『ブッダを探して』の連載終了後に、新聞社宛そして興道の里に感想のおたよりが届くようになりました。
そうかぁ、そう受け止めてくださっているんだなぁと少し新鮮に感じました。
「動く」ということが当たり前のこととして心に組み込まれているからかな、と感じました。
自分に動ける範囲で動く。思いついたことは「やってみる」。
結果的にかなり遠大な目標があるとしても、そこに飛びつくでもなく、また途中経過を人に見せたり認めてもらおうとすることなく(妄想ゾーンを広げず)、
とりあえずできることに手を着ける、ということを「やってみる」ように心ができているように感じます。
たとえば今回の連載のイラストは、「絵の勉強しよう」と思ってタブレットを買って、ちょこちょこいじってみるところからスタートして(十年ほど昔?)。
「やってみる」が重なって、結果的にできることが増えていて、
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これから始める活動も、たぶんそういう展開になると思います。
まずは着想から。そして今できることをやってみる。
もともと仏教講座もそうでしたが、私の場合は、生活のためとか事業の成功とかそういう動機でやっていることは一つもなくて、
「一人でも求めてくる人がいるならば」という思いでやってきたことです。
一人でも足を運んでくるなら、それだけで自分にとって価値あることになります。
社会的には無に等しくても、自分の活動が誰に見つからなくても、自分の中で価値を感じられる。
だから、「やってみる」だけで、即自分にとっては「成功」というか「達成」になってしまうのです。
よく何かを成し遂げた人が、「とにかく続けること」を秘訣として語りますが、それに近いのかもしれません。
で、やってみるときには「どうすればできるようになるのだろう?」という方法探求モードにすぐ切り替わるので、「できる」ことが増えていく。