看護という世界に生きる人へ2

とある看護専門学校で講義を持たせていただいて、はや8年。

看護師さんは、私にとって、最大限の敬意を払うプロ中のプロの方々です。

本を読んでくださっている看護師さんもたくさんいるし、このブログをのぞきにきてくださっている看護師さんもいるようなので、前回に続けて、看護学生のみなさんにお話ししている内容を紹介します:

 

レポート課題 なぜ看護に感情は要らないといえるのか?
 
<講評>
看護=まず見えること=理解すべき点を正確に理解すること(「観察」はその一つ)
 
そこまで置き換えたうえで、何を理解すべきかをちゃんと書く。<視点>を使ってまとめてくださいとありましたね。

患者の心と体、特にその苦しみ+原因+方法+選択の基準を理解する 患者の苦しみを増やさない正確なケアを理解する。

こうした点を理解するうえで、感情は要らない。

と言うことを書けば加算しました。

<残念だった点>
「患者と同じ感情を持つ(共有する)こと」「看護師が感情を抑制して、患者を喜ばせてあげること」といういわゆる「感情労働」が必要だと書いている人がいました。大きな間違い。

「理解」と「共感」は違います。患者と同じ感情になって喜んだり悲しんだり怒ったりというのは、看護に必要ありません。状況によっては、そういう姿が、患者を喜ばせる・癒やすことはありえますが、そこまで求められては、看護師が疲弊してしまいます。考えてみてください。

「感情労働」「感情規則」というテーマは、今後も出てきます。看護の業界で最も誤解されているところ。もともとホックシールドというアメリカの学者が提唱したものですが、「キャビン・アテンダント(スチュワーデス)には感情労働が必要だ」と言いだしたのですよ。

乗客の理不尽な要求にも、平静に笑顔で対応しましょう、そうやって乗客の満足度を上げて、利益を上げましょう(そしたら給料も上げてあげます)という経営者目線で言い出したことなのです。組織のマネジメントとして採用されて、研修内容になって、あっという間に広まりました。

これが、スッチー(スチュワーデス)と似ている(と勝手に思われてしまった)看護師・介護士などにも当てはめられた(いい迷惑)。

相手の感情に寄り添うことが大事だ、こっちの感情はコントロールすべきだ、感情労働頑張れ、我慢しろ、いつだって明るくスマイル、看護師は白衣の天使、微笑みと慈愛をふりまく聖職者たれ――という話になっていくのです。
 
「患者の前で泣いてはいけない、泣くならトイレで泣きなさい」・・・おいおい。でも本気みたい。調べてみてください。

(※ちなみにここから、アンガー・マネジメントというストレス管理の発想につながっていきます。いかにも資本家に都合のいいアメリカ的発想かも。結局、ストレスを強いられる側が努力しろというのです。
 
いや、それはおかしい。コントロールやマネジメントだけでは片づかないよ、という理由で登場したのが、草薙龍瞬著『怒る技法』マガジンハウスですw。感情で怒るのはまずいけど、正しく怒れる技は必要という--19日に大阪で講演やります。)

なんで患者の感情にあわせなきゃいけないの? 理解してあげることは人として大事だけれど、理不尽な相手にも怒っちゃいけないとか、むしろ患者の感情を「操作(コントロール)せよ」・・・「やってられない」と思いませんか? 

あきれた患者にも感情を出さずに優しくケアしましょう--なんていう阿呆な勘違いがまかり通ってしまったから、看護師さんはみな苦労を強いられているのです。

看護師に真の尊厳と敬意を。皆さんはプロ中のプロ(高度な専門職)です。しなくていいことは、しなくていい。イヤな患者(暴言・八つ当たり・わがまま・セクハラetc.)には怒って当然。毅然と対処すべし。

感情は要らないのですよ。もっと大事なことがある。理解すること。心と体。苦しみとその原因。原因を取り除く方法――こういうところを正確に理解して、適切なケアを提供する。

それができれば十二分。看護師は天使じゃない。プロです。

見るべきものが見えるプロになれば、それで上がり(満点)です。違いますか?


 
某看護専門学校にて
2023年9月10日