どの場所での法事も同じことだが、やはりその土地や一族の業というものを感じ取って、その業を断ち切るための理解というものを明らかにすることが、基本になる。
“見える”ものは、伝えることもあるし、
業の力が強いと、その影響は一代では終わらず、次の代、
だが救いでもあるのは、人間というのは凄まじく生命力が強くて、
つまりは、負と正、陰と陽、悪と善というのは、どの時代・
苦しみをもたらすものが悪の業だとしたら、
どうした場合に善の業が育っていくかといえば、
「子供にだけは苦しんでほしくない」
「この業を子に受け継がせたくない」
「この苦しみは私の代で終わらせる」
といった強い思いを持てる誰かが出てきたときに、 悪の業を善の業が上回る可能性が出てくる。
◇
悪の業を長引かせる原因の一つとなりうるのは、 その業を持った人間に執着することによって、 負の業を繰り返す可能性を宿してしまうことだ。
その可能性は、自分の人生に出てくるとは限らない。別の部分に、 想像もしなかった意外な場面で、不意に現れることがある。 悪の業が未来への可能性を枯らし始めるのだ。
最も正しい選択は、悪は悪として冷徹に理解して、 斬って捨てることだ。親として子としての情は要らない。
肉親だからこそ執着して、さまざまな“夢” を見てしまうものだが、その夢こそが、 悪を悪として見抜く心の眼を濁らせて、 代わりに悪の業が生き延びる土壌を育ててしまうこともある。
最も望ましいのは、「
いわば、善も悪も、いったん自分の外に置いてしまうこと。
悪は悪。だが遠い悪であって、今の自分には関係がない―― それくらいに思える境地に立てるならば、 あとは前を向いて生きていくだけで、 悪の業が希薄化していく可能性も出てくる。
くれぐれも執着しないことだ。
業とは心のクセ・反応パターン
いわゆる性格や慢性的気分です
つい繰り返してしまう、
自覚があまりない、
そして
親から子に受け継がれる
ことが特徴です
詳しくはこの本をぜひ読んでください(筑摩書房から)
