(海外からのおたよりへの返信抜粋)
仲が良い関係性というのは、結局、関わっても苦痛がないことが基本になりますよね(仏教的な入り方ですが)。
仮に思いきり執着して、男女愛・ 家族愛を信じることができる場合も、 その時点では苦痛がないから、仲は良いはずです。
その執着や「信じる」を支える要素として、文化的・ 歴史的な背景もあるような気がします。
たとえば、ファミリー・タイズ(家族の絆・つながり)
陸続きでつねに外敵の脅威にさらされてきたから、国・城・ 家という防衛装置を大事にしようという文化的背景もあるかもしれ ない。
(他方、東南アジアの農耕民族における家族の絆は、 違う背景を持っているし、中国・ 台湾などの儒教文化圏の家族観も、また違う基盤を持っている)
ただこうした考察よりも、「仲が良い家族」の最大の原因は、
一人の独立した人格として認めて尊重するという前提があるような 気がします。
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実は、欧米の家族・一族にも、「相当病んでいる」ところは、
ユダヤ教・キリスト教由来の厳格な躾(しつけ)によって、
移民として渡ってきた一族の中には、故郷に居場所がなく、
そうしたまともとはいいがたい家庭環境で育った人は、
そうした大人の中には、 毒親と化して子を虐待していることはざらにあるし、
生育環境がわざわいして、アダルト・ チルドレンと呼ばれる人格障害( とはあまりいいたくないのだけれど)を抱えたり、 まれな確率だけれどサイコパス気質になったりということは、 かなり起きている気がします。
(ちなみに、アメリカのサイコパスの確率は4%だとか。
だから「一概に言えない」というのが、
ただ、最終的には、苦しめ合わない関係性であれば、そのうえに、
仲良くすることは、難しくない気がします。
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その逆を考えてみると・・・つまりは、依存している、
相手が友人であれ家族であれ、依存して、執着して、 しかもその心の中には、 しっかり都合のいい妄想や欲や怒りが潜んでいるから、
どうしたって関わる相手にそうした部分が伝わることになってしま って、
依存する側としては、「あなたなしではいられない」「
依存を向けられる側としては、「そんなことを言われても」「
ならば、共依存であれば互いに依存できるから快適かといえば、
心と心は別物だから、ひとつの心が、
たがいに依存しあって、たがいにしんどくなってしまう。 それが共依存。
共依存で幸せになれる関係性は、おそらくない。
日本人の家族が、疎遠・仲が悪いとしたら(
(つづく)
よい家族を作る基本をまとめた本