十代の生き方指南書を買うのは、ほとんど親なのでしょう(笑)。親が「この本はイイ」と思うということは、その本がすでに親目線・大人目線に立ってしまっているということ。
親から見て「フムフム、その通りだ。ぜひ子供に読ませよう」と思う。それが、子供向けにしてかつ売れ線の本の主流では?
次の本では、十代のうちに知っておくべきこと(後悔しないために)を真面目に書いてみますが・・・
十代に向けて書くということは、と同時に親にも伝えなければいけないことがあるということです。
親に向けては、どうしても辛口になります。なぜかというと、子供は、<今>と<未来>という二つのテーマを負っているから――子供が未来を拓くには、今をしっかり活かすしかないのに、
親は自分の都合(見栄・世間体・妄想)しか見ていない様子が伝わってくる(ような気がする)からです。
(ある親からの手紙を見て感じたのは)学校に通えていない、テストが終わるとすぐ崩れる・・・という理由に、どうやら生活の乱れ、ひいては本人の逃避癖があって、そうした弱さそのものを、親が見ていない印象があることです。
学校に行く・行かないということと、今の時間の過ごし方は、まったく別の問題です。動画・ゲームで漫然と時間を潰すことは、単純に、将来を潰すことにつながります。
今を無駄に過ごして、将来を勝ち得ることができるはずはない。
少なくともルールを決めさせて、それを守っているかどうかを親が毅然と見張らないと、子供はどんどん崩れていくのでは?
心はそんなに強くありません。他方、スマホ・動画・ゲーム・SNS・・・すべては、心を崩して立ち直れなくする力を持つ、きわめて危険な道具でもあります。
こうした道具を野放図に与えておいて、こんなことをいう親がいるのです——進学(進路)について、特に親の側にこだわりはない(進学だけが道ではない)と。
「ずるい」言葉です。将来の選択を子供に託することと、親としてすべきこと(責任)の放棄は違います。
もしかしたら、親が逃げているかもしれないのです。子供の野放図を容認すること、一見「理解ある親」を演じることで、親としての責任を放棄している。
こうした場合、ラクをしているのは、親自身です。
子供本人が「進学したい」(志望校がある)というなら、なおさらです。本気で言っているのかを確認する必要があります。行きたい気持ちはあるのに行くための努力をしないなら、そのうち将来への門はピシャリと閉ざされて、前に進めなくなります。
今は開いている。だが閉じられると永久に開かない。それが将来というものです。
将来への扉(可能性)は、徐々に狭くなっているのですよ。
遊んでいいということにはなりません。
子供の将来を真剣に考えるなら、真剣に怒らなければいけない時もあるのです。その時はいつですか?
真剣に怒れるくらいに親の側に覚悟があるのか?
子供に代わって「危機感を持つ」ということです。
本当に子供の立場に立ち、同じ場所から将来を見据えるなら、今の過ごし方が有害かつ危険だということは、わかるはずです。わからなければいけません。
親が寝ぼけている・・と感じることが少なくありません。あるいは一方だけが悩んでいて、他方はあいかわらず責任放棄という両親もいます。
親が寝ぼけて、子供の未来を潰していく。
いつ目を醒ますのか? 自分自身に問うてみてください。
※辛口すみません・・・今回のメッセージは、「大学に行きたい」と子供自身が言っている場合についてです。
2023年6月12日