早朝に足利を出た。誰もいない大通り、駅員一人と地元の男性がおしゃべりしているだけの閑散とした駅舎。こうした風景にも懐かしさと慰めを感じる。JRで水戸に向かった。
水戸駅を出てすぐ感じたことだが、駅周辺は巨大な商業ビルが埋め尽くしており、視界が悪く無粋に過ぎる。歩いて何の風情も感じない。古地図を見れば、一帯に並んでいたのは平屋で、すぐそばまで湖(千波湖)が迫っている。
水戸は、その名が示す通り、水に恵まれた都だった。那珂川と千波湖に挟まれ、城下町には大きめの水路がめぐっていた。当時はこの坂道から、さぞ展望の良い景色が見渡せただろうし、偕楽園越しに眺める夕焼け空は、さぞせつない色を放っていただろう。
風景に美を感じるというのは、個人の素養にかかっている。それなりの景観美を経験値として持っていなければ、無機質で巨大な箱物を建てても、それが醜悪ということに気づかない(図画や美術という科目は、美意識を育てる目的も本当はあるはずだが、機能していないのだろう)。政治・行政に携わる人の多くは、美意識を持ち合わせていない。日本の風景が歳月を経るにつれて殺伐としてゆく所以でもあるだろう。
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強い日差しの中、弘道館に到着。19世紀半ばに水戸藩主・徳川斉昭(なりあき)が建てた藩校だ。日本最大の敷地面積(10ヘクタール以上)に、正庁(学校御殿)、至善堂を中心として、文・武・医・天文を教える専門棟、さらに神社や孔子廟、森羅万象を象徴する八卦堂、馬場や調練場もある。今の総合大学に匹敵する規模。国家に準ずる観さえあるスケールの大きさだ。
そう、斉昭は、国家を見ていたのだろうと思う。彼にとって藩校は、国づくりに直結していたに違いない。
斉昭は、実用と思想と学問を包括的にとらえていた。神儒、忠孝、文武、治教、そして学問と事業の一致。まさに統合だ。国とは、世界とはどうあるべきかを考える視野の広さがなければ、これほどの規模の藩校を作ろうとは思わなかっただろう。
その発想の基盤となったのが、幼少期からの英才教育、特に歴史を通じて日本という国をとらえる水戸学か。神道、儒学、国学、尊王攘夷。日本という国家の保全。そのための全方位的な教育を実現しようと立ち上げたのが、弘道館といってよいか。
斉昭の構想を形にした側近の一人が、藤田東湖だが、あの足利学校の創建者ともいわれる小野篁を遠い先祖に持つというのは、興味深い因縁だ(小野篁が足利学校を建てたというのも、東湖の先祖だというのも、根拠の乏しい仮説だとはいうが)。
東湖の知力は父譲りだが、父・幽谷も地元の私塾で学んだそうだ(教育とは本当に重要なのだ。土壌を分解して植物を育てる、土の中のバクテリアみたいなものか)。
弘道館に卒業はなかったそうだ。若者も年寄りも、同じ場所で学ぶ。学問は生涯通じて行うものという理由らしい。たしかに、世界を知り、世を作るにはどうするかを考える、自分はどんな生き方を貫くかを言葉にする、こうした知的営為は、生涯続けるべきものだろう。人間は考えねば、問わねば、知らねば、ならぬ。
斉昭は、大船・軍艦の建造や大砲や銃の製造など、富国強兵の先駆け的なことをしている。寺の仏像を供出させたことも、廃仏毀釈から太平洋戦争までの政府の動きと似ている。
進取の気性は水戸藩の文化みたいなものだが、斉昭の思想がその後も継承されていった場合、日本はどうなっていただろう。外国を排斥し続けることが、はたして可能だったか。実現できたとして、日本に何が残ったか。
おそらく閉塞だ。封建的な身分制社会。決して不平をこぼさない従順な農民。天皇という権威のもとに国を維持するという名分以外に、国を発展させうる思想性はないように見える。大きく見れば、儒教思想という呪縛の中に、日本も閉ざされていたのかもしれない。
当時の国際情勢からすれば、開国そして富国強兵は、避けられない道ではあったろう。保守と改革の抗争は弘道館内でも起きて(明治元年・弘道館の戦い)、文・武・医の建物は破壊された。学制施行で藩校そのものが廃止。その後は公舎等に使われたらしいが、もはや亡骸(なきがら)だ。斉昭の構想は、三十年も経たぬうちに滅びた。致し方ない面はある。
水戸藩が二百年の大計として編纂した『大日本史』。その編纂の拠点となった彰考館は、維新の荒波を越えて生き延びたにもかかわらず、空襲で焼け落ち、保管していた史料の8割は焼失したのだとか。
あれほど情熱を込めて書き上げた大日本という物語をも、あの戦争は灰燼に帰(かえ)したのだ。光圀も斉昭も誰も想像しなかっただろう。ほんとに何を考えていたのだか。何も考えていなかったのだ。
理想や大義という名を借りて、人間は傲慢(妄想の一種)という快楽に突き進む。歯止めをかけるのが理知(合理的思考)というものだが、理を見るより隣人を見てしまう視野狭窄な日本人に、理知は育ちがたい。
つまりは、日本人の心性の最も根底に流れているのは、無思考という業なのかもしれない。何を志そうと、無思考が土台にあっては、必ず道を見誤る。さながら環境の変化に適応できずに滅びる種のように、だ。