本来の<知>の使命


ブディズムは、実践を重んじる思想です。

現実にある苦しみを実際に越えていくことを真剣にめざす。

これは、思想というより生き方です。


仏教は虚無を説くものだという声があります。

 

世間は無常、虚仮(かりそめ)だから執着するなと?

世界はいずれ終わるから、何をせずともこのままでかまわないと?


それが仏教だと思われている節もありますが、真実ではありません。

 

ブッダは若い頃は、こうした虚無に陥ったけれども、道=生き方を見出してからは、もっと前を向いて伝えています。

 

おのれの苦しみを越えてゆけ と。

 

今の時代、さまざまな言葉が聞こえてきます。中には、傍観、皮肉、揶揄、理屈でしかない言葉もあります。


しかし、そうした言葉の多くは、この世界をどこにも運んでくれません。



世界がいずれ終わるとしても、人々は終わっていいとは思っていない。

大人は世の中こんなものだとあきらめているとしても、子供たちはそれでいいとは思っていない。

未来に生まれてくる者たちが、この世界が、この国が、このまま滅んでいっていいとは思っていない。


人が、苦しみを越え、それぞれの幸せにたどり着きたいという原点から始まっているならば、

残された人生の時間は、その地平にたどり着くための可能性ということになるし、

この世界は、人それぞれが幸せにたどり着くための唯一の土壌です。

 

ならば、

滅ぼしてはならぬし、終わりを見てもならぬし、あきらめてもならぬし、実践して変えていくという方角を忘れてもならぬ。



苦しみに満ちた現実を越えゆくことが、命の本質だからです。


ただの理屈と<知>はまったく違います。本当の<知>は、この世界の幸福を――苦しみを越えていくというきわめて現実的な方角をめざすものです。


この国が、これほどに閉塞・停滞し、未来を見失いつつあるのは、<知>が貧弱化していることにも理由があるのかもしれません。


苦しみを越えるために本気の言葉を語ること。方法を探すこと。それが<知>の使命です。



うかうかしていると、本当に滅びます。

だが、そもそも命はそれをヨシとはしないのです。

 

 

 2022・10・16