朝の電車(錦川清流線)で川西駅へ。宇野千代記念館に足を運んだ。
宇野千代さんのことは、正直よく知らなかった。覚えているのは、「わたし、死なない気がするんです」とテレビで語っていた姿くらい。ちなみに、死なない気がすると言い出した人は、たいてい“おむかえ”が近いと思うほうが正しいのかもしれないとも思う。享年97歳。
16歳で文学に興味をもって雑誌に投稿を始めて、二十歳で上京。出版社の事務、家庭教師(もと岩国で代表教員をやっていたそうな)、ウェイトレスなどを勤めながら、24歳で懸賞小説で一等当選。
八十代まで精力的に作品を発表。自伝小説『生きていく私』ほか、多くのベストセラーも。みずから出版社を作ってファッション誌や文芸誌を刊行し、着物のデザインも手がけた。自身の感性と時代がうまく嚙み合った印象。打てばヒット。楽しい人生だったように見えなくもない(深層はわからないけれど)。
だがそれは、人間の世界にとっては無(存在しない)でしかない。たとえ人間の世界が限りなく業が深く、愚かで、醜く、殺伐としていて、やがては滅びるだけの定めにあるとしても、それでもまだ人は生き、世界は続いている以上、その中で何かを形にすることには、意味があるだろうとは思う。そう思う人生を選んでいる。
関わることで初めて生まれる意味がある。関わりの中でしか成り立たない価値がある。たとえ関わりそのものは無常であり、時に傷つき、いずれ消えるものだとしても、つかの間の関わりの中で何かをなし、何かを作ることは、刹那この瞬間においては、やはり意味を持つように思う。
滅びの中で生きるのだ。それこそが今を生きるということなのだろうと思う。無へと帰ることを織り込んで、虚無にすぎないことを当たり前として、今を作る関わりの中で有を創り出す。それでいい、と思えることが、諦念を越えた生き方ではないか。
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旧目加田家住宅という武家屋敷を通ったら、ガイドのシニア男性が声をかけてくださって敷地に入れてもらった。家の裏側には二階に窓があるが、表側にないのは、身分が上の人を見下さないためなのだとか。家はかなり古い。一度バラして移築して国の重要文化財として保存しているという。
古い屋敷を残すことで、岩国は風情を保っている。ここで思い出すのは久留米だが、かの地は戦後どんどん古い家を壊して商業ビルと住宅を建ててしまった。後悔先に立たず。保っていれば観光資源になっただろうにと、前の旅で地元の老婦人と話したことを思い出した。
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いざ、岩国シロヘビの館へ(入館料二百円)。岩国には、シロヘビにまつわる伝承や古文書の記録が、少なからず残っているとか(古文書と言っても江戸期だそうだが)。たしかに姿が印象的。手足のない白い体に、表情のない赤い目。姿が非日常なのだ。
子供のシロヘビだけは、ときどき舌をちょろちょろと出して見せる。でも動きといえばそれくらい。
もとはトカゲ類で、次第に手足がなくなった。アオダイショウの突然変異で、体が白くなった。蔵の米をネズミから守ってくれるということで、岩国では家の守り神として大事にされてきたという。
いや不思議な生態だ。目は明るさを感じる程度で、音はほとんど聞こえない。ネズミを丸のみするが、味覚がない(おいしいともまずいとも感じない・・それはさすがに真似したくない笑)。
匂いは舌で感じる(だからちょろちょろ舌を出す)。音は耳の代わりに骨で感じるという(骨伝導)。体長180センチ、胴回り15センチ(けっこう大きい)。寿命は15年ほど。29年も生きたシロヘビも。「なんのために?」と考えるのは、欲深な人間の野暮というものか(笑)。
アゴを上下に開き、下あごを左右に開いて、自分の頭より大きな獲物を丸ごと飲み込む。肋骨を大きく広げて、獲物を消化していく(人間の姿で想像すると恐怖でしかない)。
最初は突然変異。その後は交配した異性ヘビの遺伝子と自分の遺伝子(白くなるアルビノ遺伝子)が、半分ずつ子供に受け継がれる。子供はアオダイショウかシロヘビか。
人間の業はどうなのだろう。二人の親の業を半分ずつ受け継ぐ? むしろ生まれた後の距離と時間による気がする。親の側、子の側の執着の度合いによっても、業の遺伝度合い(影響力)は変わるように思える。
ほぼ確実なことは、親の業から無関係ではいられないということだ。いい面も悪い面も、親の業は確実に子の心に遺伝する。
人間の場合は、自覚と実践によって、人生の色を変えることは、ある程度可能だ。遺伝による輪廻を越えるには、やはり悟り(理解)が必要だし、それしかない。他の生き物なら突然変異するしかないが、人間の場合は理解するという知能によって、変わることが可能である。人間だけの特権ともいえる。
シロヘビは性格温厚。目は赤ルビーのようで、全身は高貴な白に輝いている――といえば愛着も湧くから、言葉って不思議。今も金運・福運の神のつかい。
蔵、石垣、水路などの環境が整っていないと生きていけない。次第に数が減っているのだそうだ。シロヘビ、かわいそう。
堤を上がったところに、巨大な銅像が。政治家だった。自分が見た限りでの印象に過ぎないが、中国地方から九州にかけては、政治家・軍人系の巨象が多い気がする。昔は(今もかもしれないが)、出世といえば、政治・経済・軍部内で昇進することだったのだろう。
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堤通りの「岩国石人形資料館」。シニア男性に「無料ですからどうぞ」と促されて入ってみた。中に入って驚いた。人形(ひとがた)の小さな石が陳列されている。石を細工して人形にしたのではなく、川中の石にくっついているのだそうだ。ニンギョウトビケラという昆虫が、川底の小石や砂を集めて作るのだという。
今も錦川に探しに来る人がいるそうだが、コツがあって、一般の人には見つけるのが難しいそうだ。
錦帯橋を渡る。かつて大雨に橋が流されることを防ぐため、人柱を入れることになった。貧しい武士が名乗りを上げたが、二人の姉妹が父の代わりに橋台に身を埋めた。その化身とされているのが、先ほど見た石人形だ。
川を上がると、服はびしょ濡れ(そりゃそうだ)。作務衣からぽたぽたと水が落ちるのが止まるまで、日陰で一休み。乾いたところでバスに乗って、岩国駅へ。
2024年8月下旬