15日は、名古屋での講座。新規では「オーディオブックを聞いて」とか「新聞連載を読んで」という人が増えた。
新聞連載は12字✕70行しか書けないし、週に一度の読み切りなので、細部をかなり端折っている。今回の連載には書けない部分もある。いずれ機会があれば、すべての出来事を明らかにしたいと思っているが、その機会がいつ来るかは、わからない。
この講座では、膨大な原始仏典の中から、比較的、世俗の人に伝わりやすい&興味を持ってもらえそうなエピソードを、自前で翻訳して紹介している。
本当は全編訳していきたいのだが、内容が非現実的だったり、高度すぎたり、観念的過ぎたりする部分も多く、ついてきてもらえないだろうと思って省略している。
すべてを伝えようというのは執着だ。その人に伝わる範囲で伝わればいい。
そうした脱力があるから、みなさん気軽に集まってくる。シニアの人たちもいい表情だ。末永く続けられたらと思っている。
◇
翌々日、奈良某所。どっちゃりと溜まった廃材を引き取りに、業者の人たちが来てくれた。午後3時すぎに現地に着くと、あれだけあった廃材がきれいに無くなっていた。恐れ入った。
あの廃材・残材・私物は、本来は他の人間たちが責任をもって処分せねばならないものだ。ところが彼らは無責任・不誠実の極みで、すべての責任を放棄した。そういう人物たちも世の中にはいる。
だが今回の業者さんは、わずか3人で、6時間ほどかけて、すべての残材を運んで行ってくれた。
しかも午前に電話があって、「予想以上に量があって、今日一日じゃ終わらないかもしれません」と言ってきた。
恐縮して、「たくさんあってすみません、追加料金はお支払いします」と言ったら、
「いえ、これは私たちの問題なので、追加はいただきません。ただ、今日中に終わらないかもしれないことだけ、お詫びしたかったのです」と言う。
実際は、無事一日で終わったのだが、昼食を抜いて作業してくださったという。現場は車が入れない路地裏なので、近くの駐車場に止めた3トントラックまで人力で運ばねばならなかった。そういう多大な労も引き受けて、仕事終わりの晴れやかな顔をなさっていた。
こういうことは気持ちだ。見積もりの額の他に、せめてもの御礼を足してお支払いした。
こういう人たちがプロなのだろうと思う。手を抜かず、依頼者に迷惑をかけず、裏切らず、自分が言ったことは確実に遂行して、できなかった部分は自分が持ち出してでもやり抜こうとする。
本物の矜持を備えたプロフェッショナル。年齢も肩書も関係がない。すさまじく高い職業倫理を持った、胸のすくような人たちだ。
そうしたプロの青年たちと比べるのは実に野暮だが、今回の残材を放り出して逃げ続けている無責任な男たちがいる。彼らに最低限の誠意や責任感があれば、今回のプロの青年たちにお願いせずにすんだことだ。
世の中、カッコばかりつけて、キレイごと言って、エラそうな肩書きを集めながらも、都合が悪くなると嘘、難癖、屁理屈をつけて、逃げまくる罪深き人間もいる。カッコ悪さの極み。
こうした人間は責任を負うということを学ばないから、いつまで経っても成長せず、最後は罪人としての馬脚を露わにしてしまう。
そうはならないように、本当に今のままでいいのですか?(いずれ社会に知られることになりますよ)と伝えても、耳を塞いだままでいるらしい。
本当の矜持を持ったプロフェッショナルな人たちと、話にならないレベルの人たちと。
人生の理想は、後者に遭遇せず、前者にのみ出会えることだ。
世の中には、醜悪な人間もいるが、善良な人、心が美しい人、気高く働く人たちもいる。
そういう人たちとたくさんめぐり逢えている今が楽しい。
2024年10月下旬