枠を崩さずってどういう意味?

こんなおたよりをいただきました:


(先日のブログについて)

「思考停止の罠を突き破り、枠を崩さず、しかし枠にとらわれない。そうした本当の知性」の部分が言葉の意図する範囲が広すぎて分かりません。

ご迷惑でなければ、小・中学生にも理解できる様に教えて頂けるとありがたく存じます。ご多忙の中、お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。



わかりやすいご質問ありがとうございます笑。そうですね、たしかにわかりにくかったかと思います。

たとえばこう表現してみましょうか:

仏教の枠にはまるというのは、ひとことでいえば、多くの人が「仏教とはこういうもの」と思い込んでいる、そういうイメージの枠内で仏教を語るということです。

私の場合は、仏教という思想に立って考えるし、語るし、作品も書くし、活動も生活もやはり仏教という思想の中で作っていくという点は、この先も変わらないのだけれど、

社会における立ち位置としての僧侶とか、仏教の研究者・著述家といった形にはとらわれないで、自分自身の人間としての個性や性格や人生観や価値観にもとづいても発言・活動していきますよ、という意味です。


「形としての仏教」に留まってしまえば、「どこかの宗派・伝統に属して頭を丸めて袈裟を着てお経を唱える私はお坊さん」というアイデンティティに収まって自己満足してしまう。

形からも自分の内面からも「これが仏教」「これが自分」という枠の中に収まってしまえば、形は続くし、自己満足も続くだろうけれど、それは「考えない」ことにもつながっていく。

歳を重ねて、考えることが面倒臭くなって、体力も落ちてきて、それでも僧侶その他の肩書があって、それでもなんとなく通用してしまえる状況が続けば、「これでいい」と判断するようになってしまう。

ラクだから。困らないから。そうして「思考停止の罠」にハマる。つまりは、「これでいいのか?」「他にできることはないのか?」と考えることを止めてしまって、そうした状況に満足さえしてしまう。


こうした傾向は、誰にでも生じるものです。変わらない自分を選んで満足してしまうという。

もちろん、変わらなくていい部分もあるし、変わらなくてはいけないということではないし、満足すること、今の自分を肯定することも、すごく大切なこと。

ただ、その一方で、他にも考えなければいけないことがあって、それは、

外の世界はつねに変わり続けている。

生きる限り新しい可能性は生まれ続けている。


ということです。

「自分はこれでいい」という満足だけに留まってしまうと、変わり続ける外の世界との間に距離が生まれます。

新しい可能性は、生きる限りは必ず新たに生まれ続けるものだけれど、その可能性をどう活かすか、他にもできることがあるのではないか、と発想することが難しくなります。

こうなってしまうと、「自分はこれでいい」という思いは、ただの妄想と変わらないのかもしれない。つまり

外の世界と切り離され、新たな可能性とも切り離された「自分はこれでいい」という妄想。

それはそれで幸せな心境ではあるけれど、まだ外の世界に向けて、そして新たな可能性に向かってできることがある状況でそれを選ぶことは、正解なのか。

正解とするのは、本当に人生がそういう時期に入った時――たとえば部屋の中にやすらいで外の景色を眺めるだけになった時期。あるいは、かつての私のように外の世界から自分を隔絶させて「完全出家」として生きる時。

正解になる時もたしかにあるけれど、まだ正解にしなくていい時もある。


私の場合は、どうやらまだ正解にしなくていい。どうやらまだ、外の世界にも関わっていかねばならないし、新たな可能性を追いかけることができる状況でもある。

外の世界に踏み出して、さまざまな可能性を探って、少しでも見えたら行動に移せないかを考えてみる。実際にやってみる。できなくても準備はしておく。

そうした自分を選ぶなら、その自分は、教条としての仏教(仏教とはこういうものという思い込み)にも、伝統や形式にも当てはまらないことになる。

その部分は、たしかに仏教の枠の外ではあるのだけれど、それでも身の内にある思いは、やっぱり仏教の根幹である慈悲と智慧に立っている。そのものである。

だから、世に出ていくけれども、世に染まらない。語る言葉と行動が、慈悲にもとづき、真実であり、必要であり、有益である(価値がある)という基準を外さない。

そういう生き方をしていこうということです。

つまりは、人々が仏教に対して持つイメージからは自由だけれど、やはり仏教という思想の枠内でいろいろやっていきますよ、ということなのです。

伝わりますでしょうか笑。

 

 

新生活、始動


第3火曜は◯◯から名古屋栄に初移動。

栄の講義はキャンセル待ちが続いている。それでも新しい人たちも大勢やってきた。


寺子屋(十代向けの生き方&学び方教室)は、高校生を指導することから始まった。

栄のジュンク堂で高校生の「公共」「情報」という科目を調べてみたが、

「ひどい」の一言。なんだこの「とりあえず全部詰め込んでみました」感は。

政治、経済、倫理、法学、国際関係、時事ネタ、行政・・すべてが原理も体系もなく並んでいるだけ。

こんなものを十代に読ませたら、言葉の暗記に走るに違いない。これ、高校の先生たちはどんな教え方をしているのだろう?

いや、高校生たちが本当に気の毒だ。こんな本を暗記したって、何も残らない。バラバラの知識が、いや知識にもならない単語が無秩序に頭にちらばるだけではないのか。



この先は、仏教が不動の軸ではあるが、仏教という枠にとらわれない働きを果たしていくことになる。

教条としての仏教の枠に留まることは、簡単ではあるが、観念へのとらわれをもたらしかねない。考えなくても、思考が衰えても、「枠の中にいる」という安心があるから、自分を正当化してしまえる。

そうした思考停止の罠は、歳を重ね、立場が確立すればするほど、はまりやすくなる。

最も大事なことは、そして仏教の真骨頂というのは、こうした思考停止の罠を突き破っていくことだ。

枠を崩さず、しかし枠にとらわれない。そうした本当の知性というものを保ち続けなければならない。




2026年4月下旬

 

平気で嘘をつく君へ

 

この事件はね、この先もっと大きな騒動になるかもしれない。

 

聞こえているかな……罪(不誠実)を犯してしまっている君に。

 

 例の AIブッダ禅 アプリ、「事業譲渡」先を募集しているそうじゃないか。

 

もともと原権利者の意向を無視し、連絡も交渉も何一つしていないのに、「連絡済み」とnoteで平然と嘘をつき、

 (嘘だよね、だってスジャト師本人が「ノー(連絡が来たことはない)」とはっきり言っているのだから)

 

「収益の75%を仏教関連団体に寄付している」と堂々と広告していたけれど、それも名前を挙げられた2団体は否定しているし、

 

あまりに明白な権利侵害が確認されたから、主要メディアは、君の事業に関する記事を急遽取り下げたわけだけれど、

 

君は、誰かの妨害行為のせいだ、圧力を受けたからだと、何も知らない人たちに訴えて、自分があたかも犠牲者であるかのような振る舞いを演じている。

 

「事業を託したい」「仏教を届けたい」と格好の良いことを言っているようだけれど、君はこうした事実を隠して、

君を信じて事業を譲り受けた人や企業が、君を信じたPR会社などと同じように、再び迷惑と損失を被るということを、

どうやら君は一切考えていないらしい。違うかい?

 

君の言葉の中に、どれだけの真実があるというのだろう?

 

君は正義のヒーローになりたかったのか? 

だが、人の気持ちは無視して、人を騙すことには平気でいられるというのか?

 

誰から見ても、それは無理だよ。


 

本当にいいんだね?

 

時間は十分あったはずだ。十分待った。

 

君からの中傷めいた言葉を浴びながらも、君の人生を想って、沈黙を保ってきた。

 

だけれど、さすがにこれ以上沈黙を続けたら、君はどうやらさらなる嘘を重ねて、もっと多くの人たちを傷つける恐れが見えてきた。

 

君の言葉を信じて、課金に応じたり寄付してきた人たちは、まだ真実を知らされてはいない。

 

君は、都合の悪いことは隠して、都合の良いことだけを、しかも明らかな嘘まで含めて、彼らに訴え、彼らの信頼と支持を集めてきたらしい。

 

だがそうしたあり方は、そもそも仏教に、いや社会の道理に反する。

人として、やってはいけないことだ。

 

君が自らの過ちを自覚して、静かに閉じるならば、私は慈悲をもってそれを受け止めようと考えてきた。

 

だが、最後まで、君は、自分のことしか考えず、平気で嘘を重ねて、人々の思いまで弄(もてあそ)ぶことを選ぶらしい。

 

私が、唯一、許容できないのは、人の悪によって、人が傷つくことを見る時だ。

 

自分にできることがあるのに、それをしない。

そのことで誰かが傷つく。新たな苦しみを背負う。

 

そうした事態だけは、私は人間として受け入れることができない。

 

本当にいいんだね?

 

きちんと真実を伝える努力を始めようか。

 

君も見届けてくれればいい。私は、君のように嘘はつかない。

 

君の嘘のすべてを、明白な証拠をもって覆し、 この社会にこれ以上の混乱が生じないように、

 

真実を伝え始めることにするよ。

 

P.S.

真実は、君が最後まで投稿し続けてきた note に掲載していくことにするよ。

君も自分が言ったこと、やったことを、鏡を見るように、noteの連載を通して確認するといいよ。

「一人の仏教徒」に妨害されたとか圧力を受けたとか、ずいぶんと都合のいい非難(事実の隠蔽と責任転嫁)を続けてきた様子だけれど、

そのことで一番被害を受けたのは、誰かわかるかい?

君の言葉を信じた人たちだよ。

 

平気で嘘をつくというのは、人を最大限に愚弄していることに等しい。

君を最後まで信じようとする人はいるかもしれない。

だが今回ばかりは、原権利者も、メディアも、名を騙られた仏教団体も、学会も、みんなが、君の嘘を知っている。

何が真実かを決めるのは、君じゃない。社会だ。

 

「一人の仏教徒」として、社会が何を真実として受け止めるかを、見届けることにしよう。

君も、その場所で、見届けてくれればいい。

 

始めるよ――。 


https://note.com/one_of_buddhists/n/n5c9b1ba26e91

 

 

 

もう少し様子を見よう

 
いくつものメディアが、この事業に関する記事を取り下げたというのは、

圧力とか妨害とか、そんな理由ではなくて(そんな理由づけが社会に通用するはずもなかろう?)、

それだけ深刻な、取り下げなくてはいけない理由があったからです。


日本国内のメディア・団体、そして海の向こうの原権利者が、どれほど重い言葉で彼に「NO」を突きつけたかを、彼は一部しか知りません。

どうやら本人は、自分は正しいことをやっていて、自分は犠牲者なのだと訴えたいらしい。

が、事実を人々が知れば、彼の言葉の本当の意味が、つまり真相が、いやでもわかるだろうと思います。

彼が語る「寄付」や「仏教」が、どういう背景(事実)があっての言葉だったか。

それを知れば、彼から聞いていた言葉の意味が、この事業に人々が感じていた意義が、すべてひっくり返ります。


知りたいと思うかもしれないけれど、ここはもう少し待とうと思います。


いつでも決定的な証拠を出すことはできるけれど、

今はまだ、彼の人間性というものを見定めている段階です。


もし彼に、自分の不誠実さを受け入れる良心があったなら、

今彼が懸命に訴えていることは、真実ではないことをみずから受け入れて、

静かに幕を閉じるはずです。


本当の仏教というのは、最後まで慈悲を貫く。

あくまで真実に立って、言葉を選ぶ。

人を責めるよりも、おのれの過ちを恐れる。


この場所があえて明かさないことには、深い配慮があるのです。


やがて、このブログを追っている人たちも、すべての真実を知ることになります。

もう少し様子を見ていてください。


 

2026年4月17日



仏教を盗んでしまっている君へ


仏教を盗んでしまっている(その自覚がないらしい)君へ


最初に伝えておきたいが、私は君の敵ではないよ。

むしろ君の未来のことを気にかけている。


君は、4月7日にプレスリリースを発信したみたいだね。

そこに明らかな嘘が含まれていること、君は自覚しているんだよね?


君は、自分の事業を求めている人たちが大勢いると言いたいようだけれど

その人たちは、君の言葉を信じている。信じることが、求めることの前提になっている。

だけれど、もし君の嘘が発覚してしまったら、

君は私を訴える前に、君自身が訴えられることになってしまう。


そのことはちゃんと考えていますか?


私は、君になんの感情もこだわりも持っていません。

ただ、君が犯したことは、私も、奪われた側のスジャト師たちも、全世界の仏教徒も、また良識ある個人も、企業も、決して良し(正しい)とはしないだろう。


CC0だから無断でどのように使っても法的責任は問われない? 

そんなことはないよ。法理というものを、君は学んだことがあるのかな?

そもそも人が創造した物を無断で、しかもどんな態様でも使っていいということにはならないんだよ。君がどんな理屈を重ねても。


もし君が、スジャト師らの長年にわたる努力と思索と研究と、

それを世界中の人たちに役立ててもらおうと慈悲の心で公開し続けてきた、


彼らの深さと人間としての尊厳というものがわかる人間であったなら、

今回のようなことは絶対にできない。してはいけないことなんだよ。


人の誠実から無断で奪っておいて、奪った側が「これは法施だ」なんて、よく言えたものだね。

誰が認めると思うんだい? 言われた側がどんな気持ちになるか、わからないのかな?



AIに反対しているわけではないんだよ。AIを使った人間の「悪」に反対しているんだ。

こんなことが野放しにされてしまったら、世界はやった者勝ち、言った者勝ちのメチャクチャな世界になってしまう。

君は、人々の努力と誠意によって築き上げられたこの世界を壊したいのか

壊れないよ。
君が居場所を失うだけだ。


君がいくつもの大きな嘘をついてしまっていることは、簡単に証明できてしまう。

でもそれは、最後まで控えておこうと思う。

君の未来が孤独と苦しみに再び戻る姿を、私は望んでいないからね。


君がプレスリリースやそのアプリやサイトの中で使っている人たちの名前――君に利用される側の気持ちを考えたことはあるのかな?

4月7日のプレスリリースでも、ずいぶん多くの人様・団体様の名前を使っている。

自分の正しさを分からせることに役立つと思ったかい?

真逆だよ。もし嘘の使われ方をしていることが発覚したら、君は確実に社会的信用をまた一つ失うことになってしまう。


私は、君の敵じゃない。君の未来を想って、こうして伝えている。


君は、PR TIMES を使って、嘘を含むリリースを出してしまったようだ。

PR TIMESも、別の広告会社も、社会に価値ある情報を提供しようと堅実に実績を積み上げてきた企業だ。

もちろん配信者の事業を応援しようという思いも、彼らにはある。彼らは依頼者である君を信頼した。最後まで。信頼したからこそ、ほぼ無審査で配信し続けた。


だけれど、君はリリース内で、多くの人や団体の名を都合よく使って、自分がさも正しい事業を展開しているかのような自己主張を繰り広げた。

君の言葉を信頼した PR TIMES は、君の言葉を信じたからこそ、さまざまな提携メディアに配信した。

いろんな場所で君の言葉を見た人たちがいる。君が期待した通り、信じた人もいるかもしれない。

でも明らかになりつつあることは、そのリリースの中にも巨大な嘘が潜んでいたということだ。

君は知っていたのではないのか? 自分の言葉が事実と異なることを。

君は想像しなかったのか? 嘘を配信させた彼らの看板に泥を塗ることになることを。


もし本気で自分が言っていること、やっていることが正しくて、「自分も仏教AIも嘘をつかない」と信じ込んでいるとしたら、

おそらく君は、あまりに長い時間を、孤独の中で生きてきたのかもしれないね。


気づいているかい?

君の言葉にも、その行動の中にも、他者がいないんだ。

心と体を持った人間が。

奪われたり、いいように使われたりしたら、傷つく心を持った人間が、いない。


君は仏教を語ることで、自分がいいことをしているように感じているかもしれないが、

人間というものがわからない人に、人間を助けることはできないよ。


もし君が、本当に仏教を人の幸せに役立てたいと思うなら、

嘘をつかず、

与えられていないものを受け取らず、

まずは都合のいい私欲と妄想をかなぐり捨て、

その証として頭を丸めて、家を出て、財産を捨て、「出家」してみればいい。


そして人様からの托鉢をもってその身を養い、

一日十二時間の瞑想をし、

パーリ語の原典と大量の仏教書と格闘して、

少なくとも十年は、自分を語らず、誇示せず、ひたすら人様の役に立てるようにと願いながら、

日々の小さな務めを果たしてみるがいい。


できるかい?


できないなら、君にスジャト師の言葉を使う資格はないんだよ。もちろん仏教を語る資格もない。仏教を使って人様からお金を受け取る資格もない。


もう一度言うよ。私は君の敵じゃない。


私は仏者だ。ブッダの教えによって救われ、ブッダの教えに立って生きる正真の仏教徒だ。

だからこそ、仏教を何も知らず、平気で嘘をつける程度の人間でしかない今の君が、

人の名を騙り、人の知的財産を事実上盗み出し、権利者の思いを一切無視して、

その仏教のようで仏教とはかけ離れた”何か”を築き上げようという、幼く邪悪な(すまない、でも現時点ではそう言わざるを得ない)企みには、反対せざるをえないんだよ。


これがもし私だけの思いであるなら、安心してほしい。世界は厳しい場所だ。私が何を訴えても、人々は聞く耳を持たないだろう。

だが、真実というのは、自分ではなく、最終的には人様が、世界が決めることだ。

もし世界が、私の言葉に耳を傾け、私の手元にある真実(証拠)を見て、これが真実だと受け止めてくれたなら、

その時は、私の言葉が真実であって、私を敵として攻撃している君自身の言葉が嘘ということになる。


私にとっては、どちらでもかまわない。この命には、「私」という思いさえないんだ。

あるのは、苦しみを増やしているのは誰か、苦しみの原因は何か、どうすれば苦しみを越えられるかという可能性だけだ。


苦しみを増やしているのは自分じゃない!――と君は思いたいかもしれない。

でも、おそらくそれは、孤独が長すぎた君が作り出した妄想だ。

私も、世の中も、君を信じた広告会社も、君に名を使われた団体も、みんな、真っ当に生きている。

嘘を恐れ、人を傷つけることを恐れ、人を欺くことを恐れ、

だからこそ人を信じ、自分の可能性を信じて、自分が置かれた場所で、自分にできることを精一杯頑張ろうとして生きている。


そうした人たちだけならば、この世界に苦しみは生まれたりしない。

苦しみが生まれるのは、誰かが、私欲や、嘘や、レトリック(言葉回し)や、権力をもってゴリ押ししようとした時だ。


君は世界の苦しみを増やしていないか?

君を信じたPR TIMESが、虚偽の情報を流し、配信先に迷惑をかけることになったこと、その築き上げた信用に傷がついたかもしれないことを、

君は想像しないのか?

だから苦しんでいるのは自分であって、苦しめているのは私だと本気で思えてしまうのか?


誰も君を苦しめようとなんてしていない。

苦しみを作り出しているのは、君自身なんだよ。



君の苦しみをほどく方法は、君への私信の中で伝えたよ。それしか方法はない。


そして君が自分がしたことを、された側に謝罪して、君本来の人間らしさを素直に見せることができたなら、

私も含めて、世界のみんなが君を歓迎するだろう。



伝わるかな。

伝わるまで伝え続けるよ。



草薙龍瞬


P.S. 君が言ってきた「魚拓を取った」という言葉。ぜんぜんかまわない。

私が最終的に伝えなければならないであろう相手は、世界だから。

だから伝えるのが、私であっても、君であっても、かまわない。


だが、嘘やいわれ(根拠)なき攻撃だけは、厳に控えてほしい。

自分の正義に囚われて他の人たちを巻き込むことも、しないほうがいい。

なぜならこの件を知る人が増えるほど、真実が世に知られることになる。

それもまた君を最後に孤独にしてしまう、君自身への刃(やいば)になってしまうからね。

私は、君に傷ついてほしくない。再び孤独に落ちてほしくないんだ。


敵じゃないんだよ。



2026年4月9日


生成AIに仏教を利用しようと目論む者たちに向けて4


本当のブディズムは、つねに慈悲と真実とを先に考える。

それは、あなたに向けても同じことだ。

 

私も、あなたが無断で流用した仏典データベースを長年かけて作り上げてきた人たちも、

ブッダの教えに立って生きる者たちは、どのような人間に向けても、いかなる場面においても、つねに慈悲と真実とを確かめるところからスタートする。


あなたはわからないのか?

あなたがやったことで、無断流用された人たちがどんな気持ちになるのかを。

あなたは何も創り出していない。他人が築き上げたものを偶然見つけて、CC0という彼らの慈悲にもとづくポリシーを都合よく解釈して、

彼らに連絡もせず、許可も取らず、大量のデータをスクレイピングして(かすめ取って)、

仏教徒でもなく、仏教を知らない身の上でありながら、仏教を活用できるアプリおよびサイトであるかのような装いを見せて、

世界初だとか国際標準をめざすと謳って、連日のようにWEB広告を打っている。


今回あなたが犯したことは、第三者の著作物・知的財産の無断使用に当たるものだ。しかも前例を見ない大規模にわたって。


日本だから、向こうが遠い海の向こうにいるから、わからないと高をくくったか?

CC0といっても、原権利者の権利は依然守られる。それは国を越えて全世界に共通するルールだ。それもわからないまま、「学術的研究に依拠している」とあたかも彼らが、あなたの事業を認めたかのような宣伝文句を発したのか?


世の中というのは、誠実に、地道に、新たな価値を創造しようと努める人たちによって支えられている。

新聞社も、メディアも、学者の先生方も、

仏教をただのデータとしてではなく、生き方として、人々を苦悩から救い出すかけがえのない思想として、2600年近い歳月に渡って受け継ぎ、守ってきた仏弟子たちも、

その点は同じだ。


あなたは、事業を立ち上げてまだ一年も経っていない。ひとつでも特許を取るなり、正当な方法で多くの人が喜ぶ事業を育てるなりして、本当の成長をめざすべきではないのか?


どの分野の大人たちも、みんな真剣に、真摯に、新たな価値を創造しようと日々闘っている。

そうした人たちの努力によって、この世界は成り立っている。

世の中は、そんなに甘い場所ではない。だが本当の貢献ができれば、多くの人が歓迎し、高く評価してくれるだろう。

そういう場所だ。壊れつつあるとはいえ、まだまだ健全で、わかりやすく、成熟した世界である。


あなたにとって仏教は、黙っていれば利用してもバレない都合のいい道具に見えたのかもしれない。

仏教を、真摯に築き上げてきた人たちの思いを無視して、利用して、広告を頻発すれば、すぐにでも称賛される地位に立てると思ったのかもしれない。

だけれど、世の中は、そうはなっていないのです。


あなたは、私の言葉を脅しだとか訴えるとか言ってきているけれども、私があなたに伝えたことは、すでにここに公開しています。

あなたは、こうも伝えてきていますね

>一度、原点に立ち返ってはいかがでしょうか。

そうだね、立ち返ろうか。まずは自分から。仏教の基本であり、世の道理だ。

あなたは「寺の関係者」だとも名乗っている。

どういう関係者なのかわからないけれども、それと今回あなたがしたことと、いったいどんな関係があるのだろう? 


単純に、あなたが伝えるべきは、自分がしていること、したことが、法的に、倫理的に、社会的に本当に正しいと言えるかどうか、

その具体的根拠のみです。


現時点で明らかなことは、あなたが無断で大規模に流用したCC0ライセンスのもと仏典を提供してきた団体・個人は、

生成AIによる利用を固く禁じ、またデジタル技術によるスクレイピングやアプリ開発に利用することを、明白に拒否し続けているという事実です。

その主張は”叫び”にも聞こえるくらいに切実なものです。ずっとそう訴えてきました。


あなたはそれを知っていると言っていましたね。みずから彼らに連絡を取り、「誠実に交渉する」と、私に伝えてきましたね。

つまり、あなたは、彼らのライセンス(使用条件)を知りながら無断流用していたことを自ら認め、

その事実を指摘されたことで、あわてて連絡を取ると言ってきたけれども、

真実は、

現時点に至るまで被害当事者に連絡していないということ、そして

彼らが、あなたの今回やったこと、あなたの事業に許可を与えることは絶対にないということです。


私を脅しても意味がないのです。これは単純に、社会に通用するかどうかということ。

世の中のルール・法律・道理にてらして、やっていいことと絶対にやってはいけないことがあって、

今回の件、つまりあなたがやっていることは、後者に属する可能性がきわめて高いということです。


世の人々・企業は、正しい手順と手段をもって、ちゃんと成果を上げ、社会的信頼を勝ち得ている。

あなたも、そうした正道に立って、もう一度やり直すことが、唯一の正解ではないのだろうか。


あなたは、私の著作を読んで、仏教を学び始めたという。

だけれどどうやら仏教というものを勘違いし、自分の私欲のために利用していいとどこかで勘違いしてしまったのかもしれない。

私は感情ではなく、道理をあなたに伝え続けています。

あなたが、私の著作を読んで感銘を受けたということは、あなたが、孤独と苦悩を知っているということを意味します。

ならば、その孤独と苦悩と向き合うことを始めてください。今回のように、自分の野心といつの間にかすり替えて、仏教という尊き思想や私が本で伝えている内容を、アプリだのAIを使った仏教サイトだのに利用しないことです。


伝えましたよね――仏教は、仏教徒によってのみ守られ、また伝えられるべき尊き思想だと。


あなたは再びわざわざ私に連絡を取ってきて、言うだけ言って、連絡(返信)はするなと言ってきている。だからここにこうして伝えるけれども、


自分が犯している法的・倫理的問題を是正することが求められているのに、それを指摘されると訴えるなどと「脅し」をかけてくることもまた、世の中には通用しない対応です。

倫理をわきまえた人と企業なら、こうした言葉は向けてこないのではないだろうか。


この問題は、それほど難しいことではないのですよ。

あなたがしたこと、していること、主張していることが、世の人々に受け入れてもらえるかどうか。あなたがアピールする宣伝ではなく、実際に起きている事実を、社会がどう受け止めるかです。

与えられていないものを取ってはならない。”盗んで”はならない。利用してはならない。

そういう道理を守れるかということだけです。


道理を守れる人たちが、この世界を支えていくのです。

あなたも、そうした一人になればいい。きっとなれるはずです。



どう思いますか?

 

慈悲にもとづいて 

2026年4月7日