心を壊しているもの


心を壊しているものは、「教育」かもしれません。戦後から70年以上、いやもしかしたら明治期から百年以上変わっていない、社会停滞の隠れた犯人かもしれません。

教育を通しての価値観の摺り込み・・・

「勉強とは、教科書・参考書・ドリルを使ってやるもの」

「学力の評価はすべて、学校のテスト・入試で測るもの」
 
「成績が優秀であることが、それだけで価値を持つ」など。
 
でも、教科書をはじめ「これが勉強だ」「試験に出るぞ」とされている中味は、一部の大人たちが仕切っていて、面白いか、興味が持てるか、そこで得た知識や知的能力が、社会とどうつながっているのか、といった問いとは関係がない様子。

そうした「勉強」という思い込みに縛られている教育産業やメディアが発信する情報もまた偏っている可能性は少なくありません。


教科書に載っているのは、意味が抜け落ちた概念の羅列・・・坊さんになった今の私でも、教科書を開くと、正直ウンザリします。数ページも読みたいと思えないのです(すみません笑)。

中味はつまらないのに、「テストに出るぞ」「卒業できないぞ」「もっといい高校へ、大学へ」と、窮屈な学校システムへと子供たちを追いやり、

テスト、点数、成績、内申書、偏差値、順位付け、学校のランク付け、一部の有名校、難関大学を賞賛する社会の風潮を通して、

子供たちを煽って、追い詰めて、無理やり勉強させ続けて、もう一世紀近く・・・でしょうか。

面白くもないし、知的能力も育たない。試験で点を取るための勉強は、知的能力を鍛えるというより、特殊技能を身につけるものにすぎない。
 

その特殊技能が、どれほど社会に役立っているか。それは、今の日本を見れば、ある程度測れるような気もします。

何十年にもわたる停滞と委縮。「頭がいい」ことが、単純な学歴勝者を意味するようになり、メディアの消費コンテンツになり下がってしまった現状。


閉塞したこの社会をどう変えるのか。

人間が抱え込んだ苦悩と課題をどう解決するのか。

社会への信頼と未来への希望を、どうやってこの世に増やすのか。


そうした最も価値ある問いに、頭がいいとされる大人たちが悩まない。
 
今の教育・学校・受験のシステムが作り出しているのは、社会全体の思考停止と、学歴勝者の自己満足。


こうした現状を繰り返しても、未来永劫、社会は変わりません。発想が止まっているからです。
 

結果的に、本来もっと自由でいいはずの生き方が制約される。歪みが生まれる。未来の可能性が潰される。
 
社会にとって大きな損失だと思うのですが、はてどれくらいの人たちが賛同してくれるのでしょう。
 

今の社会が哀しいのは、成績・学歴で測られる「頭のよさ」を礼賛する風潮に、異議を唱える声が少ないように見えること。

学校とは、勉強とは、教育とは、「こういうものだ」(これしかない)という思い込みが、ますます拡大・定着しつつあるように見えること。
 

学びも教育も、本当はデザイン(設計)してよいものです。もっと自由で、創造的なもの。
 
一人一人が自分らしく生きられること。
新しい社会を創造していく力を身につけること。
 
そのための学び・教育であるはずなのに、「この程度のもの」とされつつある現状に、もっと疑問を持っていいと個人的には思うのだけど。
 
 
つづく
 

2024年2月公開予定
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反応しない練習エクストラ【希望編】
大人になった僕らは今どう生きるか から
※音声ではもっとカジュアルに語っていますが、伝えたかったことは上記の通りです。