12月宮城で教育講演会(参加受付中)

おしらせ
 
きたる18日(木)に宮城県で教育をめぐる講演会を開催します。

一般の方も参加できますので、ご希望の方は、
①興道の里 koudounosato@gmail.com  
または 
②添付資料内のQRコード 
でご連絡ください。


◇◇◇◇◇◇◇
テーマ
もし今の時代に高校生だったら? 
未来のために頑張りたいこれだけのこと


会場 栗原文化会館・大研修室
〒987-2215 宮城県栗原市築館高田2丁目1−10

内容
SNS・ゲーム依存や深刻な学力低下など十代の子供をめぐる問題がクローズアップされています。親として教師として大人として、どう向き合えばいいかを考える講演会です。

・中高校生の保護者・教職員に伝えたいこと。
・現代の高校生を取り巻く状況に対して、どのように対処すればいいか。
・不登校・引きこもり・自死・薬物・ネット依存・ブラックバイトなどの諸問題への対処について ほか。

◇◇◇◇◇◇◇


北九州小倉 松本清張と作家たち


翌朝は歩いて駅まで。夜とは表情が一変するさわやかな朝の風情も楽しい。

西小倉駅で下車。今日のお目当ては、松本清張記念館。館の入り口には、清張先生の全作品の展示が。長短編あわせて千点を越えるとか。
 

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いや、すごい数。ちなみに私の本を並べたとしたら、すみっこの小さな一角に収まってしまう(※ここだけ撮影可能スポットでしたw)。


清張の作品は、小説、ノンフィクション、事件簿、評伝、古代史、現代史と幅広い。この人の場合は、人間の醜悪や矛盾を、ニュートラルな目で観察し、洞察して、それを一つの物語として再構築できる。

私なら、人間の性(さが)を直視する前に虚しさを覚えて目をそらしてしまう。人の闇を暴いたところで、人間は変わらないし救われない、と結論を急いでしまうのだ。

清張は人間という種を知り尽くしたかったのだろうか。なぜそこまで人間に興味を向けたかは、展示物を追っても今一つ見えてこなかった。幼い頃におそらくごく小さなきっかけがあったのだろうと思うが、はて清張の自伝などには、そのあたりのヒントが語られているのだろうか。

いささか哀しかったのは、これだけの知と表現の巨人がいるにもかかわらず、今の時代に清張の作品を愛する人たちは、年々減り続けているだろうことだ。清張が抉り出そうとした戦後日本や人間の闇というものを、清張の作品を通して丹念にたどろうとしている読者は決して多くないように思うが、どうなのだろう。

清張と同年代でもない人々にとって、戦後の昭和史は、もはや遠い歴史に過ぎなかったりする。今の時代は娯楽はいくらでもあるし、世間は刻々と変わっていくから、清張の作品が顧みられる機会は、今後も着実に減っていくだろう。化石と化して、やがて風化していく。

そのことが哀しく、虚しい――そうか、こうした思いが、過去の私の足を止めたものだったのだ。どうせ何をしても無駄ではないか、という思いだ。


清張は40を過ぎてデビューして、82歳になるまで人間を抉りぬく営みを続けた。鬼神とも喩えうる熱量。

原動力は本人いわく「疑い」であり「底辺から見上げること」だそうだ。出家のひねくれ根性とも似たところはあるかもしれない。

杉並・高井戸に一軒家を構えて、膨大な資料を所蔵していた。その書斎の一部が復元されていたが、途方もない蔵書量。

自分と同等の熱量を編集者にも求めたとか。編集者としては戦々恐々だったろうが、稀代の知の巨人とまみえることができる僥倖も感じていたことに間違いない。


清張の人生の前半40年にわたる貧困と下積み時代は、本人にとっては「濁った暗い半生」だったという。その暗い蓄積があったからこそ、後半生の鬼のような執筆活動が可能になった。自身が体験した混沌を言葉によって濾過していったのだ。

なんとなくわかる気もしなくはない。みずからが体験した混沌や葛藤や矛盾や苦悩というのは、言葉を通して外に出すことで、浄化されていくのである。過去が心の外に排出され、過去の自分が客観的な他者になっていく。心がとらわれなくなる。書くことで、人生全体にわたるカタルシスを得るのである(『ブッダを探して』を通して、微小な規模で自分も体験している)。

いや、凄まじい人生。持て余すほどの熱量を調査と思索と執筆に全力で注ぎこんだからこその巨人ぶり。このあたりは司馬遼太郎や大宅壮一にも通じる。

彼らのような創作の巨人は、もう出てこないかもしれない。



北九州市立文学館にも寄ってみた。この土地出身の作家を紹介展示しているのだが、その数がすごい。

個人的に興味を引かれたのは、自作の紙芝居を子供たちに見せる活動をしていた阿南哲朗という作家。

子供への読み聞かせもいいかもしれない。高校生であれば、硬派の評論文を感情込めて力づよく朗読するのもいいかも。音抜きの外国語が絶対に身につかないように、抽象的な文章も意志がこもった朗読を経ないと、心に入っていかないだろうと思う。語学・国語が苦手なまま終わる人というのは、音を通すという体験を欠いている可能性がある。



北九州という小さな土地に、こんなに多くの作家がいたとは。交易盛んな国際都市であり、多くの異なる他者が入り混じっていた。そこに言葉があれば、これほどの思索と表現が生まれてくる。

この土地で生まれた創作すべてを包摂する文化とでもいうべき現象の全体が、まるごと人間の営みが作り出す芸術作品だ。圧巻の土地。

夜に新門司駅からバスで港へ。フェリーに乗って大阪まで。翌日は奈良入り。


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明石海峡の朝焼け



2025年11月15日





大分築城 暗がりをこよなく愛す


映画の後は大分の街をてくてく歩く。西側に広い森があるらしいが、歩ける距離でもなさそうなので、駅前の芝生広場の陽光を堪能することにした。

世界は平和が一番。それだけで、あとは宝石以上の美しい自然が彩りを与えてくれる。おかしなことをして調和を崩しているのは人間だけ。つくづく病気の生き物だ。

土曜ということで宿が見つからず。唯一残っていた鈍行しか止まらない築城という小さな駅近くの宿を予約。

駅からずいぶん歩かねばならぬため、運よく残っていたらしい。だが降り立ってみると、駅から遠いことがかえって出家ごころに合っていることが判明した。


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大分県・築城(ついき)駅
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駅を出て、誰もいない夜道を歩く ああ幸せ(笑)

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誰もいない踏切 ああ楽しい(笑)


見知らぬ夜道を妖しい恍惚を感じながら歩き続ける。踏切を渡り、国道沿いをひたすら歩いて、はて道を間違えたかと思ったあたりで、ようやく到着。

宿は駅近がよいかと思っていたが、そうではなかった。むしろかなり歩く距離のほうが、途中の景色を楽しめると今回学んだ。

「誰もいないところに自分一人」というシチュエーションに胸が躍るのは、やはりこの身は夜行性ということなのだろう。


夜道を歩きながら感じたが、出家にとって娑婆の世界は、あまりに混沌としている。自我猛々しくておっかなすぎる場所である。だからできることなら、誰にも見つからない場所で、ひっそりこっそりと息を潜めて暮らしたいものである。

出家という種族は、昆虫にたとえればダンゴ虫であり、架空のキャラクターにたとえれば、ヴァンパイアみたいなものかもしれない。いや、決して生き血を吸わねば生きていけないということではなく(笑)、昼間より夜の暗闇を好み、人目がつかないところで半永久的に生きていくところが、なんとなく似ているように思えなくもない。

出家の場合は、肉体的にはもちろん老いるわけだが、精神的にはあまり歳を取らない。そもそも世俗から遊離したところがあるし、妄想しないから老いた気がしない。

ヴァンパイアといえば、真っ先に思い浮かんだのは、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のトム様とブラピ様なのだが、喩えとしてさえ並べるのはあまりに恐れ多いので、

自分のキャラに近い夜行性動物は?と宿で調べてみたら、

フクロウ、タヌキ、キーウィ、ツチブタあたりが出てきた。ツチブタ・・。

そういえば、見た目がレッサーパンダに似ているとかつて言っていた人がいたのを思い出したので調べてみると、

レッサーパンダも夜行性で、明け方・夕方に活発になるらしいが、環境に合わせて昼間に活動することもあるらしい。なるほど近いかもしれない。
 
(自分寄せの話題、すみません) 


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2025年11月15日

この場所はダンゴ虫

 いよいよ2025年も師走に突入。

来年の展望は、改めてお知らせしますが、大まかな方針を言葉にしてみると、

子供たち向けの寺子屋活動を軸にして教育系の本を書いていくとか、

講座をペースメーカーにして仏教研究(原始仏典のアップデート)を進めるとか、

子供向けに漫画で仏教や生き方を解説するとか、

絵本を描くとか?

 

いずれにせよ、生産性をもっと上げないと。しかも新しい方向性に向けて。




そもそもこの場所は、自我や欲望の真逆を突き進もうという変わった場所。

ときおり、オンライン・サロンを開きませんか的な提案や、露出を促すWEBメディアからお声をいただくのですが(とてもありがたいことだと思ってはおりますが=人=)、

そうした場所をのぞいてみると、顔、顔、顔、顔、顔・・・みんな晴れやかでにこやかで、ワタシ頑張ってます(キラキラ☆)感全開で・・

ああ、それだけで気疲れしてしまいます(笑)。


今の時代は、SNSも含めて、どこも「見て見て」意識で作られていて、そうした自意識がお金になっていて。

 

自意識からの自由をめざすこの場所とは、根底にある価値観にズレがあるような気がします。


この場所は日陰が好き。裏道が好き。石の下にうじゃうじゃと身を寄せるダンゴ虫的な世界を好むのです(笑)。


この場所は、時代からも、世間からも遊離した場所。

「入った途端に違う世界を感じる」ような、それくらいの場所をめざしてもよいのかもしれません。


この世にあって、この世を越えた場所、

この世にあって、この世に見つからない場所。

寺子屋の跡地を尋ねて昔を想うように、

「昔はこんな場所もあったのかもしれないね~~」的に遠い目をして想像してもらえるような、

今の時代にあって稀有な、ある意味実在感のない不思議な、人里から遊離したような場所であってくれたらとも思います。

 

 

 2025年12月

 

 

自分で生活を始めたいという人に向けて

社会から長く離れて過ごしていた人から、

社会復帰したいという希望や、実家を離れたいという思いをお寄せいただくことがあります。

状況は人それぞれに違うので、簡単なことは言えないのですが、大まかな方向だけ言葉にしてみると、

社会に出ていくというのは、長く入院していた人が日常に帰っていくことに似ている気がします。

入院していた間に筋力はものすごく衰えているから、リハビリが必要です。

「自分の力でリハビリしよう」とはあまり考えないのではないかな。たいていはその道のプロの人に助けてもらうところから始めると思います。

社会復帰というのも、おそらく似たところがあります。自分の力だけで復帰しようにも、これまでは自分自身が重かったから、社会から離れて過ごしていたことになります。

だから、重たい自分の力で自分を動かそうとしても無理。すべてがしんどく面倒なことに感じて(打たれ弱くて)、結局元に戻ってしまう可能性が高いように思います(入院中のベッドに戻ってしまうようなもの)。

だから最初は、すぐに社会復帰しようと考えないで、自分以外の人たちがいる場所に「なじむ」ことから始めることではないかな。

地元の就労支援センターとか? 独り立ちするための支援をしてくれる行政プログラムをとりあえず体験してみるとか。

多少人に慣れてきたら、軽めの仕事でもいいし、職業訓練を受けてみるのもありかとも思うし。

最初は慣れること、体験してみること・・・何も考えずに。欲張らずに。小さいところから。

どんな体験もプラスにしかならない、とりあえずやってみる、そういう思いから始めるのです。


気をつけたいことは、最初が一番おっくうで、面倒で、つらいかもしれません。ただ、だからといって、戻っても、その時に見える景色はもう十分見てきているから、意味がない・・そう思えるかどうか。

もうひとつ気をつけたいことは、持ち前の欲張りが出てきてしまって、「すぐ復帰」「すぐ稼ぐ」「すぐ一人前」「できればもっと上の、ひそかに願っていた理想の自分」になろうとしてしまうこと。

そういう欲(求めすぎる心)に飛びついてしまうと、その欲をもって、目の前の人、場所、そして自分自身に反応してしまって、

不満を感じたり、失望したり、焦ったり、「うまくいかない」と思い込んで、結局元に戻ることを選んで(正当化)してしまいがちになります(理想の壁を自分で大きくしてしまうほど、障害が増えてしまう)。

リハビリは、脚を動かすところから。それができれば立ってみるところから。「ずっと入院して寝たきりだったのだから」と思えるなら、そういうチャレンジにも入っていけます。

社会復帰も同じことじゃないかな。少しずつ。まずは外へ。そして、人へ。外で人と過ごすこと。何かをやってみること。

まずは1日、そして3日、5日。半年くらいかけて、少しずつ。


やってみてほしいなと思います。




2025・12・7


2025年度最終スケジュール(年内の講座予定)

興道の里より

2025年度講座の予定をお知らせします(年内最終)。
 
参加費等の詳細は公式カレンダーでご確認ください。


12月24日にXmas個人相談会を臨時増設しました
 
 
12月16日(火)
13:00~15:00
名古屋「生き方として学ぶ仏教 原始仏教編」年内最終
栄中日文化センター 0120 - 53 - 8164

12月18日
14:00~16:00
宮城講演「今の時代に高校生だったら?~未来のために頑張りたいこれだけのこと」 
宮城・栗原文化会館 入場無料(要予約)
講演終了後に個人相談可
 
参加希望の方は下記QRコードでお申し込みください

 
 
 
 
 
 
※個人相談をご希望の方は、興道の里 koudounosato@gmail.com までご連絡ください。


12月20日(土)
18:00~21:30
年納め坐禅会 夜間の部(年内最終)
東京・神楽坂
※経験者(2回目以降の方)はなるべくこちら20日にご参加ください

12月24日(水)
18:00~22:00
個人相談会(2025年最終)
東京・新宿 
※12月28日が満席となりましたので臨時増設しました

12月25日(木)
岡山訪問(講演および個人相談)
※個人相談をご希望の方は、興道の里までご連絡ください。

12月27日(土)
13:00~16:30
年納め坐禅会 午後の部(年内最終)
東京・神楽坂
※こちら(27日)は初めての方を優先的に受け付けます

12月27日(土)
18:00~21:30
年納め 自己ベストの生き方&働き方を考える(大人のための学習会)
東京・新宿区/オンライン受講可

<内容> 
仕事・家族・生き方を考える大人のための勉強会。事前に寄せられたテーマ(課題・質問・悩み)を仏教の智慧を使って解決します。宗教的な話は一切なく、今後どのように生きていくか、具体的な考え方・心の持ち方を明らかにします。「目からウロコ、でも深く納得」という感想が毎回寄せられる名物講座です。オリジナル資料つき。



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『人生をスッキリ整えるノート』から



2025年12月







【日本全国行脚・秋】大分臼杵・摩崖仏と里山


レンタル自転車で次に向かったのは、臼杵摩崖仏群。

バス利用も考えたが、平坦な道だというので、チャリで行ってみることにした。こういうところで運動しないと筋力が衰えていく。というかバス利用を考えてしまった時点で、心が若干衰えているのかもしれない。

結果的に正解だった。広い国道沿いを走っただけだが、それでも地元のお店に民家に、秋色づいた野山を眺めることができた。ちょうど快晴で秋の空気が澄明で心地よい。

石仏も見ごたえがあった。平安から鎌倉末期にかけて、京都・奈良の一級の仏師たちがやってきて、寺の造立にあわせて掘ったそうだ。

想像するのは、仏師の一人として旅して、石仏彫像に入れ込むもうひとつの人生。九条家や天台宗僧侶としての人生ではないのだ。快作をめざしてノミを振るう自分が目に浮かぶ(笑)。


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たしかに造りが精巧だ。ミャンマーにも石仏はたくさんあるが、造形の妙はやはり大陸由来の日本の石仏のほうがあるような気はする。

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私が仏師なら「あの裾のカーブがうまくいかなかったんだよな~」なんてこぼしたりしたかもしれないが、誰も目に留めない。そんなものだよね、うん。

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美仏内閣なるお遊びも。大日如来が首相というのは、やはり天台宗のお寺だからということか(マニアックな感想?)。


最も眼福潤ったのは、敷地内の公園だ。赤いコスモスが可憐に咲いていた。地元の方々の心づくしが身に沁みて伝わってきた。

見惚れてしまうほどの絵画的な美しさだ。ほどよく田んぼと民家がちらばっていて、里山の一部を作っている。この風景を見るだけでも、来た甲斐がありすぎるほどあった。


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いやせつなく美しい。こんな世界に生きている至福には感謝するしかない。


臼杵城址をまわって本日の締め。もう一度訪れたい。次は春か。

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臼杵城跡から。あの窓の一つ一つに人生がある。 
みんなどんな日常を生きているのかな、生きてきたのかな。


*商店街の中にフリースクールがあった。いつかお声をかけてください。


2025年11月14日



あえて親を親と思わないこと


どの場所での法事も同じことだが、やはりその土地や一族の業というものを感じ取って、その業を断ち切るための理解というものを明らかにすることが、基本になる。

“見える”ものは、伝えることもあるし、今後の因縁に委ねようということで秘して語らないこともある。

業の力が強いと、その影響は一代では終わらず、次の代、さらに子々孫々へと続いていくこともある。

だが救いでもあるのは、人間というのは凄まじく生命力が強くて、その未来に向かう力は、負の業の力にも打ち勝ちうるほどに強力であることも多いことだ。

つまりは、負と正、陰と陽、悪と善というのは、どの時代・どの場所・どの一族においても、せめぎ合っているものだが、後者のほうが勝っていくことも、さほど珍しくない確率で起こるということだ。

苦しみをもたらすものが悪の業だとしたら、幸福をもたらすものが、善の業である。

どうした場合に善の業が育っていくかといえば、代表的なものを挙げれば、子の幸せを願う親の純粋な愛情であり、悪を繰り返さないための忍耐や自己犠牲だろうかと思う。

「子供にだけは苦しんでほしくない」
「この業を子に受け継がせたくない」
「この苦しみは私の代で終わらせる」


といった強い思いを持てる誰かが出てきたときに、悪の業を善の業が上回る可能性が出てくる。



悪の業を長引かせる原因の一つとなりうるのは、その業を持った人間に執着することによって、負の業を繰り返す可能性を宿してしまうことだ。

その可能性は、自分の人生に出てくるとは限らない。別の部分に、想像もしなかった意外な場面で、不意に現れることがある。悪の業が未来への可能性を枯らし始めるのだ。

最も正しい選択は、悪は悪として冷徹に理解して、斬って捨てることだ。親として子としての情は要らない。

肉親だからこそ執着して、さまざまな“夢”を見てしまうものだが、その夢こそが、悪を悪として見抜く心の眼を濁らせて、代わりに悪の業が生き延びる土壌を育ててしまうこともある。

最も望ましいのは、「親を親として見ない」態度だ。ただの人として見る。そもそも血のつながりなど、生物学的も存在しないのだから(母親の血が胎児に流れ込むわけではないのだから)、親だった人間をあえて他人と見て、一切夢を見ず、執着せず、自分がその人の子であるという思い(妄想)をも切って捨てて、ただの人間として見ることが、正解なのである。

いわば、善も悪も、いったん自分の外に置いてしまうこと。そのことで自分が自由になれる。業さえも選べるようになるのである(かなり難易度の高い話ではあるが)。

悪は悪。だが遠い悪であって、今の自分には関係がない――それくらいに思える境地に立てるならば、あとは前を向いて生きていくだけで、悪の業が希薄化していく可能性も出てくる。

くれぐれも執着しないことだ。


業とは心のクセ・反応パターン

いわゆる性格や慢性的気分です

つい繰り返してしまう、

自覚があまりない、

そして

親から子に受け継がれる

ことが特徴です

詳しくはこの本をぜひ読んでください(筑摩書房から)

 

闘えるうちは闘うということ

 
個人相談会と並んで、「隠れ相談会」というのもやっています。

ご連絡内容を聞いて、心身だけではなく経済的にもラクではない状況(誰しもそういう時はあります^^)だと知った時に、こちらから声をかけて、お代無料で相談の時間を作るというものです。

この場所が最大の価値とすることは、その人が課題を克服して、前に進んでくれること。

前に進むとは、自由になること、心が軽くなること、喜びが増えること。

その可能性がある限りは、応援したいという思いでいます。

この場所は、こちらの都合で動くことはありません。あくまでその人の姿を見て、必要なこと、できることはないかと探して、見えたものを差し出して、背中を押す場所です。

課題・苦悩というのは、人によって違います。同じものは存在しない。

自分と比べて、誰かの悩みは軽いとか、誰かの苦しみは重いとか、そういうものではありません。

みんな一生懸命生きているし、闘っている。どんな悩みも苦しみも、その人の目の前にあるということは、その人にとって、それが最も切実な悩みだということです。

命に軽重がないように、悩みや苦しみにも、軽い重いはないのです。


すべての悩みには、解決策が必要です。というか、解決できるように、体を、心を調整していかねばなりません。

苦しみを増やさないこと、できる範囲で苦しみを減らすこと。

なにかしら可能性がある限り、つまり、できることがあるかぎりは、それをやる、というのが ”闘い” という言葉の意味です。

闘えるかぎりは、闘ってほしいというのが、この場所の素直な思いです。可能性がある限り。

今回相談に来た人たちは、闘うべき相手・闘うべきテーマがあって、闘う方法もある人たちでした。

中身は違うけれども、どの人の悩みも壮絶。でも方法はある。

ならば、闘うべし。

しんどいとか疲れたと感じる人は、無理しなくてもよく、手放すことが正解になります。

ただ、それでもまだ使える体と心と時間が残されているならば、やはり闘って、つまりは試してほしいとは思います。

闘える間は、闘いを選ぶ、つまりは自分にできることをやる。

それができると思える人には、この命は”応援”したいと思っています。


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明日26日は愛知で講演会。12月には宮城、岡山を訪問します。

相談してみたいことがある人は、お声がけください。



2025年11月25日
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大分中津 福沢諭吉記念館

門司から中津に向かう。車内で、通学途中の高校生たちと一緒になる。9割方はスマホ、1割は参考書。スマホは常習化した感がある。

スマホのない空白の時間を体験している世代としては、ほんとにこれでいいのかなという疑問もなくはないのだが、

片や参考書を眺めている殊勝な高校生たちの姿を見ると、中身のなさそうな勉強に時間を注いでも、あまり実のあることはアタマに残らないだろうし、未来の足しになるとも思えない。

要するに、スマホも参考書も、正直意味がないのではと思えてしまう。

とはいえ、スマホをダラダラ使っても、知能は育たないであろうから、こうした時間を延々と過ごして脳が溶けていった(思考力が劣化していった)先に、どんな人生が、そしてどんな社会が待っているのかは、今の時点ではわからない。せめて実のある時間の過ごし方について提案するくらいのところまでは、やってみたいものだと思う。



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中津駅を降りると、福沢諭吉先生の言葉が
使えない学問には意味がないということを仰っておられます

 
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福沢諭吉旧居 移築したそうです


下級藩士に当たる諭吉の父は、米を管理する役人として大阪に出向していたが、諭吉が2歳の時に亡くなった。その後、母と兄と3人の姉一緒に中津に戻ったが、身分が邪魔したこともあって、藩校にも行けなかった。

後家さんとなった母のお順も、何かと噂を立てられたかもしれない。だが道を歩く浮浪者のような女性を呼び寄せて、頭の虱を取ってあげたうえに、取らせてもらったお礼にと握り飯をふるまったそうだ。

無理解な田舎の人々に囲まれながらも、善良な人間でありつづけた。これこそ諭吉の独立自尊の原点かも?

諭吉は、周囲の大人たちの偏見や狭小さに、さぞ悔しい思いをしたのろう。だからこそ理にかなった学問に憧れたし、のちにすべての人が平等にして自由だという近代の思想を、自分の言葉として語ることができたのかもしれない。

諭吉は家父長制にも批判的で、女性の地位向上にも理解を示した。弱者の視点を持つ、時代の先を行く人、本当の頭の良さを持った人だったと見た。



諭吉が腐ることなく知力を伸ばせたのは、地元で照山先生(白石照山)に出会えたことが大きかったらしい。照山先生は二十代後半に江戸に出て、昌平黌(昌平坂学問所)で学び、29歳で中津に戻って私塾を開いた。30代からは藩校・郷校で教えて、明治の学制移行後は、57歳にして再び私塾を開いている。

照山先生も下級藩士で反骨の人。藩上層部にモノ申して追放されたとか。諭吉に通じる部分かもしれない)。

出会った時は、諭吉は14歳、照山先生34歳(若い)。多感な年頃に諭吉が触れた「学問」は衝撃だったろう。

察するに当時の教育というのは、教える側の情熱と知識と、いかに時代を切り開いていくかという思考が備わっていた気がする。知識を得て、考えて、行動に移す。

私塾を開くのも、政治の世界に打って出るのも、当時は一本の線の上にあった。思想という線である。


思想に目覚めた諭吉は、19歳で長崎に出向いて蘭学と出会い、さらに大阪・適塾に赴いて、緒方洪庵のもとで蘭学を掘り下げて、25歳でアメリカへ。広大なユーラシア大陸も旅している。どんな景色を各地で見ただろうか。

記念館に諭吉のノートが展示されていたが、文字も図もきわめて緻密。諭吉は 『蘭学事始』 以外にも多くの書物を筆写して学んだそうだが、「書き写す」ことは集中と銘記(記憶)に直結する。書いて覚えるという基本の積み重ねが、諭吉の知力を育てたのだろう(緻密に書く時間を教室でも設定することだ。緻密に、ていねいに、心を尽くして書き写す。まずは5分)。

31歳で出した『西洋事情』が15万部のベストセラー。当時の人口は4000万人弱だから、今の感覚でいえば50万部くらいの大ベストセラーか。33歳で復活させた私塾が、のちに慶応時義塾大学になる。37歳で著した『学問ノススメ』は、300万部の超ベストセラー。社会現象といえるスケール。

福沢諭吉を主役にすえれば、壮大な大河ドラマが作れそうなのに、まだ実現していないという。諭吉の人間性・感情面を掘り起こしきれていないことも、一因かもしれない。


歴史上の人物には、その魅力が埋もれたままの人がまだ相当数残っているのではないか。人間として、想像を尽くして、その人物の内面に迫らないと、本当の姿は見えてこない。

その人の感情、人格、感性、陰影、反骨といった個性こそが思想を作る。本人には突き動かされるエネルギーがあったはずだが、時を経て歴史上の人物として眺めるだけの後代の人たちは、本人が成し遂げた形だけを見て評価を下す。

あれやこれやをやった偉い人という位置づけで、高いところに祀り上げて満足してしまう。そうして本人の熱量も思想も抜け落ちて、一見立派な形だけが残ってしまう。

未来の人々は、その形のみを見て、本人を知った気になってしまう。その人の心の奥を想像しようとしない。未来を見据えて突き進んでいたであろう本人のことを、過去形で眺めてしまうのだ。急速にその人が”化石”と化していく。

思想を遺すは難しいということなのだろう。諭吉の思想は現代にどれほど残っているか。

思想を掘り起こすのは、後代の人々の想像力だ。想像力が枯れた時に、歴史は形骸と化し、思想は力を失う。想像することは一つの技法であるから、きちんと教えないと次の世代に続かない。教育とは「教える」ことではないのだ。一つは「想像を促す」ことなのだろうと思う。


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勉強なんて意味がないとか、学校が嫌いとか、本当にもったいない
自分の限られた体験や価値観をもって、学ぶ・生きることの意味を矮小化してしまっていないか
意味のある、楽しいと思える学びを始めればいいじゃないか 自分の力で



2025年11月12日


東京から九州へ 海の上

 
11月10日から日本全国行脚の秋バージョン。法事に呼ばれて九州・熊本へ。

今年二度目の船の旅。陸路より安いし、宿泊費も節約できる。しかも一度乗れば、目的地に着くまで、何もする必要がない。WIFIも届かないから連絡もつかないし、食事は自販機で盛りだくさんのメニューから選べるし、大きな浴場もある。周りは見知らぬ人ばかりで、気兼ねする必要もない。いうなれば "おこもり"の時間。出家の性分に合っている。

前回と同じく東京の夜景を背にして、ベイ・ブリッジを潜って洋上へ。景色を見せたくなる誰がいることは幸い也と思う。

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あいかわらず美しい黄昏の色


夕食後は、原稿執筆。『ブッダを探して』が、いよいよ最終章へ。ひと昔前の自分と比べれば、ずいぶん過去を語れるようになった。思うに以前は、自分が何者でもなく、過去がそのまま今の自分でもあったから、過去が近すぎて語るのが難しく、また下手に他人に興味を持たれたら、自分にとって大事な部分をいじくられてしまうのではないかという抵抗というか警戒のような思いがあった気がする。

だが、過去は妄想でしかないことは知り尽くしているし、他人の思いもまた妄想でしかない。そのうえ今の自分は、五十年以上生きて、それなりに大人になったし(ようやく?)、社会における立ち位置も確立できてきた気がするので、外のノイズを気にしなくてもよくなりつつある。平たく言えば、自信がついてきたといおうか(今頃?)。

自信なんて妄想の一種でしかないと重々承知しているが、多くの他者と関わらざるを得ない娑婆の世界では、大事なものを守るための防御壁みたいなものとして必要かもしれないと最近思う。

もしかしたら、この先もっと俗世と交わることになるかもしれない。その時には、今以上に、いい意味での自信というか、もう少し面の皮を厚くしておく必要があるのかもしれない。もっと鈍感でもいいように思う。

今回は、外の景色をほとんど見なかった。過去を振り返って、自分の思いの奥を探って、的確な言葉を探すことに専念した。おかげで、ずいぶん話が先に進んだ。

過去を振り返って、言葉にして、いっそうの心の自由を得る。まもなく新しい人生が始まるかもしれないこの時期に、ちょうど連載を通して過去を総ざらえするというのは、実によくできた計らいというものだ。

すべての過去を、いわば自分の外へと出してしまう。総ざらえのデトックスみたいな作業。すべての過去が、思い入れの対象ではなくなって、完全にただの記憶であり、話題の一つ程度にしかならなくなっている。

それだけ自由自在ということ。空っぽになった心を、来年からは、新たな試みをもって埋めることになる。


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東京の夜景を背に海へ



2025・11・10


PHP2025年12月号「捨てる」


PHP 2025年12月号
特集「捨てる」と人生が好転する

に寄稿させていただきました。


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月刊PHPは、まだ自分の本が広く届く前に原稿の依頼をいただいて(2013年?)、

その記事がきっかけになって、『反応しない練習』につながっていったという恩人的な雑誌です。

この号も、他の記事が充実しています。これで300円(なんて良心的w)。

月に一度、こうした読み物が届く暮らしは、なかなかのものだと感じます。


目に触れる文章や写真・絵は、ノートに抜き書きしたり切り貼りしたりして、自分のモノにする作業が大事なのだろうと思います。

雑誌の場合、元の本をもう一度すべてたどることは、ほぼないでしょう。

「この時はこれに反応した(目が留まった)んだな」という履歴を刻む作業こそが、価値として残るのだろうと思います。


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2025・11・9





「椅子取りゲーム」いつまでやるの?

(子供を受験塾に通わせているお母さんのおたよりをふまえて)

 

某大学をめざせ系のカルチャーを支えているのは、

たかだか大学でしかないものに過剰な価値を見出し、まるでその価値を手に入れれば人生が挽回するとか、成功という社会的記号が手に入るとか、そういう単純な、もっとはっきりいえば貧しい価値観です。

どこぞの大学に進んだからといっても、それ自体に社会的な価値があるわけじゃない。

社会的な価値というのは、経済学的には付加価値を創り出すこと。

仏教的には、人の苦しみを減らし、社会における快適さを増やすこと。

そのための手段として、さまざまな仕事・役割があるわけで、どこぞの大学に行った・出た程度のことは、こうした価値に直接の関係がない。

社会的な価値に至らない、つまり価値未満の記号でしかない。

にもかかわらず、そうした分別、成熟、すなわち「社会にとっての価値とはどのようなものか?」という視野がまったく欠落している大人たちが、

どこぞの大学に行けば人生が変わるとか、社会的に有利だとかという思い込み(視野狭窄)に捕らわれていて、

その捕らわれている自分自身のダサさ・痛さをまったく自覚していない(いい歳をして)というところが、「絶句」なのです(間違っているというしかない)。


こうした価値観にとらわれた、視野の狭い、無思考な(疑ったうえで本当の価値を考えるということをしない)大人たちが、

特定の大学礼賛とか、偏差値とか、成績とか、ランクづけとか、そういう姑息な下位記号を次々に作り出して、売り物にして、

その記号を物差しにして、勝手に学校や子供たちの価値を判断して(これも一つのハラスメントですよ?)、

その判断を刷り込んで、自分自身の価値を判断させるように、また周りの人や仕事や学歴や社会のありようというものも判断させるように感化してしまう。

煽りであり、刷り込みであり、中身のない物差し(成績・学歴・大学名)で自分の承認欲を満たしたり、人をバカにしたりという「イヤな性格」を育ててしまう。

「イヤな性格」とはっきり言っていいのは、人というのは判断されたくないし、見下されたくもないから。

いちいち値踏みしてほしくない。なのに値踏みしてきやがる(笑)。それは、イヤな性格であり、イヤな人生観であり、イヤな価値観。

そういう価値観が蔓延してしまえば、見下されたくない子供たちは、その価値観という椅子取りゲームに興じざるを得なくなってしまう。

だって、親が必死だから、期待してくるから、塾がそうだから、入った学校が、友人がそうだから、予備校がそうだから、大人たちの視線がそうだから、耳に入ってくる話題がそうだから――。

学習して、いつの間にか、自分自身が同じ価値観に染まっている。承認という椅子取りゲームに血眼になってぐるぐると回っている自分がいる。周りの友だちも、大人たちも、社会も回っている。ぐるぐるぐるぐるぐる・・。


こういう無意味な椅子取りゲームを、疑いもしない、考えるアタマを持たない大人たちが世の中には蔓延していて、

そうした大人たちがしたり顔して、どこぞの大学をめざせとか、こういう勉強法があるぞとか、そういう自分にとってはもう終わったこと(こういう大人たちって何歳?)を得々と語って、カッコがついているように思い込んでいる。

そういう姿がカッコ悪い。

この椅子取りゲームのぐるぐる、いつ終わるのか。

終わらない可能性もある。それくらい、考えない大人が増えているかもしれないから。



不登校については、学校という箱を相対化する(学校だけが学びの場所ではない)という意味はあるかもしれない。学校に執着しない大人も子供も増えている。

学校の価値が相対化されつつあるのは、社会の、つまりは大人たちの認識が少しは変わってきている証拠。少しは子供たちも自由になりつつあるのかもしれない。

同じように、どこぞの大学名が価値を持つという価値観もまた、そうした価値観を相対化できる、「そんなことに価値があるのではない」と思える大人たちが増えてくれば、

某大学をめざせ的なカルチャーは、ダサい、痛い、「いまだにそんなことを言っているの?」と白々と思うほかないオワコンになっていくかもしれない。

オワコンにすべきだと思う。終わらせないと、社会全体の可能性が尻すぼみになる。

自分らしく、つまり心に苦しみなく生きること。

世の中の殺伐・ストレスが増えないように、人の痛みや苦しみを思いやり、社会の問題に関心を持ち、

どうすれば、人・自分・社会の苦しみを減らせるか、快適を増やせるかという大きな価値をめざして、生きて、働く。

そうした生き方、社会のあり方のほうが、確実に、圧倒的に、価値がある。違うといえるかな?



椅子取りゲームのぐるぐるを繰り返しても、せいぜい特定の椅子(大学・学歴)にしがみつくだけ。そんな自分に価値があると思う?

座れない人だって出てくる。座れる人と座れない人と――その区別そのものに、意味があると思うかい?
 

たかが小さな椅子でしかない。何も生み出さない貧相な椅子。


本当に価値あることは、その周りに、向こうに広がっているのだから。



自分のプライドを守ることだけで精一杯、そんな余裕のない子供と、そのまま大人になった人たちと、そんな価値観しかない社会が、延々と繰り返される――

そうしたあり方に、心の底から「くだらない」と思える人間が、どれだけ出てくるか。

一人一人の生き方と、社会のあり方と--広がるか、ますます狭まるか。

狭まるなら、人の”心の首”はますます締めつけられて、窒息していくことになる。人生も、社会も。「生きづらさ」が増すばかり。

本当にくだらない。そう思えないとね。




2025年11月


「宗教は嫌いです」という人に向けて

 

この場所とご縁いただいてまだ日が浅い人もいると思うので、あらためてお伝えしておくと、

・この場所は宗教を語る場所ではない。

・「仏教」と便宜的に呼んでいるが、本当は仏教でもない。

・人それぞれのテーマを解決する頭の使い方(若干おおげさに言えば知力)を育てる場所である。

そういう場所です。

付け足すなら、貪欲(過剰を求めること)が嫌い、自己愛も嫌い(自己愛とは承認欲が作り出す自己の正当化・美化)、

つまりは、虚飾も虚栄も我欲も自己演出も自己顕示も、すべてが嫌い(なんとひねくれた場所・・^◇^;)。

嫌いというのは「判断」になっちゃいますが、あえてそういう言い方をしておきます(笑)。俗世用の表現。

出家(仏教)の世界では「関わらず」ということです。



宗教とは、他人に見えないもの(理屈でもイメージでも)を信じることをいいます。つまりは、妄想を信じる(在るとみなす)ということ。

本人には「在る(見える)」のかもしれません。だからありがたいと思うし、信じることに快を感じます。

自分にとっての快・やすらぎ・満足を得るというだけなら、自分の輪郭内のことなので、第三者は関係ありません。「そのままでいい(その人にとっては正しいこと)」のです。

でも、「在ると信じる(見える)」ということは、それ(信仰)以外のものは見えなくなるということです。

周りの信じない(無いように見える)人たちとの間に、その時点で距離が生じます。

その距離は、無関心・無理解・勘違いを作り出します。



さらに利欲(信じること・信じさせることに利益がある)が絡むと、自分が信じるものを他人にも信じさせようという圧力や攻撃につながっていきます。

一見、人を救うためとか、誰かの役に立ちたいとか、それっぽい美徳・大義名分を作り出します。

しかしその動機の根底に、自分の信仰や正しさをわからせたい、もっと利益を上げたい、富、名声、権力を手に入れたいという(お決まりの)欲望が潜んでいると、

自分たちの信仰をもっと広めるため、信じさせるため、自分たちが求める利益を手にするために、さまざまな「戦略」を作り出していきます。

常識的にはありえないような利益(信じたことでこんな奇跡が!的な)や、

自分たちの信仰共同体の美しさや特別感をアピールするとか、

人の妄想(不安・心配・現実逃避願望)につけこんで、脅したり、いっそう不安がらせたりとか、

相手の妄想をぜんぶひっくるめて、自分たちの信仰にすげ替えることをもくろんだりとか(いわゆる洗脳)、

とにかくありとあらゆる無理--つまりは妄想の拡張、もっといえば侵略につながっていきます。



客観的に存在しないもの、つまりは信じない人には見えないものというのは、

存在するとは言えない(言わない方がいい)し、

存在するものと思い込んでしまえば(信じてしまえば)、その分必ず、見てもらえない、つまり認めてくれない、愛されない、放置されたり無視されたりする人が出てきます。

その最たる犠牲者が、子供や家族です。



信仰を持つというのは危うい面もあります。客観的に見れば、妄想に思考を委ねてしまって、考えない状態になるというかもしれない。現実逃避であり、思考停止。

「考えない」ことはラク。ただ言われるがままに、言われたことをやるだけでいい。

「自分は一生懸命にやっている」という自己満足が得られる。現実が見えなくなり、自分が信じているものしか見えないから、ますますこの信仰が絶対に正しい、自分は正しいことをやっていると思えてくる。


しかし客観的に見れば、周囲との距離はいっそう広がり、ちゃんと見てほしい相手(たとえば子供)を深く傷つけ、周りとの関わりを失い、

しかも信仰の実践という名目で、膨大な時間とお金と労力を奪われ続ける。



儀式的なもの(いわゆる宗教行事、読経も含まれるかもしれない)は、ある程度までは、行いに意識を使うという点で、感情が落ち着いたり、心の状態が整うという効果はあるかもしれない。

でも過剰になれば、それはただ無思考を延長させるための手段、まさに「無思考の儀式」と化してしまう。

「瞑想」なんて、とんでもない間違いかもしれない(笑)。目をつむって、現実から目を背けて、都合のいい妄想に浸る状態なのであれば。

こういうのは、瞑想ではありません。というか、瞑想という言葉が本当は間違いなのです(仕方ないのでこの場所でも使ってしまったりしていますが)。



信仰を持った親との関係で苦労している人であれば、

①自分自身の妄想グセを克服することと、
②焼きついた親の映像(姿)をも妄想として消してしまうこと

が、課題になります。

具体的にはどうすればいいか。日頃お伝えしている方法が役に立ちます。

あえて足すなら、「徹底して距離を取る」(物理的に最も遠い彼方に親を置く)ことが必要になるかと思います。

それが難しければ、自分にできる範囲で徹底して「妄想を退治する」こと。

まずは「方法」を実践することが、当面の方針です。


2025年10月末日



人に伝える資格

(ちょっとネガティブかもしれない話題:)


人に伝えるというのは、

特に、社会的な役割(職業)あるいは対価を得るプロフェッショナルとして伝えるというのは、

当たり前だけど、それだけの価値を自分が持っている必要があります。

知識、技術、ノウハウ(方法)、さらに決定的なものは、体験です。

体験がオリジナルであればあるほど、他人(人様)が聞く価値が出てきます。


たまに大丈夫かな?と思うのは、自分は伝える資格があるという装いをし、実際にプロとして活動していながら、

この場所にその分野について ‶教わりに‶ 来ようとする人がいることです^◇^;?


特に仏教、瞑想その他、心・生き方について、人に伝えるプロとして活動していながら、教わりに来るというのは、どういう状況なのでしょう?

すでに資格・立場を得たと自認しているわけでしょう?

だったら自分の力でやっていかないとね。

 

厳しい言い方になってしまうけれど、

伝える資格がないと感じているなら、資格があるフリをしてはいけないし、

伝える資格があるという看板を掲げているなら、その姿に責任を持たないと。

でないと、自分が偽者(はりぼて)、嘘をついている可能性が出てきてしまう。

それはね、絶対にしてはいけないことなのですよ。


過剰な見栄や野心など、承認欲が暴走した時に、人はつい自分以上の自分であろうとしてしまう。

「これくらい盛っても、見せかけても、通用するだろう」と妄想してしまう。いうなれば、虚飾。



虚飾は、等身大の自分を見えなくする。社会に欠かせない本当の価値を枯らせてしまう。

世の中、「なんちゃって〇〇」という立場・肩書、名乗った者勝ちという風潮も少なくないようだけれど。


この場所は、真っ当であること、誠実であろう、本物であろうという意志を大事にするところなので、

自分のあり方について悩んでいるような、真っ当な心がある人については、人として相談に乗りたいと思っています。



本当の人生は、飾り・ごまかしを捨てた時に始まるものです。

本当の自分を見極めたいという思いでいる人に向けては、応援したいという思いでいます。




2025・10



『反応しない練習』イギリス&アメリカ上陸

 
『反応しない練習』の英訳本がそろそろ出版されるようです。

イギリスからアメリカへ。アメリカのほうが早いみたいです(2026年1月予定)。

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なんだかむっちゃ地味・・というか、このモチーフから何が伝わるというのかな^^?

禅の本だと思ったのかな?

売れてくれることを神様に祈りましょう(笑)。


書誌情報の翻訳(Google機械翻訳):

著者紹介:草薙龍瞬氏は、仏教僧であり、学者でもあります。
128ページ
自己啓発、個人の成長

草薙龍瞬氏が、30万部以上を売り上げたベストセラー『より良い人生のための、極めてシンプルなフレームワーク』を提唱。

最悪な初デート。愛する人との口論。うまくいかない就職面接。私たちの心は、失敗や挫折に対して怒りや不安で反応し、自信を失わせ、まるで自分がコントロールできていないかのような気分にさせてしまいます。

しかし、私たちの幸せを失わせるのは外的な出来事ではなく、それらに対する私たちの内なる反応です。

「反応しない実践」は、永続的な心の平安への鍵を提供します。それは、不必要に反応するのをやめることです。

草薙氏のアプローチは、悩みを消したり抑圧したりするのではなく、理解し、論理的に対処しようとするという原始仏教の考えに基づいています。

簡単なステップを踏むことで、以下のことを学ぶことができます。

状況を「良い」とか「悪い」と無意味に判断するのをやめる

ストレスや心配といったネガティブな感情の痛みから解放される

他人の評価に左右されることなく、ありのままの自分らしく生きる

他人の成功や失敗と自分を比べる癖を捨てる

私たちのネガティブな反応の根源は、常に自分自身の欲望や不安に遡ることができます。この自己認識を得ると、人生をありのままに見ることができるようになります。

その受容の中に究極の心の平安があります。「反応しない実践」は、その道を示してくれます。

著者について
草薙龍瞬は仏教僧であり、学者です。仏教に関するベストセラー著書を数冊執筆し、東京で仏教センターを運営しています。

※なんか著者像だけ盛ってるような・・(実際の地味~~な姿はみなさんご存じの通り笑)。



2025・10・23





『ブッダを探して』未公開原稿


明日(10月21日)は名古屋で講座です。

中日新聞・東京新聞連載中の『ブッダを探して』は、

インド帰郷編が終わり、いよいよ現代日本編に入ります。

毎回800字くらいにまとめないといけないので、掘り下げたり広げたりはできません。

書き手には膨大な記憶と感情があるので、そうした部分を振り返りながら、最終的に800字にエイヤと詰め込む作業をしています。

これは無執着じゃないとできないかも。無執着というのは、客観性でもあり、冷徹さでもあり。思いっきり突き放さないと、客観性のある文章は書けません。

とはいえ記憶は膨大――。書いていて、「長い話だなあ」と思います(笑)。

「どこまでこの人、苦労するねん?(まだ苦労続くの?)」と現代日本編を書きながら感じてしまいます。

最終編は「たどりついた未来」になる予定。ようやく皆さんにご一緒いただいている、今そして未来の話に入ります。

2026年2月末に連載終了予定。いや、長かった。よく頑張りました(まだ終わっていませんが笑)。

進行ペース(読者にとって冗長感が出ないように)を考えて掲載しなかった原稿がいくつかあります。その一本を特別に共有します:


◇◇◇◇◇◇◇
ブッダを探して
インド帰郷編〇 微笑み


 ウダサ村で一人の女性が亡くなった。まだ四五歳だが、心臓発作で急死した。
 この地では、人が亡くなると夜通し音楽を鳴らす。通夜用の歌手がやってきて、ひと晩中歌い続ける。
 
 通夜の翌日、その家を訪れた。床に横たわる女性の亡骸があった。老いた母親が覆いかぶさるようにして泣いている。その周りを縁者の婦人たちが囲み、その外側に村の女性たちが座る。部屋は、弔いに来た村人で一杯だった。

 娘に先立たれた母親は、むせび泣きながら歌っていた。

「あなたが微笑んでいるだけで、わたしは幸せだった」。

 娘が生きていた頃の姿を思い浮かべているのか。ともにいた時間が、母としてどんなに幸せだったかを、娘に伝えようとしているのか。

 歌いながら、母親はみずからの頬を流れる涙を何度もぬぐい、硬くなった娘の手を握り締め、その頬や額を掌で撫でていた。

 母親の腕はか細く、飴色の肌は無数の皺を刻んでいた。村の女性の多くは、十代で嫁いで、子を産み育てている。早朝に起きて水を汲みに出かけ、家族の朝食を準備し、清掃し、農作業や村の共同行事に身を捧げる。

 子供には優しい母親であり続け、婦人同士は快活に笑いあう。働きづめの生涯だ。これ以上に偉大な生き方があるだろうか。

 私は、女性の亡骸のそばに座り、その体の上に置かれた二つの手をそっと握った。目を閉じて、穏やかな顔をしている。額に掌を当てると、優しい冷たさがあった。

 むせび泣く母親のほうにも手を伸ばし、その額に掌を当てた。小さな額は驚くほどに温かかった。どうか、その心に浮かぶ娘さんの姿がいつも笑顔でありますようにと願った。

 掌を当てられた母親は、不思議なことを体験したかのように神妙そうな、驚いたようなまなざしで私を見つめて、泣くのを止めた。

 静かになった部屋から私は離れた。

 村の子供たちがほどけた笑みを浮かべて駆け寄ってきた。亡くなった人と、これからの子供たち。失う悲しみと未来に臨む喜び。

 死すること、生まれることを、そばに見る。世界はこうして続いていく。せつなく美しい村人の中にいる。



2025・10・20

出家の秋

<おしらせ> 

11月1日(土)18:00~21:30
座禅会

11月2日(日)18:00~21:30
特別講座 仏教で思い出そう「あの日の幸福」を

*詳しくは公式カレンダーをご覧ください。
*東京での講座は年内最後となる可能性があります。

◇◇◇◇◇◇

東京も急に寒くなりました。

サラ(猫)の家も冬仕様に(ボックス内に毛布を敷く。今年は素直に入ってくれました)。私も冬物を取り出しました。

そろそろ新しいものを買っていいかなと少し探しましたが、安いものは、ぜんぶ売り切れ。後はお金持ち、あるいは服にお金をかけていい人向けの、出家目線からすると見上げてしまうような値段の代物。

とはいえ実際の額を言えば、全然高くなくて笑われてしまうかも。


この貧乏性というかしみったれ根性は、育ちのせい。

考えてみたら、十代も貧乏。二十代も貧乏。三十代も貧乏(というか出家してからは無収入)。

四十代で日本に帰ってきて、貯金通帳見たら2万円しか残っておらず、転がり込んだ部屋に、段ボール箱で机作って、魚屋でもらった発泡スチロール箱に百均で買った氷入れて簡易冷蔵庫にして(冬は窓の外に吊るせば足りた。自然冷蔵庫w)。


当時の私に同情してくれたのか、ある人がチャージ入りのSuica(交通IC)をくださった。改札通るのもドキドキ(いよいよ妄想ワールドに突入した気がした)。

冬に毛糸の帽子をくれた人もいた。おおお!(あたたかくて感動)

冷蔵庫をくれた人もいた。これで夏もひと安心。

電子レンジをくれた人もいた。冷たかったものがチンすれば湯気を立てる。マジック(魔法)!

2度目か3度目かの冬に、灯油ストーブを買った。寒い冬の朝に「ボッ」と火がつくあの感動。

安いトースターを買った(安売りで2000円だったトースターを奮発)。みるみるこんがり焼けていく姿に感動(なぜか縄文時代の暮らしを連想した。それだけ感動したということらしい)。

一番ドキドキしたのは、百均でゼムクリップを買った時。どうせ全部使わない。なのに買う? 百円がものすごく贅沢に感じる・・「許される? 許されない? 許されるよね?」と自問自答してようやく購入。

 
いくつかのこんな鮮明な感動が記憶に残っています。いや、よく生き延びた――。
 

※ちなみに、なぜそこまで??と思われるかもしれない半生については、ただいま連載中の『ブッダを探して』で少し触れていく予定です(来年2月連載終了)。

 

貧乏性のDNAは入れ替わるわけではないので、この先も貧乏性で生きていくことになると思います。

なので、冬服も同じものを。まだまだ使えそう。どうせ春になるし。

「どうせ春になるし」は、冬を凌ぐための出家のキラーワード。2年前に札幌に行った時に、東京と違ってずいぶん寒く、古着屋に行ったら冬物ジャケットが1500円。

500円なら、あるいは1000円までだったら買っていたかもしれない・・でも1500円というビミョーな値段。こういう「ガラスの天井」が多い。ものすごく多い。

どうしようかな・・と思案した時に浮かんだのが、「どうせ春になるしな」という言葉。

で買わずにしのいで、結局、本当に春になったのでした! すごい!


ここから秋、冬と旅が続きます。寒さを噛み締めることにも妙な至福を感じてしまう(>w<*)のが、出家の性分です。

どんな寒さに出会えるか、と想像すると胸がときめきます。


年々短くなるであろう日本の秋と冬を愛おしみましょう、みなさん(誰に呼びかけてんねん)。


2025年10月中旬



全体を見てプラスなら・・


他人の評価(学校の先生の評価を含む)は、当てになりません。理不尽の最たるもの。建前としては「公平に」「客観的に」と言ってはいるものの、内心はどうしても分け隔て・選り好みはあるものです。

(親がわが子の兄弟姉妹を扱う時も同じはず。公平なんてありえない(笑)。)

だから得する人(世渡り上手な人)も、割を食う人(世の中の理不尽・不条理を体験しやすい)も、出てきます。


一番大事なことは、そうした現実は避けられないものと受け止めた上で、「トータルで得する」自分を作ることなのかなと思います。

先生の評価に疑問があっても、他の先生・科目・勉強・進路については、プラスを増やせるように努力する。どれかがイマイチでも、他がプラスなら、トータルで見れば得する可能性は出てきます。

最終的には「前に進めればいい」ので。中学生なら(納得のいく)高校に上がれればいいし、高校生なら(納得のいく)卒業後の進路にたどり着ければいい。

ひとつのマイナスについては、「世の中こういうものだ」と割り切って、それ以上は追いかけずに、プラスのほうを見て、プラスを増やすことを楽しむのです。


「しんどい部分」は、自分だけではなくて、他の人もみんな味わって(噛み締めて)いる部分だったりします。その意味では、独りではありません。

その部分はしばらく続くとしても、自分の全体を見れば、他の部分はプラスだったり、楽しかったり、有意義だったりするので、

トータルで見た時に「プラスなんだ」と思えることが大事なのかもしれません。




2025年10月中旬


モンスター祖母(モンババ)

とある場所で出てきた話題:


子供(自分)の側が親にいつの間にか執着してしまっていた、ということはよくあります。

自分自身がもっと昔に取り込んでしまった親のイメージに、自分自身が執着していて、その陰に怯えて、勝手に反応してしまっていたという場合です。

この場合は、自分の側の執着に気づいて、いざ意を決して親に話をすると、親の側はそれほど執着していなくて、あっけなく距離を取れたりすることがあります。

もっとも、親も自分も、心という狡猾なものを持っているので、現時点で見えるものが正しい理解とは最後までわかりません。気は抜けない(油断してはいけない)ということです。



今回出てきた知人の女性については、いっそう要注意です。

母親というのは外面はすさまじくよいのです。名女優以上の演技ができてしまいます。

だから家の中で娘にどう接しているかは、外の人にはわかりません。とんでもない毒親・鬼親である可能性もあります。

思いやりや気遣いというのが、自分に有利になるようにという打算計算から来ていることもあります。「いい人(親切)」を演じることで、自己愛(承認欲)を満たしていることもよくあります。

こういう場合はたいてい、母親中心――母親にとっては自分自身が一番可愛くて、自分が輝いていなければいけないという前提に立っているので、

母親ファーストで、娘はつねに脇役という位置に置かれたりします。

そうすると、子供は自尊心を奪われ、自己肯定感が低く、外で人間関係を作ることが苦手というか苦痛にさえなってしまうこともあります。

こういう母親ファーストな母親というのは、いろんな類型があります。

完全に娘を支配している場合(はっきりと指示・命令・干渉している場合)、

娘を自己愛の餌にして、母親の凄さをことあるごとにアピールして、「母は偉いけど私はダメ」という自己否定を刷り込んで(いわば洗脳して)しまっている場合など、

いろんな場合があるものですが、共通するのは、

母親が病的に自己中(しかも自覚無し)であることです。 

自分の思惑しか見えないので、心の境界線を簡単に越境・侵蝕して、娘の心を傷つけ続けるのです。

こうした母親は無反省のまま、娘の自尊心や生きようという意欲を奪い続けます。


その最果ての姿が”モンスター祖母”、通称”モンババ”です(通称と言っても勝手にここで名付けただけですが笑)。

モンババは、いろんな場所に棲息しています。一見優しげに見えるし、外では常識的な人、それどころか活躍している人に見せるすべてに長けているので、外の人には正体がわかりません。

それでも、娘の側から母親を突き放すことは、凄まじく勇気がいる、難しいことでもあるので(※)、

娘が関係性のおかしさに気づき始めるまで、かなりの時間を要します。

※「あなたのためよ」と優しい母を演じたり、自立の芽を摘んでおいて娘が持っていないものを突如突いて(攻撃して)反論を塞いだり、同情を引くようなことを言ってみたり、お金などのメリットで懐柔したり、あからさまに抑圧して異論を封じ込んだり・・ほんとにさまざまです。


人間の心というのは、本当に狡猾で計算高くて自己愛に満ちたおぞましいものだったりします。

家の中のホラーに早く気づいてもらえたら、と思います。

モンババの退治法については、この本で(筑摩書房刊)