瞑想(自己理解)が進むとは、こうした矛盾(というか、思いと思いの連鎖)に自分で気づいて、切って分けることができるようになることです(だから”智慧”にも近くなってくる)。
執着タラタラ、というか執着を前提にして物事を考えてしまう。考え方も関わり方も、すべての足元に執着がある。努力さえも、執着をかなえるため。
だからこそ、自分の範囲でできる努力をはるかに超えてくる他者の言動に動揺して、不安や悲しさに呑まれてしまうのです。
すさまじく強い執着です。だからこそ弱い。
足元にある執着にまだ心の自由を奪われているから、簡単に足元をすくわれる。
執着する人というのは、相手からすると、凄まじく弱っちいのです。簡単に転がせてしまえる(笑)。転がされてしまう。身に覚えのある人は多いはず。
座談会の後半は、相手に執着を向け続けているからこそ、動揺するし、疎外されるがゆえに自信が持てない人の声を取り上げました。いわば負け続けてきた人たちの声です(←否定的な意味ではなくて、事実としてそうなっていたという意味です^^)。
大人になれ。
強くなれ。
そろそろ勝たないと。勝て。いつまでも負けてはいられないだろう?
そうお伝えしたのです。
2025・5・5某所にて