明日(10月21日)は名古屋で講座です。
中日新聞・東京新聞連載中の『ブッダを探して』は、
インド帰郷編が終わり、いよいよ現代日本編に入ります。
毎回800字くらいにまとめないといけないので、掘り下げたり広げたりはできません。
書き手には膨大な記憶と感情があるので、そうした部分を振り返りながら、最終的に800字にエイヤと詰め込む作業をしています。
これは無執着じゃないとできないかも。無執着というのは、客観性でもあり、冷徹さでもあり。思いっきり突き放さないと、客観性のある文章は書けません。
とはいえ記憶は膨大――。書いていて、「長い話だなあ」と思います(笑)。
「どこまでこの人、苦労するねん?(まだ苦労続くの?)」と現代日本編を書きながら感じてしまいます。
最終編は「たどりついた未来」になる予定。ようやく皆さんにご一緒いただいている、今そして未来の話に入ります。
2026年2月末に連載終了予定。いや、長かった。よく頑張りました(まだ終わっていませんが笑)。
進行ペース(読者にとって冗長感が出ないように)を考えて掲載しなかった原稿がいくつかあります。その一本を特別に共有します:
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ブッダを探して
インド帰郷編〇 微笑み
ウダサ村で一人の女性が亡くなった。まだ四五歳だが、心臓発作で急死した。
この地では、人が亡くなると夜通し音楽を鳴らす。通夜用の歌手がやってきて、ひと晩中歌い続ける。
通夜の翌日、その家を訪れた。床に横たわる女性の亡骸があった。老いた母親が覆いかぶさるようにして泣いている。その周りを縁者の婦人たちが囲み、その外側に村の女性たちが座る。部屋は、弔いに来た村人で一杯だった。
娘に先立たれた母親は、むせび泣きながら歌っていた。
「あなたが微笑んでいるだけで、わたしは幸せだった」。
娘が生きていた頃の姿を思い浮かべているのか。ともにいた時間が、母としてどんなに幸せだったかを、娘に伝えようとしているのか。
歌いながら、母親はみずからの頬を流れる涙を何度もぬぐい、硬くなった娘の手を握り締め、その頬や額を掌で撫でていた。
母親の腕はか細く、飴色の肌は無数の皺を刻んでいた。村の女性の多くは、十代で嫁いで、子を産み育てている。早朝に起きて水を汲みに出かけ、家族の朝食を準備し、清掃し、農作業や村の共同行事に身を捧げる。
子供には優しい母親であり続け、婦人同士は快活に笑いあう。働きづめの生涯だ。これ以上に偉大な生き方があるだろうか。
私は、女性の亡骸のそばに座り、その体の上に置かれた二つの手をそっと握った。目を閉じて、穏やかな顔をしている。額に掌を当てると、優しい冷たさがあった。
むせび泣く母親のほうにも手を伸ばし、その額に掌を当てた。小さな額は驚くほどに温かかった。どうか、その心に浮かぶ娘さんの姿がいつも笑顔でありますようにと願った。
掌を当てられた母親は、不思議なことを体験したかのように神妙そうな、驚いたようなまなざしで私を見つめて、泣くのを止めた。
静かになった部屋から私は離れた。
村の子供たちがほどけた笑みを浮かべて駆け寄ってきた。亡くなった人と、これからの子供たち。失う悲しみと未来に臨む喜び。
死すること、生まれることを、そばに見る。世界はこうして続いていく。せつなく美しい村人の中にいる。
2025・10・20