今回の『怒る技法』(マガジンハウス)については、
「あとがきに代えて 怒りのない世界をめざして」のメッセージについての感想をたくさんいただいています。
本というのは、本当に貴重な生き物。今の時代には、非効率ともいえるし、コストもかかるもの(製作費)。
でも価格はあまりに安い。ランチ代くらいの値段で、物書きは人生かけて書いている。
SNSや動画はインスタントに配信できるけれど、それだけに受け取る側に残るものもインスタントに終わる可能性はある。ふーん、へえ程度で消えていく。
本の場合は、読み手が一定の時間向き合って、言葉を味わったり、マーカー引いたり、ノート取ったりして、本の言葉を自分のものにしようという積極的な努力がある。
本から得たものは、自分だけのもの。時間をかけて味わって、落とし込んでゆくべきもの。
以前、WEBメディアで連載していた時に印象的だったのが、朝6時に新記事が配信されると、我先にと自分の顔と名前をつけたコメントが並んでいくこと。
それも、「自分がどう活かすか」というより、「これはこういうことだ」「自分はこう思う」みたいな解説というか批評というか、結局のところ自分語りに近い内容が多かった印象が残っている。
私に伝えられることは、仏教にもとづく生き方。
時間をかけて落とし込んで、実践して、自分の中で「体験」していくべきもの。
自分の意見(これはこうだ)をインスタントに言葉にしてしまうと、自分の意見が「壁」になる。
「私はこう思う」という自我が残って、本の言葉(本来の意味、残ったかもしれない、自分が成長して初めてわかる意味)は消えていく。
今の自分に見えない部分は、急いで今の自我で埋めるより、そのままにしておくことが自然なありかたではないのかな。
時間と静寂(沈黙)が必要ということ。
人間が最も成長するのは、静寂の中でおのれを見つめる時だ。
常に願っていることは、本の中味を汲みとって前向きに活かそうと頑張る人たちの元に、あまねく届けること。
「10万人に届いたとしても、10万1人目が本当は必要としているかもしれない」
と、かつて語っていた自分の言葉を思い出した。
最初の1人も、10万1人目の1人も、受け取った人にとって、本は著者からの「手紙」になる。とてもパーソナルな手紙。
私が世に届ける言葉は、みんな幸せになってほしいという純粋な思いだけでできている。
それは真実。それが伝わってくれたらという夢を見ている。
2023・3・29