「宗教」に迷わされている人へ

名古屋・栄中日文化センターの講座は、12月16日が年内最後。

みなさん、おつかれさまでした。来年は4月から再開します。

3月18日の特別講座・大人になった私たちはどう生きるか? は、すでに満席。16日(日)に臨時増設します。


世の中には、人間はそもそも悪人だとか、死んだら何かに生まれ変わるとか、そういう理屈がまだ存在しているのだそうです。たまにそういうおたよりが来ます。

心はそういうものじゃないのでは?――生まれた時にすでに汚れているというようなものではないし、死んだ後にまで残るような自我は存在しません。

(酒や薬でさえ簡単に飛ぶような意識が、体が灰になっても残る? それはどういう原理で?)。

人間はとにかく欲深だし、妄想が好き。それだけ自我が強烈。そういう人間の心が、あれこれと思いつく限りの、心とは、前世とは、死後の世界とは・・・みたいな理屈が溢れています。


みずからも妄想にまみれている人間は、そうした妄想に簡単に染まってしまう。「そうかもしれない」「きっとそうなんだ」と妄想した瞬間に、人間が作り出した妄想に巻き込まれてしまう。

騙されやすい人、迷わされやすい人の多くは、妄想を自覚していない。ふわふわとたわいないことを考え続けている。だからこそ、他人が語る妄想に簡単に染まってしまう。

さまざまな妄想を繰り広げて、信じて、振り回されて、奪われて、失って、それでも「そうかもしれない」という妄想から抜け出せない・・。その状態自体が罪深い。

いや、妄想をさも真実らしく語る欲深で理屈に長けた人間たちが、罪深い。


人間の心はそもそも汚れてなどいないし、罪も悪もない。本来の状態は。

だがどう反応するかで、悪にも染まるし、関わりの中では罪をも犯す。その意味では人間は愚かだし、罪深い存在であることが多いけれど、だからといってそれが前提だと信じてしまうと、大事なことが見えなくなる。

死後など考えなくていいし、自分が罪深い存在だと否定する必要もない。違うのですよ、そんなことは、人間が勝手に作りだした妄想でしかない。

人間は、生きられるだけ生きて、寿命が尽きれば死ぬ。それだけの存在です。その当たり前のことが、悪だの罪だの、なにか特別な物語(妄想)のネタになってしまう。そうした思いつきこそが妄想だと気づかないとね。


フワフワ、フラフラと妄想しているうちに、人生が終わってしまいます。

他人が作り出した妄想を信じるよりも、自分の心を振り返ってみてほしい。


罪も悪も苦しみも、もともとは(生まれた時には)なかったはず。自分が忘れているだけで。

いったいいつ、何がきっかけで、今の苦しみが始まったのか。どんな妄想を積み重ねて、迷路のような今にたどり着いてしまったのか。

原因は、過去にあるのですよ。心の中に(過去の体験の中に)あるのです。

人間の心は妄想まみれだから、そうした簡単な謎さえも解けない。

でも解決することは、実は難しくはありません。


人を迷わせるくらいなら、宗教は要りません。

解決できないなら、どんな理屈も説明も無益です。

捨てちゃえばいい、人間が思いつく程度の妄想はすべて。

宗教という妄想に見切りをつけるほうが、人は、生きるだけ生きるという当たり前の姿に近づくことができる。それがこの場所の立場です。


いつでも人は自由と幸せを取り戻せるのに。本当に妄想は罪深い。



2024・12月下旬
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