『怒る技法』台湾語版


『怒る技法』台湾語版が出版されたようです。

『反応しない練習』『これも修行のうち。』『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』に続く4作目。

堂々と怒るべし、慈悲を忘れずに――

ひとことでいえば、そういう作品ですが、上手に怒る技が盛りだくさん。

台湾の人々に必要な作品。隣りの国では永久に出版されないことでしょう。


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なんか煽ってます(笑) 娑婆の世界はしゃーない・・

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剣のモチーフも活かしてます

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智慧の剣をもったブッダもそのまま オリジナル版を忠実に再現




2025・9・29

これでいいのだ?


いや、娑婆(世俗)の世界は本当に疲れます。いろいろと考えなければいけないことが新たに出てきていることもあり・・。

出家というのは、ほんとは娑婆の世界に降りて(?)きてはいけない種族のような気もします。

でも山奥にひきこもれば解決ということにはならなくて、自分自身に解決すべき問題は残っていないので、やっぱり「新たな可能性を創る」ことくらいしか命の使い道はなく、

そうなると、やはりやれることというのは、今やろうとしていることで、

やろうとすると、こういう苦労も背負わざるを得なくなって、

苦労というのは背負える限りは背負う(ことがあってもいい)もので、

背負う限りは、「大変だけれど、そういう時期」として受け止めるほかないもので、

結局は「そういう時期なんだ」という思い(諦念)をもって受け止めて、

やっぱり歩ける限りは歩く・・という今の姿に落ち着くので、

最後は「これでいいのだ」というバカボン的心境に落ち着くのでありました。

めでたし、めでたし?


2025・9・23(そうか、祝日か・・)


草薙龍瞬の作品紹介記事

 

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興道の里2025 
【おしらせ】
草薙龍瞬の作品紹介記事
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興道の里から

草薙龍瞬の4作品が、<読む・聞く読書ラボ>というサイトで紹介されています。

上手なライターが書いているらしく、内容の要約やPRポイントが的確です。

ただ、他の本も同じように絶賛しているので、要は宣伝のためのサイトなのだろうと思います(笑)。

本のまとめとしてよく書けている(書いてくださっている)ので、お気が向いたら読んでみてください:





怒る技法.png



2025.9・17
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「そういう時期」という理解


9月13日(土)の自己ベストの生き方&働き方を考える(学習会)の質問・相談内容を引き続き募集します。

サティの力を鍛えると、睡眠を一切とらなくても長期にわたり活動を維持できます(経験上1週間くらい?)。

でも肉体はそうはいかないらしく、心臓の鼓動がヘンになってきます笑(笑っていいのか?)。

来週前半は、愛知・高蔵寺と栄で講座があります。お近くの方はどうぞいらしてください。




今がつらい人へ――

つらい時期というのは、「そういう時期なのだろう」と受け止めて、日々を歩いていくほかありません。

人生には、何度かそういう「しんどい」時期が来るのでしょう。

そして、人間(他人)には期待できない、ということも、改めて思い知ることになります。

「(娑婆の現実を生きるとは)そういうものだ」ということです。

だからこそ過剰に反応せず、人に求めすぎることなく、自分にできること・必要なことを粛々淡々と進めていくのみです。

ままならない現実の中にあって、できる範囲で理解を求めて闘い続けるということです。

できることがある限りは、私も闘いを続けます(独りではありませんよ)。

この世は天国ではありません。人間とはどういう生き物かを学ぶ場所なのです。きっと。



2025・9・11



見えるプロをめざしてください


看護専門学校にて(課題講評)


すべての医療は、人間の苦しみを増やさない(減らす)ためにあります。「増やす」選択は、その時点で正しくありません。

気管挿管事例で取り上げたように、患者が死ねば、その選択は(AであれBであれ)間違っているのです。

何が正解だったか、どうすれば救えたかを、①事実の理解⇒②方法⇒③選択 の順序で検証する。

その検証するという態度こそが、「倫理的に正しかった」と言える唯一の根拠になるのです。

支持するとか反対するとか、そういう話ではありません。すべてを理解したうえでの選択だったのか。選択は患者・人間によって当然違うから、違うことを前提として、手順を追って、人それぞれの選択を促さなければならないのです。

だから、自分自身の見解を語るのはいいけれども、その根拠は何か、その根拠をどこから引いてきたのかを、きちんと明示してください。

「受け売り」(誰かが言っていた)レベルの理由は、理由になりません。権威(「○○先生が言っていた」的な)はただの妄想です。人を救えないなら、なんの実態もありません(違いますか?)。

(略)


単純に、事実(fact&evidence)がないということ。「理屈ではこうなる」と言う企業や専門家はいても、裏づける事実はないのです(あるという人がいたら、聞いてみてください)。

このことを理解しないと、前に進めません。せめて「まだ(事実は)わかっていないんだ」ということは、わかってもらう必要があります。誰が何をどのように語っていようと、です。

ひとつだけ、「倫理的に正しい」といえるかを測る目安があります。わかりますか?

それは、「苦しみを見ているか?」の一点です。

理屈・理論だけで「○○すべき」とか「〇〇したほうがいい」というのも、一部のデータだけを取り上げて安全だ、有効だというのも、間違いです。

その理屈・理論で選んだ時に、苦しみを背負う人は出てこないのか、どれくらいの割合で出てくるのか。

そのデータが正しいものと仮定して(間違っている可能性もありますが)、そのデータにもとづけば、苦しみ(副反応・後遺症・死亡・社会的影響)は、どの程度・どれくらいの割合で生じているのか?


きちんと「裏(背後)」も見ないと、正しい選択にはなりません。「全体を理解する」ということ。

裏を見ていなかったということ。今も見えていないかもしれないということ。


じつは誰も、事実と苦しみを直視していない――かもしれない。

医療・看護の現場においても。当然、学生である君たちも。


「見えない人間」が、人を救うことはできないと私自身は思います。

「見える看護師」になってほしいというのが、私個人の願いです。





2025・9・10