仲の良い家族になるには?

 (海外からのおたよりへの返信抜粋)

 

仲が良い関係性というのは、結局、関わっても苦痛がないことが基本になりますよね(仏教的な入り方ですが)。

仮に思いきり執着して、男女愛・家族愛を信じることができる場合も、その時点では苦痛がないから、仲は良いはずです。

その執着や「信じる」を支える要素として、文化的・歴史的な背景もあるような気がします。

たとえば、ファミリー・タイズ(家族の絆・つながり)

というのは、欧米の文化みたいなものですが、中世の暗黒の森を切り拓き、教会で神の愛を感じて、家の中で確かめ合うという伝統も影響しているのかもしれない。

陸続きでつねに外敵の脅威にさらされてきたから、国・城・家という防衛装置を大事にしようという文化的背景もあるかもしれない。

(他方、東南アジアの農耕民族における家族の絆は、違う背景を持っているし、中国・台湾などの儒教文化圏の家族観も、また違う基盤を持っている)


ただこうした考察よりも、「仲が良い家族」の最大の原因は、

一人の独立した人格として認めて尊重するという前提があるような気がします。


上記は、いちおう欧米の家族・親族が仲がいい(それをいうならラテン系もそうかもしれない。やはりキリスト教文化圏?)ことを前提に考えてみましたが、

実は、欧米の家族・一族にも、「相当病んでいる」ところは、計り知れず多く。

ユダヤ教・キリスト教由来の厳格な躾(しつけ)によって、深く傷つけられた人も多いし、

移民として渡ってきた一族の中には、故郷に居場所がなく、その後も存在不安が続いて、家庭内暴力とかアルコール依存その他の精神的病を抱えている人は多いようだし、

そうしたまともとはいいがたい家庭環境で育った人は、大人になっても、まさに同じ発想・性格・行動パターンを踏襲することが多くて(まさに業)、

そうした大人の中には、毒親と化して子を虐待していることはざらにあるし、

生育環境がわざわいして、アダルト・チルドレンと呼ばれる人格障害(とはあまりいいたくないのだけれど)を抱えたり、まれな確率だけれどサイコパス気質になったりということは、かなり起きている気がします。

(ちなみに、アメリカのサイコパスの確率は4%だとか。つまり25人に1人はサイコパス、仏教的にいえば、感情が育っておらず、したがって人の痛みもわからない脳の持ち主。)


だから「一概に言えない」というのが、最終的な印象になるのですが(ブッダもそう答えるだろうし、もしかしたら生成AIも?)、

ただ、最終的には、苦しめ合わない関係性であれば、そのうえに、フレンドとかファミリーとかパートナーという名目(理由づけ)えあれば、

仲良くすることは、難しくない気がします。


苦しめ合わないためには、互いに自立している必要がありますよね。自立しているから、ノーを言える。適度な距離を保てる。苦痛を排除できる。相手のことも尊重できる。

その逆を考えてみると・・・つまりは、依存している、執着している場合。「相手がいなければ、自分のままではいられない」という弱い、幼いともいえる状態だと、

相手が友人であれ家族であれ、依存して、執着して、しかもその心の中には、しっかり都合のいい妄想や欲や怒りが潜んでいるから、

どうしたって関わる相手にそうした部分が伝わることになってしまって、

依存する側としては、「あなたなしではいられない」「どうしてもっとこうしてくれないの」という不満が募り、負の感情を垂れ流し、

依存を向けられる側としては、「そんなことを言われても」「ほっといてくれるかな」「もういいかげん一人にしてくれ Leave me alone!」みたいな心境にすぐおちいってしまう。

ならば、共依存であれば互いに依存できるから快適かといえば、まったくそんなことはなくて、

心と心は別物だから、ひとつの心が、他の心を背負うことはできない。そうした関係性は単純に苦しくなる。

たがいに依存しあって、たがいにしんどくなってしまう。それが共依存。

共依存で幸せになれる関係性は、おそらくない。


日本人の家族が、疎遠・仲が悪いとしたら(これも一概には言い切れないけれど)、自立を果たせていないから、というのが最大の理由のような気がしてきます。

 

(つづく) 

 

よい家族を作る基本をまとめた本