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子供が壊れていく・・。
街を歩くと、スマホゾンビ、スマホ奴隷がいたるところに闊歩している。
率直に言って、不気味な光景だ。
目の前に誰がいるかも、周囲がどんな状況かにも意を払わず、小さな画面に目を凝らしている。そのままフラフラと夢遊病者のような足取りで歩いている。
小学生の子供は歩きながらゲーム。いい年をした大人さえも、スマホ、ゲームをやりながら歩いていく。歩いてくる。
地下鉄の階段の前を、ヨロヨロと登っていくジャージ姿の中学生らしき男子がいた。
追い越してながめると、ゲームだった。
図書館でも、ノートや問題集を広げながら、大半はスマホいじり。
友だちと勉強しているようでいて、結局はスマホいじり。
教室でも一見勉強しているフリをしながら、頭の中には、ゲーム、スマホ、タブレットがチラついているはずだ。完全な依存状態だ。
一人でスマホをいじる中学生の姿もよく見かける・・・机に突っ伏して、片手にスマホ持って、親指だけでてれんてれんと、画面を眺めているだけ。
病気だ。もはや病気のレベル。
階段さえ登りきれない、本さえ開けない、虚ろな目をしてジャンクライトを浴び続けて、なんと子供によっては、6時間、9時間、24時間(つまりは寝ても醒めても)ということもあるという。
親も親だ。無責任にスマホやタブレットを与えて(国や学校が今やそれを率先してやっているというなら同罪だ)、歯止めがかからない様子を目の当たりにしても、叱れない。
叱れないなら、最初から与えるな。
子供の脳は、発達途上だ。体験して、考えて、選んで、これからの長い人生を生き抜くための知力・学力を身に着けることが、必須の課題だ。
人は必ず大人になるのだから、その将来のために準備しなければならない。そのために心身を育てること、知力を鍛えること。
学校、勉強というもの自体は、選ぶ余地はある。だが学ぶこと、脳を鍛えることは、選ぶものではなく、生き物として、そして社会に生きる人間として、外してはならないことだ。
脳は、育てるべき時期に育てないと、発育・成長は止まる。
ダラダラ、デレデレと、ただ画面を眺めて、テキトーに指先でいじって、そういう状態がラクだからこそ延々と続けていられるのだが、その程度のことにどっぷり浸かってしまっては、
脳も、心も、体さえも、育たなくなる。
現にスマホに溺れて、一日何もしないで終わる子供たちが続出している。
今が終わっている。ならば人生も終わるぞ。
脳が壊れれば、日常生活も、勉強も、仕事も、この先の長い人生も、何も始められなくなる。まさにゾンビであり、病人であり、奴隷だ。
それだけ忌々しき事態だということは、子供たち・大人たちの姿を見れば、簡単にわかるはずだ。
まともに歩けず、まともに学べず、ラクだけを好み、新たな体験を面倒くさいと思ってしまう。
そんな自分にこの先何ができる? 本当に何もできなくなるぞ。
今を壊して、未来をも壊す。取り返しのつかないことをしてしまっている。
親が、大人が、それを許容してしまっていることも、実に罪深い。
中には、親がスマホに夢中で、幼い子が手持ち無沙汰という光景も、目にすることがある。
大人たちがスマホゾンビ化しているから、子供に叱るとか、厳然たるルールを作るとか、そういう覚悟が出てこないのだ。
脳が壊されている。学習障害、発達障害・・当たり前だ。
こんなことをしていたら、障害どころではなく、人生そのものが壊されてしまう。
親のせいであり、社会のせいだ。壊れつつあることに気づかないのか?
酒・タバコ、 公営競技(いわゆる賭け事)は、二十歳から。それだけの有害性・依存性があるからだ。
ドラッグ(覚せい剤・麻薬)は禁止。人生を滅ぼしかねないからだ。
スマホ、ゲーム、タブレットも、同様の危険性はあるのだぞ。
なにしろ脳を壊し、時間を失う。一度失った脳も時間も取り返せない。ラクだからこそ依存性もある。取扱い注意の危険物だ。
手遅れになる前に、年齢制限をかけるべきだという立場に賛同する。
だが、ぬるま湯に浸かりすぎたこの社会においては、規制の動きには反対する声が上がるかもしれないとも思う。
大人でさえ、自分がどんな病的姿を晒しているかを自覚していないのだから。
もはや社会全体が依存症のレベルに入っているのかもしれない。
取り返しのつかない事態に進みつつある気がしてならない。
子供たちが壊されている。
2024年10月末日