第3火曜は◯◯から名古屋栄に初移動。
栄の講義はキャンセル待ちが続いている。それでも新しい人たちも大勢やってきた。
寺子屋(十代向けの生き方&学び方教室)は、高校生を指導することから始まった。
栄のジュンク堂で高校生の「公共」「情報」という科目を調べてみたが、
「ひどい」の一言。なんだこの「とりあえず全部詰め込んでみました」感は。
政治、経済、倫理、法学、国際関係、時事ネタ、行政・・すべてが原理も体系もなく並んでいるだけ。
こんなものを十代に読ませたら、言葉の暗記に走るに違いない。これ、高校の先生たちはどんな教え方をしているのだろう?
いや、高校生たちが本当に気の毒だ。こんな本を暗記したって、何も残らない。バラバラの知識が、いや知識にもならない単語が無秩序に頭にちらばるだけではないのか。
教条としての仏教の枠に留まることは、簡単ではあるが、観念へのとらわれをもたらしかねない。考えなくても、思考が衰えても、「枠の中にいる」という安心があるから、自分を正当化してしまえる。
そうした思考停止の罠は、歳を重ね、立場が確立すればするほど、はまりやすくなる。
最も大事なことは、そして仏教の真骨頂というのは、こうした思考停止の罠を突き破っていくことだ。
枠を崩さず、しかし枠にとらわれない。そうした本当の知性というものを保ち続けなければならない。
2026年4月下旬