中高生が使っている教科書、参考書、学校のプリントを見せてもらうと、
「まだこんな(いい意味ではない)ものを使っているのか」と愕然とする。
そもそも学問・科目の本質が見えてこない。
その分野の全体像や、原理的な発想や嗜好の組み立て方を言語化できていない。
生徒は生徒で、ただ真面目に頑張って、授業についていって、試験に備えて、目先の成績を維持するか上げれば、将来が開けると勘違いしている。
学力は育っていない。むしろ下げてしまっている。
半世紀、まったく変わっていないのではないか。
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本当の学び方を教えることはできる。やり方さえわかってしまえば、誰だって満点が取れてしまう。
だがそうなると、結局みんなできるようになってしまって差がつかず、そうした学び方もまた虚栄心を満たすゲームに利用されることが目に見えているから、
伝えることはいつでもできるが、あえて黙っていようと思う(笑)。
誰に対してなら、”極意”を伝授できるのか。
虚栄心を満たすゲームに乗れなかった子、人の痛みがわかる子、社会の役に立つ人間になろうと思える子、純粋に知的好奇心があって、人を見下しておのれの優越を維持しようという邪心がない子たちになるだろうと思う。
あいかわらず、試験で点が取れればいいとか、いい大学に進めることが価値を持つとか、そういう虚栄心ゲームに興じている人間が多い。大人も子供も先生も親もだ。
しかもその手段としての勉強が、的(本質)を外したままであることを、今さらながら知って驚く。
知能だけでなく、心も育てないと。素直な心でいられるうちが勝負だ。
やっぱり小学生。乗りきれなかった中学生。学校や社会の非合理・不条理を感じ取れる十代か。
そうした相手なら、伝えることに価値が生まれる。
本気と本質に触れたい子供たちに来てもらえたらと思う。これから始まる場所に。
2025年6月下旬