事態が改善しない理由

今抱えている課題を解決するには、まずは自分自身のこだわりを捨てる必要があります。

自分のプライド、自分の考え、自分のキャリアや立場・・中には「そんなに私が悪いのか」的な自己防衛をどうしても解除できない人もいます。

心情的にはわからなくもないのだけれど、そうしたこだわりは、事態の解決には役に立ちません。

なぜなら、そうしたこだわりがあるからこそ、今の悩みにたどり着いたのだからです。

自分自身のこだわりなんて、どうでもいい。取るに足りない、ガラクタのような妄想でしかありません。

もし相手(特に子供)との関係に悩んでいるなら、その相手の言葉をそのまま受け止めて、相手の思いをちゃんと受け止めることが、「当たり前の務め」です。聞くことに、こだわりは要りませんよね。

相手が訴えてくること・伝えてくることは、すべて相手にとっては真実なのです。「そうなんだね」「そうだったんだね」と受け止めてあげるだけ。なにも難しくありません。

自分のあり方が、相手を苦しめていたなら、その事実を素直に受け止めるだけです。素直に受け止めた時には、まずは「ごめんなさい」「悪かった」という言葉が自然に出てくるものです。

別に相手は、その正しさを押しつけようとか、こちらを屈服させようなんて思っていません。単純に「わかってほしい」だけなのです。

だから、わかってあげればいい。聞いてあげればいいだけです。

そうしたシンプルなあり方を頑なに拒んで、「こっちが悪いというのか?」「そういうあなたはどうなんだ?」みたいな、プライド発のこだわりを発散しているというのは、「だから問題がこじれるのですよ」と言うしかない不毛な姿です。

そんなに自分が可愛いのかな? そんなにプライドが大事? ただの妄想でしかないのに?

そうした妄想にこだわる背景には、自分自身も誰かを許せないという不満が隠れていることもあるし、「自分は正しい、エライ」というしょうもない思い込みがあることもあります。

そうした自分、自分、自分という強烈な自意識、自分へのこだわりがあると、

相手(特に子供)の訴え・異議申し立てに、激しく動揺してしまいます。

相手は「わかってほしい」だけなのに、

こちらは「なに? 私が間違っているというのか?」と、自意識で反応し返してしまう。

だからこそ動揺するし、怒ったり落ち込んだりと感情の起伏が極端になるし、激しく消耗するのです。

そうした状況に陥ってなお、「だから相手(子供)が問題(≒私は悪くない)」という自意識を抜け出そうとしない人もいます。

そうなると、相手(子供)には、もう絶望しかなくなります。

単純にね、関わるというのは、互いが幸せを感じるために関わるのですよ。苦しめ合うのではなくて。

苦しめ合う理由というのは、力関係でいえば、「上」の人間が作り出しているものです。ほとんどの場合。

だって、素直に受け止めて、謝るべきは謝って、互いに快適に過ごす関わりを作る努力ができるなら、苦しみは生まれないからです。そうした努力をしないでいられるのは、自分へのこだわりを押し通せる「上の人間」だからです。

自分が上だと思っているから、努力しない。聞かない。わかろうとしない。想像しない。

上だと思っている、その思い込み、自分へのこだわりから、潔く降りる必要があるのです。自覚すること。地べたに立つこと。素直になること。

これは何歳になっても同じ。親であっても、まったく変わらない真実です。