もしその時が来たら

12月16日
執筆に追われているうちに、あっという間にその日が来てしまった。

とあるラジオ番組の収録日。※すみません。出家は臆病者なので具体名は伏せますw。

〇〇のスタジオまで、自転車で向かった。淡い茜の冬空が凛と冴えていた。

想像以上に大きかった。大通りだと思っていた道は、敷地に通じる入り口だった。

出家が一人、チャリンコでスタジオの敷地に入っていく(笑)。

門衛さんにどこに行けばいいかと聞いたら、番組のゲスト名をチェックして、「地下の駐車場に降りて、そこで入館証をもらって、〇階に上がってください」と言われた。

その間もひっきりなしに車が入って来る。敷地内はイルミネーションに彩られて、さながら竜宮城のようなきらびやかさ。

今回お声がかかったのは、番組スタッフの20代の女性が、書店で『反応しない練習』を見つけてくださったことが、きっかけ。実にいろんなところで見つけてくれるものだと、感じ入る。本の力は、本当にすごい。


スタジオのみなさんの雰囲気がポジティブで明るかったのが、印象的。DJの〇〇さんは、さすがに話上手。間をうまくつないで、沈黙を作らない。リズムのいいやり取りになったように感じた。

私のキャラは、ひねくれ者のはみ出し者。学校も、大学も、日本社会も、ぜんぶ星一徹ばりにちゃぶ台返しして、もうひっくり返すものがなくなって、やむなくインドに渡ったのである。

そういうひねくれキャラとして、今日はお話しした。

この番組は社会意識が強い。各分野で活躍する社会派ゲストを多数呼んでいる。私に聞いてきたことも、ちゃんと目的意識を持った問いが多かった。だからこそ、いろんな返しができた。切り口というか着眼点が違うと、話のノリもまったく変わる。そのことがよくわかった。



スタッフさんたちの多くは、20,30代。若くて元気。仕事が楽しいと言っていた。なんていい言葉。

最近、この国の未来を想うことが増えた。私は出家だから、社会についてあまりモノを語らないようにしている。訊かれていないことを自分から語ってはならないという戒律があるからだ。

だが、この国がひとつの小さなクラスだとして、声を挙げられない人、いじめられている人、苦しんでいる人がいるとして、

それでも出家として、教室の片隅にいるかいないかわからないくらいの体(てい)で座っていていいのだろうか、とは最近とみに考える。

自分一人で生きていくなら、静寂がよい。隠れるかのように生きていきたい。もともと出家は隠遁を好む。

だが、この国を信じて頑張っている人たちが報われずに涙するような社会になっていくのなら、

最後は、ハイ と手を挙げなければいけないようにも思う。


声を挙げたくても挙げられない人たちもいる。世の中には、心優しい人、一生懸命働いている人、生きることに精一杯の人、それぞれにいろんなことを感じて日々生きている人たちがいる。

そういう人たちを、特に今日出会ったような20,30代の人たちを、泣かせるような社会にすることは、同じクラスにいる人間として、容認すべきではないだろうと強く思う。 

 

隠遁までにまだやらねばならぬことがある 気がする師走

 


 

黄昏時のお濠端を自転車で走る。
二度とこの場所に来られなくなる未来が、もうすぐやってくる。