットでアヤシイ時間を過ごすだけ・・という状態になることです。

親の引き算というのは、子供が、自分の人生を考えること、将来を考えること、そして親とは別のところにある社会・世界・世間のほうを見るということでもあります。

「こんなところで、こんなことばかりしていられない」と思えるかどうか。それこそが精神の自立であり、成熟。

いわゆる反抗期とは、こうした成熟にたどり着くための通過儀礼です。というか、成熟にたどり着く必要があるのです。

となると、親には、ひとつの受け止め方があるのかもしれません。

「反発する(言う)のは、親として受け止めるよ、でもあなたの人生はどうするの? それは親を引いて考えてね」という受け止め方です。

「親はあなたより先に死ぬよ。この家だってなくなるよ」という現実を、どのタイミング化で伝えること。

いつまでも親を足し算に使ってはいられない。いつの間にか足し算に使ってない?――親が永遠に元気でお金もあって言いたいことを言える人間として生きているわけじゃないからね、という立場に立つことです。



付け足しておくと、興道の里の寺子屋には、親を最初から引き算して、一人で来させることがベストです。「交通費は出すから、自分のために一度行っておいで」と働きかけてみるとか。

ここでも、本人の意識の中で「親の引き算」ができているかどうかが、選択の分かれ目になります。

ただ見ていると、親や兄弟姉妹が「足し算」になっている子がものすごく多い。強烈な影響を受けて、振り回されて、自分を育てる時間が不足している。「心が育っていない」ことが多いのです。心の栄養失調。虚弱体質。

だから私はよく「今度は一人でおいで」と伝えています。

親の側でも「一人で」行かせるように働きかける必要があるのだろうと思います(もちろん時期・状況によりますが)。

特に兄弟姉妹の数が多いとか、親の存在が反発や阻害(心の成長における)の要因担っている場合は、なおさらそうです。

「引き算」という前提に立てるようにしてください。子供の心を育てるために欠かせない発想です。


2026年5月



独学でも勉強はできる


 独学には意志工夫がいる。きちんと自己管理して、正しい勉強法を工夫して。

 僕自身の強みは何かと考えてみると、独学で大学に進んだことかと思う。もちろん最初からできたわけではないし、最後まで自分に負けっぱなしだった部分もなくはないけれども、トータルで見て「自分に勝つ」ことはできた(だからこうして君と出会えている)。

 なぜ勝てたかといえば、意志と方法の2つがあったから。この2つを君には伝えていきたいんだ。

 最初に“方法”について少し聞いてもらえたらと思う。方法とは、学び方、勉強法のことだ。どう読むか、どんな手順で進めるか、1日の時間割をどのように組み立てるか、といったこと。

 今の時代こそ勉強法を語る本はたくさん出ているけれど、僕が十代の頃は少なかった。
 「あとで後悔したくない」という思いが強かったから、つねに将来を考えて、今をどう生きるかを思い詰めていた(苦労性だったんだw)。
 時間はあったから、大量の本を読んでいた。独りの時間が多かったから、深く考える時間があった。
 そんな時間の中で、本の読み方・考え方・書き方などを自分で工夫して確立していった。

 僕が手に入れた”方法”の核のようなもの(最も大切な要素)は、次の2つだ(具体的な中身は追って伝えていくから、まずはさわりだけ)。

  “本質”をつかむこと――本質とは、その分野・科目に必要とされるアタマの使い方だ。これさえわかっていれば、問題を解ける。しかも試験が終わっても、それこそ一生使えるアタマの使い方。

 たとえば数学における“手順”。語学における音や単語の“組み立て方”。現代文(論理国語)における抽象的文章を“読み解く技術”(論理的読解術)。歴史を物語として記憶するための“視点”といったものだ。
 
 こうした本質がわかると、どんな分野・科目であれ抜群に“見える”ようになる。覚えられるし、思い出せるし、問題を解ける。しかも生涯使える。
 逆に目先の試験に囚われた小手先のテクニックだと、試験が終わった途端に忘れてしまう。「覚え込む」(暗記する)ことに走って、別の場面で使えない。こうなると、せっかくの知識が上滑りして定着しない。
 君の周りに「勉強しなさい」としか言えず、肝心の「勉強のしかた」を教えられない大人がいるとしたら、こういうマズイ勉強をした(本質を学び損ねた)人だと思っていいかもしれない。

 僕が君にこれから伝えようとしているのは“本質”だ。
 本質がわかれば、勉強ができるようになる。人生が変わる。

 勉強ができること自体を目的にしてほしくはないけれど(見栄や虚栄心の満足につながっていきかねないからね)、学校の勉強や受験にも余裕で通用する本物の知力が身につく。

 その本質のいくつかを伝えていこう。


※注記: 本の草稿に当たるので、話の続きを書いていくとは限りません(すみません)。

 一緒に考えていきたいことは、「勉強観」とでも呼ぶべきもの。人生観、価値観、それと並ぶ勉強観――学びとは、勉強とは、どういうものかをめぐる認識の枠組みについてです。

 認識の枠組み(パラダイムと呼ばれるもの)が変われば、「勉強」という言葉の意味も根底から変わります。

  変わったその「勉強観」に立てば、学ぶことは楽しくなるし、その後をラクに楽しく生きられるし、実利として成績も上がるし、入試も無事合格できるよ、という一つの道筋をお伝えしたいのです。



夏の日本全国行脚2026 訪問地募集


興道の里から

今年も夏の日本全国行脚を開催します。

北は北海道、南は沖縄まで――お声をかけていただけるところに、草薙龍瞬がうかがいます。

○仏教を学びたい(講座・勉強会・座禅会などを開きたい)
○法事をやってほしい
○個人的に相談したいことがある

など、お気軽にご応募ください。


夏の全国行脚は2013年から。今年で14年目に入ります。

よき夏の思い出作りに、
お一人では解決できない物事を解決するために、
止まっていた人生を前に進めるために、

ぜひご活用下さい。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇
<訪問スケジュール>

期間 2026年7月20(日)から9月27日まで

★下記は目安です。訪問地はご連絡を受けて追加していきますので、下記に含まれていない地域の方もお気軽にご連絡ください(北海道・東北・北陸・甲信越・沖縄など)
 
☆は確定済みの予定です

7月22日(水)~30日(月祝) 関東
☆7月26日(日)・30日(木) 千葉県野田市 国語キャンプ
 
7月31日(火)~8月7日(木) 北海道・東北・北陸 

8月9日(土)~17日(日) 九州・四国
☆8月17日(月)宮崎 
☆8月18日(火)愛知・栄
☆8月19・20日 奈良・中高生のための学び方教室(学習相談)

8月21~23日 鳥取・島根・山口
☆8月22日(土)鳥取


9月16~27日 西日本(山陽・山陰・四国)
☆9月26日(土)広島


◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 
<応募方法>

下記をメールでご連絡ください:
①お名前 
②自己紹介
③希望する内容(相談・勉強会・法事など)
④訪問を希望する日程・場所

送り先は  welcome@koudounosato.com  まで

<詳細>
※②:ご自身について(近況・仕事・日頃の課題など)。連絡先等は興道の里からの連絡の後で差し支えありません。 
※③:「大人のための勉強会を開きたいです」「〇〇について相談したいことがあります」「法事を執り行いたいです」等
※③:個人相談をご希望の場合は、相談内容をなるべく具体的にお知らせください。
※④:「〇月〇日から〇日までの間」「〇月〇日を希望します」など、希望する日程および訪問場所をお知らせください。
※④:勉強会や講演については公共施設などをお手配ください。告知については興道の里もお手伝いいたします)。

<お願い(応募条件)>
・お立場に敬意を保っていただくため、すでに信仰をお持ちの方、特定の思想・宗教団体にご所属の方、スピリチュアル・占い・自己啓発系の活動を等を主催している方は、ご応募をお控えください。
・調整のうえ最終決定しますので、必ずしもお応えできるわけではありません。お応えできる場合にかぎり個別にご連絡差し上げています。あらかじめご了承ください。


よき出会いと学びの機会となりましたら幸いです

興道の里





もはや古典~自分を見つめない親について


もはや古典といってもいいメッセージになるけれど、

親は子供のことを相談するよりも前に、自分自身のあり方を見つめないと始まりません。


人間というのは、自分のあり方を見つめて理解しているかどうかで、成熟度が決まります。

成熟していない人は自分自身を見つめていない。なんというか、すごく自己理解が浅い。というか、無い。

自分を見つめる代わりに、子供のことや周りの人間のことばかり考えて、そんな自分がいっぱしのことを考えているように思い込んでいる。

子供が問題だとか、子供が変わらなければとか、〇〇についてわかってもらいたいとか・・。

いや、わかっていないのは、親のほう。それがわかっていないことが、悲劇的。


子のあり方は、親のあり方次第でいくらでも変わる。というか、親の姿を見て素直に反応しているだけ。

そういう部分もわかってない・・。

親であるという特権的立場にあぐらをかいて、子のほうにばかり目を向けるというぬるま湯にどっぷり浸かっている。

まずは自分自身のあり方を深く反省できないと始まらないんじゃないのかな。


自分に甘い。子にとっては、ずるい。

そういう親が無自覚のうちに立ちはだかっているから、こちらとしてはその子のために何もできない。


「どいてくれる?」


そう伝えたくもなる。自分の姿をちゃんと見なさいよ、と言いたくなる。

 

*夏の日本全国行脚スタートです。生き方・学び方について一緒に考えたい十代と親の方々はお声がけください。



東京で個人相談会を開きます

 

夏の日本全国行脚、まもなく告知します。

 

6月21日(日)東京で個人相談会を開催します。

相談ご希望の方は、公式カレンダーの告知をご覧のうえでご連絡ください。

 

 


 

 

 

緑茶と看護学生のみなさん


5月1日は、静岡島田の看護専門学校で講演会。

ほぼ全員が看護師国家試験に合格し続けている、かなり教育力の高い学校。

3学年120名の看護学生さんと先生方十数名。質問も続いて熱心に聞いてくださった様子。


仏教と看護は親和性が高いように思う。「人のため」という思いから始まっている気がする。

ただ明らかに仏教のほうが「人のため」からは遠いような気もする。自分のため、自己満足のため。仏教と言いつつ、パフォーマンスでしかない。

そういう形だけの仏教(仏教もどきと言ってもいいかもしれない)が蔓延しているといえなくもない現状に対して、看護の仕事には嘘がない。「ケア」が看護という仕事の本質だからだ。

看護の世界に生きている人たちは、いろんな悩みを抱えながらも、やっぱり誠実なお人柄が多い。話をしていて、安堵する自分がいる。どこか懐かしい感じもする。

看護が滅びる時は、人類が滅びる時。世界を支える偉大な仕事。

みんな頑張ってほしいと心から思う。


『反応しない練習』を図書室用に進呈させてもらった。この先はもっとこうした出会いを増やしたいとも思う。エールを届けたい。


また会えたらと思います。緑茶と黒大奴(くろやっこ)がおいしゅうございましたw。



2026年5月1日