看護学生のレポートを採点中(これさえ終われば少し時間ができます・・)。
自分でもいうのもなんだけど、「いい先生」だとは思います(学生はそうは思っていない可能性も少なくないですが笑)。
いい先生というのは、優しくはない。むしろ厳しい。特にサボっていたり、学ぶことを甘く見ていることが伝わってきた時には、遠慮なく喝を入れる。
だがその一方でかなり甘い。10点満点なのに、よく書けていると思えば、15点つけてしまったりする(採点になってない笑)。内容が若干足りなくても、真剣に取り組んでいることが伝わってくれば、10点満点にしちゃったりもする。
こういうボーナス点が多いので、総合得点は100点を超えてしまう。平均点が90点越え。もはや採点にもなっていないような気もしなくもない。とにかく甘い。
この甘さは、「頑張れ」という励ましから来ている。どうしても甘くなってしまう。
そもそもみんな成長の途上にある。最初からわかるわけでもない。外すこともしようがない。「いつかわかってくれればいい」というくらいの鷹揚さも持ち合わせている。だから甘くなる。
その一方で、自分自身を甘やかして、自分の将来(の可能性)を掘り崩しているかのような態度が伝わってくれば、その時は容赦ない。「むっちゃおっかない」先生に変わる。
今のところ、それでも脱落者はいない。最低限のヤル気・本気はある様子。
そのあたりが見えた時には、全力で褒めることにしている。このあたり、超素直な先生でもある。
課題の講評については、たとえばこんな「喝」を入れています:
◇
課題「よい看護師」とは何か説明せよ(※説明するための情報は教材に書いてある)
課題「よい看護に感情労働は要らない。その理由を説明せよ」(※これも答えは教材内に書いてある)
<講評>
わかっていない(0点)答案が多すぎます。
「よい看護師」というそもそも曖昧な言葉を「寄り添う」とか「優しい」とか、これまた曖昧な言葉で置き換えている(説明したつもりになっている)学生が多すぎます。0点。
「感情は要らない」と伝えているのに、まだ「共感が大事」とか「感情を抑制する必要がある」とか、とんちんかんなことを言っている学生も多い。
こういう人たち(学生たち)は、看護という仕事をステレオタイプ(月並み)なイメージでとらえてしまっていて、その思い込みから抜け出せていないのだろうと思います。
看護の仕事を視点で整理すれば、①苦の理解 ⇒・・(略)・・⇒ ⑤納得 の5つに尽きるのです。これ、看護だけでなく、実はどんな仕事も同じ。
①から⑤に入ってくる中身(具体的内容)が、看護の場合は、特殊(専門的)になってくるというだけで、どんな仕事も同じ。
視点①から⑤のキーワードを使って、「よい看護師」を置き換えるだけでいい。
視点①から⑤のキーワードに照らして、「感情」がどこに入ってくるのか(役に立つのか)を考えてみればいい。
視点①から⑤に沿って、どんなケアが適切か、答えを出していく。その手順を履むことに、感情とか優しさとか寄り添うといった曖昧なものは、本当は必要ないのです。
ならばまったく意味がないかといえば、それは違います。人間としての優しさや、寄り添おうという姿勢が、患者にとっての安心や癒しや信頼感につながることはあります。「自然に出てくる」部分は大事だし、実際には大きな意味を持つことも多い。
しかしそれは、視点に沿った適切なケアができたうえでのこと。①から⑤の手順をすっ飛ばして、「優しく」「寄り添う」なんていうのは、素人の自己満足と変わらない。患者のためにならない。順序が違う。本末転倒。
君たちは、看護のプロとして苦しむ人と関わろうというのでしょう? 看護は高度な専門職。
「感情」「優しさ」「寄り添う」「共感」といった、いわば世間一般に美徳と(一応)されているものとは、レベルが違う。
世間一般のレベルに収まって(留まって)いては、看護の仕事は務まらないのですよ?
素人レベルで「よい看護師」や「感情」というものをとらえていちゃダメです。
それは看護という仕事を矮小化していることと同じ。素人レベルの発想でしかない。
「それよりも大事なこと、しなければならないことがある」という前提に立つこと。
看護という仕事を甘く見るな(見くびるな)ということです。わかるかな???
2025・9・26