出家のひとりごと


出家は、静寂を好む。


世の中に向けて語ろうという発想はなく、真実は、通用する人との間だけで成り立つ相対的なものだと、今はよくわかっている。

かつては、世の中、変わりっこない ⇒ だから絶望 ⇒ 出家 というルートを進んだわけだけど、

今は、世の中、変わることは難しい ⇒ 真実が成り立つ関係でのみ関わる という生き方ができている。


これほどに個人の遺志も社会意識(社会はどうあるべきか&自分は何ができるかという問い)も弱体化してバラバラになってしまった日本社会から、

いっそ再び「中退」してもいいかなとは思ったりするけれど、

 

それだと取り残されてしまう日本の人たちを置き去りに気がするし、フェアじゃないと感じるので、

やっぱりこの社会の中で生きていくしかないだろうなあと思います。


出家としては、おひとよしなのかもしれません。世の苦しみから目を背けることが苦手。放っておくことができません。


とはいえ、できることは限られているし、言葉が通じる人(相手)の数には限りがあるから、この手と言葉が届く範囲でのみ道を貫くという生き方に、おのずとたどり着きます。


真実の道をゆくこと、己にとっての真実が通じる範囲で生きることは、おのずと狭く細いものにならざるをえません。


肝心なことは、歩き続けること。

途中、浮き沈みも、汚れることも、立ち止まることもあるのが、人生です。

だけれど歩く。

 

歩き続けたという事実が、「生きた」という納得になる。人生の価値を作る。


人生の価値は、歩き通した後でなければわからない。とにかく歩く。生きるのみ。それだけが答え。


前に進むことだけは、放棄しない。




2023・3・17