滅びゆく世界で

旅の途上で感じたこと


10月某日
東京から西へ旅に出た。野山のどこを見ても、人の手が加わっている。古(いにしえ)の時代から、数えきれない人たちが、日々、野を耕し田畑に変えて、通行の便宜を図って道を拓いてきた。そうしてできあがった、この美しい風景がある。

だがここ数年、旅しながら思うのは、この風景がいつまで続くであろうという憂鬱めいた思いだ。人は減り、勤勉は美徳とされなくなった。今や農作業からも逃げ出す人たちが増えてきた。しんどいことを嫌い、コスパ、タイパと、ラクすることを正当化する風潮さえ出てきた。

列車の中で、ほとんどの人はスマホを見ていた。ある駅でドアが開いた。小学生の子が、スマホゲームに気を取られて、降りようとしない。子供の後ろに、両親と祖母らしき女性が立っている。急がせるでもなく「着いたよ」というだけ。子供は億劫そうに顔を上げてホームに降りる。

小さな光景だが、意味するところは深刻だ。何しろ外にいながら動けないのだ。

全国を回っていると、こうした光景をよく目にするようになった。あくまで個人的体験にすぎないが、日常レベルで人の心が大きく変容しつつあることを切に感じなくもない。


翌日、講演会場がある駅から一つ向こうにある無人駅で降りた。

駅には、新型コロナ克服3カ条のポスターが。「人と人 間が愛だ」というダジャレ標語のもと、テレワークの勧めや、動物を人の間に置いたイラストで、2メートル距離取ろうとか、おばあちゃんとは直接会わずに電話でつながろうとか。

この不毛、いつまで続けるつもりなのか。

こうやって人を引き離し続けて三年間。結婚数は50万組台に落ち込み、出生数は80万人を切った。

コロナ騒ぎが始まった2020年に、50万人の人口減少を記録。小さな県が丸ごと吹っ飛んだことになる。一年で止まらない。以後連続だ。逆に死者数は一年あたり140万人を突破した。統計上の予測を越える死者が、この三年、出続けている。自然死では片づかない超過死亡者の数だ。

かつては一年に270万人近く生まれていた子供の数が、80万人を切った。ということは、その数だけの可能性が、社会から消えたことになる。一年あたり二百万人分の人生が消えた。十年で二千万人に及ぶ可能性の喪失だ。

あの戦争では、三百万人の日本人が死んだ。だが、それをはるかに超える死が起きている。現実に起こる死と、生まれたはずの命が生まれないまま終わるという意味での潜在死が、凄まじい勢いで増えている。

死んでいるのは、戦争や天災ゆえではない。硬直した社会制度と人間の心ゆえだ。社会とは変わるもの、変えるものだという前提が忘れ去られ、勤勉を美徳とせず、未来に夢を描かず、保身のみで満足して、刹那の享楽に身を委ねながら、そんなおのれの姿を顧みなくなった人々の心が奏でる、滅びへの行進曲だ。

これほどに滅びの音色が痛ましいほどに軋み鳴っているのに、人間はまだ気づかない。

“コロナ克服”という勝てるはずもなく、勝つ必要もない幻想に、こうして今なおしがみついている人間がいる。

見るべきものを見ようとしない臆病と、見ることができない無知が、自滅への行進に拍車をかけている。


最近ずっと問うている――この命は何をすればいい?


2023年10月某日