看護学校の教室から

※草薙龍瞬は看護学校で1年生・3年生向けに倫理学の講義をしています。

下記は、1年生のレポート(コロナ禍の3年間を振り返る)についてのフィードバックです:

 

コロナ禍の3年間を振り返る(まだ①のみで可。検証は次回) をざっと拝見しましたが、みんな淡泊です。

3年間を振り返る のですよ? 数行で足りるのでしょうか。

小説とか伝記を読んだことがあると思います。自分が見たもの、聞いたことほか、具体的にリアルに描き起こしているでしょう?

自分の体験を言葉にするとはそういうことです。簡単な言葉でまとめてしまわずに、なるべく「忘れないように努力する」つもりで書くのです。

たとえば自分が通っていた学校の先生や友だちは、何を言っていたか、何をしていたか。家族や近所の人たちは?

テレビやSNSで何を見たことを覚えているか。世の中や人間関係、学校生活、家族関係はどう変わったか。

最初の1年はコロナ騒動、その後ワクチン接種が始まった。自分が覚えている場面(光景)は?

自分の正直な気持ちは? 何を考えたか?

体験は、言葉にしないと忘れてしまうのです。思い出せる(言葉にできる)のは今だけかもしれない。

そしてもしその記憶の中に、自分または誰かの苦しみがあったとしたら、忘れてしまうということは、そうした苦しみさえ見過ごして忘却してしまうということです。

そうなると何も学べないどころか、体験したこと、生きていたことさえ、無意味になってしまいます。

表面的な言葉で片づけないこと。5行以下だと(内容にもよりますが)点数はつかないかもしれません(実際3行程度で終わらせている答案あり)。

そしてもう一つ大事なことは、みなさんは看護の道に進むのだから、「人の苦しみ」に敏感になること(苦しみを先に見るようにすること)です。

だから、「たいへんだったけど、こんなことも学べた」といった一見前向きな感想で終わらせている答案もありますが、あまり良い評価はされません。

こうした前向きさは、本人だけの慰めでしかないのです。自分は前向きに受け止められたからといって、たとえば病院で将来出会うことになる患者さんの体験やその苦しみを癒すことはできないでしょう?

一見して、ポジティブ、前向きというのは価値を持つように思えるかもしれないけれど、皆さんに求められているのは、自分だけじゃない、周りの人たち、患者さんたち、あるいは世の中全体をよく見ること、

特に 苦しみ のほうを見ることなのです。

だからちゃんと苦しみを見ていたことが伝わってくる答案については高く評価します。

4月の最初の講義で伝えたことは「理解する」ことの重要性でした。看護師をめざすみなさんが最初に見るべきは「苦しみを理解する」ことなのです。

コロナ禍で自分は何を失ったのか、どんな苦しみ(不安やストレスも含む)があったのかを、正面からちゃんと語ること。

さらにはできれば、自分だけじゃない、周りの人たちの苦しみも「理解する」こと。そうした方向性で3年間を振り返ることがベストです。