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【仏教講座・親子編】
「自由に生きる」を基本にしよう
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生きることは、それほど難しいことではありません。そう個人的には思います。
生きるとは、自分のことは自分でやること。
自分が望むことを第一にすること。
少しでも嫌悪や違和感があったら、その理由はなんだろう?と考えて、自分なりに言葉にすること。
どれも当たり前の話。最初の二つは、動物でもやっている、自然界の鉄則みたいなもの。
三つめは、考える力を持った人間だからできること。
自分のことは自分でやるのが原則であって、この点は考える(議論する)ことは不要。
ご飯を作るとか、洗濯をするとか。やってくれる家族が仮にいるとしたら、それは例外扱い(本当はおかしなこと)くらいに思えるほうがいい。
勉強もそう。自分の未来のために学ぶ。
受験するのもそう。将来につながる次の一歩を踏み出すために受験する。
「自分のため」に、学び、受験して、進学する。あったりまえの話。問答無用でいい話。
だから自分で考えて、自分で調べて、自分で選んで、自分で願書取り寄せて、自分で記入して、自分で送る。当たり前の話。
もし「自分のこと」に、他人が手を出して来たら、それこそ異常事態だと思うくらいのほうがいい。
まして、親の期待に応えるためとか、「親がなんていうかなあ?」なんて考えているとしたら、もう立派な心のビョーキ――とまでは言わなくても、「動物でもやらないことをやってしまっている」不自然さは自覚しよう。
人は、自分のために生きている。生きていい。生きること。本当は簡単な話。
だから、自分のことは自分でやることから始めよう。
それを続ければ、次第に生活がスッキリしていく。無駄なプレッシャーやストレスを抱えずにすむようになる。
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今度は親のあり方について--
自分のことは自分でやることが基本だとしたら、周りの大人、特に親は、子供が大きくなるにつれて、親にできることはなくなっていく(はず)だと自覚しなければ。
子供が一人でできることに、口を出していないか。
手を出していないか。
子供の代わりにやってしまっていないか。
子供が語る前に自分の言葉を押しつけていないか。
親の側がしゃべりすぎ、やりすぎ、考えすぎ、先回りしすぎ――その一つ一つが、「自分のことは自分でやる」という基本を侵す重大なミス。いや、重大な罪だと気づかなければ。
子供が一人でできることを、いつまでも親がやってしまっている、口を出しているというのは、親の側の「心の病気」だ。はっきり言う。病気。
この病気は、癌細胞みたいなものだと思ってください。癌は他の細胞に侵蝕し殺していく。
親の病気は何を殺すか。子供の心を殺す。未来を殺す。人生を殺す。
冗談で言っているのではありません。「殺す」のです。親が。子供を。
自分がとんでもないことをやってしまっていることを、親は自覚せねばなりません。
自分が「癌」になってしまっているかもしれないことを。
気づいた親は、引っ込んでください。口を出さない。手を出さない。先回りしない。増殖しつつある自分の危なさに気づくこと。
そして厄介な自分のあり方と闘ってください。退治すること。自分の中の癌を。
子供を殺してはなりません。子供を自由にしてください。
2023・10・14