ある親御さんとのやりとりからの抜粋です:
もうひとつ、ただ見守ることが危ういのは、心そのものがそれほど強くないからです。
もしスマホ、ゲーム、テレビ、インターネットなどを自由にできる環境にあるなら、これまた自立・前進はできません。時間を潰すだけ。
そうした心の弱さに輪をかけて、まだ中学生だから、中高一貫だから、口うるさいけれど甘えることも可能な親・家庭だから・・・という環境が影響している可能性もあります。
子供が本当にしっかりしていれば、こういうマイナス要素も自分でコントロールしていけるかもしれません・・・しかしもし親が過去に子供をコントロールしてきたとしたら(過干渉・過度に厳格・神経質etc.)、子供の側には自分をコントロール(自律)する能力は育ちません。結果として「子供時代」が長引くのです。
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親子の間にしっかり線を引いて、受け止めて(理解して)、将来を見据えて、本当に今のままでいいのか、今後どうするつもりなのかを、一人の人間としてしっかり聞いて、本人の自覚を促していくことになります。
是は是であり、非は非――将来のことをきちんと見据えて、今しなければいけないことがわかっている、やろうとしているなら、是です。応援してあげることになります。それ以上に妄想しない。
非と言える(言っていい)のは、親の領域に属することです。お金のことや家の中のルール。親として肯定できないことは、毅然と「それは今は認められないよ」と伝えること。「異議があるなら、学校を卒業して自分で生きられるようになってから自分で選んでください、ここにいる間は、それは受け入れられません」と言えること。
ただ、こうした是々非々の対話が通用するのも、やはり親子がきちんと分離・独立できていて、親の領域・子供の領域を区別できることが前提です。
それができていなければ、過去のコントロールの延長、ただの押しつけになってしまう。結果的に反発・不信を買うか、現実逃避、あるいは過度な依存(甘え)を育ててしまうかになってしまいます。
正しく向き合うとは、親の側が➀自分を冷静に見つめて、②子供の心を理解しようと努めて、③子供の今を裁くのではなく、④よき将来につながるか、という視点をもって、対話を重ねることです。親の側に努力が必要。安易に「放っておく」「言っても無駄」「やっぱり助言せねば」みたいなことを考えても、親の側の堂々めぐり・・・あまり効果はありません。
その意味で、親の側できちんと向き合う型というか、親たる者としての”作法”をしっかり学ぶことだろうとは思います。親としてというより、「この人の言うことは間違っていない」と子供が感じられるかどうか。自分のことをわかろうとしてくれて、自分の未来を一緒に考えてくれていると思えるかどうか。
たっぷり書いてしまいましたが、少しずつ・・・健闘を祈ります。またおたよりください^^。
※今から10年~20年、親として生きることになる大人の方々へ:
親としてのあり方、子育てのコツなどを一緒に考えていきたいと思います。
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