世の中で最も意義(価値)があること・・・それは、人が生きるため、世が続いていくために、必要なものを創り出す営みにあるような気がします。
たとえば、食べるものがなければ生きていけない。だから、食べ物を作る仕事こそが、最も(というと語弊がありますが、あえてそう言ってみましょう)価値がある。
なくても生きていけるものは「豊かさ」ではあるけれど、それでも、なくては生きていけないものを作り出す営みを、人と社会は、最も尊重しなければいけない。リスペクト(社会的価値)の順序とでもいえるもの。
子供を育てることは、その点で、最も尊重されるべき価値あることのように思います。
新しい命は、本人がこの先、この世界で、たくさんの可能性を体験できることを意味します。親になった人がこの世に生きた証にもなります。この世界を未来に支えてくれるであろうことでもあります。
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そうした価値ある営みが「難しい」はずはありません。難しくしてはいけないのです。なぜなら世界の「基本」だから。
基本が、過剰に難しくなっていること自体、何かがおかしいのです。
たしかに子育ては、神経も使うし、責任もあるし、苦労が多い仕事です。子供の健康や身の安全は、それこそ親にとって、自分の物事を越えた関心事・・・その点で子育てはラクではありませんよね。
でも親にできること・すべきことは、よく観て(観察して)、その都度必要なものを与えること。それ以上はないはずだと思うのです。自分で与えられないものは、外の人たちの助けを借りる・・・身内、友人、お医者さんと、保育士さんなど? でもやっぱり、観て、あげるという基本は変わらない。
よく観て、必要なものを与えてあげることを「ケア」と呼ぶとすれば、子育ては、ケアをちゃんとすればいい(十分)ということかもしれません。
しかも、ケアというのは、そんなに難しくないかもしれない。なにしろ子供には、持ち前の生命力があるから。
それは他の生き物の姿を見ていれば、なんとなくわかる気がしてこないでしょうか。親はできる範囲でのみケアする。するといつの間にか成長して、やがて親を必要としなくなる時期がやってくる。
もし子育てが難しいことなら、この世界に生きる多くの生き物は、すでに滅んでしまっているのでは。人間だって、もっと過酷な状況においても育ててきた。育ってきた。
子育ては、ほんとは難しくない・・・よく観て、その都度必要なものを与えてあげる。それが育てること、親であることの本質なのです。
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ではなぜ、子育てが難しいものに思えてくるのか。「子供がその都度必要としているもの」を越えて、大人の側が難しくしているのかもしれません。
そう、親の側の妄想・・・一見子供のために見える過剰な心配・不安・杞憂や、期待過剰・過干渉・過判断・過反応。
親の側の妄想と、別の原因あって抱え込んだストレスと、引きずってきた執着と、さらには心の内で繰り返される業と・・・。
これは、いわば親の側で自家発電しているもので・・・幼い子供には想像もつきません。まさかお父さん・お母さんが、そんな心のビョーキを持っているとは・・・(笑ってもらっていい部分ですw)。
つづく