一歩踏み出す勇気


静謐平穏な日々が続いています。


その一方で、今の時代は、人間の狂気・野蛮にいつ遭遇するかわからないし、


時代はいつの間にか、個人の静謐平穏や志というものを、そのままにしておいてはくれなくて、つねに情報として利用し、晒して、評価や判断という名の暴力を押しつける社会に変わり果てているので、

そうした社会にあって、「世にあって世に染まらず」という一線をどのように保つのか、いやはたして保てるのかというところを、今切実に「悩んで」います^^;)。



これも一つのグローバリズム――アメリカ発の巨大テック産業が繰り出す商品・サービス・情報環境(SNSや生成AI含む)によって、

人間のすべてが数値化され商品化され評価され消費される暴力的な世界。

情報を取れれば、お金になれば、何をやっても、言ってもいいという暴論的な世界。

そういう世界に、いつの間にか包囲されてしまっていることに気づいてしまった今日この頃です。



本当は何もしないほうが安全でいられる。ひっそりと歳を重ねていくだけで十分だと思うのだけれど。

ただそれは、新たなものを創り出してきた自分の人生そのものを放擲することにほかならず、

もし取り巻く環境がもっとまとも・真っ当であれば、なんの心配もためらいもなく、新たな挑戦・創造に挑めるであろうにと思いつつ、

でもそんな真っ当な世界は未来永劫こない――もはや完全に失われてしまった(かつて一度でもあったのかどうかは知らないけれど)だろうから、

この殺伐とした暴力的な世界の中を泳いでいくほかなく、



泳ぎながら、自分の心がおもむくことは、やはりこの世界において価値あるものを、というところだから、

だからこそ、個人的な価値あるものの創造をという志と、真っ当さを失ったこの無節操で残酷で暴力的な世界とが真っ向からぶつかってしまって、

今のところ「泳ぎにくい」という心境にたどり着いています。


この先、このぬかるみのような状況をどのように潜(くぐ)っていくのか、そのあたりに答えを出せる智慧を発揮していくことになるのだろうけれど、

智慧といっても現実に妥協迎合することとあまり変わらないように思う(この命の本質はあくまで静謐と清澄にあるから)のだけれど、

それでもやはり泳いでいかねばならないだろうから(何もしないという静謐は、この命の根底にある慈悲がヨシとしない――苦労している人はいつの時代もいるだろうから)、

なんとか智慧を働かせて、泳ぎだすための心がまえみたいなものを確立せねばと思っています。


一歩踏み出す勇気、になってくれそうな智慧が必要です。


外は台風前夜の小降りの雨が続いています。こういう時間がいとおしい命です。



2026年6月初旬