火祭りの国

毎日のように物騒な話題や有名人の不祥事を暴き立て、大騒ぎし、煽って、突(つつ)いて、忘れての繰り返し。

どんな問題であれ、事実にもとづき、原因を探って、解決の方法を探るという方向性に向かうほかなく、その道筋は粛々淡々と進むという一択のみ。

そのプロセスを確実にたどれることが、社会の成熟というものだ。

だがこの国では、事実のレベルだけで大騒ぎし、事実未満の憶測・意見やら虚偽・捏造やらが増幅・拡散していくものだから、なかなか原因にたどり着けず、根本的解決がいつも遠い話になってしまう。

騒いでいるうちに飽きるか忘れるかして、また別の騒げる話題を見つけて飛び火させていくという不毛な連鎖が起きているのみ。

飛び火は熱い(けっして心地よくはない)のだが、刺激的でもあり、暇つぶしにもなり、難しく考えなくていいというラクさもあって、誰も彼もが火を追いかけてしまう。

個人の火遊びに留まらない、日本社会全体が興じる火祭りだ。

不毛な火祭りだけが延々と続き、人々のストレスは増し、社会全体は荒んでいく。しかも中にいる人間たちは猛烈な勢いで老いて縮んでいっている。

火遊びに興じるばかりの、火遊びしかできなくなった、老いた小さな国。

あれ、これ本当に末期症状なのかも?

 

 

 

2025年1月下旬