この国は「裸の王様」


10月といえば、例年は秋ですが、今年はまだ夏の暑さが続いています。

着実に気候が変わりつつあるのに、世界は別のことに忙しく、命運がかかっているかもしれない問題については、奇妙な無関心が続いています。

あと百年、千年経った時に、この国・この世界で今起きていることの意味が明らかになってくるのかもしれません。

基本は、自分にできる範囲で正しく生きること。生き貫くこと。それに尽きます。



この国は、いつの時代からか「裸の王様」がまかり通るようになってしまったのだろうと思います。

誰も「王様は裸だ」と言わない。いわゆる忖度。馴れ合い。

「王様は裸だ」と言えば波風が立つから、語らないほうが無難。

だけれど、裸は裸だと言わないと(別の視点を維持しないと)、裸そのものが装いだ(≒まがい物が真実だ)と思い込む人が増え、

ひいては本当の真実すら忘却される事態にもなりかねず、

「裸は裸」(≒真実は他にある)ということを言葉にしておかないと、結局、正しい物の見方が滅びてしまう。

結果的に、人間の強欲がのさばって、苦しみが増える。


日本は、いつの頃からか、そういう事態を繰り返してきたのかもしれません。特にこの百年。

「裸は裸だ」と言わない、その場しのぎ・現状維持・現実回避・先送り――それが、日本社会の歴史。

破綻するまで、露呈するまで、なかったことに、正しかったことにされてしまう。

変わる力がないからこそ、行き場のないエネルギーは自壊・自滅へと向かっていく。

それくらいしか、変わる方法がない。あの戦争はまさに一例。代わるのは天変地異か外からの圧力か。


私にできるのは、言葉を遺すこと。

残された時間の中で、言葉を遺す。

あとは見つけてくれた人が、自分の中で活かしてもらえれば。

そして、自分にできる範囲で、少しでいいから、周囲にいい変化を起こしてもらえたら。







2023年9月30日