今回はゆるやかモード^^。
インドの〇〇〇とオンラインで話をした。
息子の〇〇は7歳、娘の〇〇〇は9月〇日が誕生日なので、あと〇日で満1歳。
子供は大きくなっているけど、〇〇〇と妻の〇〇は変わってない。元気な様子。
来年インドに入ることに。現地の社会活動家たちが待っているとのこと。
日本に伝わることと、現地で起きていることは、かなり違う。よくある話。
インドの仏教は分裂状態。セクト同士で対立しあっている。坊さんたちは儀式か縄張り争いがメインで、社会へのメッセージを語らない。
衣だけもらって地元に帰り、出家のフリをして語ったり活動したりしている者もいる。
だが一般の人には区別がつかない。かなり問題になっている。
なんだかブッダが批判的に見ていたバラモンたちの姿と変わらなくなっている。
現地のことは、現地の人たちに聞かねばわからないものだ。
いくつかの場所から招待を受けているので、来年は必ず来てほしいとのこと。もちろん。
出家というものは、痛みからすべてを始めなければならない。
安逸と退廃というぬるま湯は、厳に慎まねば始まらない。
〇
モンゴルの人からも連絡がきた。モンゴルからは今回が2度目。
『反応しない練習』に感銘を受けた。今、現地語に自主的に翻訳しているという。内容を考えながら翻訳するので、理解が深まるそうだ。自分のためにやっているという。
ただ、モンゴルはチベット密教の影響が強く、「反応」の元の言葉がわからない。中国語にたどり着けない。サンスクリット語は何か教えてほしいという(いろんな連絡がある^^)
中国語 有漏
パーリ語 āsava
サンスクリット語 āśrava/aasrava/
英語訳 leaking of mind
反応 reaction of mind は草薙龍瞬が選んだ比較的新しい訳語だ。ミャンマーで勉強していた時に使いだした。
『反応しない練習』のモンゴル語版の作成が今進んでいる。できあがったら進呈するとお伝えした。
台湾、韓国、中国、シンガポール、フランス、アメリカ、その他いろんな国の人たちが、便りをくださる。
〇
この命は、場所を変え、人を変えて、いろんな役割を授かっている。
ただ、面白いのは、自分がいなくなった後のことをいつも想っているということだ。
自分はいずれ消える。自分はいなくてかまわない。自分を伝えようという意図はなく、自分の思いを形にしようという発想もない。
自分も、形も、あってもなくてもかまわない。
ただ、無色透明にして中立な「生き方」が、残るならば残ればいいと思っている。
空があり、川があるのと同じように、生き方もまた、普遍的なものだ。
ブッダがダンマと呼んだもの。ブッダ自身は虚空へと消えゆくことを善しとした。
この命もそれでよい。
人が幸せに生きられるなら、それ以外に必要なものは、この世界には存在しない。
2023・9・5